−1−1 「せ、先輩!?このチビッコがぁ!?」
章数ミスった。マイナスとかorz
俺は中学の頃の学ランとは少々勝手の違うブレザーに袖を通して、体育館に敷き詰められたパイプ椅子に腰掛ける一介の新米学徒として三年間で終わる筈(留年はしたくない)の学生生活に、期待と不安で胸を躍らせていた。校長のお話は経験則上、役に立つ事がないため聞き流していた。他に考える事はいくらでもある。
クラス別に並んでいるらしいこの席順、周りに素早く目を走らせてみる。
……みんな割りと地味だな。
髪の毛を染めている奴や、ピアスを付けた奴らも居ない事は無いけれど思っていたよりはずっと少ない。今にして思えば入学式初日からそんな格好で来る奴の方が珍しいのかもしれないな。
兎に角三年間、無事に過ごせる事を俺はこの時祈っていた。
その後一年の約半分の時間を過ごす事になる教室に移動して、席に着くなり担任に自己紹介を命じられる。クラスメイトが自己紹介をしている最中、窓の外で飛んでいく桜の吹雪を儚む暇なぞなく、俺は物覚えの悪さに定評のある我が頭脳に必死で今後一年間は嫌でも世話になるであろうクラスメイトと担任の名前を刻み込んでいた。
俺に順番が回ってきた時、俺は仰々しく席を立って言う。
「えっと、野田です。……あ、野田 識です。
知識の識って書くけど、あんま頭良くないんで、皆さんお世話になります」
正直ただの駄洒落でしかなかったのだが、前の席の奴が場を暖めていてくれたのか、何とか滑らずに済んだようだ。そんなこんなで何人かが自己紹介をした後、先生が学校生活における注意点その他をいざ説明しようという時である。
ピンポンパンポーン♪
何時の時代も変わらない校内放送のチャイムが鳴った。
教室備え付けのスピーカーへと一斉に視線が集中する。
予定に無かったのか、先生も虚をつかれて呆気にとられた様な間抜けな顔を上げていた。スピーカーの向こうから聞こえてきたのは、甲高い舌っ足らずな女性の声だった。
『えーと、一年……何組だっけ……まーなぶー、名簿こっちに寄越せー。
あったあった……ゴホン。一年五組の野田識君と、木下茶香子さん。
今すぐ校舎裏に……ん?何だよ学………………いーんだよ、校舎裏で。
あー?……ったく、わかったわよ。
今言った二人は、部室棟二階にある万能人材派遣部部室に来るように。
面倒だから繰り返さないよー』
ブツン。乱暴なノイズ音を残して、グダグダな放送は終わる。
え?何、今の?
クラスメイトが放送内容を噛み砕いて頭で理解するまでの数秒間だけ、全員の頭の中をそんなありふれた単調な疑問が支配していた。教室に一瞬の静寂が訪れ、シンクロナイズドスイミングみたいな完璧なタイミングで、周りの席のクラスメイトの視線が俺に向いた。
その目の数、クラスメイトの約半数。半分は、もう一人、木下茶香子さんに向けられていた。
俺は己の耳を疑う事で精一杯だった。容疑者俺の耳、偽証罪の疑いがかけられていますが、何か弁明は?
「……また桐生か……困ったもんだな。
今言われた二人、木下と野田。二人とも、行ってこい。
部室棟は校舎を正面から出て、左手に見える建物だ」
頭を抱える担任。偽証罪は冤罪か。神経伝達物質が『勝訴』と書かれた紙を持って走り出す。しかし伝達物質を押しのけるように俺の頭に走るのは?マークの嵐であった。
入学初日から呼び出しを喰らうとは尋常じゃない。
俺が一体何をした?
さっきのふざけた放送は一体なんだ?
先生は何故こんな電波な放送に乗っかって俺と木下の退出を許すんだ?
と言うか、俺達を呼んだのは誰だ?
さっき言ってたナントカ部って何だ?
尽きぬ疑問を膨らませつつ、注目されて少し恥ずかしい俺は、既に教室にいなかった木下を追いかけるように早足で教室を後にした。
「初めまして。私、木下 茶香子と申します」
「あ、は、初めまして!俺は、野田 識と言います」
下駄箱で追いついた木下は、丁寧に頭を下げてこう言った。パサリと纏まって垂れる漆黒色の髪に釣られて頭を下げる俺は木下に聞く。妙に落ち着き払って微笑んでいる彼女なら、もしや事情を知っているのではないか。
「俺達、何で呼ばれたんだろう?さっき呼んだのは誰か、木下さん分かる?」
「私も正直よく分かんないんですけど……何となく心当たりは、無きにしもあらずかな」
「……はぁ」
敬語混じりで曖昧な答えを返す彼女は既に靴を履き替えており、俺を待ってくれているご様子である。俺も靴を履き替えようと、下駄箱に手をかけた時。
「おせー!おせーよ!あんまり待ち遠し……もとい、遅いんで部長自ら迎えに来てやったわ!」
怒鳴り声が表から聞こえてくる。誰だと思って眼をやると、そこに居たのは金髪で色黒の女の子だった。
そして遠目で見ても分かるくらい背が低い。小学生の、それも低学年くらいにしか見えなかった。その女の子が険しい表情から一転。親しみやすさを感じさせる微笑みに変わり、木下に声をかけた。
「やー、茶香子ちゃーん、久しぶりだねー。相変わらず美人で安心したよ」
「……その節はお世話になりました」
「気にすんない、しっかし偶然だねー。君ら二人がおんなじクラスになるとは」
「あ、あの、木下さん。この子、妹か何か?」
木下はこの少女と知り合いだったようだ。妹か何かだろうか。と、そんな風に思っていたら足に痛みが走る。少女が俺の足をグリグリと踏みにじっていた。
「ちょ、イタタタ!なにすんだよ!」
「私、こう見えても先輩なんだけどなー。
良い度胸してるね、君。そう思うでしょ、茶香子ちゃん」
「え?えっと……桐生さん、暴力は駄目、ですよぅ」
「せ、先輩!?このチビッコがぁ!?」
しかし、着ている服は制服ではない。薄手の猫の着ぐるみみたいな服だ。いつだったか流行ったっけ、こんなファッション。いくら流行だからって正直あの格好は無いな、と俺は中坊なりに思っていたなぁ。
「女子高生がこんな服来て登校しないだろ!」
「パジャマだからしょうがねーだろー」
「……女子高生はそんなパジャマ着ないし、なんでパジャマのまんま登校してるんだよ」
「学校に泊まったんだよ!文句あんのか!んで、人の趣味に首突っ込むな!」
未だに俺の足を踏むその少女を、俺は両脇に手を入れて持ち上げた。
見た目通り軽い。顔を近づけてよく見る。キツネ目、色黒。指に触れる肩も随分と細い。幼さの残る顔、とでも言うのだろうか。柔らかそうなほっぺただ。うーん。どう見ても高校生には見えない。
暫く観察しているとバタバタ暴れだす。下ろしてやると、後ろに跳び退って自分の身体を抱きしめた。
「何処触ってんだーっ!」
「何処って……」
何処が何でどうなってるか分からない身体のくせに。口に出して言うのは流石に失礼だと思い留まった。涙眼で頬を膨らませる目の前の女の子は、やっぱり年上には見えない。
「全く……気を取り直して、さて!
今日君たち呼んだのは他でもない、君たちには我が部に入部して頂きたいのだ」
急に真面目くさった声を出した少女。腕を組んで背を逸らすが、ちっとも大きくは見えない。むしろ背伸びしている感が溢れ出ていて、何処か微笑ましささえ感じてしまった。
「今日呼んだって……あの放送、君……あぁっと、先輩?がやったの?」
「今更気がついたか。声で気づけよー、声でよー」
言われてみればそうも聞こえる。あの時は放送内容に夢中だったから、気づく事は出来なかったけれど。それより、こいつなんて言った?我が部?
「我が部って、桐生さん、部活なんて入ってるんですか?」
「へへん。作ったんだよーん。凄いでしょ!?
その名も聞いて驚け見て戦慄け!『万能人材派遣部』である!」
本人的にはバックに雷嵐でも吹き荒れているのだろうが、可愛らしい桜吹雪が遥か彼方で舞っているのみ。見て戦慄くには無理のある光景だ。
そして自称部長はそれっきり何も言わない。その長い名前の部活の説明はしてくれないのだろうか?
「『万能人材派遣部』って何です?」
ナイスだ木下さん。
「入ったら教えたげる」
しばくぞクソガキ。
「さ、来たまえ。茶香子ちゃん、野田君。
と言うか、まぁ。強制はしないけど君らは絶対に入る事になるであろうな」
なんかムカつくぞコイツ。呼んだのはこの子だろうが、何かの悪戯のつもりだろうか?それにしても悪質なもんだ。わざわざ放送を使って呼び出すだなんて。
俺達が呼ばれたのも、適当に捲っていた学生名簿で俺達の名前が眼についたんだろう。しかしウチの担任は何で俺達を向かわせたんだ。先生の娘か何かか?
壁にかかっていた時計を見る。まだHR中だろう。学校生活上、大切な話があるかもしれない。根が真面目で、覚えの悪い俺としては出来ればちゃんと聞いておきたいなぁ。
「あー、用事がないならもう帰っていいかな?」
「用事なら今言ったろー。我が部に入れってよー」
「ごめんな、俺野球部に入る事が決まってんのよ。
ウチの高校は部活の掛け持ちなんて無理だ。だから、ごめんね、お嬢ちゃん」
「……私は君の先輩だって、聞いてなかったのか?」
「学生証でも持ってれば信じよう」
「生憎、持ち歩かない主義だわ」
「じゃ、諦めなさい。先生の娘さんか何かかい?大人しく教務室で待ってな」
部長のキツネみたいに細い眼が見開き、こちらをカッと睨みつける。中々迫力のある眼力だ。確かにただの小学生には無理な芸当だろう。
「もう怒った……野田君、今から貴様の国籍を南アフリカ共和国に変えに行く。覚悟しておけよ」
「……何だって?」
南アフリカ共和国に?国籍を?変える?……国籍って変えられんの?それなりの手続きを踏めば出来た気がするけど、今からとか(笑)南アフリカとか(笑)何言ってるんだか。自分では受けると思ってたのだろうか、そのジョーク。
……まぁ、ここは一歩譲って笑っておくとしよう。この小学生のために。
「ははは、全く、面白い話だ。やれるってんなら今すぐにでもやってみな」
「の、野田君……あんまり、その、桐生さんを怒らせない方が」
「木下さんまでこんなガキの戯言に付き合う事はねぇって!
俺、先教室帰ってっから、木下さんも適当に付き合ったらちゃんと戻ってこいよ!」
先程のジョークで俺は確信していた。アレは小学生だ、と。子供は覚えたばかりの知識をすぐに使いたがるもんだ。大方買ったばかりの地図帳でも斜め読みして得た知識だろう。
教室に戻って来た俺を、先生に驚きを持って迎えられた時、俺はむしろ反応に困ってしまった。
よく無事だったな、だと。
何だか妙な引っかかりを感じつつも、俺は一先ずクラスメイトの名前を覚える作業に戻る必要があった。初日から有名になってしまった以上は、誰から話しかけられるか分からないしな。
ちなみに木下がその日、最後まで教室に帰ってこなかった事にも、先生がそれについて何も言わなかった事にも、俺は僅かな引っかかりを覚えつつも、ろくすっぽ考察する事もしなかった。