6−5 「良いから降ろして下さい!」
前回の粗筋。
相川の必死な謝罪の意図を掴みかねていた野田と二宮。
彼女の携帯電話、と言う言葉を頼りに中のデータを閲覧する。
そして携帯のアルバムに門外不出で秘密厳守な筈の、助っ人部部員名簿が記録されていたのだった。
救急車が急停止した。だが、決して病院に到着した訳では無い。窓から覗く景色に写る山林が、俺達がまだ市街地にすら到達していない事を教えてくれる。信号なんて必要の無い事は明白なこの一本道における停車は、不測の事態が発生を意味していた。
側に居た救急隊員が、運転手に声をかけた。
「おい、どうした?」
「……わ、わかりません。急に女の子が、飛び出してきて……」
「捕まえたぞー!」
甲高い女の声が、車外からであるにも関わらず大音量で俺達の耳に届いた。聞き覚えのあるその声は怒った様な、それでいて何処か無邪気な、嬉々とした気配を孕んでいた。ちょうど、ずっと探していた物を発見したときの様な、そんな声だった。
「おい、野田……お前、なんで震えてんだ?」
「……え?」
剛志が眉を顰めて俺の顔を覗き込む。全く自覚はなかったが、俺の手は傍目で見ても分かる程に戦慄いていた。純粋な、圧倒的恐怖による震えだった。震える右手を抑える手も震えている。恐らくこの震えは隠せない。そして、隠す余裕も無い。
助手席のドアが開き、救急隊員より頭一つ低い位置にある見慣れた金髪が、俺に死神の微笑みをくれた。
「やー、野田君。ちょっと見ない間に随分みすぼらしい格好になったね」
禁煙パイプをくわえた桐生隼弥が、歯を見せてニヤつきながら俺を見下ろしていた。震える声を必死で押さえ込もうとしたが、無理だった。
しかし何も言わないわけにはいかない。できるだけ強がって、掠れる声を振り絞った。
「桐生部長、一体何の用ですか?」
「言わなきゃ分かんないようなら、君の頭はいよいよもって救いようがねーな」
嗜虐的な笑い声を上げて、桐生部長は少しだけ間を置いた後、俺の耳元で囁いた。
「相川真見の回収、だよ」
「……回収?」
「そ、回すに収めると書いて回収しにきたの。そこで苦しそうにおねんねしている逃亡者をね」
相川を指差して、桐生部長は冷めた目つきで俺を見つめる。俺が聞きたくはなかったその先は、どうやら俺が聞く必要があるらしい。
「……本当にそれだけですか?」
「いやー、回収は割とどうでもいい、かな。
本命は……ま、お察しの通り、野田君。君だよ」
「お、お前らさっきからなんなんだ?」
状況が理解出来ていないらしい俺以外の全員が、こちらを唖然とした表情で見ていた。確かに、救急車はバスじゃねぇんだ。健康そのものの人間が途中乗車していい乗り物じゃない。勝手に乗り込んで勝手な事を言っている彼女を見て、普通ならそうやって反応する物だ。
部長は俺から目を外し、剛志の方に向き直った。
「初めまして。私は桐生。万能人材派遣部の部長です」
「……それって、つまりお前が」
「この事件の首謀者かって?……そうだよ、名探偵二宮剛志くん。
『興龍』を破壊し、店主相川晴美を誘拐し、その娘相川真見を捕らえ損なった、この事件の真犯人ってやつ。
中々犯人ってのも大変なものね。今度からは代理を立てる事にするわ」
「この……アマァ!」
「止めろ、剛志!」
憤怒のあまり飛びかかろうとした剛志の腕を掴み、振り下ろされかけた鉄拳を何とか止める事ができた。剛志は半分驚愕半分憤怒の表情で俺を睨みつける。
「お、おい、野田!なんで止めんだよ!コイツが真見をこんな目に遭わせたんだぞ!」
「でも、駄目だ、この人には……関わり合いを作っちゃ駄目なんだよ……」
俺の必死な声が伝わったのか、剛志は部長を睨みつけながらも、手を下ろしてくれた。
日曜日の事だ。不運にも桐生部長の担任件助っ人部の顧問となった森繁先生は、たったそれだけの繋がりを持ってしまったが為に部長にスキャンダルを握られた。剛志は裏表無い人間だが、部長であれば何も無くともスキャンダルを『作る』事ができる。
この人を怒らせてしまえば、この人と関わり合いを作ってしまえば、それはつまり一生この人の影に脅えて暮らさなければならない事を意味するのだ。そんな人間は俺達助っ人部だけで良い。だから……俺は震える足を強引に立たせて、運転手に声をかけた。
「すみません、運転手さん。俺達、此処で降ろして下さい」
「……は?降ろすって、君」
「良いから降ろして下さい!」
俺の声の剣幕に押されてくれる気弱そうな救急車の運転手は、俺達の為に再び助手席のドアを開けてくれた。再び救急車が止まる。俺は相川の寝顔を無表情で見つめる桐生部長に言った。
「相川はこのまま病院で検査を受けます。逃げも隠れもできません。
だから今は、此処で降りましょう」
「ふーん……別にいいよ」
そう言って部長は、少し名残惜しそうな顔をしつつも、俺に着いてきてくれた。剛志は未だに少し面食らっており、何故か途中下車する俺達を、無言のまま見つめていた。
「……なぁ、剛志」
「な、なんだ?」
「じゃぁな」
「じゃぁなって、おい?」
車を降りた俺と部長がドアを閉めると、窓の向こう側で剛志が必死な形相でロックされた助手席の窓を叩く。よく見ると少し目が潤んでいる。どうやらただならぬ雰囲気は感じ取ってくれたらしい。
だけど、感じ取るだけでいいんだ。一緒に来てくれる必要はないんだ。
此処から先は、俺達助っ人部の問題だから。
「早く出して!」
すっかり俺の言いなりになってしまった気弱な救急隊員は、俺の指示通り、発車する。ドアを叩く音が外側まで響き渡り、暫く車が左右に揺れていたが、やがてその車のテールも、うねる山道の彼方へ消えていった。