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8−3 「俺はこの部を辞めます!」

前回の粗筋。


早めに会議室を訪れた野田に声をかけたのは、柳橋実であった。

彼は自らが桐生から逃げ切った時の事を、野田に話す。野田はそれを聞きつつも、未だに自分の逃走経路が決まらずに頭を抱えていた。

「やほー、皆来て……ねーな、あんまり」


 目の下に隈を作りながらも明るい声を上げながら、部長は意気揚々と会議室を見回し、集合率の悪さに溜め息をつく。部長のその甲高い声が耳に飛び込んできたとき、俺の心臓は一度限界まで収縮した後に激しく脈を刻み始めた。

 遂に運命の時が来たのだ。

 退部届けが発火したのでは無いかと思う程、そのペラ紙を締まってある左胸が熱い。いや、駄目だ。落ち着け、俺。今この時点で緊張してたら世話ねぇ。ちゃんと顔を上げて、部長を睨みつけてやるんだ。と、俺が会議室の入り口側に振り返ると、丁度バッチリ至近距離で真正面から目が合ってしまった。ちょっと待ってくれ。いきなりこの距離はハードル高い。もっと入り口から遠い席に座るべきだったと今更後悔してももう遅い。昨日の剣呑としたやり取りなんて、まるで無かった出来事であるか如く、部長は自然に俺に声をかけてきた。


「おはよ、野田君。……どした?腹でも痛い?」

「い、いや、そうじゃなくて……」

「……何、緊張してんの?知らん人ばっかだかんなー、無理ねーか」


 部長は俺のテンパリをそう解釈してくれたらしく、俺の額を笑いながら指で突っついた。いい感じに鋭く尖った部長の爪が俺の額に深々と食い込み、俺は思わず抗議の声を上げた。


「いって!部長、爪、爪!」

「あ、悪ぃ。ま、あれだよね。爪は女の命だから」

「髪でしょ、それ」

「爪も大事だもん」

「あぁ、もうわかったから!突っつくの止めて下さい!」


 部長とのやり取りの中で、何故か俺は却って普段通りの精神状態を取り戻していく。日頃からこうした戯れ合いが絶えなかったが、まさか今になってそれが無駄でなかったと知る事になるとはね。

 冷静になれない事態に陥った最大の要因によって冷静さを取り戻すとは何とも皮肉だ。俺が如何に部長の掌の上で踊らされているかを痛感した。


「……部長。ちょっといいっすか?」

「ん?うん」

「渡したいものがあります」


 全くの予想外であったらしく、部長は首を傾げて俺の顔を不思議そうに眺めている。迷いなく胸ポケットからエイヤ、と勢いよく退部届けを取り出して部長の眼前に提示し、二回深呼吸をしてから、俺は真っ直ぐに部長を見つめた。

 ここまで来たらもう後に引く事は老若男女魑魅魍魎天地神明の誰も許しはしない。

 覚悟は昨日決めてきた。俺は淀みない声色で、間髪入れずに会議室に居る全員にハッキリと聞こえるように叫んだ。


「俺はこの部を辞めます!」


 言った。遂に言った。言ってしまった。

 会議室の時が、有に十秒は停止した。周りを見る余裕が俺には無いが、きっと全員口を開いたマヌケ面を晒しているに違いない。携帯女も弁当男も実先輩も、恐らくは大五郎でさえ、だ。目の前の天才達の親玉、桐生隼弥がそうなのだから。


「……ごめん、良く聞こえなかったんだけど」


 一番最初に復活を果たしたのは、早速呆然顔を崩して口元を引き攣らせている部長である。

 俺が突き出した、自分の目の前で揺れるその紙切れには目もくれずに、部長は俺を見上げていた。その瞳からは驚愕三割、疑念五割、憤怒二割と言った感情が見て取れる。見て取れるが、そんなものから俺が得る者は何も無い。聞こえなかったと言うのならば、何度でも聞かせてやる。


「この部を辞めさせて頂きます」

「聞き間違いじゃないのかな。部を辞めるって言った?」

「三度も言わせるんすか?」

「ええと、それは、もしかしてギャグで言ってる?」

「ギャグで俺がこんなもんまで用意する訳ないでしょうが」

「そうだよね、君ツッコミ役がメインだもんね……」


 後頭部を掻きながら、部長は困ったように目を伏せて、深々と溜め息を吐く。

 そして俺の手からその退部届けをふんだくると、一度も目を通す事無くその場でビリビリに引き裂いた。俺が昨夜、乏しい文章力で必死に書いたと言うのに何てことをするんだ、この人は。


「あのねぇ、君。記憶でも飛んだ?自分の置かれてる立場、知ってるの?」

「知ってて辞めるって言ってるんです。

 執行猶予だかなんだか知りませんけど、俺はもうウンザリなんだよ、こんな部活は」

「そうか。知ってて私に歯向かうんだね、君は」


 部長の細い瞳からは驚きも疑いも消え、怒りの色一色に染まり上がった。

 正直その眼光はとてもじゃないが人間のそれではない。神話の悪魔ってきっとこんな目だぜ。バロールとか。いつかのブチ切れた茶香子とか、鬼と化した学先輩なんかとは違う、直接的な生命の危機を感じる訳では無い。でも、だ。確実に人生の終わりをイメージさせられるその見開いた目は、俺からしてみれば前述の二人以上に恐ろしい。

 まるで絶対的破滅を約束するようなその憎悪の視線は、周りの部員達を凍り付かせるには十分だったが、それでも俺の決意を揺らがせるには足りない。伊達に面倒事を背負ってきている訳ではないんだ、俺だって。その面倒事ってのは主にここ一週間で背負った出来事なのだけど。


「前から君が馬鹿だって事は知ってたけど、こうも救い様がねーとはな……。

 いや、久しぶりに絶望を感じたよ。君の頭の悪さに」


 部長は大きく口を開く。俺に向けてではなく、室内に居る俺も含めた全員に向けて、だ。


「今ここに居る我らが部員達よ!この男を捕まえろ!

 捕まえられなければ、君たちを特殊工作部員たちの餌食にしてやる!」

「なんだよ特殊工作部員って!」


 何処からとも無くツッコミの声が上がるが、俺にはそのコントに付き合っている暇はない。

 部長が言ったそのポッとでの秘密の部員なんてものの存在を俄に信じる事は出来ない。でも、ここで思い出して欲しい。桐生隼弥は言わない事はあっても、嘘をつかないのだ。

 つまりその定義の通りに推理すれば、特殊部員なんて都市伝説未満もイイトコな方々も現実に存在してしまう事になる。俺は急いでこの場を去らねばならない。二つある出口に目をやるが、そこから突如、黒服の男達がなだれ込んでくる。あっという間に会議室を埋め尽くす彼らの姿は何となく、家の中でよく見るけど一番見たくない黒い昆虫を想起させた。


「四月の時の二の舞だよ、野田君。どうせ君にゃ無理だ。逃げられっこない。

 今なら謝れば許してあげるよ。私は君が……本当にお気に入りなんだから」

「そりゃ嬉しいっすけど、生憎俺は部長の事がお気に入りません」

「お気に入り、で一つの単語だ、馬鹿野田。

 とりあえず日本語の再教育から始めてやるよ。

 その潰れかけた腐れ脳味噌にもハッキリと刻み込めるように、徹底的にね」


 部長の背筋を凍らせる程優しい声色に、思わず体が寒気を感じるが、何とか震えを我慢する。

 必死に目だけを動かして、周囲の状況を確認した。黒服のゴキブリ男達が今しがた突入してきた会議室の二つの扉から逃げるのは、流石に無茶だ。天井に都合良く通気口なんてものも存在しない。脱出ルートはタダ一つ。俺の背後にある窓だけだった。

 碌に考えている余裕も無く、俺は窓を開ける事も無く全力で窓ガラスに体当たりをして、そのまま外に飛び出した。


「おい待て野田、ここ三階……!」


 落下する直前、背後から少し慌てた様子の部長の声が聞こえてきた。三階の高さから落ちたら人は怪我をする。それどころか命の危険さえある。それが常識だ。

 でも部長、俺の事お気に入りなら分かるでしょ。俺の体にそんな一般論が通用する訳が無いって事くらいは。俺はガラスを突き破って、窓の外に飛び出す。重力に従って自由落下する間にも、俺は周りの状況を確認していた。見れば既に校門前には続々と、黒塗りの見るからに怪しい車が路上駐車を始めていた。近隣の住人の迷惑だから止めろ。……と、適度に状況にツッコミを入れて冷静さを保っていく。


「よっと」


 着地地点はアスファルトの上であったが、俺は難なく着陸。脚に僅かに痺れがくる程度で、跳んだり走ったりには一切問題なさそうだ。飛び降りた窓からは数人が驚愕した顔を覗かせている。感心したように、何人かが手を振っていた。

 しかし、誇らしげに手を振り返す場合ではない。既に生徒玄関からは黒服がこちらに向かって全力で駆けてきている。最優先すべきの行動は学校からの退却。校門周辺にも既に柄の悪い男達が徒党を組んでいる。時間はない。


「待て!」

「やばっ、意外と脚早ぇな」


 流石に部長は手配が早い。校門に駆けつけた黒服軍団も、全員脇目も振らずに某映画の諜報員スミスのように無駄の無いフォームでこちらに向かってくる。位置、俺の正面。距離はおよそ30メートルと言った所だ。後ろからも前からも俺に群がる黒い群衆との衝突を避ける事は叶わない。ならば正面突破あるのみ。俺は正面から勢いを付けて、それに向かって猛ダッシュを敢行。先陣の黒服の頭上に思い切り飛び乗った。


「うわ、わ」

「ごめん!オッサン!」


 突然男子高校生の体重を頭に乗っける羽目になった先頭の黒服は、バランスを崩してふらつく。俺は謝りながらも、その黒服の頭を思い切り蹴って、大きく跳躍した。次々に、頭上を越えられて驚く黒服達の絨毯を踏みしめて、俺はひとっ飛びで校門前まで到達。乗り越えられて狼狽える黒服達の隙をついて、彼らが乗ってきた車のボンネットを思い切り踏み抜きながら市街地へと向かう。

 エンジンまで正確に踏みつぶせたかを確認する事は出来ないが、車の数が半分程度になれば御の字だ。

 さて、ここまでは以前、警察から逃げた時の逃走劇と全く同じ。

 ここからは俺にとって未知の領域。果たして何処まで逃げる羽目になるのやら。そもそも逃げ切れるのかどうか。逃げ仰せた人間は俺の知る限り、そもそも二人しかいない訳だけど……。


「…………そうか、その手があるか」


 俺は漸く思いつく。俺が桐生から逃げ延びる、唯一の方法を。

 ある意味天啓にも似た閃きであるが、よくよく考えればこれしかないんだろう。部長の手の届かない所なんて俺の馬鹿な頭が弾き出せる訳は無い。


 ならば、助力を乞うまでだ。部長の手の届かない場所を見つけられる奴に。


 問題は桐生部長も恐らく、今俺が思いついた事を予想して先回りしている可能性がある事だが……。

 構いやしねぇ。どうせ今のまま逃げ続けてもジリ貧なんだ。後ろからしつこく俺を追い回す黒服の事も考えなければならん。脚は止められない。悩んでいる時間は俺にはない。

 多少の賭けであっても、ここが勝負の分かれ目になる。俺の向かう先は、ただ一つ。昨日も訪れた市内の総合病院のとある一室。


 風邪による体調不良というハンデを背負っていたにも関わらず、桐生隼弥から逃げ延びた女がいる。そいつが俺に協力してくれると言う確証はないし、再び桐生隼弥に関わらせるのは酷だが……。すまん、相川。お前の力を貸してくれ。

 ……心の中で頭を下げたって、伝わる訳じゃないんだけどな。

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