8−5 「私も一緒に謝るから」
前回の粗筋。
相川の所在を確認した野田の元に一本の電話がかかってくる。木下からの電話を受け、木下が野田と敵対している事を知る。そしてその場を去る間もなく、木下が野田を見つけてしまった。
拳銃を構える女子高生が俺の前に立ちはだかっていた。
と一言に言えば裏社会を舞台にしたドラマのクライマックスとか、カッコいいヒロインが活躍するライトノベルの冒頭とかが思い浮かぶ人もいるだろう。まさに今、俺にそのシチュエーションが降り掛かってきている。
だが実際の所、目の前の女子高生は、「パパの仇!」とか言って泣きながら震える手で銃を構えたり、「これが私の仕事だから」と冷静に吐き捨てて二丁拳銃でターゲットを追いつめたりとか、そう言うのは全然しない。
銃を構える女子高生こと木下茶香子は、震える声で、でも冷徹な顔で俺の目の前に立ちはだかっている。俺は如何にして逃げ出すかを模索している最中、という訳だ。
「識君は、やっぱり馬鹿だよ」
「今日だけで何回言うんだ、それは」
記憶が正しければまだ二桁には到達しない程度だと思うが、いちいち数えてないので自信はない。つーか現在進行形でそんな事を考える余裕は無い。全く無い。
「識君がすべき事は私からの電話をすぐに切って、携帯を壊すか遠くに捨てる事だった。
……携帯電話の電波の発信位置の特定って、結構簡単なんだよ」
「それもそうだ」
電波の逆探知を予想していなかったと言えば、それは嘘である。
実際はもっと時間に余裕があると思っていたのだ。ここは三十階建ての屋上。ここに気がついて、屋上まで上がってくるにはもっとかかると思っていた。意外と話し込んでしまったのも問題だったのかもしれないが、今となってはどうでもいい。茶香子が話している内容も、俺の耳には碌に飛び込んでこない。ひたすらに逃走経路と逃げだす隙を窺うばかりである。俺の視線が行ったり来たりしているのを察したらしく、茶香子が一歩前に出た。
「もう無理ですよ。この場所を桐生さんにも知らせました。
間もなく追っ手が大挙して押し寄せてきます。
ここは大人しく捕まって。……私に引き金を引かせないで」
「ここは……ってもなぁ。俺にはもう後がない。
執行猶予付きなのに退部宣言だぜ?部長もそりゃ腹立てるわ」
「私も一緒に謝るから」
なんだか頭が痛くなるようなお答えを頂いた。二人仲良く土下座したって、それが一体なんだって言うんだ。頭踏まれるのがオチだ。アホか。
「……謝って許してくれると?」
「無理だって分かってるよ。でも……筋は通さなきゃいけない」
もっと頭が痛くなる言葉が出てきた。
筋は、て。筋てあなた。今追っかけてきてる人達より本格的な気がするんだけど。
「ヤーさんかお前は」
「……そうじゃないけど、でも識君の行動は筋が通ってないよ。
桐生さん、折角識君のこと許してたのに。君はその優しさを踏みにじったんだもん。
その事は……やっぱりケジメをつける必要がある」
「大人しく捕まって、罰を受けて、もう二度とまともな生活が出来ないとしても、か?
ケジメをつけるために自分の人生を投げ出せってのか?」
「……投げ出させたりしない」
銃を構えた茶香子がさらに一歩前に出る。声の震えは止まり、意を決したように、俺に真っ直ぐな視線を向けた。
「私が一緒に居てあげる。
識君がどんな罰を受けても、私も一緒になって受けるから。
遠い国に飛ばされても、私が追いかけるから。
一人だと辛い事でも、二人で分ければ半分で済む。
私が……どんな時でも側にいるから。
だから、今は桐生さんの所に二人で行って、謝ろう?」
茶香子は、もはや軽いプロポーズみたいな台詞を真顔で言ってのけた。感動的な台詞、と褒めてやる程度の事は出来るが、生憎俺の心を動かすには足りない。よくよく考えなくても、馬鹿な俺でも分かる話じゃないか。
「……嫌だね」
俺の言葉に、茶香子は悲しそうに眉尻を下げた。唇はブルブルと震え、今にも泣き出しそうなのを必死で我慢しているらしかった。
「どうして……どうしてですか?識君は、桐生さんが嫌いなの?
二人とも、仲良しだったのに、なんでなの?」
「元々、俺と部長は気が合わない人間同士だったんだよ。
今まで仲良く出来たのは、俺があの人の深い部分を知らなかったからだ。
昨日、ひょんな事でそれを知って……どうしてもあの人が許せなくなってな。
だからこの部を止めるって言ったんだよ」
「駄目だよ、そんなの。みんな仲良くしようよ。
いがみ合ったり嫌い合ったりするのは、もう沢山だよ。
……今まで上手くやってこれたんだから、これからだって絶対に仲良くなれるよ」
駄目、とかそんなガキみたいな駄々こねられても困るのは俺だ。
まぁ、俺は俺で駄々こねたからこうなった訳なんだけど、それは早い者勝ちって奴だ。そもそも仲良く出来るなら俺だってしてる。今まで仲良くしてきたように見えたのは、我慢と諦めがあったからだ。今回ばかりは我慢も諦めも出来ない。俺が原因で巻き込まれてしまった人がいる。だから俺は、ここで抵抗をやめる訳にはいかないんだ。
「相川が、さ」
「……?」
「新聞部を辞めさせられた。何でか分かるか?……部長に目をつけられたんだ。
部長から逃げ切った逃げ足を買われて、助っ人部に入るように部長が仕向けたんだ。
自分が真にやりたい事を奪われて部長にこき使われて……そんな滅茶苦茶、俺には許せねぇよ。
……それに元々、相川が俺の部員名簿を見たのが全ての原因だ。
俺にだって責任の一端はある。俺は」
「もう止めて!」
何かが弾けるような、乾いた音が俺の足元の辺りから鳴り響いた。茶香子が引き金を引いたらしい。
エアガンの威力は流石としか言い様が無い。撃たれたコンクリートの床にBB弾が埋まっているのを見て、俺は戦慄する。人体に向けられれば、それも心臓や脳に直撃すれば、どうなるかは火を見るより明らかだ。
「識君を捕まえるって決心したのに……もうこれ以上惑わさないで。私の覚悟を揺るがせないで。
真見ちゃんが名簿を見たのは、全部真見ちゃんの責任です。
識君は悪くない!全部真見ちゃんの自業自得なんだよ!だから!
お願いだから……他人の為に命を投げ出すような事はしないでよ」
「別に命を投げ出したつもりは」
「もう何も聞きません。これ以上何か言うのなら……当てます」
「………………」
目がマジである。恐らく足とか腕とかの急所以外だとは思うが、本気で狙ってくるだろう。勿論当たる訳にはいかないし、諦める訳にもいかない。コイツの射撃の腕から完全に逃げ切るしか、俺なりの筋って奴を通す道はない。
「一緒に謝るのが私じゃ……識君も不満かも知れないけど、でも」
「そうだよ。お前が一緒じゃ、不満なんだ」
銃声がもう一度響き渡る。引き金にかける指が震えていた。俺を見る目には、僅かに怒りが篭り始めていた。
「もう喋らないでって、言ったでしょ」
「従う義理はない。俺はお前が一緒だったら、尚更嫌だって言ってるんだよ」
今更気恥ずかしさなんて感じはしない。もしかしたら茶香子と会うのも、これが最後になってしまうかも知れない。そうやって考えたらシュールストレミングばりに臭い台詞でもスラスラ出てくるのだから、人間の思考と言うのは不思議なもんである。
躊躇わずに、口を開いてやった。
「好きな人を、自分と同じような酷い目に遭わせたい人間なんていねぇよ」
意味を理解出来たのだろうか、茶香子が目を見開いて一瞬体を強張らせた。勿論その隙を逃さない。体を屈め一歩足を進めて、間合いを詰める。咄嗟に茶香子が三発目のBB弾を発射するが、狙いはてんで的外れ。白い弾丸は俺の足元五センチ先にめり込む。俺は姿勢を落としたまま銃の下に潜り込み、茶香子の両手を蹴り上げた。
黒鉄が彼女の手から吹き飛ばされ、地表へと落下して行く。黒鉄……と言うには少し重厚感が足りないか。間髪入れずに蹴り上げた足を曲げ今度は床ギリギリに足を水平に滑らせ、茶香子の足を払う。尻餅をついた茶香子を一足で飛び越え、茶香子の頭を腕で固定した。
「……すまん」
茶香子に口を開く猶予を与えず、俺は茶香子の首の後ろに、手刀を軽く打ち付けた。
時代劇の主人公が本気出す一歩手前の、殺陣前の暴漢とのやり取りで、敵をこうやって気絶させるシーンがあった。正直あんなもんで屈強な男衆が昏睡するとは思えなかったのだが、俺の怪力で彼女の急所を目一杯打てば当然死に至る。絞め技も、格闘技素人の俺が下手に手を出せば肉体的には貧弱な彼女の体に重大な後遺症が残るかも知れない。こんな時に一発で人を昏倒させるような秘孔を突く技術があればいいのだが、生憎今は世紀末ではなく21世紀初頭であり核戦争も起こらなければ俺は一子相伝の暗殺拳の伝承者でもないのだ。
「……一応、意識は飛んだみてぇだな」
茶香子の体から力が抜け、ゆっくりと仰向けに倒れる。目を薄くつむり、苦しそうにか細く息を吐いている。とりあえず当面の目的である茶香子の気絶は達成された。ここから先は駆けつけた警官や黒服に任せる事にしよう。こんなさぶい場所に気を失った少女を放って行くなんて、端から見れば冷血漢以外の何者でもないのだが。
行かねばならない。今の茶香子は俺にとっては敵なのだから。ならば情けは必要無い。彼女が言うに、ここにも直に応援が押し寄せる、との事だ。ぐずぐずする暇があったら足を動かさねばならない。
俺は屋上のフェンスを乗り越え、下を見る。
流石に三十階の高さから落ちれば俺だって絶命は免れない。だがしかし。途中で緩衝して行くのであればその限りではない。マンションの住民様の迷惑を考慮している余裕がある筈もない俺は、一先ず一個下の住人のベランダに飛び込んだ。