0−2 『勝手に切るとは良い度胸だ、野田君。明日、折檻決定』
帰り道、ポケットに入れていた携帯電話が鳴った。風を切って気分よく鼻歌混じりに走行していた俺は足を止めて、ポケットを探る。
携帯電話のディスプレイには『桐生部長』と言う四文字がデカデカ表示されていた。
気になって連絡を入れてくるとは、心配性な人だ。報告はそのまま直接学校まで行くつもりだったが手間が省けたようで助かるのだが。
「もしもし」
『もしもーし。野田君、結果は?大丈夫だったよね?ね?大丈夫だよね?』
不安そうな女性の声が聞こえてきた。俺は溜め息を一つついて淡々と結果を述べる。
「どっちも優勝です。個人戦も、ね」
『そっか!まー当然の結果か。流石、私の見込んだ男だ、やってくれるって信じてたよ!』
突然安心し切った、自信に満ちあふれた声が聞こえてくる。信じてたんならわざわざ電話しなくても良さそうなもんだが。口に出して言うと反論が山のように返ってくるから言わないけど。
反論の変わりに質問が一つあった。テニス部部長も勿論だが、俺だって気になってはいたのだ。
「何で俺を個人戦にも出したんです?そっちの優勝まで部外者が持ってく必要ないでしょ」
『理由は二つ。我が部の実力を知らしめるため。んで、テニス部の面目を潰すため』
えらく冷静に言い切った電話の向こうからズズーッと茶でも啜る音が聞こえてきた。
一つ目はまぁいい。優雅なティータイム中らしい桐生部長の自己顕示欲が強いのは、わざわざ妙な部活を設立している時点で分かる事だ。だが、待て待て。二つ目は聞き捨てならないだろう。
面目を?潰す?何の為にそんな可哀想な目に遭わせる必要があるのだ。
しかも実行犯は俺だし。さっきも他校のテニス部員に呪殺される程睨まれたってのに。逆恨みされる身にもなれよ。
「……テニス部となんかあったんすか?」
『あの部長、嫌いなのよねー。いけ好かねー澄まし顔がムカついてムカついて。
野田君、覚えておくと良いぞ。この世にはイケメンが二種類いる』
「ムカつくイケメンと、ムカつかないイケメンですか」
『モテるイケメンとモテないイケメンよ。
モテる奴は自分の魅せ方を知ってる訳。
誘蛾灯みてーに女を振り向かせる空気ってかフェロモンってかを醸し出すのが得意な奴。
あの部長はそう言うタイプ。そうやって女を侍らす女の敵だ!
大体ああ言う奴はね……』
関係ない話が始まったので、電話を切って、ペダルに足をかけた。十秒と経たずに再び鳴り始める電話。
こうして向こう側の相手の心境が分かると、電話のベルまで怒気を含んでいるように聞こえるから不思議だ。俺は一瞬迷ってから、結局通話ボタンを押すことにした。どうせ怒られるんだし。
『勝手に切るとは良い度胸だ、野田君。明日、折檻決定』
案の定部長は腹を立てている様子だが俺としては非があるのはそちら側だと思うので、素知らぬ振りを突き通す。
「んで、まだ用事があるっつう事っすか、部長。そもそも、明日は日曜っすよ」
『あーん、流さないでよー。……さて、明日は日曜日だけど、昼から部室に集合してちょうだい』
「えぇ……俺、今日結構頑張ったんすよ?ゆっくり休ませて下さいよ。
慣れない動きしたから関節が痛くて痛くて」
『嘘つけ。そんなんでヘタる奴が初テニスで優勝出来る訳ねーだろー。
一年坊主がいっちょまえな口訊くな。これは先輩の、そして部長の命令だからな!』
音割れする程の大声をがなり立てて、桐生部長は電話を一方的に切る。俺のした事と大してかわらねぇじゃねぇか。あの人だって十分折檻を受ける立場にあろう。
……最も、抗議する気も起きなかったりする訳だが。
桐生部長は、もう高校生になって二年目に突入しているのに、落ち着きの無い人……要するにガキだ。俺が本気で嫌がれば嫌がる程、部長はムキになる。そして俺はムキになった部長の相手は御免被りたい。
全くもって嫌なスパイラルである。だが、それを回避するために俺が明日取る行動はただ一つ。
「早朝じゃなかっただけ、マシだとするか……」
話し込んでいたため日はもう暮れていて、街灯がそろそろ灯りはじめる。もう急いでもしかたあるまい。晩飯前に付くようにのんびり帰るか。背中のラケットバッグを担ぎ直し、今はただ、お袋の作る晩飯の事を考えるのみだった。
家に帰ってからお袋と二、三、会話を交わし、俺はひとっ風呂浴びて自室のベッドに寝転んだ。暫くボケーッと木造のツギハギ天井を眺めた後、俺は部屋を何となく見回した。この不気味な程恵まれた体力を武器に、小中学の頃も、稀に助っ人に呼ばれた事があった。しかし何かの一つのスポーツに真剣になって打ち込んだ事はない。その証拠に、部屋にはトロフィーや賞状なんて一枚も飾ってない。
正直に言ってしまえば、俺は別にスポーツが好きって事は無い。寧ろ嫌いだ。
確かに俺のアイデンティティはこの恵まれ過ぎて薄気味悪い身体能力に集約されている。
しかし、それとこれとは別の問題ではないか?
松岡修造はテニスが上手かったから四大大会に出場できたのか?
イチローは野球が上手かったから二千本安打を成し得たのか?
確かにそうだろう。スポーツは実力が物を言う世界だ。だが、もっと根本的な問題がある。彼らはテニスが好きだから、野球が好きだから、大好きだから快挙を成し遂げたのだ。実力を培う情熱、努力がなければ、生涯それで飯を食って行こうなんて思えない。思わないのだ。
俺にはそれが欠けている。俺にあるのは運動の才のみ。情熱なんてなかった。
勝った所で感動はない。俺にとってのスポーツは、単なる作業でしかない。少し本気を出してしまえば、もう誰も俺について来る事ができなかったから。
きっと負けた所で後悔することもないのだろう。俺には努力の跡が無い。努力の跡も情熱もないから、負けた所でどうでもいい、とすら思えてしまう。
俺はベッドの上に散らかっている数冊の雑誌の中から適当に一つ取り出してこれまた適当にページを開いた。
青黒く広がる宇宙に浮かぶ、幾つかの天体に注釈が振られている。一ページ開けば、ブラックホールに関する最新の研究結果が簡潔に纏められていた。無限に広がり続けると言う宇宙。そこは俺の知らない世界。知らなければ知ってみたいと思うのは、人間として、生物として当然の好奇心、知識欲である。
「……ふーん」
手にした科学雑誌に書かれている事が半分も分かっていないくせに、俺は誰にでも見せる訳でもないしたり顔で呻いた。俺は両親の付けた識の名に沿う、学者になりたかった。親の意志は関係なく、俺の意志の下で。
幼い頃テレビで面白そうな実験をするでんじろう先生を見て、感銘を受けた。
今現在、脳の話を楽しげにする、茂木健一郎に憧れている。
あんな風になりたいと思って、俺はこれまで頭が悪いなりに勉強はしてきたと思う。授業で居眠りした事はない。出された宿題も、自分で出来る所は人に頼らなかった。結果白紙で出した事も多かったけれど。それでも。それでも、俺の頭はそれらを吸収しようとはしない。
知識の雨は俺の砂漠の脳味噌に染み渡る事無く、そのまま大海へと流れ出てしまう。机の上に綺麗に並んでいる教科書、ノート、やりかけの宿題。宿題のプリントは、俺の名前と番号が書いてある以外は、未だに白紙であった。やらねば、と思ってシャーペンを手にして椅子に座るも、溜め息ばかりが漏れる。
「あーぁ、わっかんねぇや」
ノートにある手がかりをどう組み合わせればいいのやら。書いていた当時は理解出来ていたのだろう。メモ書きの様な注釈が書いてあるが、一日経った今となっては最早意味不明な文字の羅列である。
これが理解出来るならロゼッタストーンも余裕で解読できるな。とりあえず教科書を取り出すために鞄を拾おうと、立ち上がった時。
……ブー……ブー……
またしても携帯電話が鳴ったので、ひとまず携帯を鞄から取り出す。また部長かよ。……今度はメールであった。
『時間しっかり言ってなかった。正午丁度に集合して。
今後の活動方針を話し合う大事な会議だから絶対来るように。
まだ野田君が見た事無い部員もいるから、紹介してあげるわ。
もしこなかったら、今度はマジもんのお仕置きだから♪』
俺は意外に信用ないんだな。悲しいもんだ。部長のマジもんのお仕置きなんて、身の毛もよだってしまう。俺の頭はむしろ見た事無い部員の方を気にかけたようで、その一文だけが矢鱈とハッキリ眼に映る。
これは楽しみにしておくべきか?それとも不安に思っておくべきやら。
きっと俺や部長の様な変態的な特徴を有する謎めいた魔物なのだろう。
こういうのは不安に思えば思う程、ドつぼに嵌って行くもの。
しかし期待はずれなんて言葉もあるのだ。フラグなんて言葉もある。
ならば、ここは何も思わず無心になればいい。そうすればフラグなんて立たない訳だ。我ながらなかなかの事なかれ主義だと呆れつつ感心していると、母親から夕食の呼び出しがかかる。
俺は部長に『了解しました』とだけ書いた返信メールを送信すると、携帯電話をベッドに投げ出して宿題に後ろ髪を引かれながらリビングへ足を運ぶ事にした。
俺が所属しているのはテニス部ではないし、野球部でもバスケ部でも水泳部でもない。
ちょっと特殊と言うか、妙な部活である。他の高校には存在しないだろうし、存在して欲しくない。
いい加減に、何の部活かを話そう。
その名を『万能人材派遣部』と言う。
我が部の部長である桐生先輩はそう名付けた。
誰も正式名称を呼ばず、大体『万能部』とか『助っ人部』とか『派遣部』とか呼ばれるけれど。
活動内容はそのまんま。人材を送り込む部活である。それも、高校生とは思えない程の天才的専門家を。
部の規模は部長曰く小さいらしいが、部活の特性上部室には基本的に人が居ないので、俺も部員の数は分からない。
どんな分野にもそれにふさわしい助っ人を送り込むという触れ込みなのだから、それなりに沢山居そうだが。
そしてその部員達はどれもこれも(俺も含めて)何かしら天才的な特技を持っている。入部に審査まであるそうだ。部長が(無理矢理)連れてきた部員の場合は例に漏れるのだが。
こんな部活が果たして部活と呼べるのか、それは俺には断定出来ない。胡散臭く聞こえるだろう。俺だってそうだ。今でも胡散臭いと思う。しかしそれでも学校にはしっかり認知されているし、部室も中々上等な物を与えられているのだから困ったものである。
何故俺がこんな部活に所属しているかと言えば、理由は割と簡単なもので、単に部長に勧誘されたからだ。野球部の枠で入ったんなら野球部に入るのが当然。そして我が校は運動部の掛け持ちは基本的に不可能だ。ならば、どうして変態部の方に加入しているのか?答えは実に簡単で、桐生部長の勧誘が世間一般の勧誘とは訳が違うから、であった。
気がついたら俺は野球部に土下座していて、入部届けにわざわざ血判まで押して提出していた。そんな事になった理由は、桐生部長の領分の見せ所だったりする。
俺が運動を得意とするように、部長は部長で尋常ならざる得意分野をもっているのだ。それが何かは正直思い出したくないが今からそれを語っておこう。
あれはまだ桜の花びらが舞い散る頃の話。春は卯月、入学式の日の出来事であった。