3−1 「そんなの面白くないじゃん♪」
前回の粗筋。
松井は言った。才能の前には凡人の何年もの努力なんて何の意味もない、と。
野田はそれに上手く反論出来ぬまま松井と別れた。
部室に忘れた鞄を取りに戻った野田はそこにいた桐生に、才能とは、努力とは何かを問う。
そして桐生は言う。努力や才能なんてどうでもいい、大事なのは実力だけだ、と。
翌日火曜日。俺が登校して朝一に行なった事は相川への謝罪と弁明だった。
昨日セクハラをしたのは松井先輩だけで、俺は関与していないと言う事を述べる為に、俺は相川を呼び出した。クラスメイトの大勢居る前で話す内容ではないので、人通りの少ない、上階へ続く階段の踊り場までついてきてもらっている。相川は相当嫌がっていたが、俺の誠実な態度が功を奏したのか渋々同行してくれた。
身振り手振りのオーバーアクションを交えた説明のお陰で、何とか俺を信頼してくれたらしい。
「そこまで言うなら信じてあげても良いけど。
常連の松井先輩も、私の胸とか脚とかジロジロ見てる事あったし」
そりゃ飯よりお前目当てで店に通ってたんだから当然だよな。……これを言ったら相川はどんな反応を示すだろうか。言わないけど。女って自分の身体の何処が見られてるか分かるらしいから、俺も視線には気をつけないとな。
「あの先輩、いつもは優しくて明るいからいい人だと思ったんだけどなぁ……」
疑って悪かったね、シッキー。
ま、今にして思えばシッキーがあんな事言ったりしないか。
シッキーはサカちゃん一筋だしね」
……ちょっと待ってほしいんだけどお前なんて言った?
「え?違うの?あんだけ仲良いからてっきりそうだと」
「……まぁ、仲は良いけど別にそんなんじゃ……」
部長も言っていたけど、俺達そういう風に見られてるのか。まんざらじゃないってか正直万々歳だがそんな事恥ずかしくて言えない。強引に話題を変えるように、俺は手提げに隠していた大きなビニール袋を取り出した。
「それより、昨日の店のお代。
俺、金無いから松井先輩に請求してくれ。
んでこれは昨日借りた昼飯代。はい、これ」
「……はいって、これ何?」
「見て分かるだろ。プリンだよ、プリン。大体六百円分くらいある。
部室にメチャメチャいっぱい余ってるから、朝行って取ってきたんだ。
スプーンもつけといた。……こんな形になったのは申し訳ないと思う。
でも、利子がついてるし、これで勘弁してもらいたい」
「貸した金がプリンになって返ってくるなんて聞いた事無いわ!」
相川の怒りも無理はないな。俺も剛志に貸した金が使い古しのサッカーボールになって帰って来た時は腹を立てたもんだ。
でも仕方ないだろう、明日返せなんて言われて工面出来る程俺は裕福ではない。お袋も親父も財布の紐口が固く、毎月の小遣い以外は絶対に出さん、バイトしろバイト、と昨日叱られてしまった。ならばこうして余り物のプリンで借金を返すしかなかった俺の苦悩を、お前は理解してくれないのか相川。ちなみにパンを買った時に出たお釣りは普通に俺の財布の中に残っているが、これ、秘密ね。
「ぐぬぅ……ないもんは仕方ないわね。
プリンで我慢してあげてもいいわ」
「いやぁ、すまんすまん」
「ただし!利子はもっと誠意を持って別の形でつけてもらおっかなぁー」
口元の不敵な微笑みが俺の不安を煽る。相川の胸ポケットから取り出された手帳を見て、俺の懸念は確信へ変わった。
「利子ならついてるだろ。プリン一個分」
「それ、マジで言ってるの?」
「出来ればマジでそれを利子として考えてもらいたいって言う俺の願望」
「流れ星かランプの魔人ならそれでよかっただろうけど。
私はほら。人間だから」
プリンが無造作に突っ込まれたビニール袋はしっかり受け取りつつ取材モード突入。何も今ここでなくてもいいだろうに。
「さ、助っ人部の事で幾つか窺いたいのですが、よろしいですね?」
相川の言う利子とは、助っ人部の内情の情報の事であるらしい。昨日断固拒否したからな、新聞部としては逆に興味をそそるのだろう、きっと。だが、借金の利子のかたになる程俺の入部の経緯は安い話じゃないんだけど。
「俺は言いたい事は一つもありません」
「大丈夫!野田君の事に関して突っ込んで聞いたりしないからさ!
まず聞きたいんですが、部員は何人くらいいらっしゃるんですか?」
なるほど、部活そのものの概要くらいなら確かに部長も文句は言わないだろう。むしろ宣伝になるんだから、自己顕示欲が強い部長にとっては有り難い話。俺はパラパラ捲った部員名簿の内容を思い出しつつ、快く答える事にした。
「大体二十人くらいかな?」
「あれ?意外と少ないですね……そんで、例えばどんな助っ人がいるんですか?」
「残念だけど、よく分からないな」
「分からないって?」
「まだ部員全員と顔合わせた訳じゃないんだ。
つーか知ってるのは部長と木下と学先輩くらい」
後、たまに部長の口から出てくる実さん、って人も部員だろう、多分。ちゃんと部員名簿読んどけば良かったかな。覚えてたらその辺の事聞いてみようかな。
「ほぅ、それはまたどうして?部室に集まったりはしないんですか?」
「何処かに助っ人に行く部活だから、校内で活動してる人も少ないんだよ」
部活の特性上、部活とは困っている人の下へ推参してそれを手助けする活動の事を意味する。そして皆得意な分野が違うのだから活動場所も各々別の場所になる訳だ。基本的に単独で派遣されるので、必然的に部員同士が顔を合わす機会は限られてくる。茶香子はクラスメイトだし、部長は大体いつも部室に居るから例外だけど。
「なるほど……言われてみれば確かに」
「俺みたいに学内で活動する奴の方が少ないと思うぞ。
木下だって基本は外注だ。企業にアドバイスしたり、要望に沿うように物品を加工したり」
「おぉ、サカちゃんそんな事してんだ……。
さて次……桐生部長の事訊いてもいいかい?」
「いいけど、殆ど答えられないと思うぜ」
「え?なんで?」
「俺も部長の事なんて全然知らねぇからな」
俺が入学時から見た部長の姿の八割は、部室で寝っ転がって煎餅齧ったりビール飲んだりするという完全に中年のオジサンオバサンそのものであった。
そしてPCで俺の読めない、英語ですら無い言語のサイトを閲覧したり、俺には理解出来ない専門用語がてんこ盛りの本を読んだり、入れ墨頬傷スキンヘッドな見るからに正道ではない人々と酒を飲みながら部室で会合している姿が二割。
……思い出してみると、部長の恐るべき本性は結構な比率で垣間見てるんだな、俺。まさか今の俺の回想をそのままベラベラ喋る訳には、きっと行かないだろう。
「俺からは何処まで話していいのか分かんないから、自分で直接訊きに行ってくれ」
「う〜ん、それはちょっときついかな。
……シッキーの手前こんな事言いたくないけどさ。
あの人、結構ヤバいらしいよ」
「ヤバいって?」
「黒い噂って言うのかな……。
ヤクザと話してるのを見たとか、エッチな店とかパチンコ屋に出入りしてたとか……。
ウチの店に顔を出した事もあったんだけど、その時も黒服の外国人何人かと聞いた事ない言葉で話をしてたし」
噂、か。きっとそれは噂ではなくて事実だろうな。
俺が話せそうな、部長の特徴と言えば……。
この高校の二年生である。セーフ。
身体は小ちゃいのに酒も煙草もやる。アウト……だと思ったけどセーフだな。先生にもバレてるし。
人の弱みを握って、それを私利私欲のために利用する悪鬼羅刹外道である。アウト。
何故か部室に住んでいる。……アウトかも。
甘いものが好き。セーフ。
学先輩には手懐けられている。セーフ。
……お、丁度いい人が居たじゃないか。
「部長の事知りたいなら、いい人が居るぞ」
「へ?」
「二年の根本学って先輩だ。部長とかなり仲が良い」
部長を手玉に取っていた、あのデカブツ眼鏡の男なら、彼女については相当詳しいだろう。人付き合いも良さそうで温厚な人だし、取材を断る事もあるまい。相川はその存在を知らなかったようで暫くキョトンとしていた。
「……ふむ。二年生にそんな人が居たとは」
「滅茶苦茶デカいからすぐ分かる筈だ。二メートル超えてるぜアレ」
「分かりました。じゃ、早速……」
キーンコーンカーンコーン……
ここでチャイムが鳴った。朝のHRの開始時刻である。
「と、言いたい所だけど、無理ね。うぅん、昼まで先延ばしか」
「はは、随分仕事熱心……いや、部活熱心だね、相川さん」
「まーね。私個人としても気になるし。新聞部の部活って楽しいよ?
取材で色んな人と会って色んな話聞けるし、先輩達もみんないい人だしね。
自分の書いた記事が皆に見られるのって、緊張でドキドキするけど、書いた記事が褒められるとすっごく嬉しいんだよ?」
「へぇ……」
瞳を棲んだ夜空の星みたいにキラキラ輝かせながら、相川は無邪気に声を弾ませた。なるほど、よっぽど楽しいんだろうな、その新聞部ってのは。ウチの部活の平常営業時なんて、部長のねぐらで漫画読むだけだし、羨ましいね、全く。
「それに……隠された内部事情を暴く!とか、疑惑の真相は如何に!とか、そう言う言葉って好奇心をくすぐると思わない?
私、そうゴシップとかって、結構好きなのよね」
先程まで嬉々として新聞の素晴らしさを語っていた相川の目が、急に怪しい光を孕む。よくも俺の羨望を台無しにしてくれたな。
「その疑惑の部活に所属してる俺に向かって言うには少し失礼だろ、その物言い」
「いや、でも事実でしょ」
「………………うん。反論できん」
「この手で誰も知らぬ真実を解き明かすって、すんごく格好良くない?
サスペンスでも新聞記者ってのは探偵役だったりするし、私、結構はまり役だと思うんだけど」
記者はサスペンスの被害者役の印象が強いけどな、俺は。前見たのは、決定的な証拠写真を偶然撮影してしまったが為に、証拠隠滅の為に犯人に殺されるって役だった。そんときの探偵役は確か、葬儀屋だか検死官だか家政婦だか……家政婦は違うか?
「お、シッキー結構サスペンス見るタイプ?」
「いや、お袋が好きなだけで、そんときゃたまたま付き合って見ただけだよ」
「そっかぁ……残念、仲間が増えると思ったのに」
「相川さんサスペンス好きなの……?」
「うん!私結構犯人当てるの上手いんだよ?
テレビ欄に乗ってるキャストで大体の目星がつくね!」
どうやらこの新聞部員、パパラッチって言うよりは名探偵気質みたいだな。その推理力の程はよく知らないけど。その基準は現実ではまるで当てにならん。言いがかりで犯人見定めんな。
「確かに探偵が謎を解き明かしていくのは格好良い。それは認めよう。
でも猫は好奇心に殺されるって聞くぞ。
俺は知らないでいる方が幸せな事もある、と思うけどな」
自他ともに事なかれ主義を貫く姿勢としては100点満点の答えを、教室に向かうべく階段を先に駆け下りていく相川の背に提示してやった。
そして相川は後ろをチラリと見上げて、クスリと笑ってこちらにウィンクのサービスまでして。
「そんなの面白くないじゃん♪」
清々しいまで全否定をくれたのだった。
まだ相川のターン。次回も相川のターン。その次は違うけど。