3−3 「や、やっぱりいいです。じゃね」
前回の粗筋。
相川の愚痴に付き合っていた野田は、いい加減愚痴の五月蝿い相川と険悪になる中、誤って鞄の中身をぶちまけてしまい、その中にあった部員名簿の存在を相川に知られてしまったが、昼休み終了の鐘のお陰で追求は免れた。
四限は授業が早めに始まる体育。遅刻を免れる為に猛ダッシュで体育館に向かう相川と野田。
間に合うのでしょうか?いいえ、間に合いません。
結局授業には間に合う事は無く、俺と相川は揃いも揃って体育館の隅っこで腕立て伏せ百回の罰を下される羽目になった。最も百回なんて俺にとっては些細な回数でしかないが。二分で終わらせて授業と合流できた。今日はバスケットボールらしく、既に幾人かの生徒がパスやシュート練習を行なっている。
「よ、遅かったな」
誰か空いてる奴が居ないかと館内を見回していると、一人でドリブルに勤しんでいた剛志の声と共にボールが飛んできた。適当に受け取って言葉とともにボールを返す。
「相川に絡まれててな」
「ほほぅ、野田、お前モテるなぁ」
再びパスを回してくる剛志はニヤニヤしながらそう言った。恋慕の気持ちで言い寄って来るんなら大々々歓迎だが、俺に取っての、未だ腕立て伏せ三十回にも満たない彼女は相手にするのも面倒な単なる悪徳パパラッチに過ぎない。
本当のキャッチボールと会話のキャッチボールを平行しながら俺達は短い単語で会話する。
「羨ましいか?」
「全然だな」
「おぉ、言い切るねぇ。ではその心は?」
「真見は性格キツすぎ」
「おやおや、名前で呼び捨てとは随分親密なようですなぁ」
「ま、付き合ってたからな」
「……は?何だって?」
「付き合ってたからな」
バスケットボールを蹴って寄越す剛志。マナー違反過ぎるだろ。ボールかお前の脚が壊れるぞ?……さて、現実逃避はこれくらいにして、本題に入ろうか。
「付き合ってただとぉ!?」
「あんまり大声出すなよ。誰にも言ってねぇんだから」
「おま、付き合、え、マジ?」
「ついこの間別れたけどな」
少しだけ顔を俯けて、それでもアッサリと剛志はそう言った。今までそんな事お首にも出さなかったのに……って、そりゃ当然か。別にコイツが誰と付き合おうが、それを俺に言われてもどうしようもないし、俺に仮に彼女が出来てもコイツに進んで言う事はないだろう。
しかしこれだけは言える。……松井先輩、ドンマイ。
昔から確かに剛志はモテてはいたが、サッカー一筋のコイツには浮いた噂の一つも俺の耳にはとどかなかったのだ。精々俺と同レベルだと思っていたと言うのに。あっさり先を越されていたとは、全く気づかなかった。今の今まで単なるピンク脳味噌だと思っていた親友が、なんだか遠くに言ってしまった様な気がした。
……悲しくなんてない。最終的勝利にこそ意味があるのだ。俺はまだ高校一年生だ。二十歳にも満たない青二才じゃないか。まだまだ未来は明るいぞ、頑張れ俺。
「……いつ頃からだ?どっちから告った?ドコまでいった?」
「どうだっていいだろ、そんなの。別れたって言ったろ。
別れたばかりで傷心の俺にそう言う質問するのは野暮だって……よっと……思わんのかね、お前?」
俺から球を受け取った剛志は中々様になったフォームと踏み込みで、俺の背後頭上に設置されたゴールにボールを投げ込む。正面から投げれば跳ね返りで入ったかもな。だがボールは籠を通り過ぎて女子連中が練習している体育館後方へ転がって行く。
「ミスったか。野田、ボール取ってきて」
「自分で投げたくせに……」
愚痴りながらも身体が律儀にも勝手に動くのは、損なタチだと部長が言ってたなぁ。俺も損だとは思うけれど、やはり人間優しさを忘れちゃ駄目だよね。と、脳内で適当な言い訳をしつつボールの行方を追う。
女子は女子で固まって、男子と同様にパス練習を行なっているようだ。下に落ちているであろうボールを探すために視界を下げていると、上の方から声が聞こえた。
「これ、飛んで来たんですけど」
「お、すまんな」
そう言って俺にボールを差し出してくれたのは茶香子だった。長い髪を後ろに纏めてポニーテールにしている彼女は、普段おとなしめな雰囲気が息を潜めて僅かながらのアグレッシブさが加えられていて、これはこれで中々……。
茶香子が不思議そうに小首を傾げたのを見て、漸く自分が少し惚けていたのに気がつく。
「……どったの?」
「いや、なんでも。ありがとさん」
ここで『似合ってるぞ』とか言えたらカッコイイんだろうな、多分。わざわざ手渡しでボールを寄越す茶香子を見ていると、何だか相川とのやり取りで荒んだ心も癒される思いだ。何となくホッコリした気分だったが、浸り過ぎは良くないな。剛志も茶香子の相方も待っている。
名残惜しくも背を向けようとした矢先、何の願いが叶ったのか、茶香子の声が背中越しに聞こえた。
「ねぇ、識君」
「ん?」
「昼休みの事なんだけど……」
物理法則を無視した日本刀の件か。今思い出しても身の毛がよだって身体が勝手に土下座しそうだから、あまり思い出したくないんだけど。
「……あぁ、あれか。本当に誤解だからな?
俺はあんな風に言われる程スケベじゃないからな?」
「う、うん。それと、ごめんなさい、ちょっと抑えが利かなくなっちゃって」
「気にしてないって。
木下がセクハラとか女の敵とかに過敏なのは日曜日の件で知ってるし」
「あの、それと……真見ちゃんとは……」
「……相川?アイツがどうかしたか?」
「や、やっぱりいいです。じゃね」
何故か慌てて俺に背を向けて練習に戻る茶香子。俺としては何が『いいです』なのかよく分かんないな。茶香子が妙にモジモジするのは別に今に始まった事じゃないが、言われる側としては喉に小骨が引っかかった様な歯痒い感覚を味わう羽目になるから苦手だ。
一体相川がどうしたというんだろう。
「剛志、お前はどう思う?」
「どう思うってお前、それ本気で聞いてんのか?」
再びパス練習に戻った俺達は、会話とともにバスケットボールでパス回しを行なっていた。質問を質問で返した剛志は呆れ果てた様な溜め息を吐きながら額に皺を寄せる。
「お前、昨日の昼休み真見と話してたってな」
「ああ、取材だとよ」
「で、今朝、真見と同時に教室に入って来たんだってな」
「借金あったからな。それの返却。そこでもまた取材だった」
「体育の授業、遅れて来たよな?真見と二人して」
「取材の愚痴だったよ。一悶着あったけど。
そういやアイツは……まだ腕立てしてんのかよ、身体が弱ぇなぁ」
「さて、野田よ。想像してみろ。
お前は今教室に居るごく普通の、野田識ではない誰かだ」
「……日本語で話せ」
「客観的に自分を見ろって事だよ。
お前と真見は、ここ数日、急に学校で共に過ごす時間が増えた。違うか?」
「違わないな。いい加減取材取材と面倒くさいと思ってたんだよ」
「野田識はそう思っても、野田識ではない誰かはそう思うかな?」
「……どう思うんだ?」
「『なんか仲が良いな、コイツら』と思うね、俺だったら」
「確かに仲良くはなったな。今までは話もした事無かったし」
「そして木下さんは野田識ではない誰かの範疇に入る訳だ」
「……もっと単刀直入に、俺にも分かるように言ってくれよ」
「解れよ馬鹿、もどかしいな。
つまり木下さんは、お前と真見が仲良くしてるのが気になるんだよ。
木下さんはお前と真見が仲良くしているのを見てこう思う訳だ。
『識君と真見ちゃん、急に仲良くなったなぁ』
『真見ちゃんって識君の事好きなのかなぁ』
『識君は真見ちゃんの事どう思ってるんだろう』
『結局、識君は真見ちゃんとどう言う関係なんだろう。恋人なのかなぁ』
『このままじゃ識君が真見ちゃんに取られちゃうんじゃないかなぁ』
『気になるけど……怖くて聞けないよぅ……』
とまぁ、こんな具合だ」
「取りあえずその吐き気を催す程似ていない物真似もどきは止めろ。
そもそもお前の意見では、茶香……木下が」
「『茶香……木下』なんて人間はこのクラスに存在しねぇぜ」
「うるせぇ、ニヤニヤ笑ってんじゃねぇよ。
……お前の意見だと木下が俺の事好きなのが前提じゃないか」
「……え。違うと思うのか、お前」
「珍獣を見る様な目をこっちに向けるな。
第一俺、女の子にそんな風に思われた事が無いし」
「お前結構中学の頃人気あったぞ?あんだけスポーツ万能なんだから当然だな。
課外活動の類いに全く参加してなかったから解らないかもしれないけど」
剛志は昨日の夕食のメニューを答える様な、本当にどうでも良さそうな口調でそう言ったが、俺は手にしたバスケットボールを取りこぼしそうになった。そんな話は初耳であるし、それならそれで何でそれをもっと早く言ってくれなかったんだ。
人生のモテ期がもう過ぎているとなれば、人生に於ける希望って結構潰えると思うんだけど。そんな風に思う俺が欲に塗れているのだと看破されてしまえばそれまでだが。
「もっと自信を持てよ、野田。
木下さん、他に仲良くしてる男子もいないだろ?」
「……多分な」
「株と恋愛は売り抜ける時期が大切なんだぜ。
売る物が株券か自分の心か、の違いだけだ」
なんか上手く纏めた気になっているっぽい剛志は、そう言ってボールを籠に投げ入れた。
それを見計らったかの様なタイミングで先生の笛によって招集がかけられる。そろそろ練習終わり、クラス内での対抗試合の時間だ。誰とチームを組むかは完全に任意。出来るだけバスケ部の奴とかを組み込めば組み込む程有利になるので、各人すぐに団体を結成し始める。俺達も急いだ方がいいぞ。
「ま、上手くいったら教えてくれや。
中々お似合いだと思うぜ、お前ら二人は。
話し始めると長い所とか特に気が合いそうだ」
「そ、そうかなぁ?」
「うんうん。初々しい感じが実にいいね。遠目で見てる分には楽しめそうだ」
何となく馬鹿にされている様な気がしたが、俺は全く怒る気にはならなかった。
茶香子と恋人同士か……あまり想像した事は無かったが、人に言われると途端に現実味の有る妄想が頭に浮かんでくる。
二人でウィンドウショッピング、このバッグ可愛いなぁ、コッチの指輪も可愛いなぁ、君の方が可愛いよ、あははうふふ。水族館のイルカショーで水かけられちゃったね、あーあ服がビショビショだ、そして透ける茶香子の服、俺は何も見てないよ、今見たでしょエッチぃ、あははうふふ。遊園地でお化け屋敷、怖いけど入ってみようぜ、えぇーやだよ、ずっと手握っててやるから、それならいいよ、そして〆には観覧車に乗り向かい合い二人、そして最後には……あははうふふ。
ルートを問わず最終的にあははうふふに収束する俺の脳内デートプランに、野郎の声が水を差して俺を現実世界に返してくれた。
「おい、顔がにやけてんぞ」
鏡で見なくてもそれが自分で解るって、ある意味凄いと思わない?
初めての授業風景……のつもり。前回言ってた程シリアスじゃないでござるの巻。
体育館内の描写とか書いてないしね。でも要らなくね?とかも少し思ってしまう自分。
会話文が連続しまくってるのは一々パスの様子を書くのがめんどもとい、テンポが大事と思ったから。本当に。口に出して読んでみるとほら、テンポが……あんまり良くねぇや。
次回は授業の後半+放課後でのお話。
今度は本当に重いよ!めっちゃ重いよ!ロードロー(ry