2−2 「新聞部、だったっけ?相川さん」
前回までの粗筋。
月曜の朝を徹夜で迎えた野田識は、教室で小学校時代からの親友である二宮剛志に叩き起こされる。二宮は助っ人部に入った野田に呆れつつも、宿題を見せてくれる優しい奴だった。
いくら眠くても授業の進みが遅くなるなんて事は勿論無い。俺は首の据わらない赤ん坊のように首をこっくりこっくり揺すりながら眠気に耐えて授業を受けていた。
ちなみに教室の対角に居る茶香子は顔を伏したまま、呼吸に合わせて身体を上下させている。どう見ても寝てる。少しは憚れよ。案の定茶香子は何度も授業中先生に叩き起こされ、その度にクラスメイトの失笑を買っていた。
そんなこんなで何とか午前中の授業も終了した昼休みの最中。にわかに騒がしくなり始めた教室内で、俺は一人で頭を抱えてうんうんと唸りを上げていた。
「昼飯どうすっかな……」
いつもはお袋から渡される弁当を食む毎日なのだが、今朝の状況から皆様お判りの通り、弁当なんて持ってきていない。
財布の中身を机の上にひっくり返す。札、無し。小銭、十円が五枚、五円が一枚、一円が二枚。しめて五十七円でございます。脳内レジスターが虚しく告げた。
金欠の原因も昨夜の状況のせいだ。俺は茶香子と共に複数のコンビニを廻って俺の金で買えるだけのプリンを買い尽くして部長に届けたのだ。少なくとも夏目先生が五名以上は鎮座していた筈の我が懐は、大災厄の末に氷河期に陥っていた。一足先に2012年はここに訪れたってか。
でも仕方なかったんだ。学先輩はプリン三個で良いって言ったけど、俺は万全を喫したんだ。だから後悔していないかと言えば、勿論それは嘘なんだけど。茶香子にも少し払わせるべきだったか。
さて、机の上に並ぶ八枚の生存者を眺めていても彼らは増殖しないし、俺の空腹が満たされもしない。一先ず今日今この瞬間の飢えを凌ぐ為に、誰かに少し恵んでもらう必要がありそうだ。
教室に視線を走らせる。残っている生徒であまり仲の良い奴はいない。
茶香子は既に女子数名とランチタイムを繰り広げている。金を借りにあの輪に突入する勇気は俺には無い。つーかアイツは弁当あんのか。優しい親御さんだな。
前の席に居た剛志は昼休みに突入するや否や教室を走って出ていった。昼練らしい。いくらなんでも熱心過ぎるだろ。
……金を借りられる奴は居なそうだ。さてどうするか、と思い悩む俺に天啓が訪れる。
部室に行ってみよう。
昨日買い込んだ山の様なプリンは、部長が纏めて部室に保管しているはずだ。
あれだけ大量のプリン、身体のちっこい部長が食い切れる筈が無い。まだかなり余っているだろう。部長はケチだが、事情を話せば分けてくれるくらいの度量はある……筈だ。自信はないけど。いや待て。第一、俺の金で買ったプリンなのだから俺が食って何の罰があろうか。よし。昼飯がプリンなのは少し……いや、結構嫌だが、この際我慢しよう。
そう思って席を立とうと財布に小銭を戻していた時だった。
「シッキー、ちょっといいかな?」
前の席に横掛けで女生徒が座っていた。
茶髪のボブカット、勝ち気な煌めきを宿す瞳、不敵に歪む口元。
そのニヤニヤ笑いの口から発せられた単語に、俺は一瞬動きを止めた。
「……シッキー?」
「うん。野田君のあだ名。識だからシッキーでなんでしょ?」
「俺、そんなあだ名で呼ばれた事ないんだけど」
「またまたぁ、調べは付いてんのよ♪二組の井上君、同じ中学でしょ?
一年の頃からちょいちょいそういう風に呼ばれてたって彼、言ってたよ」
胸ポケットから手の平サイズの手帳を取り出してページを捲りつつ彼女は言った。
そこまで調べられているとは不覚をとった。実際その通りである。恥ずかしいから隠していたいんだけど。手の指の隙間から見える限り、タイトルは『1−5 新聞用 No,1』である。
なるほど、彼女は確か。
「新聞部、だったっけ?相川さん」
「そっ♪杵高新聞部所属、一年五組の相川 真見と申します。
って、知ってるだろうけどね。一応取材前の自己紹介は礼儀だから」
確かに知っている。
彼女、相川真見はこの一年五組のクラスメイトだ。新聞部の部員である事以外は、俺はよく知らない。なんせ口をきいた記憶がない。きっと一度も会話を交わしてはいまい。だのに俺の中学時代の自分的にはちょっと恥ずかしいあだ名で呼ぶとは少し馴れ馴れしくはなかろうか。
しかし文句を言おうと口を開く前に、彼女は顔に営業スマイルを貼付けて自己紹介した後、矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「今お時間大丈夫ですか?」
「え、あ、ま、まぁ大丈夫っちゃ大丈夫だけど」
「それは良かった。学校新聞の取材をさせてもらっても構いません?」
「え?お、俺を?」
「うん。丁度いいネタになるもん。構わないでしょ?
さて、早速ですが一昨日のクリスタルファントムジェネレーションズ杯の結果についてですけど……」
「……え?クリス……なに?」
「クリスタルファントムジェネレーションズ杯。参加してたでしょ、テニスの大会?」
「あぁ、あれ……」
そんな中二病臭い名前だったのか、あの大会。
俺は何も述べていない、取材許可すらしていない筈なのに相川は手帳にボールペンを走らせていた。『予想以上に馬鹿』とか書かれていないか少し不安だ。
「優勝したそうですね。まずはおめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
「個人戦に団体戦にと、八面六臂の大活躍だったそうですね」
「まぁ、どっちも出ましたね。テニス部の人の手助けになれたようで良かったです」
「う〜ん……固いなぁ」
相川は眉間に指を当てて目を瞑ってそう言う。某黒服の刑事みたいだな。そのまま額を指でグリグリ押しつぶす相川は反対の手で俺を指差した。人を指差すな、失礼だって教わらなかったのかよ。
「固いよシッキー。もっと自然体で質問に答えてくれる?
私が敬語なのは取材中だから。シッキーはそれに付き合わなくていいよ」
「わ、わかりま……わかった」
何か妙な自分ルールを持っているようだな。ここは素直に従う事にする。相川は先程の営業スマイルに戻って、手帳に何かを書き込む。うぅん、何を書かれているのか気になるな畜生。
「さてと……優勝したそうですけど、その時の心境は?」
「心境かぁ……。まぁ、取りあえず安心した」
「安心?」
「助っ人として呼ばれたのに一回戦敗退って訳にはいかないから」
「そっか!シッキー助っ人部だったもんね!」
相川はわざとらしい程にオーバーリアクションを取る。知ってるくせに何を言ってんだか。俺は何も言わずに次の質問を待った。そろそろマジで腹減ってきたなぁ。朝飯も時間ギリギリだったからしっかり食えなかったし、正直今、結構辛いんだよ。
相川は少し顔を脇に背けて、呟くようにボソボソと喋り出した。
「あー、じゃテニス部を押しのけて優勝しちゃったんだぁ……」
「う、まぁそうなるな」
「部長の松井先輩結構落ち込んでたんだよなぁ……頑張っただろうに報われないなんて……」
「……………………」
「……………………」
「……あ、あの」
「さて、次の質問です」
やりづれぇ空気出すなよ!ケロッとこちらに向き直った相川に言ってやりたかったが、またも彼女の早口に潰される。
「規模は小さかったですが優勝って事はかなりの腕ですよね。
テニスはいつ頃から始めたんでしょうか?」
「……一昨日」
「うん?」
「テニスのルール知ったのが大会前日。
ラケット握って球打ったのは当日が初めて」
「……い、いや。中学校の頃から色々助っ人には出てたんでしょ?
って事は色んなスポーツの練習を幼い頃からやってたとか、そういうのじゃ」
「ない」
「う、嘘は良くないですねぇ!」
「ごめん……マジなんだけど」
「う……まぁ、そこまで言うならこの場は信じておきましょう」
今度のオーバーリアクションは恐らく素で出たものだろう。裏返った相川の声を聞けばそれくらいは解る。声に気づいたクラスの奴らも不審な顔でこちらを見ているし。
「……失礼しました。
気を取り直して、別の質問をします」
「まだやるのかよ……」
「だってまだ二つしか訊いてないじゃん。
えっと……野田君が戦った対戦相手はどうでしたか?
今年はウチの地区も中々の強豪揃いと言う情報が入っていますが」
「え?そうなの?いや、テニスやったの初めてだから、強さも何もよく分かんないんだよね」
「さりげない自慢、ありがとうございます。
さて、ここからは野田君の人となりについて少し質問させて下さい」
「OK。でも俺、別に自慢してな」
「中学時代から色んな部活に引っ張りだこだったそうですが?」
ガン無視かい。イラッと来たが、ここは大人の対応をして、早々に終わらせる事だけを考えよう。
「……割と声がかかる事はあったな」
「あれ?そう言えばシッキー、テニス初めてって言ったけど、中学校にテニス部無かったの?」
「あったよ、一応。だけど助っ人に行くのはあんまり気が進まなかったんだ。
中学の頃は野球とサッカーとバスケくらいにしか参加してねぇ」
「それはまた、どうして?」
「……スポーツは好きじゃなくて」
「へぇ……あれだけ実力があるのに?」
ジト目でこちらを見つめる相川に俺は何を言えば良いんだろうか。こっちは丁寧に真実を話しているつもりなんだけど。
「その割には助っ人部なんて、あらゆるスポーツに顔を出す羽目になる部活に所属してますが」
「まぁ、色々事情があってな」
「事情……ねぇ」
手帳にペンを走らせながら妙な流し目を送る相川。俺は記帳が終わるまでの間、黙ってそのペン先を見ていた。……流石にペンの動きから書いている字は読めないか。
「うーん……その辺の事情を詳しく聞きたい所ですが……」
「言いたくねぇな」
「……ですよねぇ」
はぁ、と溜め息をついて手帳を閉じた相川は手を挙げて大きく伸びをした。
「ですよねってどう言う意味だ?」
「助っ人部の皆さんはその凄まじい技術のために、やたらと取材対象になる事が多いですからね。
私も中学の頃から噂はかねがね訊いていたんですが、ここまでとはね。
入部してからかれこれ三人くらいに入部の経緯を聞いてるんですけど、皆さんはぐらかすんですよね。
内部事情を特集したいって言っても、誰も口を割りませんし」
多分俺と同じ様な状況の部員だろう。部長に脅されて入った、なんて言ったら部長はバッシングされるだろうか。きっとされる。そして部長はそのバッシングを全て押しのけて再び元のポジションに戻ってくる。そして口を割った俺が辺境の国に放り出されるのは火を見るより明らか。笑顔で俺に逮捕状を突きつける部長が瞼に浮かぶ程だぜ。
沈黙は金。なるほど、真理だ。昔の人は頭良かったんだな。
「教えてくれない?」
「言いたくない」
「そこを何とかさぁ」
「木下にでも聞いてみてくれよ」
「サカちゃんは素直に話してくれたよ?
昔から部長さんと親しいから、その繋がりで入ったって」
サカちゃんとは茶香子のあだ名の事だろう。誰もそう呼んでんの聞いた事ないけど。くれぐれもチャカちゃんなんて良い間違えないように気をつけて欲しいもんだ。
「そうか、そう言ってたな……実は俺も昔から桐生部長とは仲良しで」
「そんな見え見えの嘘に引っかかる人居ると思ってる?」
「……思いません、ごめんなさい」
素直に頭を下げると、頭上の辺りから椅子を引く音が聞こえた。漸く終わりか、少しひやっとしたけど何も問題はなかったな。新聞のインタビューなんて初めてでやたらと緊張したぜ。何喋ったかちょっと覚えてない部分もあるのが少し不安だ。変な事言ってないよな、俺。
立ち上がって背中を向ける相川に、俺は慌てて声をかけた。折角こうして接点が出来たんだ。お近づきのシルシと言う奴も必要だよな、と俺は自分に言い訳をした。
「ま、いいわ。取材はこんなもんでおしまいかな。
本日は貴重な時間をありがとうございました」
「どういたしまして。……あ、あのさ、相川さん」
「ん?」
「……ごめん、少しお金貸してくれないかな?
昼飯も、それを買う金も持ってきてないんだ」
相川は手を合わせて頼み込む俺を哀れむ様な目でこちらを見下ろしていたが、やがて唐草模様のがま口と言う女子高生らしからぬ財布から五百円玉を取り出し、俺の目の前に置いた。
「これでいい?」
「すまんな。明日か明後日か……そのうち返すわ」
「明日!必ず返してね。私も今月はギリギリなんだから」
絶対俺の方がギリギリだ。今の全財産じゃガムも買えねぇ。明日に返すのはきっと無理だ。代わりにプリン五個渡すか。現状を鑑みるにそれで無理にでも満足してもらうしかない。
時計を見ると昼休みはあと二十分。学食に行く暇は無し。売店でパンが残っている事を期待して、俺は席を立って教室を後にした。
テキストに纏めていた分が半端だったので、少し早めの更新。
で、また新キャラ。新聞部の平部員、相川真見。
この人はかなり出番ありそうです。しかも会話が多くて行数の圧迫が凄まじいことに。




