5−7 「そう言えば、相川ん家って親父さんが……」
前回の粗筋。
中華料理店『興龍』の有様に野田達は愕然とした。破壊された店と、周りの変わらぬ日常の風景が混濁する異常な商店街で、野田達は桐生がこの事件に、しかも加害者側で関わっている事を知った。
夜。俺は先程から部長に電話をかけまくっているが、当の部長は一向に電話に出ようとはしない。
留守電に繋がるばかりで、俺は携帯電話を握りつぶしてしまいそうな程に苛立っていた。
「畜生!」
「野田君、隼弥も気がついたんだろ。
真見ちゃんの件で自分に連絡を入れているって事を」
「だったら尚更出てもらう必要がある!
ちゃんと事情を説明してくれなけりゃ納得がいかねぇ!」
荒れ果てた店内に入り込んで、俺達は一つだけ無事だったテーブル席に座り、話し合いをしていた。
他のテーブルは全て壁端に強い力で吹き飛ばされたかのようにあちらこちらに散乱していた。電気系統は問題無く動いていて、俺達は店の明かりだけは全て点灯して、その中心に居た。
剛志は今にも駆け出さんばかりに激しく貧乏揺すりをしていて、時折苛立たしげに頭をぼりぼりと乱暴に掻きむしりながら、何度も相川の電話番号をコールしているが、電話が繋がる気配はない。茶香子は警察の鑑識がもっているような薬品を手にして、店内をあちこち歩き回っていた。実先輩は俺の目の前で腕を組み、目を瞑って何かを考え込んでいるかのようにうむうむと似合わない唸り声を上げている。そして俺は、先程から何十回と部長に連絡を試みているが、携帯電話は一向に繋がらない。先程110をプッシュしたが、俺の声を聴くや否や、電話は一瞬で切れてしまった。部長の根回しは既に完了してしまっているらしい。
焦りばかりが募る中で、実先輩が目を開けて、静かに口を開く。
「……なるほど」
「どうしたんですか、実先輩」
「さっきから不快な悪寒が止まらなかったんだが……ようやく突き止めた。
この空気はよく知ってるよ。……ここに霊がいる」
剛志が勢い良く立ち上がって、実先輩の胸倉に掴み掛かった。あまりに咄嗟の事で、そして実先輩の言動の所為で俺も茶香子も抑える暇さえなかった。
「落ち着いてよ、剛志君。別に真見ちゃんが死んでる、なんて言うつもりは無い。
ひとえに霊と言えども、数多の種類が存在するんだから。
そうかもしれないし……そうじゃないかもしれない。
とにかく、ちょっと奥を見に行きたいんだけど、構わないかな?」
……そこで俺に聞かれても俺は家主じゃないんですけど。大体もう立ち上がって居住スペースに向かってるんだから、聞くまでもない。黙って頷き、俺達は全員示し合わせたかのように席を立ち、既に先を歩き始めていた実先輩の後ろを追う。
全体的に整理と清潔さが保たれていた厨房を抜けて、俺達四人は靴を脱いでゾロゾロと部屋に上がり込む。真っ暗な部屋の中、手探りで明かりのスイッチに指を掛けると、こじんまりとした普通の庶民の居間が姿を現した。
十畳近い畳敷きの居間のど真ん中に、布団の無い炬燵机がぽつんとあり、部屋の隅っこから桐箪笥と背の低い本棚が二つ。別角には新聞紙が堆く詰まれていて、畳の上には火曜日のスーパーの広告が散らかっていた。机の上にある二つのマグカップの底には、渇き切ったコーヒーが茶色い輪を描いている。店内とは打って変わって、こちらはつい今しがたまで人が居たかの様な生活感に溢れていた。まるで本当に、本当に今すぐにでも相川が隣の部屋から顔を出して、キョトンとした顔で「何しに来たの?」なんて言いそうな気がした。
部屋の間を仕切る襖を指で撫でながら、実先輩は額に皺を浮かべていた。
「……こっちだ」
躊躇いもせずに隣の和室へと向かう実先輩。
そちらの部屋の明かりを点ける。……そこは仏間であった。黒くて立派な仏壇と掛け軸が部屋の最奥に設置されている以外には、来客用だろうか、部屋の隅に柔らかそうな座布団が数枚重ねられているだけの質素な部屋だ。仏壇前に飾ってある写真に写るのは、まだ四十代程に見える人懐っこそうな眼鏡の男性であった。
「そう言えば、相川ん家って親父さんが……」
「静かに!……何か聞こえる……」
実先輩の言葉に、我々一同肝を冷やしつつ、一斉に青い後頭部に視線を集中させる。勿論だが、俺の耳には何も聞こえない。後の二人も同じだろう。この黙りモード全開の俺達が口を開いたって訳でもない。つまり実先輩にしか聞こえない音だ。
「……貴方がボクを呼んでいたのか」
そう言って写真を手に取り、静かに写真に語りかける実先輩。写真を戻してから、実先輩は写真の脇にある線香の箱から一本取り出し、ポケットからライターを取り出して火をつける。何となくだが、その動きがタバコに火をつける部長に重なって見えた。
「……別にボクは吸わないよ」
まだ何も言っていないのに相変わらず心を読んだかの様な察しぶりだ。長い一本に点火して、実先輩はそれを丁寧に仏壇にあげる。家には仏壇なんてないので、もっぱら盆のあたりで実家に帰省した折に見るような光景だが、実先輩の所作は手慣れた坊主のそれである。実先輩は暫く目を瞑って仏壇に手を合わせていたが、やがてゆっくりと目を開いてこちらに向き直る。
「彼が喋りたがってるんだが、君たち、聞く勇気はあるかい?」
「……彼って」
「まさか、相川の親父さん、ですか?」
「そのまさか」
実先輩は俺に人差し指を向けて、悪戯っぽく歯を見せて笑った。あまりおどけながらそう言う妙な事言うと、信じませんよ、俺達は。
……と思っていたのは俺だけなのか、剛志も茶香子も真剣な顔を崩さない。
「一体何を?」
「そこまでは……わからないな。
ほら、人とのコミュニケーションでもあるじゃん。
妙にそわそわして落ち着かないのを見て、『コイツ何か知ってるな』って思ったりすること。
それが分かっても、肝心の内容を理解出来る程、ボクは熟練していないんだ」
「何とかならないんですか?実先輩、こういう事には慣れてらっしゃるんでしょ?」
「時間さえあれば解読が出来るけど……丸々二日はかかるよ?」
「一刻を争うんだ!そんな悠長にしている暇はないぞ!」
俺達にとっては、今日も入れて丸二日も相川は行方不明なのである。部長の追跡のオマケ付きと来れば、無事でいる確率は……。いや、そんなことを思っていてはいけないよな。
「……確かに、もっと時間が短縮できる方法はある」
「なら!」
「でも、これは少々危険だ。確実な手段とも言い難い。
……それでもやるかい?」
「何だって良い!とにかく急いでくれよ!」
敵対的な部長と半日も一緒に居れば、きっと精神的にも肉体的にもボロボロになるだろう。こうしている間にも相川は辛い目に遭っているかもしれないんだ。だったら俺としても剛志の意見に賛同せざるを得ない。茶香子も力強く頷いてくれた。
「暫く身体を貸そうと思う。……皆、いいかな?」
「身体を貸すって?」
「ここに居る真見ちゃんの父親に憑いてもらう、昔からよくある降霊術だ。
一番身近なのでコックリさんとかかな?昔ちょっと流行ったでしょ。
十円と紙で出来るお呪いみたいな奴」
身体を貸すってのは、つまり今日の放課後茶香子にやってのけたアレの逆バージョンか。
テレビでたまに特番組んでるよな、そう言ういかがわしいイタコさんの。特番組んでまでゴールデンでやるような内容じゃないだろ、あれ。閑話休題。今大事なのは、実先輩が俺達に同意を求めていると言う事に関する理由だ。そんなの聞くまでもない。俺達は既に頷いてる。俺達は今、必死で掴む藁を探す溺れる者って奴なんだから。
後輩三人の決意の色が濃く現れている顔を、実先輩は一つ一つ確かめるように見つめてから、大きく頷いた。
「ちょっと怖い儀式するんだけど、まぁ、そう言ってくれんならやろっか。
……この中だと一番良いのは……そうだな。野田君」
「はい?」
「ごめん、ちょっとの間、我慢してくれよ」
実先輩の良い笑顔が、俺の嫌な予感バロメータをフルスピードで回し始める。
……少しだけ後悔した。