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7−7 「男の子の家で夕飯食べるなんて、ちょっとアレだものね」

前回の粗筋。


相川への見舞いを終えて、野田と木下は帰宅の為にバスに乗車していた。

どことなく雨のせいでテンションの低い会話を繰り返す二人の話題はいつしか中間テストへとシフトする。試しに出題した簡単な問いにすら答えられない野田の為に、木下は彼に勉強を教える事を決意した。

「よし、出来たぞ。……どうだ、茶香子」

「はい、ここ間違いね。何回目よ、この間違い方?」

「……分かりません」

「識君、普段から勉強してるみたいだけど物の覚え方がヘタクソなんだよ。

 あちこちで間違ったまんま覚えちゃうから、他の知識とつじつまが合わなくなるの。

 正確に覚えられなかったら、勉強なんて時間の無駄にしかならないから。

 はい、またやり直して」

「ぐふぅ……」

「ね、それよりさ、この巻の続き無いの?」

「まだ出てねぇ。それが最新。って言うかお前よくも俺の勉強をそれ扱いしやがったな」

「そっか。これ案外面白いな。また最初から……」

「お願いですから話を聞いて下さい、先生」


 自信満々で名乗りを上げた女教師は、正直口先だけだったと言わざるを得ない。俺が懸命にシャープペンシルを走らせるその正面で漫画を読んで片手間に俺に勉強を教える茶香子に、俺は憤りを覚えていた。

 コレは教えるとは言わん。俺が勉強しているのを眺めているだけじゃねぇか。

 厳密に言えば、眺めてすらいない。さっきから茶香子は畳の上に寝転んで漫画を読んではニヤけ、お袋が気を遣って出した麦茶を飲むばかりである。それで人に集中しろってのが間違ってんだろ。つーか初めて来た人ん家でよくそこまでくつろげるね、君。

 言い忘れていたが、今俺は家に居る。勉強を教えると言ってもどうやら『今すぐに』と言う接頭語を欠いていたらしい。ちなみに会場は俺の部屋ではない。畳の居間で座布団に胡座を掻きながら、モリモリとノートを埋めているのだ。

 理由は二つ。俺の部屋が今、とても散らかっているから。人に見せるには憚られるものだってあるしな。何とは言わないけど。茶香子が俺の漫画を読んでいるのは、必要以上に教科書の解説を行なう(炭素の質問しただけでカーボンナノチューブの製法の話までぶっ飛んだ)茶香子を黙らせる為に提供した物だったのだが、今ではそれを後悔している。

 自分から教えるって言ったんだから少しは食い下がる事を期待していた。でも漫画渡すと、あっさり引いたんだよこの子。そりゃねぇだろ。

 そして二つ目の理由。お袋が許可しなかった。ちなみにそのお袋さんは、俺達の動向を台所で晩飯の用意をしながら横目で窺っている。その視線も、目の前の茶香子と同じくらい俺の集中力を欠く要員となっているのは言わなくても分かるだろう。

 俺が女の子を家に連れてきた事なんて無かったから、お袋も落ち着かないのはわかる。わかるが、しかし。別に何もしやしないんだからそんなに本気でこちらを観察しても、なんの成果も上がらないっての。アイコンタクトを試みても、お袋は俺が顔を向けると視線を逸らしやがる。わざとらしい口笛のオマケ付きで、だ。完全に独断と偏見に満ちたソッポの向き方である。バレてないと思っているらしいのが不思議でならない。

 そんな困難な状況にありつつも、夕方過ぎて未だに止まぬ土砂降りの喧しい雨音をBGMとして、漸く先程間違えまくった教科書末の例題群が解けた。……よし、今度は答えが合っている。これでどうだ。

 茶香子は読みかけの漫画を一旦ちゃぶ台の端っこに置いて俺のノートと教科書末の解答例を照らし合わせて、苦言を呈する。


「……答えしか合ってないですよ。解き方が間違いまくってる。

 答え見てやったじゃないでしょうね?」

「それじゃ意味ないだろ。自力でやったよ」

「どれどれ……やっぱり計算間違いしてる。

 けど、偶然に偶然が重なって正しい数値が出ただけだね。しかも時間かかり過ぎ。

 残念でしたぁ、やり直しでぇす」


 さっきから十の二十何乗とか言う天文学的数字を相手にして、頭がパンク寸前なんだ。

 少し休ませてほしいが、茶香子にはそれにすらNOを出す。


「集中力の持続は一般に大体90分くらいが普通。

 でも、それが発揮されるには30分くらいの助走が必要な訳。

 今勉強始めて40分だから、そろそろ頭の回転も最高潮の筈ですけど。

 ……うぅん、どうしてだろうね?あんまり集中出来てないみたい」

「誰のせいだ、誰の」


 その理論がそもそも眉唾物だし、例えその理論が正しかろうが、助走するにも集中出来る環境ってものが必要な訳で。外来種によって既存の生態系が食い荒らされるが如く、俺の脳内環境も茶香子のいい加減さとお袋の不躾な視線によって崩壊寸前なのだ。元凶の一つである台所からの視線に流石に我慢ならなくなったので抗議の目を向けると、丁度お袋が麦茶のお代わりを持ってくる所だった。


「ありがとうね、ウチの馬鹿のためにわざわざ」

「あ……とんでもないですよ」


 茶香子はすぐさま起き上がって漫画をちゃぶ台の下に隠し人の良い微笑みを浮かべたが、さっきからこっち見てたんだから今更隠しても無駄だぞ。しかし普段は他人の子でも容赦なく叱り飛ばすお袋だが、茶香子を咎める様子はない。むしろトーンの高い、よそ行きの弾んだ声を出している。

 剛志が同じ事をしていたら叱り飛ばしているだろうが……まだ様子見段階で猫被ってんのかもな。


「いいのよ、茶香子ちゃん。ゆっくりしてて?」

「ご、ごめんなさい」

「それから、そろそろご飯なんだけど、茶香子ちゃん、食べていく?」

「……いや、そんな。悪いですよ」


 キラキラと輝くお袋の瞳を眩しそうに見ながら、茶香子は苦笑しながら遠慮をしている。

 遠回しに嫌がってるんだよ、気づけよお袋。俺のアイコンタクトはスルーされ、我が母は我が道を突き進む。


「そういわずに、どう?今日はお父さんいないのに、いつもの癖でちょっと作り過ぎちゃって」

「で、でも」

「この季節湿気が多いから、余らせても作り置きに出来ないのよ。だから人助けだと思って、ね」

「う……うぅ、じゃお言葉に甘えて」


 お袋の押しの強さに茶香子も遂に折れた。

 その言葉に気を良くしたお袋が、鼻歌混じりに再び台所に引っ込んだ。エプロン姿が完全に視界から消えた時、茶香子が声を顰めて俺に囁く。


「なんかパワーあるね、識君のお母さん」

「悪いな、なんか無理矢理で。

 今日は疲れただろうし、別に気にしないで帰っても良いよ」

「別に嫌だって訳じゃないんだ。ただ、人ん家でご飯なんて食べた事ないから緊張しちゃって……」

「さ、ご飯よ!」


 お袋が両手にお盆を乗せて、晩飯を運んできた。大道芸かっての。危なっかしいから止めろ。何をはしゃいでいるんだか知らないが、お袋の機嫌が良いなら俺が口を挟む余地等ない。


「ぼうっとしてないで、識も運ぶの手伝いなさい!」

「へいへい」


 ちゃぶ台の上の勉強道具を適当に片付けて、俺は腰を上げて台所に向かう。お袋はそのまま座布団に座って、茶香子の正面に陣取る。俺の勉強スペースが見事に奪われた形だ。


「手伝いって言うより、配膳役のバトンタッチじゃねぇかよ」

「いいじゃないの、普段碌に手伝いなんてしないんだから。

 ほら、さっさとしなさい」


 俺に対しては相変わらず冷たいお袋の檄により、俺は居間を追い出された。

 前にテレビで言ってたな。男は身内に甘く、女は身内に厳しい。なるほど。じゃ、たまには手伝ってやるか、なんて心の何処かで思っている俺もれっきとした男だと言う事か。






「茶香子ちゃんは、好き嫌いない?」

「ちょっと苦手なものはありますけど、食べれないものは無いです」

「偉いわねぇ、識も見習いなさい。お前、納豆嫌いだっただろう?」

「いつの話をしてるんだ。とっくに克服したわ」


 俺は一人っ子なので、今日は普段ではありえなかった女二人に男一人の我が家の食事風景。

 いつも男二人に挟まれて食事をするお袋にしてみれば、随分と新鮮な食卓になるのだろう。年甲斐もなくはしゃいでいるのはきっとそのせいだ。メニューはご飯、味噌汁、焼き魚にポテトサラダと、一般家庭にありきたりな食卓である。

 俺の正面にお袋と茶香子が腰掛けて、お袋は俺より茶香子に親しげに、隣にしきりに声をかける。


「茶香子ちゃんは、テスト大丈夫なの?」

「理数系は普段からやってるんで。後は文系科目をどうにかすれば」

「あらま、普段から勉強してるの?偉いわねぇ」

「いや、そんな……全然、大した事じゃありませんから」


 いつもならもっと胸張って堂々としているくせに、今日の茶香子は背中を丸めて消極的だ。緊張していると言うのは本当らしい。お袋は茶香子の強張った笑みなんて見て見ぬ振りをして会話を強引に続ける。


「そう言えば、お家には連絡はしてある?」

「さっきしました。一応、なんとか許可はもらえたんで、大丈夫です」

「あら、ちょっと悪い事しちゃったかしら。

 男の子の家で夕飯食べるなんて、ちょっとアレだものね」


 アレって言うな。

 食事が出されているのに、未だに一切手をつけられていない茶香子の料理を見かねて、俺は口を挟んだ。


「お袋、茶香子が困ってるだろ。黙って飯食えよ」

「お前こそ、折角お友達が来てるんだから、もっと喋ればいいじゃない」

「いつも冷める前にさっさと食えって言ってる癖に……」

「臨機応変って諺、知ってる?」

「飯が冷めるのは事実じゃねぇか」

「冷めても美味しいよ、母さんの料理は」

「確かにポテトサラダは元々温かくないしな」


 ああ言えばこう言うを地でいく俺達親子の言葉の応酬。茶香子が俺達を見て口を開けて呆然としている。お袋がそれに気づき、微笑みを取り繕う。


「あ、ごめんね茶香子ちゃん。さ、冷めないうちに早く」

「言ってる事が矛盾してないか?」

「識は黙って食べてなさい。今私は茶香子ちゃんと話しているの」

「へぇへぇ、邪魔して悪うござんした。もう好きにしてくだせぇ」


 相手をするのも面倒臭くなってきて、俺は二人の会話の傍観に徹する事を決めた。しかしそうして黙って飯を食い始めると、今度は前の二人も黙りこくる。

 一体どうしたんだと味噌汁から顔を上げると、お袋が青い顔で俺と茶香子を交互に見ていた。なにか助けを求む様なその視線の理由は、隣の茶香子にあった。


「……うっ、ひっく……ぐす」


 茶香子さんが啜り泣いております。コレは一体どう言う光景だ。さっきまでの会話に何か茶香子の心を抉る様な話があったのだろうか。

 ポテトサラダか。茶香子の家ではポテトサラダは温かいのか?冷たいポテトサラダにカルチャーショックを受け、泣き出してしまったのだろうか?

 いや、冷静に考えろ俺。いくら何でも芋のサラダごときで文化の違いが起こりうる筈が無い。ならなんだ?口に合わなかったのか?普段ブルジョアな家飯を食べている茶香子の口に、我が家の飯は合わなかったのか?

 俺とお袋の頭の中には、恐らく似た様な思考が渦巻いていることだろう。お袋は口の辺りに手を持ってきて、視線を明後日の方向に向け、独り言を呟いていた。


「な、泣く程美味しくないのかしら……!

 やっぱり味噌変えたのが……いや、もしかしてマヨネーズを減らしたのが……」

「お袋も落ち着け。普通に美味い、美味いから落ち着け」


 今議論すべきはお袋の飯の味じゃなくて、茶香子が泣き出した理由だ。飯が原因で泣く程、コイツの涙腺は弱くない……と、思う。だから別に原因があるのだ。


「茶香子、どうしたんだ?何があった?」

「ご、ごめん。別に、ぐすっ、な、なんでも」

「何でもないのに泣き出すなんて、お前の情緒はどんだけ不安定なんだよ」


 心の何処かでは落ち着きを取り戻したのだろう。ちゃんと返事は返してくれた。

 しかしハンカチで涙と鼻水を拭いても、それらが止まる気配がない。俺達の食卓は、その場でてんてこ舞いの様相を喫してしまいそのまま中止に至ったのだった。

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