鉄漠電池
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶつぶはさ、よその星へ行ってみたいとか考えない?
――よその国に行くのさえひと苦労なんだし、もっと未来の世界で考えるべきだろ、それ?
チッチッチ、甘々ねえつぶつぶは。
今今と、今という間に今ぞなく、今という間に今ぞ過ぎ行く。
私たちは四六時中、今じゃなくて未来に生きている命なわけよ。そして未来にはあらゆる可能性が待っているの。
未来未来などと悠長に構えていたら、それがいきなり今になって、過去になる。
夢のようなことだって、明日にも……いや、すぐにでも成り立つときが来ているかもしれないのよ。
――あ、またかわいそうな人を見るような目をして。
じゃあさ、私が以前に「よそ」へ行ってしまったときのこと、話しましょうか?
もし、つぶつぶもいまだ遠くの話だと本気で思っているなら、ちょっと気を付けた方がいいかもね。
その日、私はおうちの人に買い物を頼まれて、近所をかけずりまわっていたわ。
ボタン電池、だったわね。電子機器によく使われるヤツ。
あれ、型がいろいろあるのを、つぶつぶも知っているでしょ? 乾電池みたいに単一、単二、くらいでシンプルに並んでいるといいんだけど、4ケタ以上の数字て頭が痛くなってくるのよねえ、わたし。
メモ帳に控えて、お店の中をのぞいていくのだけど、電池売り場にはお目当てのブツの姿は見当たらない。
こういう探し物で、自分の目や判断をいまひとつ信用しきれない私は、店員さんに尋ねて在庫なども確かめてみるけれど、なしのつぶて。
それが何軒も続いて、私は悲しむより先に怒りが来たわ。
自分がこんなにも頑張っているのに、報いてくれないなんて、神様も仏様もあったものじゃない、とね。
ま、一過性ないら立ちよね。自分じゃない何かのせいにしないと、ついプッツンして、何をしでかすか、自分で分からないもの。
そうしてめぐりにめぐった、県道沿いの一角。そこは普段のわたしなら、そうそう足を運ばない、はずれの場所。
そこに立つ電気屋さんの文字を、私は目に留める。
建物そのものは、あまり大きくない。二階建てで、交番によく似た作りだったけれど、一階の入り口には形さまざまの蛍光灯が販売されているのが分かる。
はじめてのお店だったけど、もう時間も時間で、背に腹は代えられない。
静かに開いた自動ドアから中に入る。
反復横跳びしたなら、すぐに品物の棚へぶつかってしまいそうな狭い空間。目の前のレジカウンターにも、手を伸ばしたら指先が届いてしまうくらいだったわ。
その限られた棚の上に、ところ狭しと商品が置かれている。大型の電器屋さんほどしっかりした区切りがあるわけじゃないけれど、手書きでしっかりと商品の名前や型を書いたプレートが立っていたわ。
4桁数字は覚えられない。私がそそくさとメモを出しかけたところで、「いらっしゃい」と声をかけられたの。
カウンターの下から、ぬっと顔を出したのは50代前後くらいのおばさん。
当時、クラスではそこそこ背が高かった私より、ちょっぴり低いくらい。マリオネットラインの浮かんだ口元を見るに、お母さんよりお年を召されているかな、とも思ったわ。
「なにかお探し?」との声かけに、私はメモをおばさん向けにしてカウンターへ置く。
すっと出てきた、異様に長くてケミカルな色をしたネイルの手のひらに、ちょっとびっくりしちゃったけど、おばさんはメモに書かれた型をしげしげと眺めに入る。
「――こりゃあ、ちょっと珍しい型だねえ。店の奥へいかないとなさそうだ。一緒に探してくれるかい?」
思えば、変な申し出よね。
店内に詳しいだろう店員さんが、なんでわざわざド素人なお客である、私の手を借りたいと思うのかしら?
けれど、急いでいる私は、それで早く済むならと二つ返事で応じてしまう。
レジカウンター奥。白一色の壁に取り付けられたドアの中へ、店員さんに導かれるまま、入っていったの。
先にも話したけど、見た目にも狭そうな家だった。せいぜい物置が奥にあるくらいかな……と勝手な想像してたわ。
けれども、おばさんに手を引かれてドア奥へ入った私は、「外へ落ちた」。
すでに陽も暮れかけているのに、体感で数メートル落ちたそこは、一見して炎天下の砂漠かと思ったわ。
でも足をつけて、これが砂じゃなくて金属の粒。いわば「鉄漠」とでも表現すればいいかもしれない、微細なものの集まりであることが分かったの。
ちゃりちゃりと足元で鳴る金属音。そして見渡す限りの鉄漠に理解が追い付かず、目をぱちくりするばかりの私に対し、「どこにあったかねえ」と中腰になりながら、粒をあさるおばさん。
手を引っ張り続けてくれていたことに、感謝するわ。
ここの一歩一歩、私の膝あたりまでがずっぽり埋まってしまうほど深い。もしおばさんの引っ張りがなければ、この鉄の砂漠の中へ沈んでいたかもしれなかったから。
その明るい陽射し、ぬるい空気の中、おばさんはその手に鉄粒を拾い上げていく。
不思議なもので、おばさんが手にすくうと、鉄粒は磁石でもついているかのように、彼女の手のひら真ん中へ集まっていき、形を成すの。
私の求めるボタン電池の形にね。それが作られるたび、私にこれでいいかどうか尋ねてきたわ。
お目当てのものは、表面に型番が浮かんでいる。私が確かめ、首を振り、またおばさんが拾う……それを5回くらい繰り返したかしら。
目的の型番が見つかって、私がうなずくと、おばさんは手をつかんだまま大きくジャンプ。私も一緒に飛び上がってしまうほどの勢いだったわ。
次の瞬間には、もう日差しもぬくもりも、鉄の砂漠もない。
あの狭い店内のカウンター裏に私たちは戻ってきていたの。
狐につままれた感覚の私に、おばさんは慣れた手つきで電池を小さいケースに入れると、ビニール袋付きで渡してくれたわ。
久しぶりのお客だからサービスしてくれるとおばさんは話してくれたけど、以前にレシートをもらわずにお目玉を喰らった私は、きっちりお金を払わせてもらったわ。
ただ、そのレシートの印字もお母さんに見せてから、ほどなくして薄れて、見えなくなってしまったの。
そのときの電池は、これまでのものとは比べ物にならないほど長持ちしたわ。
それからもあのお店へ行ってみようと何度か思ったんだけど、そのたびシャッターが閉まっていて、じきに取り壊されてしまったわ。
でも、あの鉄漠はいまも私の心にある。
あれは少なくとも、ここではない「よそ」だったのだと、私は思っているわ。