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7−4 「ねぇ、もしかして……識君、あのプリン」

前回の粗筋。


木下の母親との会話の中で、野田は木下家の親と娘の溝を知る。

野田は木下の母親を叱り飛ばすが、結局何も変わる事はなかった。

野田は木下に『首を突っ込むな』と言われ、自分の無力を思い知りながら相川の見舞いに出掛けた。

「よ、思ったよりも遅かったな」

「急に天気が悪くなったからよ」

「確かに、さっき急に振ってきたよな。俺もビックリしたぜ」


 俺達が病室に辿り着いた時、既に見舞いにきていた剛志がこちらに手を振って、相川のベッドの位置を知らせた。もう時刻は三時半を回っている。確かに遅れたな、こりゃ。

 ふと病室の窓の外を窺うと、夜かと思う程暗かった。ここ数日の晴れのツケを一気に払わされている梅雨前線は、今夏分の雨まで振らしきってしまおうかと言うが如く勢いを未だに留めない。

 ここで一気に降ってくれて、また来週は快晴、とかだと嬉しいけどな。


「剛志、お前何時から居るんだ?」

「ずっと、だよ。夜最後までいて、朝一で来た」

「そっか。ごちそうさま」

「……喧しいわ、ボケ。お前らこそ、何でこんなに遅いんだ」

「降り出した頃に、傘がなかったんだよ。一旦引き返した」


 猛烈な雨の中で一瞬のうちに濡れ鼠と化した俺達は、一先ずそれぞれの家に引き返す事にした。そして服を着替え、傘を調達し、再び落ち合ってから漸くバスに乗って病院に向かったのだった。エラい時間がかかってしまった。当初の予定よりも二時間程オーバーしている。


「それより、調子はどうだ?」

「見ての通り。さっきようやく寝てくれた所だ」

「……ようやく?」


 剛志は顔を俯けて、溜め息をつく。この男のくたびれた表情は随分久しぶりに見た気がした。

 病院のベッドで眠る相川は俺が祠で見た寝顔よりも、更に呑気で穏やかな顔で寝ていて、時折顔をニヤつかせている。余程幸せな夢でも見ているのだろう。


「母親の無事が確認出来なくて、不安だったらしい。

 終いには自分で探しに行くとまで言い出してよ。

 止めるのは骨だったんだが、ついさっき、真見の母さんが見舞いに来てな。

 感動の再会を果たした後、安心し切ったコイツはバッタリ眠っちまった。

 で、その母さんも真見が寝たのを見て、さっさと帰っちまった。

 店の修繕と再開の準備を始めないといけないんだと。飲食店ってのは大変だよな」


 母親の無事を直接確かめるまでは、不安だったのだろうか。事前に聞いていた俺は、茶香子にもその事を話した筈なのだが。念のため、茶香子に確認をとってみた。


「茶香子、俺との電話の後で剛志には」

「したよ。連絡。あの電話の後、すぐに」

「じゃなけりゃ、俺はお前との再会に感極まってたかもしれないしな」


 剛志が無理に冗談めかした声で、俺を指差してにやりとした。茶香子が口元を抑えて、さらにそれを指差す。


「昨日野田君の無事を連絡したら二宮君泣き出しちゃって、私驚いたわ」

「なっ!おい、その話は勘弁してくれ、木下さん。

 ……大体、なんでお前からの連絡はなかったんだよ、この薄情者」

「忙しかったんだよ。お袋からの説教とか説教とか説教とかでな」

「あぁ、お前のお袋さんは厳しいもんな。昔は俺もよく怒られたっけ。

 遅くまで遊んでた事とか、お前の玩具壊した事とか、夏休みの宿題写し合いしてた事とか」

「……いや、今もお前、俺んちに遊びに来るたんびに怒られてんじゃん。

 居間を汚すな、勝手に冷蔵庫開けるな、窓から入ってくるなって」

「ホント、お前んちは厳しいよなぁ」

「二宮君、それは怒られて当然だと思います……」


 今は俺のお袋の話とか、剛志のマナーの悪さなんてどうでもいい。連絡を入れているんなら、相川の母親の無事も知っている筈なんだけど。


「私、昨日電話で二宮君に言わなかったっけ?真見ちゃんのお母さん、無事だって」

「勿論。真見にも言った。……でも、それを信じるとは限らないだろ。

 あの桐生って女に、コイツがどんな目に遭わされたかを考えろよ。

 お前らにとっちゃ気のいい先輩かも知れないけど、俺達にしちゃ怨敵だ。

 そんな奴の言葉をホイホイ信用出来る程、俺は人間が出来てねぇよ」


 剛志の言う事も無理はない。怨敵なんて物騒な言葉が出ても不思議だとは思わなかった。

 結局の所、この事件の根幹には部長の非道な行いがある。それによって相川が病床に伏せる羽目になっているのだ。事件の首謀者が人質解放を宣言した所で、それが真実であるかどうかの確認は人質本人の無事の確認でしかなされない。

 俺達が部長を信用出来るのは、つまるところ付き合いが長いからよく知っている、というだけの理由なのだ。


「まぁでも、あの金髪チビの言葉に嘘が無いって漸く分かったから、俺もホッとしてるよ。

 真見の母さんも、元気そうにしてたしな。夫の店は潰さない、って息巻いてた」

「桐生さん嘘はつかないからね。言わない事はあるけど。

 ところで、真見ちゃんの退院はいつ頃になりそう?」

「軽度の気管支炎……ってのは知ってるか。咳も酷かったしな。

 でも、通院するだけで直せるレベルらしくて、今の入院は検査のためだ。

 何か妙にその検査ってのがやたら数が多い癖に時間がかかるみたいでよ。

 人間ドッグより細かいんじゃないの、って真見もげんなりしてたぜ」

「……へぇ、なんでまた、そんなに」

「分からん。ただ、真見の分だけ治療費も入院費もタダなんだってよ。

 なんか、病院創設以来から数えて入院患者五万人目だとかなんとかで、その記念に」


 そんな胡散臭い記念があってたまるか。


「俺も妙だとは思ったけど、真見の母さんがもったいないから受けとけって言うし。

 端から見ても別に変な新薬の実験台にされたりしてるわけじゃねぇみたいだし」

「当たり前だろ」

「なんか、妙な話だね……。

 あ、そうそう!これ、お見舞いの品ね。果物ゼリーなんだけど、真見ちゃん食べれる?」


 さっき近くのコンビニで昼飯と一緒に見舞いの品として買ってきたゼリーが何個か入った袋を茶香子が持ち上げる。

 俺も一緒に金を出したかったが、生憎俺の懐は目下の所未だに大恐慌を終えておらず、お袋からはバス代しか貰ってなかったので、代金は全部茶香子持ちだ。うん、でも、この間のプリンを大量に購入した時は俺が全部金出したしな。……女の子に奢らせるのは忍びないってのは変わらんけど。


「あんまり食欲ないらしいけど、喉に優しいものなら食えるはずだ」

「んじゃ、冷蔵庫に入れとくね」

「あぁ、ありがとよ。だけど、冷蔵庫には」

「……きゃぁ!な、なに?これ」


 茶香子が素っ頓狂な声を出した。ここは病院です。隣で寝ている人も居ます。どうかお静かに。


「い、いや、でもこれ……」

「なんか、病室に案内されたときからあったらしいぞ。

 前の入院患者のものかと思ったんだけど、病院の人もよく分からんって。

 看護士さん達は別に食べちゃってもいいって言ってんだけど、こっちは流石に不気味すぎるからさ。

 俺も真見も、今の所手は付けてない」


 何事か気になって、俺も身を乗り出して入院患者用の小型冷蔵庫の中を覗き込んだ。

 ……なんでだろう、ちょっとデジャブを感じた。あと結構な勢いの目眩。

 冷蔵庫の中に大量のプリンが突っ込まれていた。大きさは全部Lサイズのくせに、チョコプリンやらミルクプリンやら、妙にバリエーションに富んでいる。その中から一、二個プリンを取り出してみた。

 賞味期限はギリギリだ。一人でこの量は食い切れないだろう。

 確信を得る事は出来ないが、しかし俺の推理はきっと当たっているだろう。


「ねぇ、もしかして……識君、あのプリン」


 茶香子も気がついたらしい。小声で耳打ちしてきた。俺達二人はここ一週間でプリンの山を目にする機会が何度かあったのだ。俺達の部室にして、桐生隼弥の居住スペースにて。

 つまり、このプリンの山を冷蔵庫に仕込んだのは恐らく。


「……桐生部長の仕業、だよな」

「うん、絶対そうだと思います」


 ……治療費入院費を浮かし、冷蔵庫にはプリンの山、か。

 なるほど、アフターケアには尽力するって言ってたしな、部長も。ちょっとズレてる気もするけど。しかし、まだこんなに残ってたのかこのプリン。大カップで十数個程ある。食い切れないからって人に押し付けんなよ。折角俺が全財産はたいて買ったってのに。

 賞味期限は今日まで。別に変な物じゃない事が分かった以上、このまま全部腐らせるのも忍びない。


「なぁ、これ、俺……食っていいかな?」

「わ、私も食べたいです」

「なんだ、お前ら。腹減ってんのか?

 確かに丁度オヤツ時だけど、止めといた方が」

「いや、まぁ、話すのも面倒なんで省くけど、安全なプリンなんだよ、これ。

 折角なんだし、剛志も食えよ」

「……あ、あぁ」


 そして俺達は三人でプリンを無言でモグモグ食べると言う、妙に緊張感溢れるオヤツタイムを迎えた。

 朝も昼も喰いっぱぐれた俺の胃に、プリンのカラメルの甘さはよく染みる。身体に活力が漲るのが分かるようだ。カロリーの高さが窺える。茶香子も同じようで、一口スプーンを運んでは溜め息をつく、実に上手そうで上品な食べ方を敢行していた。剛志はさっさと食い終わって手持ち無沙汰にしていると、不意に呟くように声を発する。


「……そう言えば、野田。お前、あの後どうなったんだよ」

「あの後って?」

「桐生部長、だっけ。あの人と一緒に救急車降りてから」

「あ、私も気になります。昨日の電話じゃ結局全部は分からなかったし」


 二人の視線が俺に集中した。俺はと言えば未だにプリンを食っている真っ最中だ。

 一口運ぶまでの間に、俺は昨日の事を思い出し、話して良いものかどうかを悩む時間を与えられた。昨日話した内容は部長の重い話まで聞いてしまったが、勝手に俺の口から言っていいだろうか。

 そして悩んだ結果。俺は必要な部分だけを抜き出して話す事にした。


「まぁ、あれだ。あんまり事が大きくならなかったから、相川にはこれ以上危害は加えないってよ。

 俺も……今の所、問題無し。執行猶予付けてくれた」

「執行猶予って?」

「詳しくは聞いてないけど、これ以上厄介事を起こさなければいいらしい」

「……お前らの部活って、ホント妙だよな」

「法律は部長って訳さ。この時代に専制君主とは、時代錯誤にも程があるぜ」

「なるほど、独立政権って奴か」


 俺は食っていたプリンで咽せそうになった。昨日明かされたこの部の真の目的である天才達の小社会が、他者の目から見ても成り立っている。その事が今、暗に証明されてしまったのではないか。そんな懸念が頭の中で燻り出しやがった。


「おい、なんでそこで真顔なんだよ」

「ん……あぁ、あまりにもつまらなかったから」

「ヒデェ奴だなぁ。木下さん、こんな奴止めとけよ」

「止めとけって?」

「何をって、そりゃ勿論こんな奴と」

「やめろ馬鹿」


 剛志の口を押さえ込むのに必死になれたお陰で、俺の悩みは明確に形をとる事なく散り散りに吹き飛んでいってくれた。

 これ以上色々と馬鹿な頭で悩み事を抱えるのはゴメンなんだ。面倒な事は後回し。コレって別に悪い事じゃない。面倒事は効率良く解消出来る機会に一気に解消するのが一番良いんだ。こうして剛志と戯れ合っている間にものを悩む余裕なんてないしな。

 剛志は面白がって中々大人しくならない。男二人で病院でギャーギャー騒ぐ羽目になっていると。


「ちょっと!あんまり騒がしいと真見ちゃんが起きちゃうでしょ!」


 大声でそんな事を言う茶香子が一番うるさいと言う事実を、彼女はきっと知らない。

 今日はお約束を悉く踏み抜くな、コイツ。俺の寝坊に寝坊をかぶせてきたり、傘を忘れた途端に雨が降って来たり、そして今のコレ。帰りにバナナでも買ってくるか。……マジで皮踏んでこけるかも知れないから止めとこう。


「んん……」

「あ、やばい」


 布団に潜っていた相川が、少し掠れて、くぐもった声を上げて目を覚ましてしまった。

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