8−1 「明日で俺は、部活を辞める」
前回の粗筋。
どうやら相川が桐生の策略によって、助っ人部にいれられるらしい。
野田はそれを拒否するが、桐生は冷徹だった。
正直に言えば俺が部長に抱いた感情は、怒りとか憎しみとかではないのだと思う。俺はきっと部長に失望しているのだ。なんだかんだ言ってもあの人には世話になっているし、俺も別段嫌っている訳では無かった。
出会ってすぐこそは部長の事を怖れ忌み嫌ったもんだが、実際付き合ってみると単なるガキの我が儘に付き合う様な優しいお兄さん的心情でいられた。部長の可哀想な昔話を聞いてからは、まぁ自分でもこんな考え方をするのは変だと思うが……そこそこ好意的に接していこうと思ってすらいた。
しかしそれらの好意の積み重ねは、あっけなく崩れさってしまった。
別に、なんの前触れもなかったとは思っていない。今回の部員名簿を巡る事件の首謀者である事を知ってからその疑念の種は既に蒔かれていたのだろう。それで何もかもが終わっていたのなら俺だって何も言わなかっただろう。種が芽吹く事も無かったに違いない。だがついさっき、部長とのやり取りの中で俺は漸く部長の中に潜む悪魔を垣間見る事が出来た。
基本的に彼女は身内……自分が囲った人間に対しては極めて甘く、優しい態度を取る。会議に欠席した部員にはお咎め出来ず、多少の菓子で刑を軽くし、俺の事件を隠蔽し、俺の失態を無条件で軽減した。
しかし、それ以外に対してはどうか。
顧問の森繁先生は援助交際の現場を撮影され弱みを握られ、相川に至っては自分の家兼店をボコボコに破壊された。自分の必要としない人間に関しては全くの無慈悲なその行いに俺は優しさの欠片すら感じる事ができない。
もし相川にあの隠された技術が眠っていなかったら、部長は相川家のアフターケアを行なっただろうか。
俺は今更になってそんな疑問を抱き、そして結論づける。部長がそんな事をする筈がない。普段は怖い人間がたまに優しさを見せると、人の数倍は優しく見える。よくあるヤクザの手口だ。部長が意識しているのかいないのかは、俺には分からないが、俺から見ればどちらだって同じ事だ。
俺は『優しい部長さん』なんてものを自分の中で作り上げていたんだ。
彼女は優しいのではなく、行き過ぎた選民思想にも似たものを持っているだけなのだ。突出した才能を持つ者を選び出し、自分の手元に置いていく。その他の人物は己の恐ろしさを見せつけて手駒にする。
部長の行動は常に、徹底的に一貫していた。
だから失望の原因は俺にもある。俺が自分の中の部長と実際の部長のギャップに勝手に腹を立てているだけなんだ。始めから部長の事を欠片も信頼なんてしなければ、こうして裏切られた気分に苛まれる事もなかっただろう。しかしこれは良い切っ掛けと言えなくもなかったかもしれない。何もせずにこの部に漫然と所属し続ければいつかは部長の様な選民思想が俺の脳味噌にも伝染するかもしれない。俺は部長の執行猶予から逃げられずに、このまま死ぬまで部長の言いなりで生きていく羽目にすらなるかもしれない。そして相川は己の自由を刈り取られ、部長から着せられた偽物の恩を返す為に彼女の手下となる。
俺が吐いた溜め息は未だに雨が続く暗い夜道に吸い込まれてあっという間に消滅する。
俺の悩みもこれくらいあっさり消えてくれれば良かったのに。なんてくだらん事を考えつつも、俺は一つの決意を胸に秘めた。俺の心情的にも、この辺りが潮時なのだろう。先程の部長とのやり取りが最後の一手となった。
明日で俺は、部活を辞める。
俺は恐ろしい。部長に部活辞めます、なんて言ったら俺はどんな目に遭うのか想像もできない。
もう学校に登校できるとか、普通に卒業出来るとかそう言うレベルの話ではなくなるかもしれない。死ぬまで部長の追っ手に脅える、かつて部長がぶちのめした輩と同じような生き方をしなければなくなるかもしれない。しかしそれでも、だ。それ以上に俺がこのまま流され続けてしまう事が恐ろしかった。このまま徐々に自分の自由がなくなり永遠に夢を奪われ続けるくらいなら、いっそ行動して全て失っても同じ事だ。
部長は俺を気に入っていると言っていた。きっと部長は俺の退部を阻止するだろう。全てを失う事すら許されないかもしれない。しかしそれでも行動をしたと言う事実が、俺が心の底で退部を願っていたと言う事実は消えないし隠せない。
この部活に根底にある部長の思想に、一石を投じる事が出来るのだ。
……自分の足が震えていると言う現実から目を背けて、俺は自分をそうやって盛り上げながらトボトボと帰宅したのだった。