7−10 「面倒だから俺に押し付けた、と」
前回の粗筋。
家庭教師を終え、帰宅する木下を送っていく事になった野田。
帰り道での会話の中で、野田は木下と両親との関係に一縷の希望を見て、安堵を覚える。
別れ際、野田は若干のキザッ気を出しながら、爽やかに立ち去った。
本当なら上機嫌で鼻歌を歌いながら、春雨でもないのに濡れて帰る似非月形半平太となる予定だったんだが、どうも俺の運命を卸してくれる問屋さんは底意地が悪いらしい。何でかって言えば、それは今の俺の状況を説明すれば分かる事である。
「いやー、駄目元で電話してみるもんだね。助かるよ、野田君」
「駄目元なら連絡くれない方が助かりましたよ、俺は。
……そんなにパソコン睨みつけて、一体なにしてんすか?」
「明日の部内会議の資料作成。手伝ってもらうよ、前科者」
「……畜生、ここぞとばかりにそれを持ってくるとは……。
そもそも明日会議っつったの部長でしょ?なんでその部長様が今、資料作ってんすか」
「誰かさんのせいであんまり暇がなくてさ」
「そこも俺のせい?」
「自覚はあったんだね。あ、家には私が連絡しといたよ。お袋さんもOK出してくれた」
「要らん気回しは出来るんすね……」
事の顛末は以下の通りである。帰りの夜道で携帯電話が震えた。上機嫌だった俺は相手の名前を確認する事もせずに躊躇無く通話ボタンをプッシュ。そしてその通話相手はよりにもよって桐生隼弥であったのだ。聞けば今から部室に来い、とほざきやがる。
こんな夜遅くに誰が行くか、とっとと帰って寝たいんじゃボケ、とは思いつつも、執行猶予を目の前でぶら下げられている俺が部長からの呼び出しを断れる道理はない。無事部室に辿り着き安いアルミ製の薄いドアを開けると、ノートパソコンが飛んで来た。比喩ではなく、飛来したのだ。避けるべきか受け止めるべきか一瞬の逡巡の後、俺はパソコンを片手で受け止める。
俺と言うゴールキーパーの先には月明かりがうっすら照らす学校の校庭しかないのだから、それではあまりにパソコンが哀れだし。
抗議の声を部長にぶつけるべく部室の中を覗き込むと、部長はこちらに目もくれずに狭いちゃぶ台にデスクトップ型PCを乗せ、それに向かい合っていた。
そして先程の会話が繰り広げられ(上記の会話の最中も部長は一切こちらを見ていない)、今俺はちゃぶ台の上のコンビニの空き弁当箱やカップ麺の残骸を蹴散らしてノートパソコンを起動した所だ。
「俺、なにすればいいんすか?あんまりパソコンって得意じゃないんすけど」
「このカレンダーの予定表をパソコンで打つだけ。それくらいは出来るでしょ」
「え、いや俺は」
ようやくこちらを向いた部長が、今度は丸めたカレンダーを投げつけて来た。
今年の月めくりカレンダーで、何故かグラビアアイドルの際どい水着写真がデカデカとカレンダー上部を支配している。
「実さんがくれた。見た目の割にスケベだからねー、あの人」
「別に聞いてないし、知らないでいいです、んな情報」
既に五月より前は見事に破かれている。アイドルの写真含めて。……別に残念ではないぞ。
六月から先の予定を見ると、ほぼ毎日……とは言わないが三日に二回は誰かしらに何かしらの予定が入っている。
いくらなんでも多忙過ぎやしないか?
「部員全員分の既決予定がそれ。一々全部それに書き込んでたら収集つかなくなっちゃって」
「面倒だから俺に押し付けた、と」
「よく分かってるじゃん。さ、早く」
早く、と言われても我が家にはパソコンなんて高尚且つ高価なものは存在しない。
授業で数回触った程度のIT知識しか持ち合わせていない、全国の機械音痴の尖兵たるこの俺が書類作成なんて出来る訳ねーだろ。
指は止めないまま、部長が訝しげに俺の止まった手元を覗き込む。そこで漸く察したのか、部長は声を上げて笑いやがった。
「はは、そっかそっか!君にゃー無理か!」
「……すんげームカつくんですけど」
「悪ぃ悪ぃ、手書きでもいーよ。君の場合多分そっちのが早いしね」
「言われなくても」
床に乱雑に転がる雑貨の中からボールペンを発掘し、俺は六月以降の予定を、部員ごとに分別して書き分けていく作業を開始する。
当然だが俺の知らない部員も大量に居る訳だが、作業そのものはあんまり辛くはなかった。
「この矢島って人も一年なんすか?俺、見た事ないっすけど」
「他校の一年だよ、隣町の二兎高校の」
「予定にゴーストってあるんすけど、なんすか?」
「ゴーストライター。彼、そういう助っ人だから」
「この『小津:大量入荷』ってなんすか?」
「日付見て分かんない?」
「確かこの日って終業式でしたよね……。
……入荷って、まさかこれ」
「夏休みの課題の入荷よ。他校の生徒のも含めてね。その日は宿題の答案作成開始の日。
賃金を頂く代わりに、宿題を全部解いてやるっていう今年からの試みだ。
部費も稼げて依頼者の生徒もみんなハッピーになれるって寸法。
ちなみにバレる事は有り得ないよ。小津ちゃんは他人の筆跡まで完璧に真似る事ができるから」
「バレなきゃ良いってもんでもないだろうに……」
「そういや、さっきから学先輩の予定が全然見当たらないんすけど。
あの人暇なんすか?」
「アイツ、普段は仕事ないよ。予定外に対応するのが仕事だから。
部員名簿にそうやって書いてある筈なんだけど」
「生憎読んでないっす。……具体的にはなにしてんすか?」
「……どうしても、聞きたい?」
「……えっと、まぁ、気にはなりますけど」
「普通に真面目に生きてたら関わり合いの無い職種だからね。
野田君もくれぐれも学の世話にはならないように気をつけなよ」
「はは、そんな大袈裟な……」
「……………………マジで気をつけなよ」
「な、なんでそこで真顔なんすか……」
「……………………」
「……あの人、何が専門なんだよ」
「それは」
「いや、やっぱ聞きたくねぇ!」
「さっきから気になってたんすけど、俺の予定めっちゃ多くないっすか?」
「当然じゃん。運動部ほぼ全てから引く手数多なんだから、君。
要望が多い分、仕事が多いのは当然でしょ?」
「どうすれば同じ日にバトミントンしながら空手出れるんすか?
しかも会場別だし。何回も往復しろっつーの?」
「二つの体育館の距離は約二キロ。往復出来ない距離じゃないでしょ?
進行具合によっちゃ、道着着ながらラケット握る羽目になるかもね。
もしそうなったら写真撮ってやるよ。めっちゃウケんべ?」
「撮ったらカメラ握りつぶしますからね」
「じゃ携帯で撮るか……」
「そんなとんちは要りませんから」
そんな風にどうでも良さげな会話を繰り広げていた中で、俺は頭の中では別の考えが巡っていた。
この予定に書かれた部員達は一体、どう言う経緯でこの部に所属しているんだろうか。俺みたいに自分の能力とかには大した興味も無いのに脅されて入ったのか、茶香子みたいに自分の能力を活かす為に自主的に入ったのか。
果たしてどっちなんだろう。部長にそんな事を聞いても、部長自身がどこまで把握しているかは微妙なとこだ。理由とか経緯なんて言葉は握りつぶす為に存在していると、本気で思ってそうな女なんだし。
「皆、明日は来るんすかね」
「……今回は部員全員から連絡が来てる。一人欠席な以外は全員出てくるよ」
「へぇ、誰が休むんすか?」
「ウィリアム君。未だに孤島で爺婆の寿命を先延ばしするのに尽力してるよ。
流石に人命がかかってるとなれば、私もそうそう無理は言えないけどさー……。
全く、なーんであんな所に居るのかね。あんだけの腕がありながら」
「あれ、部長が派遣したんじゃないんですか?」
「………………さ、さーて、ラストスパードだよー野田君。
無駄口叩いてる暇はねーぜ!」
「腑に落ちないけど、それには同意」
時計は既に二時を回っている。起きるのが遅かったせいか、この時間でも睡魔は未だ脳幹の奥の方で鎮座している。
しかしまた寝るのが遅れて会議に遅刻なんて事態は、それこそを回避する必要がある。
よってさっさと仕事を終わらせるのが吉。ペンを握り直して気合いを入れてカレンダーを捲る。
と、そこの予定には俺は見慣れているがそこにあるには随分不自然な名前があった。二、三度瞬きして、目を擦ってからもう一度名前を見る。見間違いではなかった。
「……部長?」
「ん?どうした、インク切れ?」
「いや、そうじゃなくて」
俺はカレンダーに書かれているその不自然な名前を指差して部長に見せつけた。
「……なんでここに相川真見って名前があるんすか?」
『相川真見:張り込み調査』と言う文字が、晩夏の頃に確かに刻まれていたのだ。