2−3 「やぁ、野田君。約束を果たしにきたよ」
前回の粗筋。
プリンの買い過ぎで貧乏になった野田識。昼食について悩んでいると、同級生にして新聞部員の相川真見がテニス大会に関する取材を申し込んできた。取材の相手をしていると、どうも相川は助っ人部の内情について興味があるようだが、野田ははぐらかし、ついでに金まで借りてしまった。
昼飯は売店で不人気NO.1のブドウパンとNO.2のチョコチップパンで済ませた。みんな敬遠してるけど、これは中々どうして、美味しいじゃないか。可哀想なパン達だ。焼きそばパンとかカレーパンとかそう言う濃い味のパンばっかり人気で、パン本来の味わいを残したシンプルな品の需要が少ないのは高校売店の宿命なんでしょうかね。
「……それ、ひょっとして私に聞いてる?」
「部長以外に誰がいるんすか」
今はもう放課後であり、俺は特別用事もないが部室に居た。ちなみに茶香子は結局完遂出来なかった車の修理をしに帰宅している。……親父さん、出勤出来たかなぁ?
部室棟の各部室は大体十畳程の広さを持っていて、石畳の床に棚とロッカーが備え付けで置いてあるだけだ。しかし我が部室は、と言えば。
足元の石床は畳敷きになっている。目先にはちゃぶ台が鎮座している。一体どうやって引いてきたのか、ガス水道施設完備の流し台とコンロまで設置済み。コンセントには、本来部室棟には存在しない筈のエアコン、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、ちゃぶ台上のPCに繋がっている。窓の外にエアコンのファンやテレビのアンテナがあるため、ただでさえ室内は薄暗いのに更にそこにレースカーテンがかかっている中を、そこだけは備え付けの蛍光灯が必死こいて照らしている。備え付けの棚とロッカーには漫画やファッション雑誌、参考書や辞典や医学書や経済学書の他、見た事すらない様な字で書かれた分厚いハードカバーの本等が無秩序に突っ込まれている。
その中から続き物の漫画を数冊取り出して俺はそれらを読んでいたところであった。
部室の最奥で長座布団に寝っ転がる部長は、読みかけの漫画を置いて明かりを点ける俺を眩しそうな目で見た。
「……眠いから消しといてよー」
「もう日も落ちてきましたからね。俺は眠くないですし」
「嘘でしょ?寝る時間あったの?昨日は徹夜でしょ?」
「部長のせいで、ですけどね。
幸い午後の授業で一つ自習の時間があったんで、その時間のお陰で大分楽になりました」
「あれ?授業中に寝た事無いのが自慢だって言ってなかった?不敗伝説終了?」
「自習は自主学習なんで。何にも授かりませんから授業じゃないんです」
「馬鹿のくせに屁理屈は上手いなー、野田君……」
気のせいか、部長の嫌みがいつもよりストレートだ。眠いから不機嫌なんだと思いたいが、訊いてしまった。
「部長、昨日勝手に帰った事、まだ怒ってます?」
「いや。もう怒ってないよ。
たださー……自分がなんか嫌になっちゃってさー」
「熱でもあるんすか?
傲慢不遜傲岸無礼天上天下唯我独尊の部長がそんな事言うなんて」
「よくそんなに舌回るね……。
だってさー、まさかあんなに部員が来ないなんて……。
私人徳無いのかな?」
人徳無いかな、だと?無いに決まってんだろ。今の時代恐怖政治で支持率が得られるとでも思ってるのかよ。強過ぎる圧迫は軋轢、反発を生むだけであると過去の暴君達が証明してくれているじゃないか。
「君らだけじゃなくて来なかった連中全員ルーマニアに送ってやろうとしたんだけど」
「そりゃまた随分と派手な事を」
続きを待っていると、部長は突然顔を真っ赤に染めた後、ちゃぶ台にガンガンと頭を叩き付けはじめた。
「ちょ、なにやってんすか!?」
「私の馬鹿!学の馬鹿!実さん空気読め!」
そういや昨日の電話を聞く限り、中々恥ずかしい目にあってたらしいしな。先生には随分挑発的だったくせに、中身は結構初心らしい。
……俺、上から目線で言える立場じゃないんだけどね。
「学が今回は皆にはお咎めなしにしろって言うから……。
確かに前日にいきなり招集かけたりした、私にも落ち度があったけどさ」
「え?お、俺達は警察に追いかけ回されたんすけど……」
「君らは出席してたのに途中で帰ったから例外。学もそれには同意してた。
ま、プリン買い込んで泣きながら駆け込んできたのは傑作だったからそれで勘弁したげる」
「理不尽すぎません!?」
こっちを指差してケラケラ思い出し笑いをする部長は、俺の怒号なぞどこ吹く風。畜生、昨日は茶香子の危なっかしい運転に付き合って、何度死んだと思ったか。警察に連絡したらこの人逮捕できないかな。……あ、無理だった。
「ま、いいじゃない。
理由や経緯はともあれ茶香子ちゃんとイチャイチャ出来たんでしょ?
ほら、ダットンとアロンの実験によるところの感情の誤認識ってやつ。
恐怖によるドキドキを、恋愛によるそれと勘違いするんだってさ。
中々特大の恐怖をお見舞いしてあげたから茶香子ちゃんも野田君の事好きになってるかもよ?」
「聞いた事ありますね、確か……吊り橋効果とか言ったっけ。
でも、あれで結ばれた男女は長続きしないって聞いたんすけど?」
「あー、そうだっけ?ま、それはそれで諦めて頂戴よ」
「なんでそれで諦めなきゃいけないんですか」
「ん?その言い方まさか……野田君やっぱ茶香子ちゃん好きなの?」
「………………ぶ、部長こそ!結局学先輩とはどうなんすか?
まんざらじゃなさそうだったけど」
二人、沈黙。遠くで野球部の気合いの入った掛け声が聞こえる。窓の外で鴉の鳴く侘しい声がした。
暫くした後、部長は立ち上がって冷蔵庫を開け、中に積み上げられたプリンの山から胸に抱えるように一抱え取り出した。
「野田君、食べる?」
「あ、頂きます」
完全に今の会話なかった事になったな。俺だって別に上級生二人の恋愛模様が気になったから訊いた訳では無い。むしろ割とどうでもいい。昨日の様子を見る限り、部長と学先輩はもう半ばくっついてるようなもんだろ。でも初心な部長には、俺への質問をはぐらかすには丁度良い牽制になった。
と、俺は何を必死に解説しているんだろうね。
ゴチャッとちゃぶ台に無造作に転がったプリンの山を見て、俺は溜め息を吐いた。
「……やっぱ買い過ぎたな、プリン」
「三個もありゃ許してやろうと思ったけどね。
一体どれだけコンビニ廻ればこんなに買えるのよ。
私の胃袋は人より小さいんだから」
学先輩、流石ですね。部長ご所望の品の丁度いい量を見極めるとは。見習おうとはこれっぽっちも思わないけど。
「あ、そうそう。野田君、松井が呼んでたよ」
「松井?……どなた?」
「テニス部の部長。ホント物覚え悪いねー」
苦虫を噛み潰して無理矢理笑ってるみたいな固く、それでいて爽やかな笑顔が脳裏をよぎる。そう言えばそんな名前だったっけ。昼間の相川さんの雑談っぽいインタビューの中にもちょこっと名前が出た気もするし。
「本当はあんな奴に野田君貸して上げたくないんだけどね。
どうしても助っ人のお礼がしたいんだってさ」
「大会の後、そんな事言ってましたっけね」
でもあの人、部長に関わるのは面倒とか言ってなかったか?それでもわざわざ部長を通してまで俺に声をかけてくれるとは、なんとも義理堅い人だ。あの時から思っていたけど、部長が言う程ムカつく感じはしなかったなぁ。
「部活終わったらここに顔出すって言ってたからそのまんま待ってな。
ついでにプリン片すの手伝ってね。朝からプリン漬けでもうお腹いっぱい」
「じゃ、別に無理に食わんでも」
「うーん、でも美味しいんだもん。
今は学もいねーから食い放題だしさー♪」
生クリームの乗っかった、他より三十円程高いプリンをぱくつきつつ、どこに持っていたのか発泡酒をグイッと飲む部長は幸せそうに頬を緩めた。その組み合わせ絶対合わねぇ。ビールなんて飲んだ事無いけど確信を持って言える。俺はその取り合わせを見ないようにしつつ、コンビニで付けてもらった大量のビニールスプーンを取り出して、ちゃぶ台に積まれたプリンの山から適当に一つ抜き出した。
お、焼きプリンじゃん。これ好きなんだよな。
「そういや学先輩と会ったの、俺、昨日が初めてなんすけど。
あの人普段部室には来てないんですか?」
「アイツは結構部室にいるよ。大体昼休みだけどね。
今日プリンの山押し付けたら珍しく辛そうな顔してたっけな。
いっつもお菓子持ち歩いてる癖に甘いもの苦手らしい」
「へぇ……」
そのお菓子はアンタを釣る為のものだからな。
……そうだ、学先輩はどんな技能があってこの部活に所属してるんだろう。自己紹介の時には教えてくれなかったな。あれだけデカい図体してるんだから、俺のように身体を動かす系統だろうか。大工仕事専門とか、中々似合いそうだな。少なくとも茶香子よりは。
鞄の中に入れっぱなしだった筈の部員名簿を取り出そうとした丁度その時、部室のドアが開いた。
「やぁ、野田君。約束を果たしにきたよ」
爽やかな笑顔を振りまく、テニス部部長の松井先輩がドアの外に立っていた。備え付けられた時計は六時を回っているが、部活終了時刻にはまだ早くないか?
「今日はミーティングだけして終了さ。
三年が引退して、新体制も色々ごたごたしてたんでね。
お陰で明日からは練習漬けになれそうだ」
「おいおい、松井よー。私にゃ挨拶無し?」
そう言って松井先輩にプリンを一つ投げつける部長。顔面狙って真っ直ぐ飛んでいったそれを、松井先輩は何でもない様に受け止めた。流石にテニス部部長ともなれば動体視力も良い。
「危ないじゃないか、桐生。何だこれ……ミルクプリン?」
「そ、プリン。茶は出ねーからそれが代わり」
部長は背を向けて寝転がり不貞寝を始めた。
客が来たってのに随分不遜な態度だな。何がそんなに気に食わないんだよ。こんなにいい人そうなのに。
「ちょっと部長。そんな言い方は」
「あ、いいよいいよ。僕は気にしないからさ。
じゃ桐生、野田君借りていくぞ」
「明日には返してね。テニス部に勧誘しようったってそうはいかないからな」
部長の切れ長の瞳から覗く敵意剥き出しの視線に、松井先輩は渇いた笑い声を上げる。どうやら俺がテニス部に勧誘されると思っているらしい。
なるほどな。子供っぽい部長の考えそうな事だ。
「分かってるよ。そんなつもりも無い。
お前の所から部員を引き抜けるなんて思ってないしな。
僕の話し相手として、ちょいと派遣してもらうだけさ」
面倒な台詞回しで、目に垂れ掛かった前髪を掻き上げた。うん、今のキザったらしい仕草には俺もちょっとムカついたかも。
……ちなみにここで一つ設定説明的な部活概要。基本的にこの部活の助っ人先とやり取りするのは部長一人である。依頼された側にどんな助っ人を送り込むか、そもそも送り込まないかの決定権は部長にしかない。
俺が行きたい所には行けず、部長が送りたい先にしか俺の活躍の場はない訳だ。
理不尽だよね。そしてここで今のキザが字面に現れた様なセリフを鵜呑みにすると、俺は行けなくなるかもしれないんだがそこん所気にしてる重箱の隅を突つくような人間はこの場に俺しかいないので黙っている事にしよう。
「近所の中華料理屋に『興龍』ってのがあるんだ。
部員からの評判はいまいちだけど、僕は割と気に入っててね。
そこで何でも奢ってあげるよ」
皆様、覚えているだろうか。中華料理屋『興龍』とは、やる気が無くて不味さに定評がある料理店と紹介した事を。俺も一回だけ行ったが、麻婆豆腐の甘ったるさに辟易して以来、路地に逃げ込ませてもらったきり、足を運んでいない。一応言っておくが甘かったのは杏仁豆腐ではない。表記ミスではない事をここに示しておこう。
さてはこの人、馬鹿舌だろ。疑う余地はない。
……しかし好意で誘ってくれているし、タダ飯が食えるのならばこの際文句は言うまい。
「ありがとうございます、松井先輩。じゃ、部長。さよなら」
「はいよー、くれぐれも転部すんなよー」
最後の最後まで疑うなぁ、この人も。結局背を向けたままの部長に、俺も松井先輩は呆れたように溜め息をついた。
そろそろ書き溜めがなくなってきたんで、投稿ペース落ちると思います。
ちなみにこのお話はまだ半分にも至っていなかったり。