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5−10 『めんどい』

前回の粗筋。


野田の身体を乗っ取って自ら娘の捜索に向かおうとした故人・相川登の暴走を止めたのは、窓からの侵入者であった。

その侵入者の正体は、柳橋が呼び出した助っ人部の部員、大五郎先輩。

ちなみにこの大五郎……犬である。

「部員名簿を良く読んでおくべきだったね」


 実先輩は、未だに空いた口を開きっぱなしにしている三人にそう言って大五郎先輩の頭を撫でた。


「そうすりゃそこまで驚く事もなかっただろうからな」


 大五郎先輩と呼ばれた白い犬……後に知ったのだが、ホワイト・スイス・シェパードと言う犬種らしい……は、俺達の好奇の視線等どこ吹く風と言った様子だ。置いてけぼりをいつまでも喰らっている訳にも行かないので、俺は実先輩に尋ねた。


「……なんで、犬が?」

「犬が部員じゃいけないってのかい?」


 ここでいけないとか言って動物愛護団体から抗議でもくるんだろうか。同じ命に変わりないのに差別するな、とかなんとか。この可愛らしい犬が部室で飼ってるワンちゃんだってんなら俺も何も言わんが、この大五郎先輩ときたら、部内階級が俺より上なのだ。

 こう言っちゃなんだが、犬に顎で使われる様なポジションには死んでもなりたくない。


「カワイイ……」


 茶香子が両手をゾンビみたいに突き出して、それをワナワナと震わせていた。……別に我慢しないでいいよ。


「カワイイ……!」


 俺が背中を押してやると、茶香子は大五郎先輩にのしかかって、その犬の前足を裏返して肉球をプニプニと外聞無く節操無く落ち着きも無く無表情で一心不乱に突っつき始めた。何か違うと言わざるを得ないが、茶香子と大五郎先輩がそれで良いならそれで良いや。

 どうやらそれで良くないらしいのは、俺の隣でさっきまで口を鯉のぼりよりも大きく開けていた男である。


「……それでよ、その犬がどうしたってんだよ。

 まさかとは思うけど、犬に真見を探させるってんじゃないだろうな」

「御名答だよ、剛志君。大五郎先輩は探し物のエキスパートさ。

 犬の鼻は昔から頼りにされているだろ?彼らはそこらの探偵なんかより、よっぽど探し物が上手い。

 徳川慶喜の匂いさえ知る事が出来れば、きっと彼は半日で埋蔵金を掘り当ててくれる」

「クゥン……」


 茶香子にのっかられて切なげな声を上げる大五郎先輩。俺はその羨ましい光景を見ないようにしつつ、実先輩に説明を求める。


「どう見ても普通の犬ですよね、大五郎先輩」

「失礼な事を言うね、野田君。

 彼は本来なら米中央情報局の特殊工作犬として活躍している貴重な人材もとい犬材だ」

「アメリカ中央……って?」

「CIA。聞いた事無い?」


 映画かで聞いた事あるな、その名前。どんな組織なのかはよく知らんけど、取りあえずFBIとは違うらしい。

 派手な重火器を振り回して悪の組織とドンパチやり合うスパイだったっけ?そもそもCIAって犬使うの?色んな疑問を置いてけぼりにしつつ、実先輩は紹介を続ける。


「アレは映画の中だけ。本当はもっと地味な人達らしいよ、CIAって」

「んで、そのCIAのワンちゃんがどうしてこんな日本の高校の変な部活の部員に収まってるんすか?」

「彼は頭が良すぎてね。例えば、ほら」


 実先輩が指差した先で、俺達三人が見た光景は。


「やだっ……!ちょ、大五郎……せんぱぁい……」

「ハッハッ」


 制服のブラウスのボタンを器用に歯で開けようとするエロ犬大五郎と、顔を赤らめて必死で犬を引き剥がそうとする女子高生木下茶香子のお色気シーンであった。


「ヂェスドオオウウアアァァァ!」

「キャイン!」


 最早本能の域といっても過言でもないであろう、突発的に飛び出した俺の跳び蹴りが色狂犬の脇腹に突き刺さる。犬は情けない声を上げながら襖に激突してよろけつつも、畳の上には上手く着地した。

 中々タフな野郎だ。怒りに身を任せた故か、蹴りのキレと狙いがイマイチだったらしい。今度は眉間を狙って確実に……殺る!


「何やってんだよ、馬鹿!」

「そうだよ!落ち着いてくれ、野田君!相手は犬なん」

「ええい、五月蝿い!犬があんな事するか!ぜってー中に人が入ってるだろ、あれ!」


 後ろから二人に羽交い締めされ、身動きを封じられた。畜生め、小癪な犬だ。ついさっきまでは大人しくて毅然としていたからもっと賢くて健全な犬だと思っていたのに。犬の癖に猫かぶりとはこれ如何に。

 俺の跳び蹴りをもろに喰らっても尚茶香子を狙って、これ幸いとばかりに犬は再び茶香子にジリジリと寄っていく。このままでは茶香子が変なものに目覚めてしまうかも知れないじゃないか。それだけは避けたい。彼女には全うな人生を送ってもらいたいのだ、俺は。

 ……しかしそれは杞憂でしかない。


「……座れ、クソ犬」

「……!」


 ポケットの中からボールペンでも取り出す様な躊躇いの無さで、茶香子は銃を抜く。そして使い古されたフランス人形みたいに感情の抜けた眼で、地獄の釜の底からまろび出たような低い声で、大五郎先輩に冷たく殺意を差し向ける。大五郎先輩はさすが、頭が良いと称されるだけあって、自分の置かれた立場を弁えたのか、その場にべったりと伏せ、ピクリとも動かない。


「……あの、茶香子さん、そのへんで勘弁してやって下さい」

「……チッ」


 彼女はあだ名以外がトリガーになってブチ切れる事もあるらしい。気をつけよう。俺の舎弟のような姿勢の低い制止に、舌打ちをしながらエアガンをしまう彼女はさながら任侠劇の兄貴分である。

 蹴っ飛ばした俺が言うのもアレだけど、その、なんだ、そこまでやる事は無いんじゃないかな。やっぱり殺しは良くないよ。うん。ワンちゃん殺すの良くない。動物虐待反対。


「まぁ、こんな風にちょっと彼は頭が良過ぎるきらいがあってさ」

「頭が良いってかエロイだけじゃねぇかよ」

「CIAですら手に負えない暴れ犬になってしまってね。

 伝を持っていた隼弥に、向こうの方からこの部の部員にどうかって打診があったんだよ。

 二つ返事で承諾していたよ。アイツ動物好きだし、いいペットが出来たって喜んでたんだよね。

 ま、三日で餌やりすら忘れやがったけどさ」

「マジでズボラなんすね、部長って」


 剛志のツッコミを掻き消すように、実先輩は声高らかに大五郎入部の経緯を教えてくれた。つまり良いように厄介払いに使われたんだろ、ウチの部は。コイツが役立つかどうか以前に、コイツを信用出来るかどうかの結論は俺の中では出ているんだが。


「でも、ボクらが隼弥を出し抜けるとしたら大五郎先輩しか頼れるものがない。

 餌やりを忘れてた恨みか、隼弥の黒さを動物的勘で感じ取ったのか、大五郎先輩は隼弥には全く懐いてなくってね。

 隼弥が大五郎先輩で相川さんを探すのは不可能って事だ」

「他の犬を使われたら?部長のコネならそれくらい余裕でしょう」

「隼弥なら並の犬よりよっぽど上手く探し出すさ。

 アイツに無理なら、この町の警察犬総動員でも無理だと思うよ」

「んなら、コイツの鼻も役に立たないんじゃ?」

「大五郎先輩の鼻は日本の警察犬の嗅ぎ分けられない細微な匂いまで寸分違わず嗅ぎ分ける。

 この世の全ての芳香剤と消臭剤は、彼の鼻に対してなす術無く敗北を喫するだろう」

「それ、凄さが全然伝わんないんすけど」

「口で言っても無駄だよな。んじゃ、始めようか、大五郎先輩」

「クゥン……」


 先程に比べてテンションがた落ちのこの大五郎先輩……以下敬称を略する。面倒くさいし癪だから……大五郎。

 実先輩は辺りをキョロキョロと見渡し、ふすまを開け、先程のリビングに向かう。再び戻って来た彼の手には、二つのコーヒーカップがあった。


「状況から考えて、このカップでコーヒーを飲んでいたのはこの家の親子。

 であれば彼女らの匂いも当然、このカップに残っている筈だ」

「つっても、もう昨日の話ですよ?大丈夫なんですか?」

「少し頭と鼻の良い犬なら、何の問題もないだろう。大五郎先輩なら尚更さ。

 さて、ここで彼の普通との違いを見せてあげられるよ」


 クンクン、と暫く二つのコーヒーカップの匂いを嗅ぐ大五郎。十数秒そうした後、大五郎は実先輩の制服の胸元に首を突っ込む。……この犬男女のべつまくなしか、と少しだけ不安になったが、違うらしい。

 唾液で濡らさないように器用に胸ポケットにあったボールペンとメモ帳を奪い取ったようだ。そしてメモ帳を前足で器用にページを開いて床に置き、おもむろにペンを口にくわえた。


「……まさか、大五郎」

「言っただろ。頭が良過ぎるってさ」


 大五郎がゆっくりと首を動かしはじめる。ボールペンのインクの線は、次第に俺達人間が普段見慣れた記号を描いていく。

 ……最近では、絵を描く象や四則演算を解くチンパンジーが居るそうだ。古今東西の天才動物は、そうした表現力や読解力で知性を示している。

 だが能動的に人間との意志の疎通を伴うコミュニケーションを試みた動物が果たして存在しただろうか?

 インコやオウムは、人間の言葉を覚えるが、その言葉の意味を理解して覚えている訳ではない。彼らはただ耳に飛び込んで来た人間の言葉を音として認識し、それを復唱しているだけだ。猫や犬の鳴き真似をする事もあるらしい、と言うのが如実にそれを表している。だから、彼らは『オハヨー』を字面に表す事なんて出来ない。前述の象とチンパンジーも同様だ。象は目にした映像を描いているだけ。チンパンジーは小さな不変の法則たる計算の結果を示しているだけ。

 自らの意志、思考を言語化して字面に表すと言うのは、よっぽど知能の発達した生物にしかなし得ぬ技能なのだ。つまり何が言いたいかって。


『めんどい』


 たった四文字でも、自らの意見主張をこうしてメモに記したこの犬は、マジで希代の天才犬って事だ。……ただちょっと待ってほしい。

 この人類と犬類のコミュニケーションの偉大なる第一歩が『めんどい』。そのマグカップからマトモに情報が得られないんだったら、コイツはもう並の犬以下じゃねぇかよ。

 メモ帳を拾い上げた実先輩が、大きな溜め息をついた。


「あぁ、すぐこれだもんなぁ、大五郎先輩は」

「なんすか、それ?」

「酷い気分屋なんだよ。こんな夜中に呼び出されれば、そりゃ機嫌も悪くなるだろうけどさ」

「気分屋……ねぇ」

「おい、気分屋で済ませていい問題じゃねぇだろ。真見の命がかかってんだぞ、早くしてくれ」


 剛志がつま先でパタパタと畳をはたき、青筋を立てて声を荒げた。そして肝心の大五郎はその場から動こうとはせずその場で欠伸をしながら突っ伏したっきり。実先輩も頭を掻きながら困惑顔をこちらに見せている。


「大五郎、やる気あるのか?」

「……駄目だ、一歩も動こうとしないや」

「おいおい……いい加減にしてくれねぇかなぁ、実先輩よぉ」


 剛志が怒りを抑えた震える声で、実先輩に挑み掛かるように言った。

 俺としてもこの犬のものぐさ加減に期待を裏切られて苛立っているところだ。二人で実先輩を攻めるように睨みつけると、これまで飄々と非難を回避していた実先輩も、冷や汗を垂らしてワタワタと慌て始めた。


「そ、そんなに怖い顔しないでくれよ。ボクも今手を考えてるんだ」

「で、何か思いつきました?」

「人の話を聞いてくれよ!……あ、でも、もしかしたら」


 実先輩は意外に早い段階で何かしらを思いついた様子である。

 パンと手を一つ叩き、しかし実先輩はモゴモゴと口を噤んでいる。少しだけ悩んだ様子を見せて、実先輩は茶香子に声を掛けた。


「あのさ、茶香子ちゃん」

「はい、なんですか?」

「真見ちゃんの部屋から……ええっと、そうだな。

 ……服か何かを持って来てくれるかな?」

「……は?服?」

「大五郎先輩はさっきの通り、まぁ結構エッチな犬だ。

 そう言う奴のやる気を出させるのに効果的な手段って言うと……。

 つまり、そう言う事なんだ」

「えっと……どう言う事なんですか?」


 茶香子にそれを頼む時点で色々と間違っているな。

 セクハラでぶっ殺される以前に、スケベの何たるかを欠片程も理解していない彼女にその説明でお使いを果たさせるのは酷だ。であるからして、意図を組んだ俺が、剛志に発破をかけてやる。


「剛志、お前が行ってこいよ」

「……マジで言ってんのかよ、お前」


 剛志も実先輩の言わんとしている事を理解出来ているらしく、少し顔を青ざめさせて小さく囁く。


「別れた彼女の部屋から物を持ち出すって、どんな変態だよ」

「事態は一刻を争うんだぞ。悠長にしてていいのかよ」

「……クソ、覚えとけよ」


 剛志がバタバタと騒がしい音を立てながら退室した。相川の部屋に向かったのだろう。まぁ、付き合ってたんなら部屋の場所を知ってても何の問題も無い。でも俺の心としては少々どころではない悔しさが沸々と溢れ出て来る訳で。

 そこで実先輩が、『エロイのキボンヌ』と書かれたメモをハンカチのように振りながら、追い討ちの様な言葉を剛志に投げかける。


「出来るだけ、エロイので頼むよー。大五郎先輩直々のお達しだ」

「んなの知るか!」


 剛志の必死な罵声が、今の俺には少し心地よかったのは秘密だ。






 剛志が明らかに疲労以外の意味合いで息を切らして帰って来て、その右手に握られていた白いブラジャーを畳に叩き付けた。俺は顔が熱くなるのを自分でも感知できた。うぅむ、いざこう目の当たりにするとなんというか、困るな。色々と。

 あと、思いの外カップサイズが大きかった事は、俺にとって新たなる発見であった事を付け加えておこう。


「真見の部屋のタンスから持って来た。……畜生、何だってこんな役を」


 さっき死にかけた俺に比べれば安い役じゃねぇかよ。しかし、今は役の重責さ加減で競い合っている場合ではない。

 俺の隣で今現在ポケットの中身をカチャカチャと鳴らす女の方がよっぽど問題だ。その手を掴んでから、俺は優しい声色を取り繕った。


「茶香子。お前もいい加減慣れてくれないか?

 パターンがお約束化し始めてるし、一々諌めるのも飽きてきたぜ」

「男ってどうしていっつもいっつも……」


 それはこの犬に言ってやってくれ。剛志はある意味では被害者なんだよ。で、肝心の大五郎は、と言えば。


「ちょっと、大五郎先輩!落ち着いて!」

「ハッ!ハッ!ハッ!」


 めっちゃ食いついてやがる。コイツ、もう一発蹴っ飛ばしてもバチは当たらんだろうな。

 首輪にしがみつく実先輩を引きずってブラジャーに猪突猛進せんとばかり畳を引っ掻く大五郎の上に俺が跨がり、大五郎の頭をがっちり腕で固定。前足も俺の足で固定。顎も手で無理矢理押さえ込んだ。これで大五郎も暴れる事は無いだろう。

 大五郎がボロボロにしてしまっては、後々の処理が面倒だ。


「準備OKだ。ソイツを大五郎の鼻に」

「……はいよ」


 大五郎の鼻にくっ付けない程度の距離で、十秒程匂いを嗅がせる。こんだけ堪能すりゃ十分だろ。剛志、返して来ていいぞ。肝心の大五郎は俺の拘束を解いても暴れる事は無く、辺りの匂いを落ち着いた様子で嗅ぎ回り始めた。犬の考えなんて俺には分からないが、先程とは明らかに目つきが違う。

 登場直後の引き締まった表情で、部屋の隅々を詮索し始めた。今更になって漸く本職を思い出してくれたか。


「仕事を始めれば、そこはやはりプロだからね」

「犬にプロなんてあるんすかね?」

「CMに出れる犬なら、普通のリーマンより収入の良い犬とかもいるし。

 ……どうやら捕まえたらしい。行くよ、皆!」


 床に鼻をくっ付けながら、徐々に玄関口へと向かう大五郎。実先輩が出発の号令をかける事が出来たのは、もう日付が変わってしまった頃だった。

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