4−6 『おおよそ私の計画通りに事が運んで助かったわ』
前回の粗筋。
とりあえずサッカー部の練習に参加した野田。
その恐るべきゴールキーパー力(?)に部員一同唖然としつつ、もう夢中だぞ!
「いやぁ、大活躍だったな、野田」
「あの練習の時だけはな」
「お陰でさっぱりシュート練習にならなかったぜ」
褒めてんのか諌めてんのかハッキリしろよ。
「でもアレのお陰で、お前も大分部活に馴染んだだろ?」
「馴染んだって言うのか?アレで?」
部活帰り、俺は剛志と肩を並べて、街灯と家明かりが照らす薄暗い住宅街の道を歩いているところであった。こうして夕闇の中をこの男と歩くのは小学校の時以来だったりして、俺は一人懐古に浸る。もしかしたら剛志もそうかもしれない。俺達は暫く互いに心地よい沈黙を守りながら歩を進めた。
「十分だ。みんなすげぇって言ってたよ。
現に部室でも質問攻めに遭ってたじゃねぇか。
あの引っ込み思案なマネージャーなんか、頬を染めてお前に熱い視線を送ってたし」
「……それは嬉しいけど、逆に気疲れで肩が凝っちまうよ」
あんなのをコレから毎日、あと十日近くやらなきゃならんとなると、プレッシャーで胃に穴が空きそうだ。期待を込めた彼らの視線を思い出してげんなりをしていると、一つ気がかりがあった事に引っかかった。
「そう言えばさ、誰も林原の事に触れなかったけど、部内ではどう言う話になってんだ?」
「うーん……お前が殴った……とか言う話だったよな。
でもなぁ、そんなの俺は信じないぞ。部室だってどうもなってないし。夢でも見てたんだろ、どうせ。
大体暴行事件がウチの校内で起こったってんなら、何で誰もその話しないんだよ。おかしいだろ。
今日林原先輩が休んだ理由も風邪だってよ。電話でそう言ってたって副部長が教えてくれた」
「そうか……」
桐生部長が隠した事実が公になる事はなく、そこに例外は存在しない。裏で部長がどう動いているのか俺には全く分からないが、取りあえず俺が退学になる事はないらしい。事件そのものがなかった事になっているのだから、それは当然だよなぁ。
剛志もまるで疑う様子すらない。コイツもバカな奴で俺は大助かりだ。
「じゃ、俺はここで。朝練は七時からだ。遅れんなよ」
「あぁ」
ついうっかり迂闊な返事をしてしまったが、俺は朝練にも出なきゃいけないのか?やっぱり行かない、と言おうにも、剛志は既に自宅への帰り道を歩き始めていた。
仕方ない。約束は約束。助っ人するって言った以上、地区大会終了までは付き合ってやらないとな。三叉路の真ん中の道を歩きながら、携帯電話に忘れぬようにメモをしておこうと取り出す。
……開いて早々、携帯電話のディスプレイが不在着信を告げていた。それも、三件もだ。マナーモードにしっぱなしで全く気づかなかった。
一つは桐生部長。放課後に突入してすぐの時間。
もう二つは見た事のない番号から二回かかってきている。誰のだ、これ。
時間は……こちらはどちらも昼休みのあたり。十分と間を置かずにかけてきていた。まず俺は、見た事のない番号からかけ直す。
「…………出ないな」
十回程コールしても出ないので、俺は電話を切る。かけ間違いかなにかだろう。携帯電話のかけ間違いってのも珍しいが、可能性はゼロじゃないからな。
電話帳登録ってのは便利だけど、なんでもかんでも自動化するのは考えものかも知れない。茶香子が聞いたら頭から火を噴きながら猛反論してきそうな事を考えつつ、再びかけてみる。
……うん、やはり出ない。
諦めて俺はもう一つの着信履歴に掛け直した。こちらは三コール待たずして声が聞こえてくる。
「あ、もしもし?」
『もしもし?あー、やっと来たか……野田君よぉ』
何を言っているのかよく分からない部長が、怒りを露にしながら電話口で静かに唸っていた。相川といい、茶香子といい、どうも俺は女を怒らせる事に関しては中々上手らしいな。このバッドステータス、いつの日か確実に解消しなければならないだろうけど。
「……何で怒ってるんすか?」
『言わなきゃ分かんないかなー?言わなきゃ分かんないのかな?』
「分かんないです」
『何で私に黙って勝手に助っ人やってんの?』
部長は普段の怒りとは違ってワーキャー喚かず、静かに俺を咎めた。
前にも言ったが、ウチの部からどんな助っ人を、もっと言えば派遣するかしないかは部長が全権を掌握している。つまりその規約の通りなら、俺が勝手に何処かに助っ人に行くのも不可能な訳なんだけど。
そう言えばこの人には結局何も言ってないじゃん、俺。馬鹿やっちまったな、いやはや。
うぅむ、怒っているとなるとまたしてもプリンを献上しなければならないのだろうか。まだ部室に残ってそうだけど。取りあえず言い訳をしながら、チロルチョコが買えるかどうか財布の中身を確認する事にした。
「いや、部長。大丈夫っすよ。今回は助っ人部の部員として参加してる訳じゃないっすから」
『……どゆこと?』
「俺はとある部員の、ただの友人として部に参加するんすよ。
俺が助っ人部から来た、なんてのは誰にも言ってないですから」
『言ってなくても分かるよ普通はさ。やっぱり馬鹿だな、野田君は!』
今日一日で何回馬鹿呼ばわりされれば良いんだろうか、俺は。もうちょっとバリエーションないのかよ皆。アホとかマヌケとか、ろくでなしとか……いや、馬鹿で良いや。馬鹿が良い。言われ慣れてるしな。
財布の中には百円玉一枚と十円玉二枚、一円玉が二枚。122円か……寂しい中身だ。
『……まー、練習に参加してしまった以上は仕方ないか。
ただし、絶対に勝ってこいよー。もし負けたらお仕置きだからなー?』
「分かってますって、部長。やるからには勝ってきますから」
『でもさー、サッカーのキーパーやるんだって?
あれって簡単そうに見えて、実はすんごく大変なんだよ?』
相変わらず、その情報何処から仕入れたんだよって聞きたくなる程耳が早いなこの人は。
『そんな大役、野田君に出来る?それ以前にサッカーのルールって分かる?』
「まぁ、ルールはおいおいって事で」
『おいおいで頭に入れられる程君、頭良くないじゃん』
さっきからバカバカうるせぇんだよ、畜生。え?言ってない?……さいですか。
いやでも同義語だ。馬鹿にすんなよ。これでもアンタと同じ高校通ってんだよ。テストで憤死する気もするけどな。
『うー……大丈夫なんだろうね、野田君』
「大丈夫っすよ。安心してて下さいって。全く、心配性なんだから」
『で、でもさー』
「部長の集めた精鋭達に不可能はないんでしょ?」
確かこんな感じの事が、部員名簿の部長の欄に書いてあった様な気がする。俺の今の言葉を聞いた部長が何を感じたのかは知らないが、部長はコロリと態度を変えて、急に快活な声で鼻息荒く叫ぶ。
耳壊れるっての。
『そうよ……そうだわ!何を焦る必要があるのよ!
初テニスで圧勝した野田君だもの、初サッカーでも勝利の女神となってくれるに決まってるわ!』
「はいはいそうですそうです。俺は男ですけど」
『よし、野田君。出るからには三十点くらい取って来なさいよ?』
「いや、俺キーパーなんすけど」
『キーパーも前に出ていいんだよ?
どうせボール取らせないんだから、YOU前にガンガン出ちゃいなよ』
某有名会社の社長さんみたいなノリでねちっこい声を上げた部長。やっぱうざいな、その喋り方は。今はそんな話はどうでもいいんだ。試合中の俺の動きは俺とか指令塔に任せればいいんだから。
俺は俺の疑問を部長にぶつけてやる事にした。
「部長、昨日の事件、どうやって隠したんすか?」
結局任せっ放しだったので、何がどうなったのか俺には全く分からないままだ。流石に当事者としては、それではどうも落ち着かない。ボコボコに伸してしまった林原他六名にも、心が落ち着いてきた今では段々申し訳なさすら湧き出してきた所だ。ほんのちょっぴりだけど。
『事件?……何の事?』
「いや、そうやって真面目な声でとぼけられると俺としても困るし、読んでる人も変なフラグと勘違いするんで止めてください」
『そっか、そりゃ失礼。昨日のアレは、誰に聞いても今の私みたいに何の事って言っちゃうような状態にしてきたよ』
「そうなんすか……で、部長。林原達は一体……」
『あぁ、野田君がボコッた連中は、無事療養中らしいよ。
幸い大きな怪我はしてないし、後遺症の残る様な怪我もないんだって。
一番軽いのは君にビビってお漏らししてた奴。入院の必要もないそうだよ。
逆に一番怪我が酷いのは君が最初に仕留めた林原だな。
それでも二週間もすれば五体満足で退院できるらしいけど、地区大会にはギリギリ間に合わないかもね。
あ、でも県大会に出場決めれば、そっちには確実に全快で出られるだろうってさ』
「はぁ……そうなんすか」
それを聞いて俺は心底ホッとしつつも、罪悪感を感じざるを得なかった。いくら俺があの人を嫌おうとも、あの人はあの人なりに必死だったのだろう。その結果が地区大会不参加じゃぁ、流石に可哀想になってくるな。引退の運命を自分で決められないんだし。
ここは地区を勝ち上がって県大会まで是が非でも行かなければならなくなってしまった。まぁ、元よりそのつもりだったが、やはり背負うものがあると人間心構えが変わってくるものである。
部長は更に耳寄りな情報を俺にくれた。
『林原も反省してるらしい。完全な更正は死ななきゃ無理だろうけど。
でも、退院してから野田君に復讐に来る事はまずないから安心していいよ』
「反省……ね」
二度と顔遭わせるつもりもないから林原さんがどれほどの好青年になっても知ったこっちゃないけど、向こうもその気ならそれはそれで構わないね。
『あと入院の費用は私が全部出しといてあげるから安心していいよ。
私の管理不行き届きだったしね』
「そ、それはどうも……でもですね、部長。
そもそもこんな事件になったのは部長が派遣を断ったからっすよ?」
部長が依頼を受諾すれば俺は文句を言わないし、言う事もできないんだ。こんな面倒な話になったのは桐生部長がそもそもの発端……って考えるのは少し酷い話かもしれないけど、断ったなら断ったなりの理由が欲しい。
『……だって林原みたいな所で野田君を働かせたくなかったんだもん。
あんな腹の底から真っ黒な奴のとこに部員を送り込んで、傷物になって返ってきたらどうするのよ』
もっと腹の底から真っ黒な奴が宣っていいセリフではないよな、これ。大体傷物って……本当にこの人は人間を物扱いしやがるよなぁ。一応大事に思ってもらってるんなら、良くはあるんだけどさ。
『ま、ちょっと予想とズレたけど、おおよそ私の計画通りに事が運んで助かったわ。
じゃ、私今忙しいから、またね!』
「……え?計画……?」
プツッ!一方的に電話が切れ、俺の追求は口を出る前に殺された。
俺は切れる寸前に部長が言った言葉を、耳の中で意味を咀嚼していた。
『計画通り』ってどう言う事だ?何がどう計画通りなんだ?もしかして……俺がサッカー部に助っ人に行く事が、か?
俺が勝手に規約違反を犯したのにあの幼児並みに我が儘な桐生部長がえらく落ち着き払っていたのは、俺が彼女の予定通りに行動していたからか?
夕方、日も落ちて気温が低くなってきたが、寒さとは別種の悪寒が俺の身体を貫く。
……部長は『林原みたいな所で野田君を働かせたくなかった』と言った。サッカー部に派遣するのが嫌だった直接的理由はそれだ。
もし部長が『だったら林原をどければいいじゃない』なんて事を考えたらどうする。結果として林原は地区大会不参加。俺は林原のいないサッカー部に助っ人をする事になった。桐生部長の望む様な最高のシチュエーションが揃う訳だ。
もしも……もしも部長が『意図的に』そうなるように『仕組んだ』ならば?色々な人々の思惑が重なり合って偶然起こったと思っていたこの事件が、部長の掌の上で起きたものだと考えるのは些か無理がありすぎるだろうか?
部長との会話で、俺は一瞬だけ違和感を覚えた部分がある。
俺は部長に事のあらましを話した記憶はない。……部長が見たのはあくまでもあの荒れ果てた部室だけだ。俺が暴れていたその瞬間は見ていない筈だ。……だと言うのに部長はこんな事を言っていた。
「一番軽いのは『君にビビってお漏らししてた』奴。入院の必要もない。
逆に一番怪我が酷いのは『君が最初に仕留めた』林原だな」
背後で突然大きな音がした。反射的に振り向いた先で、野良猫二匹が喧嘩をしてゴミ捨て場のポリバケツをひっくり返していた。……驚かせやがって。
「ま、いくらなんでも考え過ぎだよな」
いくら部長といえども、全く手も触れずに事件を引き起こすなんて不可能だろうに。大体自分で起こした事件だってんなら、部室に慌てて飛び込んできた部長は一体なんだったんだよ。アレが演技だなんて疑える程、俺の性根は腐っちゃいない。
林原を一番最初に仕留めたのは状況的にも明らかな話だ。挑発して来たのはアイツだし。不良共から事のあらましを聞きだしたのだろう、間違いなく。情報収集のプロだしな、あの人は。
俺は、脅える自分が馬鹿らしくなって、一つ溜め息を吐いた。さっさと帰ろう、腹減ったし。昨日は寝てないから今日は早めに寝よう。俺は月明かりと街灯が照らす家路への道を、鼻歌混じりに歩き始める。
全くの呑気な、それこそ今日の晩飯のメニューをひたすらに妄想する男子高校生が今の俺だった。事件が一つ、収束に向かっていた事に安堵し切っていた。
この時に気がついていればどれだけ良かったのだろう、それは俺には分からない。
気づけば何かが変わったのか、或いは何も変わりはしなかったのか。それも分からない。
水面下と言う言葉がある。表面からは窺えない目の届かない場所、と言う意味だ。
まさにその水面下で、今現在何が起こっているのか、なんて……。
今の俺は、まさに文字通り、知る由もないのだ。
だから許してくれ、だなんて……口が裂けても言うつもりは無いけどさ。
長かった水曜日が終わり、次回からは木曜日のお話になります。
次回からは皆大好きファンタジー(オカルトの間違い)篇が始まる予定。
どうしてこうなった、な展開が既に多数……。
元々そういう予定だったとは言え、これまでとは随分方向性が変わっちゃいます。