8−4 「識君を、見つけちゃいましたから」
前回の粗筋。
遂に退部届けを桐生に突きつけた野田。烈火の如く怒りを露にする桐生。
桐生から逃げる為に思いついた野田の秘策。それは、相川の力を借りる事だった。
「よぉ、相川。昨日ぶりだな」
「……なに、なんか用?」
電話口の向こうの相川は、負の感情のオンパレードを堪能しているかのような沈んだ声を出していた。まるで生き甲斐を失って途方に暮れる女子高生みたいだが、まさしく彼女の場合、その通りだったりする。努めて明るい声で誤魔化しつつ、俺は相川に質問をぶつける。
「お前、今どこにいんの?」
「……はぁ?シッキー頭、大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちゃんと病室で寝てるかって聞いてんだ」
「あんまり眠れないけどね……」
既に新聞部廃部のニュースは相川の耳に届いている。
昨日は悲しみのあまり、恐らくまともに寝ては居ないのだろう。その事実を知っていながら俺も随分と酷な電話をかけている訳だが、こっちがかかってるのは命だ。人命は重し。
「そっか。俺、また後で見舞いに行くよ」
「え?あ、ありがと……」
「大人しく寝てろよ。じゃ、また後で」
相川の別れの挨拶も待たずに、俺は電話を切って一先ず安堵の溜め息を吐く。今の所相川はまだ病院に居るらしい。俺の目的地は、これで明確に定まった。
電話をポケットに突っ込んで、足元に広がる、俺の住む町を見やる。アスファルトの水溜まりに映る無数の太陽が、町を普段よりもきらびやかに彩っている。行き交う老若男女は、梅雨の時期に訪れた快晴の日曜日に何処か浮き足立っている様に町へ繰り出している。町は普段とはなんら変わらぬ平常営業を続けていた。
しかしその光景の裏で今日、某世紀末救世主物語ばりの混沌と暴力が支配した活劇がある事を知る人間は少ない。俺はその事実を知る希有なる人物にして、モヒカンに追いかけ回される種籾ジジィが如く境遇を味わった唯一の被害者って訳だ。
町に人が多かった事は俺にとって幸運な出来事だ。桐生部長が如何に優れた隠蔽工作のプロフェッショナルであろうとも、多数の目撃者がいる状況下で滅多な事はしまい。以前、極力他者を巻き込むのは避けたいと彼女は言っていた。後処理が得意だろうと、面倒は面倒だしな。男子高校生の誘拐なんて決定的な犯罪の瞬間を衆目の元で実行する可能性は低いと考えられる。であれば黒服が俺を強引に捕らえにかかる可能性は低い。黒服は、だ。
「……スゲェ数のパトカーだ」
桐生部長の持つコネクションは多岐にわたる事は既に承知であろう。
彼女の支配下にある組織はなにもアングラな奴らだけではない。教育委員会やら消防救急、警察署から、近所のスーパーマーケットまで何でもござれ。そして今俺を追う奴らの大多数は、汗で斑点を描く薄青色の半袖ワイシャツに身を包んでいる。一際目を引く紺色の帽子の中心には旭日章が鎮座しておられる。黒服では分が悪いと見た桐生部長が、恐らくまた俺に妙な罪状をでっち上げて警察を動かしたんだろう。
今現在、俺は町で一番背の高い三十階建てのマンションの屋上から町の様子を観察しているところだ。
下を見つめれば、そのパトカーの数の異様さが際立つ。この町ってこんなにパトカー常駐してたんだ、と言う恐らく将来にはクソの役にも立たない知識を、今は脳裏に刻み込む。幸いまだヘリコプター等を出動するには至っていないが、どうせ時間の問題だ。ここで下の様子を窺えるのは今が最後と思って良いだろう。
「病院まで、まだ結構あるな……」
俺は後ろを振り返って、自分が来た道を回想する。
一番遠くに見える杵柄高校の校舎は、すでに薄曇りの向こうでぼんやり見えるだけだ。黒服の男達も、結局は常識的な脚力の持ち主である。車なしで俺に追いつくのは絶対に無理だったのだ。俺が逃げ遅れるのを覚悟してまでボンネットを踏み抜いていった事は無駄でなかったらしい。
さて、これから眼下に広がる包囲網をどうやって切り抜けて病院までいこうか、と考えを巡らせ始めた頃。
俺のポケットに突っ込んでおいた携帯電話が大音量でがなり立て始めた。電話の相手は……茶香子だ。……取りあえず、出る事にしよう。
「もしもし?」
「もしもし?じゃないよ馬鹿!」
携帯電話の喧しい着信音に負けぬ大声を張り上げる電話の向こうの茶香子は、何やらお怒りのご様子。原因は何となく察せるのだが、まぁ、なんだ。そんなに怒らないでくれ。電話のもしもしは定例句じゃないか。言わないと相手が妖怪だった時呪われるんだぞ、お前。
「何馬鹿な事言ってんの!馬鹿じゃないの!?ねぇ、馬鹿じゃないの!?
いや、ごめん!識君は紛れも無い馬鹿だった!疑って悪かったわ!」
「……馬鹿って何度言えば気が済むんだ?」
「何度言っても気が済まない、馬鹿識!」
遂に呼び捨てされる程の仲に進展したか、なんて呑気な事を言えば電話越しにでも射殺されそうな気がするので、流石に口にはしなかった。俺はいい加減にこの電話の意味を問わなければならない。俺は今M-1優勝直後の芸人の様に忙しいのだ。
一通り自分の憤りをぶちまけ終えた茶香子は、静かに今の状況を語ってくれた。
「……さっき電話で、桐生さんに言われた。識君を捕まえろって」
「部員全員にその指令が下ってる。
ま、大五郎辺りは従ってるかどうかは怪しいけどな」
「大五郎先輩は……大会議室で不貞寝してるらしいですよ、ずっと。
よっぽど桐生さんが嫌いなのか……それとも識君を好いているのかな?」
あの戯けた白犬が不貞寝している姿というものは容易に想像できる。まるで人間みたいな挙動をする大五郎が出動していないと言う事は俺にとって最大限の幸福だ。探し物のプロフェッショナルであるあの犬が出張ってきたら俺に勝ち目はない。
「できれば後者の方が嬉しいね。他の部員の事は、わかるか?」
「学先輩は見てないけど、実先輩も他の部員さんもあんまり協力的じゃなかった。
表面上は頑張って探しているけど、自分たちの特異な能力を使ってまで識君を追おうとはしてないよ」
「まぁ、そうだろうな」
あの場の大半は俺と同じように、部長に無理矢理部活に入れられた可哀想な天才達だ。更に、一度は部長の会議招集命令を無視出来るほどに肝の太い方々である。部長の言った特殊工作部員の存在も信じていないかもしれない。それか信じていてもどうにかなる、という天才ならではの楽観か。
もしも……もしも密かに俺の事を応援してくれているのであれば、俺も俄然やる気が出てくる。
「で、茶香子もみんなみたいに適当に捜索してくれると、俺は凄く助かる」
「……ごめん、識君」
電話の向こうの茶香子は言葉に詰まりつつも、声はハキハキとしていた。否定語から入るって事はつまり、そう言う事だ。
「識君を捕まえてしまえば、識君が酷い目に遭わされる。でも……」
「いや、謝るなよ。俺を捕まえなきゃ、危ないのは自分の身だ。
他の部員達は信じてねぇみたいだけど、部長は嘘はつかないタチだ。
多分特殊部員ってのも本当に存在するんだろ。だから茶香子、別に」
「そうじゃないの。
私は識君の代わりに私が酷い目に遭うのは、別に構わない。
むしろ識君の代わりに罰を受けたって良いって思ってる」
「茶香子……」
中々感動的でスーパーでヒロイックな台詞を吐いてくれる。少しウルッときた。
しかし彼女の独白はそれで終わりはしない。電話越しの彼女の声は、まるで自分に言い聞かせるかのように、随分と静かに耳に響いた。
「でも……私は昔、桐生さんに助けられた。
同級生の皆に大怪我を負わせた私が、いまこうしてのうのうと平和にしていられるのはあの人のお陰」
「小学校での銃乱射、か……」
「私は罪を償う必要も無く、罰を受ける事もなかった。
あの事件の事は後悔していません。みんな私を虐めた報いなんだって、今でも信じてる。
心の何処かではそんな風に思う自分が、とても残酷な人間だって分かっていても、です。
桐生さんはね、こんな、どうしようもなく狂ってるとしか思えない私を見捨てなかった。
私が普通の生活を送れるようにって、手助けをしてくれた。
だから……私は桐生さんに、どうしても恩を返さなきゃいけない。
どんなに私が望まない事をさせられても、桐生さんの言う通りに従う事が、恩返しになるって思ってるから。
……悩んでたの。私は私を受け入れてくれた桐生さんも識君も、大好きだから。
識君を追うべきか、追わぬべきか、今の今まで悩んでたわ。
でもね。もう、遅いのよ」
茶香子の声がいやに近くに聞こえたと思った瞬間、もう遅かった。
カチャリ、と不吉な音が後方で聞こえた。なぜだろうか、安全装置、なんて単語が脳裏をよぎる。恐る恐る振り返る。そして、見た。彼女が右手に握って突き出しているのは単なるエアガンにしか見えない。だが、突きつけている人物が問題なんだ。黒くて長い髪を屋上の強風に遊ばせるソイツは、感情を押し殺したように無表情で、でも声だけは震えていた。
「識君を、見つけちゃいましたから」
目の前で電話を切った茶香子が、俺に特製改造エアガンの銃口を向けていた。