7−11 「止めも出来ねーのにグチグチ言うのやめてくんねー?」
前回の粗筋。
明日の会議の資料作成の手伝いを桐生に押し付けられた野田は、大人しく彼女に従って、部員の予定をまとめはじめるが、そこに何故か相川の名前が。
野田は恐る恐る、その理由を問う。
何となく、という軽い気持ちで質問した訳では無い。
ある意味俺は確信めいたものを胸に秘め、この質問をぶつけた。
「……なんでここに相川真見って名前があるんすか?」
相川真見。俺の記憶が正しければ彼女は正真正銘純度十割の新聞部員である筈だ。
断じて万能人材派遣部なんて名前の、部活の体を保てているのが不思議な程怪しい部活には所属していない。しかし我が部のカレンダーに彼女の名前がある。そして予定が入っている。
張り込み調査、というきな臭い匂いを振りまく予定が。
部長が俺をビックリさせる為のドッキリかなにかを企画していて、これがそれだとしたら確かにドッキリだ。クスリとも笑えないが、それは確かにドッキリと言える。ドッキリの方が幾分マシだぜ。一縷の望みをかけて、俺は『ドッキリっすよね?』と視線に乗せて質問を続ける。
「ドッキリじゃないよ」
アイコンタクトは通じていたようだが、部長は俺の希望を綺麗残らず刈り取ってしまうその言葉を叩き付ける。
「じゃぁ、これはなんなんすか?」
「……見ての通りさ。真見ちゃんに張り込み調査をしてもらうのよ」
躊躇う素振りを見せつつも、部長はハッキリとそう述べた。
「張り込み調査って、何をさせるつもりですか?」
「……まー、いいじゃんそんなのさ」
「いや、良くないっすよ。相川は部外者だ。
なんでアイツが助っ人部の予定に」
「部外者じゃないよ」
部長はキーボードを叩く指を漸く止めて、俺に向き直った。そして意を決したように、一気に言いきった。
「彼女には正式に我が部に所属してもらう」
「……は?」
「新聞部は止めてもらって、ウチに入ってもらうのよ」
部長は喜色満面だった。天使の様な悪魔の笑顔ってのはきっとコレの事を指すに違いない。
部長は話は済んだとばかりに再びディスプレイとにらめっこを開始するが、そんなの俺が納得できる筈が無い。
「ま、待って。俺には何が何だかさっぱり」
「何でわかんねーかなー?君は実に馬鹿だな」
「馬鹿で結構ですから、詳しく教えて下さい」
俺の真剣な声に潜む静かな怒りを察したらしい部長は、頬を掻きながらも目はしっかりこちらに向けた。
「ま……要するに、アレだ。あの子の実績を鑑みれば当然の人事なんだ。
なんせ、彼女はこの私から逃げ仰せた唯一無二の存在だよ?
これを天才と呼ばずに何と呼ぶ」
「……つまり、逃亡の天才、と」
「逃亡、潜伏の天才……ってところかな。
だからウチに来てもらう。もう予定も織り込み済みだしね」
「その、ウチに来てもらうってのが問題なんすよ」
相川は新聞部で、新聞を書くのが好きだと言っていた筈だ。
彼女の眩しい笑顔は俺の脳裏に未だに鮮明に刻まれている。であれば、相川は新聞部を辞めたがる筈がないし、この部活に入りたがる訳もない。
「部長、もしかしてまた脅しをかけたんじゃ……!」
「……それも勿論考えた。しかしね、野田君。
今のこの部の内情を考えれば、だ。脅しの効果は薄いのは明白じゃない?」
「第一回目の部内会議の出席率がアレですもんね……」
「ましてや彼女は私ですら捕らえる事の出来ない、ある種天敵と言える存在。
なら別の方法で訴えかけるしかないでしょ?」
「別の方法って……」
「別の方法」
「そ、それってなんなんすか?」
「安心しなよ。言ったでしょ、無理矢理じゃないって。
あの子に直接危害を加える事はないって、君と約束したじゃんか。
私が嘘ついた事、ある?」
「それは、無いですけど大事な事を言わない事はあります」
「確かにそうかもしれない。でもだからって言う必要は」
「ありますよ!相川は俺の友達だ!
そんなアイツが何で新聞部を止めてまでウチみたいな部に……!」
静かに吠える俺を諌めるように、部長は俺をキツく睨みつける。
少しだけ見開かれた細い部長の目から覗く眼光に、ただならぬ殺気が満ちていた。
「理由を知ってどうなる?」
「どうなるって……」
「君が相川をウチに入れる為の手段を聞いたとして……。
例えば……杵柄の校長が私の差し金で、新聞部の解散を宣言したとして。
そして今日元新聞部部長からそれを言い渡されて絶望している相川に、私達が手を差し伸べたとして。
相川が望んでこの部活に入るとして、だ。野田君よ。
君はどうすればこの状況を覆す事が出来るんだろうね?」
「そ、それは……」
「……野田君、私だって今更こんな事言いたくはない。
でも、君はまだ分かってないみたいだからハッキリ言うけどさ」
部長から殺気が消えた。しかし代わりに部長から覗く感情はむしろ、もっと好ましいものではものだ。
「止めも出来ねーのにグチグチ言うのやめてくんねー?」
まるで蔑む様なその部長の態度に、俺は手にしていたボールペンをいつの間にか粉々に握りつぶしてしまっていた。右手が黒く染まっているのを見て漸くその事に気がついた程、俺は悔しくて腹が立ってしょうがなかった。
怒りに染まった俺を見ても部長の顔色は変わらない。全て予想していた通り。そんなしたり顔でケロッとしていやがった。
「さてと、野田君。無駄話はこんなとこで終いにしてさ。
仕事はまだ残ってんだろ?さっさと終わらせなよ」
いっそぶん殴ってしまいたかった。このまま何も出来ずに唯々諾々と従うよりは、何もかもを忘れてぶん殴ってスッキリしてしまえば精神衛生上は遥かに健康的だ。
しかしそれをしてしまえば、俺はまた同じ過ちを繰り返す事になる。サッカー部の部長以下数名を病院送りにしたあの日と同じ事件がここで起こってしまう。
『識君が本気で人を殴ったら、当たりどころが悪ければ多分本当に死んじゃう。
だからもし頭にきても、殴り合いの喧嘩なんてしちゃいけない筈なの。
でも識君には、その事を自覚させるだけの出来事が今までなかった。
今回は桐生さんがいてくれたから良かったけど、同じ事が起こらないって保証出来るの?』
さっき茶香子とそんな話をしていたのを思い出した。
死ぬまでグローブでもつけるか、なんて馬鹿を言ったさっきの俺こそを殴ってやるべきだ。人よりちょっと筋肉馬鹿なだけだが、俺は間違いなく人より筋肉馬鹿なのだ。人より筋肉な分、俺は人よりも自分の力を制御しなければならないのだ。
そうでなくてどうして剛志達と上手くやっていけるんだ。
ただひたすらなる我慢に次ぐ我慢だけが、今の俺に出来る最後の抵抗であった。立ち上がって手を洗い始めた俺を見て、部長は一つ大きく溜め息を吐いてから、再び資料作成を開始した。