4−1 「さっきから部長部長うるせぇんだよ、馬鹿」
前回の粗筋。
茶香子の不審な電話に、野田はしょげて拗ねる彼女の元へと駆けつけた。
ひょんなことから木下茶香子の衝撃的過去を知りつつも、野田は何とか彼女を慰める事に成功。ついでに何だかいい雰囲気になった矢先、茶香子が下した指令は作業の続行。折角のチャンスを棒に振って落ち込みながらも作業を手伝う野田。
「で?何?お前、そんな話しながら、結局何にもしなかったどころか、何にも言わなかった訳?」
翌朝俺は、朝練を終えて席に付いた剛志に昨日の出来事を話していた。結局一世一代の愛の告白を見事空振りどころか封殺されたあの後、俺は茶香子の手足として尽くす事になってしまった。俺としても最後の最後まで機会を窺ったのだが、茶香子はまるで隙を作るのを嫌がるかの如く、アレが終わったらコレ、コレが終わったらソレ、と忙しなく指示を出してくるのだ。車の修理が終わった後にチャンスがあると思っていたら、次は何故かバイクのカスタマイズを手伝わされた。
そうこうしているうちに朝日が昇ってきてしまい、そのまま登校の時間になってしまった。一緒に登校する時に言えると思ったら、今度は茶香子は一人で勝手にバイクに乗っかって学校に行ってしまったのだ。杵柄高校はバイク通学を禁止していた筈だけどな。んで、置いてけぼりを喰らった上に家に帰る暇もなかった俺は、そのまま学校に来て、さっき更衣室のシャワー浴びてきたんだ。
教室に付いてみれば、先に付いていた茶香子は自分の席でグースカ寝息を立てているし。で、俺は諦めてこうして席に付いた訳だ。親には一応事情を説明してあるから、前回のようにはならない……と思いたい。夜遅くなる、としか言ってなかったけど。だから今、再びメールを送っておいた所だ。ここ数日間、俺あんまり家に帰ってないな、どうでも良い話だけど。
……なんて事を剛志に話したら返ってきたのが先程の言葉である。
昨日は俺をエラい目に遭わせてくれたくせに、随分態度がデカいじゃないか。言っとくが、俺はお前の事を100%許した訳じゃないんだからな?99%くらいは許したけど。
「俺は昨日もうメールで謝っただろ。だからいいんだよ。
今問題なのはお前のヘタレ具合の方だろうが」
「ああもう、ヘタレへタレうっせーんだよ畜生」
「だが事実だ。お前はどうしようもない、ヘタレだ。ヘタレ王だ」
「でもよ、あの状況に置かれたらお前だって絶対に無理だぞ」
「アホ。お前、そんなのは強引に抱きついて唇奪って押し倒しちまえばなんのこっちゃねぇよ。
向こうも好きならそれで余裕で落ちるぜ」
そう言う事を場数踏んでるお前みたいな奴がやる分には問題無いかも知れないけど、所詮童貞野郎の俺がやったら違和感アリアリである。そんなドラマや映画のクライマックスシーンみたいな事やったら俺が緊張で卒倒しちまうわい。
「いや、流石にキスは……やっぱりこう手順てもんが」
「いつの時代の常識を語ってんだ?ジュラ紀か、白亜紀か、化石かお前は?
全く、勿体ない。今からでも遅くない。行ってこいよ。
あそこで寝てる木下さんを無理矢理起こしてキスしてこいよ。
クラスメイト全員に見せつけてやれよ」
あんまりそう具体的な話を出すな。周りの誰かに聞かれたらどうするんだよ。茶香子だって今は遠くの席で寝てるけど、起きてこの話が聞こえたらどうしてくれるんだ。
「今更何言ってやがる。むしろ聞かせてやれ。
おーい、木下さぁん!」
「おい、止めろ馬鹿」
いい加減この男の暴走を止めるべく、俺は剛志の頭に素早く腕を回して、そのままヘッドロックを掛ける。くい、と少し捻ってやると、剛志はすぐに俺の腕をペチペチ叩き始めた。
「イタタタタ!ギブギブ!」
「ふんっ!」
「グォ、た、タップしてん、だろうが!お、折れる!折れるうぅぅ!」
首の骨なんてそう簡単に折れてたまるか。むしろ首への負担は少なくしてある。問題は頭蓋骨締めの方だ。今の俺は孫悟空の緊箍児ばりの締め付けで剛志の頭を締め付けている事だろう。
相当痛いだろうな。頭蓋が粉砕されそうな頭痛と言うのは。無論体験した事等無いが。
「ご、ごめん!調子乗り過ぎた!だから離せ!」
「何ぃ?聞こえんなぁ?」
「は、離して下さい!」
「よろしい」
解放してやると、剛志はそのまま顔を俺の机に突っ伏して、はぁはぁと荒い息を吐く。腕組みをして暫くその様子を見つめていると、剛志はこめかみを手でもみながら顔を上げた。
「……ったく、少しは手加減しろよ」
「手加減してそれだ。本気出せば……」
「朝からスプラッタな話は止めようぜ。俺、あんまり得意じゃねぇんだ」
「それは耳寄りな情報だ。人体の不思議展って、まだやってたっけ。今度見に行こうぜ」
「お、おいおい。マジで止めてくれよ」
珍しく脅えた顔をする剛志。これも有る意味、眼福と言えぬ事も無いな、うん。
「……まぁ、その話はもう良しとしてよ。
今日から昼練な。飯は部室に持って行くと臭くなるから、教室に置いとけよ」
剛志はそう言うと、実に嬉しそうな眩い微笑みを俺に向けた。……ん?剛志は一体何の話をしているんだ?俺は呆気にとられて咄嗟に口が出なかった。ワンテンポ遅れて、俺が聞く。
「なんで俺がお前の昼練に付き合わなきゃいけないんだ?」
「なんでって、野田。お前……あれ?サッカー部に入ったんだろ?」
何か剛志の中では俺は新人サッカー部員になっているようだが、当然そんな事実はない。……って言うかもしかして俺の置かれた状況、正しく理解してないのか?
「どうして俺があの腹の中真っ黒みたいな男の下で黙々とサッカーの練習せにゃならんのだ」
「いや、だって……まさか野田、お前、断ったのか?林原さん、入れって言ってこなかったのか?」
「言ってきたけど、断ったよ」
「……お前、よく無事で済んだな」
剛志は先程とは少し意味合いの違う脅えた顔で、目を丸くしていた。なんだよ、その珍獣を見るよう……いや、化け物を見る様な目は。
「だって……あの後部室の中に五、六人、不良が入ってったの、俺見たぞ。
まさか部長があそこまでやるなんて思ってなかったんで、俺もビビって帰っちまったってのに」
「六人居たよ。まぁでも、なんとか危機は切り抜けた」
「切り抜けたってお前、一体どうやって?いくら積んだ?」
金の問題じゃなくて、拳の問題なんだけどな。第一、あんだけボロボロになったサッカー部の部室を見れば何が起こったかなんて普通分かるだろ。
「お前、今日朝練行ってないのか?部室の惨状は見てないのか?」
「一体なんだ、惨状って。何にも変わっちゃいなかったぞ」
「何にもって」
「本当に何にもだよ。朝は早めに切り上げて部室の掃除とか備品整備とかも少しやるんだけどよ。
ボールの数とかベンチの汚れとか、ロッカー内のエロ本とかも全部同じ状態だったぞ」
……そんな馬鹿な話があるか。窓は全壊、ロッカーもベンチもボッコボコなんだぞ。
でも剛志は基本的に嘘はつかないし、今のコイツの態度は嘘をついているときのソレではない。一体何がどうなってるんだ……と考えて、行き当たる先は、桐生部長の自信満々な発言だった。
私に任せておけば万事上手くいくから、か。
……あの人がアレから部室を全て片して復元したって言うのか?ベンチの汚れから、エロ本まで全て前と全く同じ状態に、時間を巻き戻したみたいに直したって言うのか?いくらなんでも俄には信じがたいが……桐生部長なら、出来るのだろうか、そんな事も。
「……なぁ、林原って先輩、今朝は朝練には?」
「部長はいっつも来てねぇよ。今日も当然な。
ま、朝練やってんのは俺以外には二、三人しかいないけどよ」
「そうか……」
「おい、結局昨日何があったんだよ」
話すべきかどうか、軽く悩んだがこのまま下手な邪推をされるのも、それはそれで気分が悪いな。でも、どう言えば良いんだ?俺が真実を話したとしても、崩壊寸前のあの部室を見ていない剛志は信じてくれるわけない。
「何とか隙を見て逃げ出したんだよ。だからサッカー部には入ってない。
元々そのつもりもないしな。あの林原って先輩と一緒の部活なんて、俺には到底無理だな。
お前、よく平然としていられるよな」
最後の方はつい勢いで、罵倒に近い言葉を吐いてしまった。静かになった剛志。少し言い過ぎたかと謝りかけた時、剛志は顔を背けて、吐き捨てるように言った。
「……俺だって、林原先輩は正直、根っこまで腐った最低野郎だとは思う。
マネージャーにはすぐ手ぇ出すし、思い通りにならないとバット持ち出すし、煙草も酒もやるし……。
とてもじゃないけど尊敬出来る先輩とは言えない。
でも、ウチの高校にはサッカー部は一つしかないんだからしょうがないだろ。
あの人、試合中は真面目で、純粋に上手いし、指示も的確なんだ。だから部長なんてやってんだ。
いわゆる天才型ってやつだよ。お前みたいにな」
「あんなのと一緒にすんじゃねぇよ」
心底心外であった。自然と言葉が漏れてしまっていた。俺があんな風に人を脅して屈服させようとか、人の事を便利な奴とか、玩具にしようとしたりした事があるってのかよ。思い出すとまた怒りがぶり返してしまいそうだ。
「でもよ、部長の気持ちも、一応は察してくれないか?
あんなんでも練習は真面目にやるし、練習終わっても最後まで部室に残って作戦を考えるし……。
なんだかんだでサッカーには尽力する人なんだ。
来週から始まる地区大会で負ければ、もう三年生は引退なんだ。
後がなくて、部長も必死だったんだよ。それで、お前の噂を聞きつけて、俺に聞いてきたんだ。
今回は、流石に強引なやり方だったって思うけど……」
「……アレの肩持つのか、お前」
あんな人間のゴミを支持するなんて、お前も堕ちたな、剛志。俺はそれ以上剛志の言葉を聞きたくはなかったが、剛志は勝手に話を続ける。
「俺からも頼む。勿論、サッカー部に入れとは言わない。
でも、次の地区大会の助っ人をやってくれないか?」
「……今の俺は、助っ人部の部員だ」
「あぁ、知ってる。だけど」
「だから、桐生部長に言ってくれればいい。
野田を貸してくれってな。部長がOKを出せば大会でも何でも出てやるよ」
「……駄目だったからお前に言ってるんじゃねぇか!」
剛志の大声にクラスメイトが気付き、教室がざわつく。剛志が俺の両肩に手を置いて、必死の形相で頭を下げた。
「なぁ、野田、頼むよ。
前々からお願いしてるのに、何故かあの桐生って人、首を縦に振ってくれないんだよ。
だから林原先輩に頼んだんだよ。
助っ人部がNOを出すなら、後はお前が自分から助っ人をするって言ってくれなきゃ」
「……無理な話だな」
「どうして」
「部長がNOって言った以上、俺が助っ人するのは不可能だ。悪いな」
「そんな事言わずによぉ、お前自身はどうなんだよ。
昔なじみのよしみで、また助っ人頼まれてくれよ」
「駄目なもんは駄目だ。部長が駄目だって言うならな」
俺のその言葉を聞いた剛志の手が、両肩から俺の胸倉に移動する。そしてYシャツの襟の辺りを掴んで引き寄せて、至近距離から睨みつけた。突然訪れた一触即発なこの状況。周りのざわめきも一際大きくなる。
「さっきから部長部長うるせぇんだよ、馬鹿。
てめぇはあの金髪チビの奴隷か?あんな奴にいつまでヘーコラ媚び売ってるつもりだ?」
「何熱くなってんだよ馬鹿」
「黙れ、馬鹿はお前の方だ。……助っ人部は関係ねぇ。
俺は今、助っ人部の部員じゃなくて、野田識個人に頼んでるんだ。
必要なのはてめぇの意志だ。てめぇが助っ人を引き受ける意志があるかどうかを聞いてるんだよ」
「はん、どっちにしたってごめんだね、サッカー部の助っ人なんて」
「……おい、それはどう言う意味だよ」
理解力の足りない頭だな。じゃぁ教えてやるよ、その常識力のない頭に叩き込んでやるよ。
「林原とか言ったか?……アイツ、今どうなったかお前、知ってるか?」
「……どう言う意味だよ」
「ま、俺も知らないんだけどな。でも、多分病院じゃねぇかな?」
「おい、それってまさか」
「この手、見ろよ。俺、少し怪我しちまったんだ。何でか分かるか?
俺がボコボコにしてやったんだよ。こんな風にな!」
そう言って俺は剛志の拘束を左手で強引に外して、右手で、昨日と同じように顔面目がけてストレートを放つ。……いや、正確には放ちかけた、かな。寸止めだ、流石に。鼻先で止まった俺の拳を、剛志は呆然と見つめていた。
竦む暇すらないスピードで繰り出された寸止めに、剛志は面食らっていたがすぐに俺の手を脇に弾く。
「俺はアイツだけは許せない。お前を便利な奴呼ばわりして、茶香子を……。
いや、それはもういい。とにかく、俺はあんな奴の思い通りにはならない」
「おい、俺は別に部長に言われたからってだけじゃなくて」
「大体なぁ」
俺の心には未だに結論が出せずに燻っている、松井先輩の言葉が深く刻み込まれていた。試合は努力の成果を試す場。才能の前には、努力は無意味。つまり、と俺が心の中で出した結論は。
「俺みたいなチート染みた奴がお前みたいなヘタクソの凡人に交じったら、サッカーなんて成立しねぇんだよ」
助っ人部の存在、剛志の努力、更には俺の努力すらも根本から否定する様な言葉だった。
「てめぇ、何だって?」
「お前がどれだけ頑張ろうとも、俺には勝てねぇんだよ。
そんな馬鹿強い奴を試合で使って勝った所で何が嬉しいってんだ」
「……てんめええぇぇ!」
剛志が再び俺の胸倉を掴んで、無理矢理上に引き上げた。俺の席の机と椅子が、ガタンと大きな音を立てて倒れる。
一瞬教室内が時を止めたかのように静まり返り、俄に周りがザワザワと騒ぎ立てる。周りの様子を気にかける事が出来たのは、ほんのその一瞬の間だった。剛志は俺の身体を引き倒して、その上に馬乗りになって、俺の顔面をしこたま殴りつけてきた。勿論黙って殴られる訳には行かず、俺は必死に拳をガードした。しかし、降り注ぐその拳の雨を完全に防ぎ切れる筈もなく、数発の後、俺のガードが開く。一瞬だけ俺の目に飛び込んできたのは、怒りに歪んだ剛志の顔と、憤怒を込めた固く握られた拳であった。
やばい、やられる……!
目を閉じて痛みに備えたその瞬間、ガラリ、と教室の扉が開く音が耳に届いた。
「なにやってんだ、おまえ達!」
ナヨナヨした声の様子から考えて、恐らくウチの担任だろう。後で聞いた事だが、クラスメイトの誰かが俺達の喧嘩を止める為に、本格的になる前に呼びに行っていたそうだ。
少なくともその声のお陰で、俺に襲いかかる筈だった鉄拳は寸での所で喰い止められた。俺は上に乗っかったままの剛志を押しのけて、机と椅子を立て直して黙って席に付いた。ガードしていた腕がビリビリと、まだ痺れている。この野郎、本気で殴りやがって。
剛志も同様に黙って立ち上がると、そのまま自分の席に付く。
未だ教室の入り口付近に突っ立っていた担任は、俺達に怪我がなかった為か、はたまた今現在冷戦状態に陥った為か、「喧嘩は止めろよ」とだけ言ってそのままHRを開始した。教師としてはどうかと思うが、俺としては面倒事をこれ以上引き起こすのも嫌だったので、助かったと言うのが正直な感想だ。
結局その後、俺達は一切口を聞かずに、そのまま昼休みを迎えた。
前回に引き続き、滅茶苦茶で無茶苦茶でハチャメチャが押し寄せる怒濤。
適当に書いた訳でもないのに、どうしてこうなったんだろう。言葉に出来ない。