5−9 「ワン!」
前回の粗筋。
降霊術の依り代に選ばれたのは、霊感ゼロの野田であった。
悪戯みたいな儀式の様相に不安を覚えた野田だが、儀式そのものは大成功。
野田の身体に入った魂が、野田の身体で自己紹介する。
「相川登と申します」と。
蝋燭一本で照らされる暗い仏間で、俺の身体は今、俺の意志に反して動き出す。声こそ俺のものであるが、俺の意志はそこにない。
「……この縄はなんですか?」
「貴方が暴れないようにする為の保険です」
俺の身体に取り憑いた相川登氏に、実先輩は無感情な機械的口調で返答をする。
「解いてはくれないのですか?」
「身体を返すと約束しましたか?」
「………………」
「身体を返すと約束しましたか?」
登さんが口を閉ざし、実先輩が溜め息をついた。俺の身体が借りパクされたらイコールで俺の人生は終了であるため、正直縄は解いてほしくない。登さんも諦めてくれたらしい。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。では、お話下さい。
……ボクを呼んだ理由を」
噛み合ぬ会話の後で、下手な音読みたいな棒読み口調を止めて、実先輩はズイと身を乗り出して相川さんに迫る。登さんは一言一句をたどたどしく、並べる言葉を探すようにゆっくりと喋り始める。
「昨日の事になりますか。昼頃、我が家に突然、黒服の男達が現れて……」
「……それは、何人程?」
「十人はいました。……そして、妻と娘を」
登さんはそこで辛そうに俯き、口を噤んでしまう。剛志が声を荒げた。
「おい!続きを早く……」
「剛志君!」
実先輩が鋭く剛志の言葉を制す。霊との対話には危険が伴うって言ってたっけ。間違いなく素人の剛志や茶香子は会話に入り込む事も許されないようだ。
「奥さんと、娘さんが……どうされたのです?」
登さんは実先輩の問いには答えず、更に言葉を続けた。
「私はここから動く事は出来ません。
ただ、一部始終を見ている事しか出来なかった……」
「詳しくお聞かせ願えますか?出来れば始めから」
「昨日の事です。
娘は朝から酷く体調を崩していて、高校を休んでいました。
妻もその日は店を閉めて、娘の世話を……」
ふむ、つまり昨日学校を休んだのは、本当に体調が悪かったからって事か。火曜日の相川を考えれば……まぁ前日、記事作りに熱中し過ぎたってとこかもな。
「そして昼過ぎに……男達が突然店に押し入ってきて……妻と娘に襲いかかったのです」
「襲いかかったって……アンタは何で止めなかったんだ!」
「剛志君!いい加減にして!」
実先輩が真剣な声で剛志を嗜める。剛志も自分に非があるのを理解して、すごすごと引き下がる。登さんは剛志の憤りを見て、肩を震わせた。
「私だって、助けてやりたかった……!……でも、私は死んだ身。
触れる事すら叶わぬ、ただの一介の、名も無き霊魂です。
喚きちらしながら眺めている事しか出来ない無力な守護霊です……」
「……それで、奥さんと娘さんは?」
「娘は、妻に手助けされながらも、窓の外から家を脱出しました。
そして妻は捕まってしまって……何処かへと連れて行かれてしまった」
「それってつまり……」
「真見ちゃんは無事……なのかも?」
病気でフラフラの状態で部長から逃げ切ったってのか?
それって相川が、物凄く逃げ足が速いって事なのか?
「他に何か覚えている事は?」
「……そう言えば男達に交じって、何故か金髪の小さな女の子が一緒にいました」
「それ、桐生さん……!」
予想通りであるのだが、それが却って残念でもある。改めて分からない。何故部長がこの家を襲撃したのかが。そもそも、部長がなんでこんな派手にこの家をぶっ壊したのかが俺には理解出来ない。それに崩壊したサッカー部の部室を一日で完全に復元出来るあの人が、なんで外観で一発で廃墟だって分かるような状態で残したのだろう。分からない事が増えていくばかりだ。
「彼女は何か言っていませんでしたか?」
「………………私には、上手く聞き取れませんでした。気が動転していましたので」
「……うぅん。大事な部分なんだけどなあ。
相川さん。ボクを呼んでいたのなら、何か知っていると言う事ではなかったんですか?」
実先輩も焦れて来たのか、自分の額を指で突っつきながら、事情を聞くだけでなく率直に質問をする。成果はあったようで、登さんは漸く有益な情報を提供してくれた。
「血を分けた子……だからか、私が彼女の守護霊だからでしょうか。
娘がいる場所が、見えるんです」
それは想像していたよりもずっと役に立つものであった。
「……それを先に言ってほしかったですねぇ」
「すみません」
照れたように軽く微笑む登さん。
実先輩も漸く確信に迫れた事で余裕が生まれたのか、顔に笑みが浮かぶ。何となく和やかな雰囲気になるが、安心するのはまだ早いと思うんだけど。
「肝心の相川は、どこにいるんですか?無事なんですか?」
「ええっと……そうだ!呑気にしていられないんです!
娘が……真見が!」
俺の問いに登さんは再び落ち着きを失う。娘と嫁さんが誘拐されたらそりゃ慌てるだろうけど、一通り慌て終えた我々としては早く冷静さを取り戻してもらいたい。
「真見は今、何処か暗くて狭い場所で息を潜めている……」
「……息を潜めている?」
「すげぇな、真見ちゃん……隼弥の追跡から逃れてるのか」
部長が狙った獲物であれば、それが例えスカイフィッシュだろうと逃げ切るのは恐らく不可能だ。あの人は度を超えた人海戦術に加えて、的確にこちらの思考を読み取り、逃亡先に先回りしてくる。
それでも尚捕らえられていないという相川。一体どうすればそんな事が可能なのだろう。
「詳しい場所は私にも分かりませんが、そう遠くない場所にいるのは間違いなさそうなんです。
ですが守護霊の私ですら着いていけないような場所に潜んでいるようで……」
「……暗くて狭い、か。情報が少な過ぎますね」
茶香子がハァッと深く溜め息をついたが、実先輩は不敵にニヤニヤ笑いを浮かべていた。なにかしら悪戯を思いついた小学生みたいな微笑みだ。
「いや、そうでもない。死霊が着いていけないと言うのはつまり憑いていけない場所……。
そうなりゃ割と探すのは簡単だ。上手くいけば今夜中にでも……」
実先輩は携帯電話を取り出し、何処かに電話をかけ、数回コールの後にすぐ切る。相手が出た様子は無いが、それでいいのだろうか。
「何とかなるかもね……さてと、相川さん。
奥さんの方は……?」
「……駄目です。分かりません」
「そうですか……。うん、まぁ、きっと無事です。
いくら隼弥でも人をそうそう殺したりはしない。
殺人の隠蔽はかなり面倒くさいらしいからね」
隠蔽が面倒って理由だけで殺人を忌避している時点で、あんまり大丈夫じゃないけどな。
つーか、かなり面倒くさいって事は、何度か人殺してんのか?出来れば聞き違いだって信じたいし、俺も流石に部長がそこまでするとは考えていない。あの人は人を物として見る様なゲスだけど、人間としての心は失っていない……と思う。スイーツ好きだし。
全てを聞き終えたと見たのか、実先輩が再び居住まいを正して、口調を固くする。
「では、相川さん。お帰り頂きます。目を瞑って下さい」
「………………」
「相川さん?」
「……いやです」
……なん……だと……?俺の身体を借りていた登さんの声が、普段の俺の声より幾分低くなった。
「私は……娘を助けたい!妻を……助けてやらなければ……」
「ボクたちがやります。ですから相川さん、死者は死者として」
「いやだ!私は……私ハァ!」
「マズい……!」
「ハアアアァァァァ!」
何かが千切れる様な、嫌な音が聞こえた。登さんの身体を縛っていた麻縄が、畳の上にバラバラになって舞い落ちる。そして、体中に張り付いたお札を剥がし始め、鼻からポストイットを引き抜く。
……あれ、これってヤバくないか、マジで。
この親父、俺の身体をこのまま乗っ取る気かよ!?
実先輩が慌てた表情で声を荒げた。
「茶香子ちゃん、剛志君!彼を止めて!」
「む、無理です!識君の腕力には……」
こういうときは異様に強靭な自分の身体が嫌になるな。登さんは俺の身体を乗っ取って、茶香子と剛志、二人分の体重をものともせずに窓を目指す。
「外に出られたら終わりだ!野田君が帰ってこれなくなるぞ!」
ちょっと!マジで俺の懸念が現実のものとなっちまったじゃないか!俺はこのまま友達の親父に身体を乗っ取られたなんて間抜けな死に方はゴメンだぞ!
といっても今の俺は霊魂だけの存在。一体何ができるんだろうか。
「ウオオォォォ!」
「ひっ……きゃあぁぁ!」
「や……ばい……外に……!」
「茶香子ちゃん!剛志君!」
既に登さんは窓枠に足を引っ掛けて、今すぐにでも飛び出さんばかりの体勢で必死に二人を引き剥がそうと躍起になっていた。洒落にならん。俺自身の命がかかっているのに俺自身が何もできないなんて、なんと歯痒いんだ。俺が何とか手段は無い物かとオロオロしているその時。
窓の外から何かしらが飛び込んできた。それが俺の身体にタックルをかます。それが何かは暗くてよく分からない。が、何かの激しい息づかいが聞こえた。それに次いで、俺の……もとい登さんの苦しそうな雄叫びがあがる。
登さんは謎の物体のタックルによって、既にその身を畳の上に転がしていた。
「今だ!」
実先輩が再び麻縄を取り出して、登さんの首にキツく巻き付ける。登さんは一瞬で身体の動きを止め、手を振ってもがき苦しむ。実先輩が更にギュウギュウと縄を締め付けると、次第に登さんの動きが鈍っていった。そして、俺の身体からゆっくりと登さんの魂が煙のように浮かび上がってきた。
「野田君!早く身体に戻れ!」
「は、はい!」
戻れって言われたってどうやって戻ればいいんだよ。
一先ず腹の当たりに飛び込むと、一瞬だけ意識が飛んで視界がチカチカした後に、俺の瞼が開く。……頬をペチペチと叩くと、軽い痛みとかゆみが襲って来た。
どうやら身体を奪われると言う最悪の事態は免れたらしい。んだが……今この瞬間、またしても俺は自分の身体からオサラバしなければならないかも知れん。
「み……の…………せ……」
「……あ」
首を締めつけを中々止めてくれなかった実先輩が俺を殺そうと躍起になっている図。それが今この瞬間俺の身に降り掛かる災難の顛末である。
一難去ってまた一難。どうせこの難が去ってもまた難の方から親しげに「やっほ」とか言いながら声を掛けて来るに違いない。俺は首にクッキリ残っている縄の後を軽く撫でながら自分の不幸を呪った。
まさかこのほんの数秒程度の間に二度も死にかけるとはね。
「ごめんごめん。ちょっと夢中だった」
「夢中で殺されてたまるか」
これくらいの毒づきは許されるどころか釣りがくるだろう。咳き込みながら実先輩を睨みつつ、そう言ってやった。
先程相川さんがフラフラと浮遊していた辺りを見る。今となっては、ビー玉みたいな幽霊は俺の目には映らない。
「まだそこに居るよ」
「さっさと成仏しろって言ってやって下さい。
酷い野郎だぜ、全く」
「それだけ嫁さんと娘が心配なんだよ。
……さて、そんな不安をいっぺんに解決してくれる強力な助っ人のご登場だ」
「へぇ、そりゃ随分頼もしい。ここに来るんですか?」
「もう来てるよ。こっちだ、大五郎先輩」
もう来てる?この混乱の最中でいつの間に?大体、部屋の襖は一度も開いてないと思うんだけど。
と、ここで一つだけ思い当たった。
そう言えば、さっき部屋の中に何か飛び込んで来た様な気がする。窓から突入してくるなんて、派手好きな奴もいたもんだ。お陰で助かったけどさ。
「ワン!」
「わん?」
未だに暗い部屋の中で、何かが俺の脇を掠めていった。いい加減電気を付けよう。……そして、俺達の前に現れた奴は……。
「ワン!」
「紹介しよう。大五郎先輩さ。
部の創設当初からのメンバーにして、我々の中では唯一の学生以外の部員。
……って言うか、まぁ」
実先輩の足元で背筋をピンと伸ばしていたソイツは、口を真一文字に閉じて大人しくしている。
つぶらな瞳や白い体毛と綺麗なお座りの姿勢から醸し出される凛々しさが、格好よさの中にも愛嬌を演出した。実先輩が頭を撫でてやると、気持ち良さそうに目を細めて、フサフサした柔らかそうな尻尾を小さく振る。頭の上のピコピコ動くちっこい耳は、黙って見ていると手を伸ばしたくなる程可愛らしかった。
俺は驚きの為に口が中々開かなかった。
「学生どころか、人間ですらないんだけどね」
……俺達の先輩部員である大五郎先輩は、犬だったのだ。