6−6 「部長は何でこの部活を立ち上げたんですか?」
前回の粗筋。
事件の真相を知った野田の乗る救急車に、桐生が乗り込んで来た。
その目的は相川及び野田の捕獲。
野田は部外者を巻き込むまいとして、事情を把握し切れない二宮をおいて、桐生とともに救急車を降りる。
俺達は、ガードレールに寄りかかりながら、二人で並んで静かに会話を始めた。
「……友達想いなんだね、野田君」
「そうなんすかね。割と薄情者な気もしますけど」
「時には薄情になるのも友情だと思うよ、私は」
先程まであんなに脅えていた俺の手の震えはいつの間にか消えていた。隣でタバコに火をつける部長は、紛れも無く俺の忌むべき先輩で、ほんのちょっぴり慕っている先輩だった。死神に見えた微笑みも、やっぱりそれは俺の見慣れた忌々しい部長のにやけ面でしかなかった。
覚悟の証とは、こうも顕著に現れるものなのか。
……いや、分かっていた事だ。入部直前のあの時だって、入部を決めたその時から、部長への恐怖は嘘のように引いていったじゃないか。ある種の諦観の境地とは、覚悟に似た力を持つ。コレが諦観か覚悟か、それが曖昧ではあるのだが。
「部長、結局この事件は、何がどうなってたんですか?」
「相川真見が部員名簿の写しを手に入れていたのが、事の発端よ。
彼女は火曜日の放課後、野田君の鞄に入っている部員名簿の全ページを携帯電話で撮影した。
そして、それを元に学校新聞を作成していたの。
どう考えたって、そんな個人情報の塊みたいな記事が載る訳ねーってのに」
「きっと、浮かれてたんじゃないっすかね。アイツ、浮き沈み激しそうだし。
前から助っ人部について、色々興味があったみたいっすからね。
そこにあんなもの見せられちゃテンションも上がる」
「私がその事実に気がついたのは翌日。……随分久しぶりだったわ、人の家に押し掛けるのはね」
ちょっと得意そうな顔で部長が言うが、それは全く得なスキルではない。
だが、今考えるべきはそんなどうでも良い事じゃないんだ。
「……俺が気になっていたのはそこです。何で店を破壊する程、派手にやったんです?
いくら隠蔽工作のプロでも、わざわざ無駄な仕事を増やすなんて」
「無駄な仕事じゃないよー。私はわざと完璧な隠蔽をしなかった」
「わざと?」
「相川真見の逃げ足は恐ろしく素早く、的確で、一切の痕跡を残さなかった。
流石の私も愕然としたよ。警察犬も、自慢の私兵も何の役にも立たねーんだからさー。
だから、私は店をボコボコに破壊した。一目見て、この家に何かあったって事が分かるようにね」
「何の為に?」
「事件が起こっている事を、知らせる必要があった。相川を探す意志と力のある、我が部の部員達に。
結果として、君たちは相川の捜索を始め、そして彼女を見つけてくれた。
やはり万能人材派遣部の部員に不可能はねーってことか。
特に、大五郎先輩は有能だわ。私に懐かないのがちょっと寂しいけどね。
そして119に連絡が入ったのを知って、ここで待ち伏せをしていたって訳。
利用したみたいで、悪かったね、野田君。事件の事で聞きたい事はもうない?」
「相川の母さんは?」
「私の元で、大人しくしてもらってる。……変な意味はないよ。
ただ、軟禁状態にあるってだけ。悪い事をしてしまったわ。
全て終わったら、何かしら謝罪するつもりだった。店の修理も含めて、アフターケアには尽力する。
私に関わりのない人を巻き込むのは、私の望む所じゃないからね」
「相川はこれからどうなるんです?」
「んー……正直、救急車の中の衰弱し切ったあの子を見てたら、どうこうしようってのは思いつかねーな。
十分痛い目に遭ったから、後は少し脅かしてやるだけでいい。
私の名前を聞いてちょっとビクつく程度にトラウマを植え付けてやるかー、くらいにしか思ってないし、直接危害を加えたりはしないから、安心しな。お友達の二宮君にもね」
「そうですか……とりあえずは、安心しましたよ」
そこまで会話してから、二人とも暫く黙り込んだ。
見上げた空の青さは、まるで今が梅雨である事を忘れさせるかのように澄み渡っていた。俺の心も、今はコレに負けない程清々しい気持ちだった。懸念は何も無かった。これから俺がどうなっても、案外どうとでもなってくれる気がしていた。刑の執行を待つ受刑者ってこんな気分なのかもな、なんて思った。
部長はタバコを一本吸い終わり、携帯灰皿でもみ消し、新たな一本を口にくわえた。しかし、火をつけるのを躊躇うように、カチカチとライターから火花を散らすのみだった。
「……野田君、私は、貴方を気に入ってる」
「それは初耳でしたね」
「他の部員と違って、あんまり私を怖がってないし、私を避けてもいないもの。
それに生意気だけど、言う事は聞いてくれるしね」
「都合のいい奴っつう?」
「そういうのは無しで……さ。学がいなかったら……いや、今の無し」
「……はいはい、ごちそうさま」
「馬鹿、そういうじゃないよ」
俺達は淡々と、しかし確実に話を先に進めていく。
火打石の耳障りな音が止み、部長は口にくわえていたタバコを摘み、指の間で回し始めた。部長に、そんな心情を話してくれる程度には気に入られている事を知れた。それは不幸であり、同時に幸福である気がする。
隣に座る部長の声が、少し沈み始めていた。
「野田君、今なら私は君をかばう事が出来る。
この部員名簿そのものを無かった事にして、全てを隠蔽して有耶無耶に出来る。部員にはバレるだろうけどね。
正直に言ってしまえば、こんなものを作るべきではなかったと、私も反省しているんだ。
……どうする?」
「本当にできるなら、部長は頼んでもないのに勝手にやるでしょう?」
「出来るってのは、本当だよ。でも……」
部長はとうとうタバコを懐に仕舞い込んで、溜め息を吐いて少し鼻を啜った。
「この部活って、どうやって成り立ってるか分かる?」
「桐生部長の恐怖政治でしょう?」
「恐怖政治って……ま、あながち間違っちゃいないね。
ある部員は私に弱みを握られて、ある部員は私の力を怖れて……入部している。
全員が全員ではないけど、大半はそうよ。君だってそうだ。
つまり、私への恐怖によって皆、部活に縛られている訳。
ここで私が部員一人に甘い顔をすればどうなるか、分かる?」
「誰も部長を怖れなくなる……と?」
「そうでなくても強者で曲者揃いな部員達だもの。この間の会議にも碌に参加してくれない。
既に私は、彼らの脅威ではなくなりつつある。
これ以上私の権威が落ちれば、部員数不足で廃部は免れない。
こればっかりは情報操作しようがしまいが、意味は無いしね。
人の記憶を弄るなんて、それこそエスパーでもなきゃ不可能だ」
「……訊きたい事があるんですけど、いいっすか?」
「言ってみな。何となく、想像できるけど」
「部長は何でこの部活を立ち上げたんですか?」
部長は少し面食らった顔で、細い目を大きく開いて俺を見た。
「……なんか、意外だったみたいっすね」
「『廃部になったら駄目なんですか?』って聞いてくると思ってた」
「そう訊こうと思ったけど、それを言うには部設立の理由くらい知らないと」
この部活の事は、俺はあまり……いや、何も知らないと言っても過言ではない。いつから、どうして、どうやって、この部活が設立されたか。それに興味を抱く程度には、俺もこの部活に愛着が湧いてきたようである。
「……理由、か。長い話になるけど、いいの?」
「部長が話し切れるなら。生憎口を潤すものは無いんですけど」
「構わないわ。張り込みにはお茶とアンパンが基本だからね。まだ残ってる。
……そうだなー、昔の話になるわ。私が5歳くらいの頃の話」
「そりゃまた随分古いルーツがあるんすね」
昔の部長の写真が部室のアルバムに挟まっているのを思い出した。
印象に残っているのはやはりあの、最後の浴衣姿の桐生家の写真であった。
微笑ましくも、禍々しい霊気が漂っているらしいその写真の事も、気にはなるがあまり聞きたくはなかった。
「昔から私は天才児って言われててね。
生まれて二週間で言葉を話し、一ヶ月で歌を歌い、半年で本を読み始めた。
2歳の頃には高等学校までの勉強は全て終わってたわ」
「……そりゃまた、希代の神童ですね」
「とにかく知りたがりだったらしくて、分からない事は分かるまで調べたわ。
お陰でまだあんよも出来ない頃から、今みたいな情報収集力も発揮され始めてね。
近所の噂話の真偽から、ニュースでは報道されない事件の裏側なんかも調べられるコネが出来た。
で、幼稚園に通い始めたころには、周りの友達が、段々私と遊ぶのを避けるようになった。
……いや、私が避けた。同年代の友達は、私の会話にはまるで着いていけなかったから」
その頃の俺は戦隊シリーズとかウルトラマンとか、そんなのが大好きだったっけ。女の子はママゴトやらお人形遊びとかするのだろう。部長は世界情勢の話とかしてたんだろうか。そりゃ着いていけねぇって。
「それから、私は代わりに大人達と関わり合いを深めていった。
少なくとも同年代の子よりはまともに会話が成り立ったからね。
実業家、政治家、学者から芸能人に至るまで、私はあらゆる職種の人間と知り合った。
元々天才児、って事で一時期全国的に結構有名になったから、出会いの機会には事欠かなかったわね。
そうしてコネを作っていくうちに、いくつかの研究機関や企業から誘いがあった。
ウチでその実力をフルに発揮してくれないかってね。野田君も経験があるはずだよ」
確かに俺も幼少期、どこぞの医療研究機関から誘われた事が、幾度となくあったな。誘拐に近い勧誘も何度かあり大層苦労したと言う話を、前に親から聞いた事がある。
「でも、その勧誘に乗る気は無かったし、パパもママも私をかばってくれた。
まだ子供なんだから、働かせる訳には行かない、ってね。二人とも優しかった……。
で、忘れもしない5歳の夏の日。
その日は夏祭りで、普段は忙しいパパもママも都合をつけて、一緒に出掛けたのよ。
出店も結構並ぶし、何より規模がかなり大きい、市総出の大イベントでね。
人もかなり沢山居るから、迷子にならないように二人と手を繋いで歩いた。
三人で出店を回って、リンゴ飴とか綿飴とかべっこう飴とか、色々買ってもらっちゃってさ」
「飴ばっかじゃないっすか」
「昔っから甘いものが大好きだったんだよ。歯もそこそこ丈夫だったからすぐ噛んで食べちゃってたしね。
んで話を戻すけど、祭りの最後には花火が上がるんだ。
色々な写真やテレビで見る機会はあったけど、生で花火を見るのはそれが始めてだったからついはしゃいじゃって。
……迷子になったのよ」
そこまで言って、部長は顔を俯けた。表情は窺えないが、俺は今、部長の顔がまるで見えるかのように彼女の顔を想像出来た。雨は降っていないのに、部長の足元に点々と水滴の痕があった。
「夢中で花火を眺めていたら、いつの間にかパパもママも居なくなっていた。
それに気がついたのは花火が終わった後だったわ。
とても怖かったのを覚えている。視界を埋め尽くす人混みの中で、私は完全に無防備で無力だった。
背の高い大人達の背中で埋め尽くされた世界に放り込まれて、私は身体を震わせて大声で泣き喚いた。
……変な話。普段は大人達と会話しているくせに、いざって時には子供の世界でしか歩く事が出来ないんだから」
「無理もないですよ。所詮ガキなんだし」
「それでも、私は歩き出した。迷子の知らせを告げに、祭りの開催委員本部へ向かった。
そして事情を説明し、両親を呼び出してもらったのよ。
……待ったわ。一時間、二時間、三時間……深夜を過ぎても、頑張って寝ないで、二人を待った。
本部の人達も粘ってくれて、大半の客が帰った後、何人かで探しに行ってくれたの。
そして……」
部長は口を一瞬だけ噤んで、目を擦った。もう泣いている事を隠す気もないらしく、涙声を一切隠す事無く話を続けた。
「パパもママも見つかった……でも、二人とも……死んでいたよ」