6−7 「……部長は、この部活が廃部になったら、駄目なんですか?」
「パパもママも見つかった……でも、二人とも……死んでいたよ」
「………………」
意外な程驚きは少なかったのは、既に彼女の両親が他界しているのではないか、と言う疑惑を抱えていたからだ。
そしてそれを教えてくれたのは他ならぬオカルト専門の実先輩だ。あの時は実先輩の実力も、彼女の両親の事も半信半疑であったが、今は彼を信用出来る。なんせ俺の身体に霊が取り憑くのを目の前で見た訳だしな。
「路地裏で刺殺されていたって、聞いた。信じられなくて見に行ったわ。
現場への侵入を拒む警官の間をすり抜けて、二人に会いに行った……。
そして、本部の人が嘘をついていない事が、分かった。
私は、もう何が起こっているのかまるで理解出来なかった。
頭の中は真っ白で、目の前は真っ黒だった。
あちこちに血が飛び散った路地裏で、私は泣く事もしなかった。
ただ、検死の為にシートを掛けられて運ばれていく両親の遺体を、何も考える事も出来ずに見つめていただけ」
「……………………」
「それから、親戚が私を引き取ったけど、すぐに某企業に身柄が送られた。
金で売られたのよ、私は。
その企業での待遇も、それはそれは酷いものだったわ。
毎日馬車馬のように私に情報収集をさせ、改竄させ、他社を陥れる日々だった。
殆ど外に出してもらえなくって、薄暗い部屋の中で一人、延々と仕事をこなす、気が狂う様な日常だった。
散々こき使っているくせに、食事も碌に貰えず、寝る暇すら殆ど与えられなかった。
お陰で碌に身体も成長しなかったんだよね。ホント、それだけは未だに腹が立つよ」
そう言って少し微笑んだ部長の笑顔を見て、俺は口を開く事が出来なかった。
そんな耳を塞ぎたくなる様な話をしながら、普通の女の子みたいに笑わないでほしかった。自分の弱みを俺に見せて、俺の心を揺さぶらないでほしかった。この人にはもっとずっと、恐ろしい高みから馬鹿笑いして見下していてほしかった。その方が……この人が人外か何かだって思える方が、俺はよっぽど安心出来た。
どんな顔をして聞けば良いのか分からなくなって、俺は部長から顔を少しだけ背けた。部長はそれについて何も言わず、話を続ける。
「そんな中でも、私は両親を殺害した下手人の捜索を開始した。
警察は通り魔の犯行と考えていたらしく、中々犯人は見つからなかった。
私ですら苦戦したわ。なんせ、肝心の犯人の喉元にまで至ると、いつも横槍が入り込んで、調査が振り出しに戻ってしまったんだからね。
でも、何年もそうやってイタチごっこを続けているうちに漸く気がつく事が出来た」
「……何に、ですか?」
「真犯人は私を引き取った某企業だったの。
飼い殺されていた私の耳に届く情報を容易に制御できた彼らのせいで、随分と遠回りをする羽目になったけど。
度重なる両親の勧誘拒否に、強硬手段に打って出た結果が、人混みに紛れた殺人って訳。
でも、私は警察には通報しなかった。……私の手で、より凄惨な制裁を加える為に。
元々非合法な手段を常套としていた超ブラック企業だからね。ちょっと突ついてやれば、すぐに崩れたわ。
会社の幹部連中は殆どが命を落とし、社員も大半は借金を抱えて、今も何処かで私の影に脅えながら暮らしている事でしょう。
……当時、本当なら小学校に通っていた筈の私は、既にその程度の事が何の苦もなく出来たのよ」
部長は自分の手を見つめて、一つ溜め息を吐いた。何かを後悔しているような悲しい目で、小さくて赤い手をぼうっと眺めていた。
「仇討ちも終わって、私はどうしてこんな事件が起こってしまったかを考えた。
勿論、非合法なあの企業こそが最大の災厄なんだけれど……。
私と言う存在が無ければ、両親は死ぬ事は無かった。
あの企業の人間の大勢が不幸になったのも、結局は奴らを憎んだ私に責任がある。
私が普通の女の子なら、今もパパとママと三人で暮らせていたかも知れないし、私に関わった大勢の人間は、のうのうと呑気に生きていけただろう。
であれば。私が不幸を蒔き散らす存在ならば、私と言う存在はどうすれば肯定されるのだろう。
私のように異常な才能を手にして生まれた人間は、一体どこでどう生きていけば良いのだろう。
この才能を手放す事はできない。生まれもって手に入れてしまったものだから。
そう悩み、最終的に思いついたのがこの部活」
部長は俺の鼻先に指を突きつけた。彼女の顔は、涙の痕が顔に残る以外は既にいつものそれと変わらない、明るい含み笑いだった。
「力には、力で対抗する必要がある。
大き過ぎる力を持て余すのであれば、同じく大きな力を持つ者達に支えてもらえばいい。
普通の人間社会に溶け込むには個人の力が大き過ぎる我々が生きていく為の、天才達だけの社会を構築すればいい」
そして、その口が放つ言葉は、この部活の真の姿であった。俺はすぐさま口を挟む。
「つまりこの部活が、その小さな社会だって事ですか?」
「君にしちゃ察しがいいね。その通りだよ。
社会と言うにはちーっと大袈裟かもしれないけど、概ねそんな所。
同類は同類同士で集団を作っていけば、その中で誰憚る事無く生きていける。
私は、そう言う集団を目指してこの団体を結成した。
これが部の結成の理由。……分かった、野田君?」
「……はい。いくら俺でも、そこまで長々ルーツを語られればね」
この部活は部長の自己顕示欲を満たす為に結成されたものだとばかり考えていたが、根底には恐ろしく重いテーマが存在していた。……らしい。そしてこの部活の部員達の個人情報は厳重に管理されている……筈だった。すなわち、この部活の存在は、高過ぎる能力を持つ者たちの隠れ蓑のつもりだったって事だ。
俺がこの部に入った理由は、この人の押し付けによるものだけど。
「……部長は、この部活が廃部になったら、駄目なんですか?」
俺は始めに聞きたかった質問を、ここで改めて問うた。部長もそれは分かっていたようだが、何かを言い拱いているような、神妙な表情で黙ったままだ。
俺は今までの話を聞いた上で、それでも敢えてこの問いを行なった。暗黙の了解なんかで済まして良い問題ではない。少なくとも今後の人生がかかっている俺にとっては。
「部長、俺は部長がどんな結論を出しても覚悟は出来てますから」
俺の言葉を聞いて、部長はまた顔を下に俯け、涙を流し始めた。泣きたいのはこっちだ、っていっそ言っちまえば、この重い空気も少しは明るくなっただろうか。
「元々は、部活なんて体裁をとる気はなかったんだ。
単なる交流会みたいな同好会みたいな、そんな仲良しクラブみたいにするつもりだった。
でも、それを良しとしない奴がいた」
「……それは?」
「学だよ。アイツが私に部としての申請を勧めたんだ」
丸眼鏡の大男が、脳裏の奥底でほくそ笑んでいた。その胡散臭い微笑みがどう見ても悪役のそれにしか感じられないのは、俺の勘ぐりが過ぎるからだと信じたい。
「私達のような人材が燻る理由なんてどこにもない。
力のある者達が何故、力のない者達に気を遣って生きて行かなければならないんだろうか。
力を持ちながら、それをひた隠しにして生きていくのは、何と無駄な人生であろうか。
……だから、見せつけてやればいい。圧倒的な力を、世間一般には遠く及ばない僕らの能力を。
学はそう言っていた。
アイツは私が出会う事のできた初めての『同類』だ。
流れ者だった私を、真正面から受け止めてくれたのが……全部受け止めきれたのが、学だった。
だから、右も左も分からない私は学に従って今まで暮らしてきた。アイツが私の家族の代わりになってくれたのよ。
……そして、私は学の言われる通り部員を集めて部を設立した。
世の為に力をひけらかしながら邁進する『助っ人部』の完成さ。
天才達が行なった、現代社会に対しての宣戦布告。それが我が部の設立原理だよ」
部長はハッキリとそう、言い切った。この部活が天才達の、一般人に対する挑戦であるとすれば、俺達はそれに参加させられた兵隊だ。
しかし同時に、この部活の設立は、力のある者と無い者との線引きを意味している。そうやって線を引けば、孤立してしまうのは、数が少ない力のある者達だ。そうして世間と隔たりを作って、狭い世界で生きて……俺達は人生を全う出来るのだろうか。
「……俺達は、天才、なんですかね?」
「何を今更。この私の目に適ったのなら、例外はないわ」
「いや、俺達は天才であって……人間ではないのかなぁって」
「君ってたまに意味不明だよね。馬鹿なのか哲学者なだけなのか、私にも判断出来ないわ」
「部長は、このままでいいんですか?
この部が部長の言う通りの、社会に対する挑戦なら、それは社会との壁でしかない。
俺達みたいにちっぽけな奴らを、どんどん孤立させるだけなんですよ?」
「孤立なんてさせないよ。私達には、もう仲間が居る。
野田君の身体能力に着いていける奴も、茶香子ちゃんの技術力についていける奴もこの世の何処かにきっと居る筈。
これから必ず探し出してみせる。
……野田君だって、考えていたでしょう。
異常な才能を持っている自分は、果たしてこの社会で上手く生きていけるのかって。
まるで化け物みたいな能力を持った自分を、平凡な一般人は受け入れてくれるのだろうかって。
周りの人を気遣いながらビクビク生きていく必要のない世界が、この部活なのよ。
どれだけ異常な奴でも、みんな受け入れてくれる。みんな異常な奴らなんだからね。
私もこの部活を作った時、初めは戸惑ったけど、意外と悪くなかった。
……いや、最高に楽しかったわ。
部室で君や他の部員達と馬鹿な話をしているのも、助っ人部に頭を下げてくる依頼者の奴らをいじめてやるのも、教師達を面白半分にからかってやるのも楽しかった。
学校の一部活の部長という立場は、普通の生活を送れなかった私が取り戻す事の出来た唯一の『普通』だった。
普通の社会では手に入れられなかった『普通』を、手に入れることができた。
どうしようもなく、我を見失う程、楽しかったんだ……。
そして知った。きっと私の『普通』は、『こっち側』にしか存在していないんだって事を」
俺はそれ以上反論出来なかった。実際、俺は部長の言う通り、悩んでいた。
初めてのスポーツで有望な選手を圧倒し、初めての喧嘩で複数の手練をボコボコにしたこの俺。そんな不気味な奴が、本当にこの世界に馴染む事が出来るのか、って事を。
だが、一度だけ……剛志が一度だけ、俺の才能をぶちのめしたじゃないか。普通と天才の垣根を越えてきたじゃないか。
だけど、俺は部長にその話を出来ないでいた。
俺が必死で今考えている言葉は、要するにこの部活のあり方への疑問であり、反論なのだ。この部活の事を嬉々として話す部長に……今まで苦悩に耐えてきた彼女に、この話をしてしまうのはとても残酷に思えた。
とどのつまり彼女は、俺と同じなんだ。幼い頃から才能に振り回されて、才能を求める奴らに振り回されて……。
俺には両親が居た。振り回される俺を、側でしっかり支えていてくれた親父とお袋が。
でも、桐生部長にはそれがなかった。自分を振り回す奴らに、自分の力で抗うしかなかったんだ。
部長は運が悪く、俺は運が良かった。それだけの違いでしかない。
今の俺が部長に抱いている感情は、単なる同情や哀れみの類いだ。部長が可哀想だった。だからって、好きにさせるのは間違っている。……そうなのだろう。
だが、ある種一つの答えを手に入れた彼女を、また苦悩の日々に引きずり下ろす方が間違っているんじゃないか。
……でも、部長の言葉を受け入れると言う事は、それこそただの諦観でしかない。俺自身の抱えた悩みの答えを、部長の答えに収束させてしまうのは、なにか違う気がする。
……と、まぁ俺が言葉を発せないでいるのは、そうした複雑な感情の混雑によって頭が上手く回転しないのが原因だった。真剣な顔で俯く俺をよそに、部長は尚、話を続ける。
「部員名簿を作ったのだって、元々はそういう、より『部活らしさ』ってのを醸し出す為だった。
そんな高々雰囲気作りの冊子がまさかこんな事態を招くなんて、私も少し浮かれていた証拠だよ……。
それは、本当に私の落ち度さ」
「……いや、部長が謝る事じゃないっすよ。約束事は約束事なんですし。
ところで、さっきの質問の答えは、結局どうなんすか?」
「この部活は、少なくとも私にとっては、私の唯一の居場所なんだ。
昔憧れていたものを手に入れる為の……夢を叶えるための、ね。
だから、私個人の事情……いや、我が儘を言ってしまえば、この部活を失う訳にはいかない」
「……そうっすか」
部長は指を震わせながらも、懐からタバコを取り出して一本くわえ、火をつけた。一息だけ吸い込んでから煙を吐き出し、俺の正面に仁王立ちをした。そして、毅然とした声で、俺にこう言った。
「野田君。
君は厳重管理を言い渡した我が部の重要書類である部員名簿を、あろう事か外部の人間に公開してしまった。
であるからして、私から君に、厳罰を課す事にした」
「……はい。何でもどうぞ。
ガラパゴスだろうがマダガスカルだろうが何処にだって飛ばしちゃって下さい。
もっとも、俺もただで捕まる気はありませんけどね」
俺はこれから起こるであろう激しい逃走劇とその成否について頭を巡らせた。
そして、この逃走が成功しようがしまいが、今後顔を合わせるのが困難になりそうな人々に対して、心の中で頭を下げ続けた。
剛志には申し訳ない事をした。サッカー部の試合には、きっと出れそうも無い。
相川にも、結局喧嘩した事の謝罪を済ます事も出来なかった。アイツの書いた記事も見られないってのも、実は結構残念に思っている。
茶香子とももう会えないとなると、半端な量じゃ済まされないくらいの心残りがある。畜生、こんな事になるのなら、もっと早くから積極的に行動しておくべきだった。今後この教訓を生かす機会がもしあるとしたら、是非参考にしよう。
ウチの親はどう思うだろうか。……部長が何かしらの策を講じるのだろうけれど、最後まで俺は迷惑と心配をかけっぱなしの親不孝な息子だったな。
実先輩や学先輩は、きっとなにも変わらないだろう。部長の手によって酷い目に遭ってきた人間は、きっと数え切れないだろうし、そういう人間を見てきている。
……残していく人の事を心配している場合ではないのはよく分かっているが、今の俺にはどうも危機感が足りない。何故だろう。どうして変な期待、みたいなものを抱いているのだろうか俺は。すぐにその原因はわかった。それはきっと、部長の俺を見る目が。
「でも、実際の所、我が部の被害は全く無い、と言わざるを得ない。
また今回の事件は、我が部の部員の力量を試すのにも丁度良い機会となった。
だから、野田君」
サッカー部の部室で見せた、あの時の慈愛の篭った瞳と同じ色だったからなのだろう。
「……君には私が卒業するまで、執行猶予を付ける事にする。
簡単に私の所から逃げられると思わない事だね」
点けたばかりのタバコを携帯灰皿に突っ込んで、桐生部長は糸みたいに細い目をもっと細くして笑っていた。ほんとこの人は、コロコロと表情を変えて…………まるで、子供みたいだぜ。
情けない事に涙がこぼれそうだったので、俺は上を向いて、声を上げて笑った。初夏の低い空が、俺の涙に潤んだ笑い声を吸い込んでくれていた。
悩みも何も全部忘れて、今この瞬間の俺は、間違いなく安堵に包まれていた。