遺書 ~作者としてお礼を~
名前が出てきます。いずれも本名です。
冒頭削除
それもそのはず
2025年3月16日母が自殺した
追い込んだのは自分
楽観的な性格で、いつも明るい人だった。
儂が働けなくなりいつ死んでも良いように体力を落とし病院に通うことを辞めた。
残念な兄のところで、軟禁生活をして体が弱くなっていく母が可哀想で。
だからもう二度とケンカせずに大事に最後まで看取らなくてはと思っていた。
だけど、ケンカして追い出して自殺。
父は儂と一緒で臆病だから自殺が出来ない性格。
死にきれないことばかり。
母は違い、楽観的な性格ではあるが思いの外実行力のある人だった。
母が死んで自分でも驚くほど気分が晴れやか。
演技をするのがつかれててね。警察の前では演技をしたけど、儂を逮捕しないのが悪い。
お陰で風呂に入りゲームをして録画していたF1を見て感想を呟いたり。それはそれは楽しい時間。
いつもどおりの生活が楽しくて。
そうそう。遺書ね。
削除方法は以前から考えてある。
なるべく他人に迷惑をかけない方法。
これは、ブログなどで何度も何度も書いてきた。
比較的健康なうちに考えておくことが重要だと。
電車や高速道路に飛び込むのは、多くの人を巻き込む。それは避けたい。
やってたら嘲笑してほしい。やりやがったと。
第一候補は、削除。
母と同じ。
あの体勢での削除は苦しかっただろうな。
母は背が低いから出来るのは我慢だったのかも知れない。
可哀想なことをした。
第二は削除?
なんというのだろうか。包丁を胸に刺すイメージ。
削除てないから削除じゃないか。わからんから警察の方で美味いこと考えてくれ。
第三は、車で削除
なにかで見たのが、ロープを首と固定物に括り、運転して首の骨を折る。
これだと、誰かに被害を及ぼしかねないから避けたいところ。
ただ、車も削除し悪くないかもとは思うが。
場所はどうするかだ。
自殺した母を削除たのは儂だから逮捕してくれと頼んだ
小太りの本官さんは、事情を説明すると「ダメだよ~こんな天気の日に」となんかよくわからないことを話す。風が強く雨が降っている日に薄着で高齢者を外に出したら。という意味なのだろうが、このフレーズがずーっと頭に残ってて。だから何だwと言いたくなる。そんなこと言ったら怒るかもしれないからだまっておいたけどw
母がね。先に削除でくれたのは本当にありがたい。
儂が先に削除だら移動手段のない母がひとり家に取り残される。せめて、バスの停留所が歩いて5分以内の距離なら良いのだが。家を建てた時はまだ30代の若い夫婦。しかも、都会の大阪から来たのだ。細かく言えば兵庫ね。
自転車があれば。原付きに乗れば。なんて考えて50年後のことなんか考えてもなかったのだろう。
母とはよく死生観について話てた。
儂が先に死んだら棺には、弟のリラックマとコリラックマたちを入れないでほしいと。大好きなあの子達まで連れてはいけないからと。削除。
母はよく先に死ぬ順番なんだからと言ってくれてたが、その言葉がまた辛くて。
母が先だといろいろな手続があってそれを儂が出来るわけがないと。
それに儂はなるべく早く死にたい。だから、母が死んだら後を追うことは確定していた。
儂が死んだら
まぁいいや。知らん。
死んだ金で残念な兄は一時の豪遊をするのだろう。あいつこそさっさと死んでくれたら良いのにね。
親戚に伝えようかと思った。
やめた
理由は
残念な兄とつながっているからだ。
絶対にあいつらは伝える。残念な兄と知らずに。
伝えてないから知らないのは当然。
儂と同じで外面は良い。
常識のある人に見えるから。
前後するけど
母が残念な兄の家から引取り、みるみるうちに健康な体になっていった。
これが怖かったのだ。儂と一緒に住み続ければ母は事故死以外では死にそうになかったから。
徐々に減る残高。なんとか出費を抑えたいがどうにもならず。
保険解約を1つしている。
まだいくらかあるから数年はなんとかなるとしても母の健康はうなぎのぼり。
儂は日に日に弱っているのが実感できる。
儂のほうが先になりそう。それは避けたい。残された母のことを思うと。可哀想で。
今さっき起きた時には37度の熱。微熱だろうが、低体温の儂には辛い。
それでも書いておかないと。
今の気持ちを残しておかないと。
自殺したいが確実に削除る方法というのではないのが辛い。
母は無事削除た。儂は臆病だから確実に削除るか。無理だな。
思いは強くても臆病だから。成功者にはなれない。
若い本官さんに、薄着で寒いでしょう。ご苦労さまですと伝えると。
「お父さんこそ半袖短パンで大丈夫ですか?」
お父さんか。まぁ50前だからお父さんかもしれんな。
未婚でも世間からはお父さんなんだよ。
今でも思う。母が首を削除たのを見て、嘘だろ?
そういうポーズでしょ?と思ったのは数秒。すぐに警察ではなく消防に電話。
我ながらテキパキとしてた。冷静だ。シミュレーションは完璧だ。
消防が来るまでの間に、家庭菜園用の農薬があったのに後で気づく。コレ飲んでおけばよかったな。
だけど、半端になるのは必須。だから、半端になるならやめといて良かった。これもまた冷静である。
頭痛い。
寒い。
外は晴れてあたたかそう。
逮捕してくれてたらとは思うけど、逮捕されても結局削除ないし。
ちょっと見えなくなっただけで大騒ぎするからなぁ。
嫌なんだよね。
つくづく思う。先に削除でくれてありがとう。
それと同時に、母を大事にしてくれた人たちに申し訳なく思っている。
伊藤さん。商売だからと言うけれど、それ以上に大事にしてくれてたなと思うと。申し訳ない気持ちでいっぱい。
商売人の鑑ですよ。本当に立派。
エホバの証人でも前日まで花を届けてくれた四郎丸さん。
五郎丸じゃないよ。
母は喜んでたよ。いつもありがとうって。
関さん。
出かけることもままならない足になられて。それでも、母とコンタクト取ろうとし続けてくれた。
なにか思うことがあったかも知れないけれど。息子として嬉しい。
四郎丸さんも関さんもありがとう。あなた方だけでした。エホバの証人を辞めると言ってからそれまで無駄に電話や訪問をしてた連中がパタリと来なくなり避けるようになったのに、お二方だけは。感謝してます。
エホバの証人に助けを求めるショートメッセージを送ったのに無視をしたのはあなたですよ。長老。
今集会中だから邪魔しないでと返信した、辰野和彦。
儂がドラマチックに「たすけ」だけ送信して出かけたらあなたは邪魔すんなババアと言わんばかりの返答。あれ、母が送信してあの答えが返ってきたらどう思います?不審に思わなかったのでしょうか?集会が終わってからでも家に訪ねたましたか?インターホンが鳴らないからわかるでしょ。なにかあったのかなと。心配にならないのですか?警察に連絡しないのですか?車庫に車がないのだから儂は居ないのだとわかるだろう?ってことは、家には訪ねていないってことになるな。
エホバの証人は、一度辞めた人には近寄らないという鉄則がある。
なんとも冷たいではないか。
辰野和彦もまた人殺しの仲間入りですね。
母が、エホバの証人を辞めたのも儂のせいでもある。
できれば続けて欲しいと思うところもあった。なぜなら、あの嘘くさい笑顔の裏の顔を持っていても人助けをすれば徳を積む事ができると信じてる連中。キリスト教なので、徳を積むという表現はしないが、見ていたらわかる。やたらと手助けを申し出てくる。断っても断ってもてだすけをしたがる。
それでもあの宗教にいれば、生活に困ることはないだろうと思っていたからだ。
辞めさせたのは、儂が幼い頃からエホバの証人に苦しめられ続け、母からの虐待とエホバの証人からのセクハラとパワハラ。それは、小説の方にも書いたからそちらを見てくれればわかる。
誰も助けてはくれない。学校に行けばエホバの証人ネタでイジメられる。家に帰れば母に薄着靴なし靴下なしで玄関に放り出される。集会に行けばセクハラとパワハラとモラハラもあったな。
集会から帰れば長男大輔に殴られる。儂の気が休まる日は無かった。自分の部屋が貰えたのも小学4年生ころ。それまで、自分がこもれる逃げる場所がなかった。
イジメられる側にも問題があるは実体験より。
だから、次男俊輔にも性的虐待を受けていた。幼くして処女を失った。笑えるなw
興味本位だったのだろうが、あれは儂の性格を大きく捻じ曲げた。
儂は、エホバの証人として行動をしていた時期がある。その大半の理由が、母を喜ばせたかった。
母と一緒に伝道をして学校からそのまま駆けつけたりもした。それを見たヨイショすることで徳を積めると思ってる下女どもが「ゆうちゃんえらいわー」と2オクターブ上のよそ行きの声で褒め称える。それを見た母が喜ぶのが当時の儂にとってのヨイショだった。
それを未だに良い思い出として持ち続けていた。最近になって「あれはおかんを喜ばせるためだけだから」と本音で伝えた。思いを打ち砕いてやって儂はスッキリしたが。
しかし、幾度となく聞かされていた「神エホバは、いつでもどこに隠れていてもあなたを見つける」と脅された言葉が今もまだ心の奥にある。
俊輔に処女喪失した時もそう。神様が見ている。イケナイコトをしてる。怖い。
初めてオナニーを覚えた時も神様に見られている。ごめんなさい。
初めての異性とのSEXも初めての大人になってからの同性とのSEXも。どれも見られているのだと。
怖かった。今でも怖い。恐ろしい。
わかってる。見られていても辞めてるんだから。
別に、楽園に行きたいわけじゃない。
だけど、神を今も恐れているって、意外とキリシタンではないですか?
生前母にこの話をかいつまんで話したら「そんなこと思ってたの?わたしは別なんとも思ってなかったよ」
子供の頃に植え付けられた恐怖は、50前のおじさんになっても持ち続けるものなのですね。
これもまたパワハラですね。
死んだ母が、枕元に立ってくれませんでした。父と伊藤さんの旦那さんはよく立つのに。
母に苦しかっただろうとかよくがんばったね。と言いたいのだが。
そうだ。死ぬ前に父の墓前に行っておこう。報告だ。
エホバの証人の教えでは、自殺したら楽園に行けないんだって。あと、葬儀も出来ないとか。
まぁ望んじゃいないけどさ。あの胡散臭い声で慰めの言葉を吐かれたら暴れちゃいそう。
警察は、残念な兄にも連絡するんだと。困った。金の無心がまた始まる。お前の金じゃないからよこせと。
儂が死んでから金を奪えばいいさ。なんの役にも立たない無能な兄。犯罪者兄弟でも今でも賭博場で働くのだ。身内とは思いたくもない。何回破産すれば気が済むんだ。何度人の金を返さずに行きていくつもりだ。
エホバの証人で良いこともあった。
「人は死ねば塵と化す。声は聞こえず、人の前に出てくることもない」
みたいなことを。
あれは良い言葉で好きです。
ふと思いついた。やってたら「やりおったwww」と笑ってやってください。
★コメリあたりで農薬液を服毒して苦しみながら小説の続きを書きながら死にたい。
ああなんて、ドラマチック!!
いい死に様になりそう。苦しみ悶えるんだろ。PCの前でぐったり。なんていくわけねえしwwww
少年ツネタロウ結末まで書きたかったな。
少年ツネタロウは実在する人で。
自殺した母の父。儂から見て母方の祖父。
あくまでも母の話しを元に書いてますが
祖父は、呉服屋の丁稚に入り晩年まで服関連の仕事をしていた。
母は、社長令嬢だったのです。一応ね。
中小企業ではあったものの発明品は今もまだ残る。
開襟シャツ・道行コート・レインコート・スクール水着(女性用)
開襟シャツは、大阪の大学の教授が考案したと書いてあるが、それ以前に発明してます。たぶん、真似たか同時期だったからじゃないですかね。
道行コートと書いて、みちゆきこーとと読む。着物の上にかぶるタイプ。呉服屋丁稚の頃に考案したとか。
レインコートをゴム製にしたのも。
スクール水着は、少し前まで使用されていたタイプの初期仕様。
母が小学生の頃プールで着用するのに水着があったらと話したところ、バレエの衣装からヒントを得て作ったものが最初。それを見た同級生や教師たちが自分たちにもと言い仕事になった。商品化はその頃。昭和22年~25年頃だと。
ではなぜ、歴史に名が残らないのか。
特許を取らなかったから。
なぜ取らなかったのか。
みんなが自分で作れるのが一番だから。
祖父は、型紙を売って商売にしていた。
そういうヒット商品もあって、大阪市内の百貨店に卸していた。
それらからにっくき伊藤忠商事と喧嘩別れしてそこのボンボンをぶん殴ったとか。
どの時の人でしょうか。
一時、そのボンボンが祖父の工房で勤めていたそうで。出向なのかな。
下居日本布帛の頃なのか
日本パンツの頃なのか。
母の自慢に、スクール水着着用に女優さんが着用してくれたと喜んでいた。
岸恵子・星由里子という当時から有名女優が着用していたとか。
腰のヒラヒラは、まさにバレエのヒラヒラ。あれを付けることで可愛らしくなるとして付けたそうです。
祖父の名前は、下居常太郎。しもいつねたろう。明治28年頃記録を何処かに置いたままで。昭和55年くらいに亡くなる。
日本に数軒しかない名字なので。親戚くらいしか存在してないと思う。
アイディアが豊富な祖父で、功績がいくつもあるのに名が残らなかったことを悔やみ小説にした。
元々、誉田という名持ちの武家だったと口伝で伝わる。
本多正純の家臣だったと。
宇都宮釣天井事件は口伝の中でも小声で話すレベル。
後の調べで、そんなもん無かったんだよ。空想じゃね?というのを知らずにいたそうで。
おそらく、本多正純から名を戴いたのだと思う。経緯は不明だが、小説の中では本多正純が生まれた土地と同じようなところだとした。遠い親戚だとかもその辺の事情。カタカナで名前を表記しているため、ホンダマサズミとホンダツネタロウではややこしくなるとして、ホマレダ姓にしてます。
丁稚生活の中で、山を買うシーンがあるが、実際に山の価値を独自の計算法で導き出し買いかどうかを教えていたそう。なので、材木商で丁稚としたほうが早いかなと思い。
ツネタロウに時折出てくる大きな男。イメージは、無職転生のあれ。
実の父鶴松が旅先で死に、母子で残され継父が大きな男だったという。
ツネタロウがその継父を追い出し数日で離婚。
少しだけ夢の中で母が出てくるが、母の名はイワ。
拝み屋をしていた。憑き物を取るのに、針をよく熱したのを冷ましてから体の皮膚を弾き血を出す。
瀉血と似てますが、刺絡というのと同じ効果があります。悪い血を出してスッキリ。
イワさんが何歳まで生きたかわかりませんが、母の話だと終戦後までは生きていたように思います。
イワさんは、息子ツネタロウの長男義輝のちの湧治と同時に次女の雅江のちの久美を生む。二人以上を同時に生むのを当時はだいぶ薄れてきてとしても畜生腹と呼び、動物みたいだとイワれるのを防ぐため、長男が先に生まれたことにし、次女は1年後に生まれたこととして記録した。
その時の乳母がイワさん。久美を育てたのはイワさんでした。
義輝から湧治に名が変わる頃には、鳥取に疎開。鳥取の現在福部町に疎開し、琴浦の海に飲み込まれて亡くなります。待望の長男で嬉しかったのか、幼い頃に軍服を作り着せてます。写真を見るとまだ赤ちゃんじゃないかと。作れちゃうのでたくさん★がありました。
イワさんが育てた久美さんは24年夏に亡くなっています。長生きしてくれました。そして、儂にたくさんのツネタロウさんの話を聞かせていただきました。久美さんのおかげで小説を書くことが出来ました。
ツネタロウさんは、30歳まで独身です。小説とは違いました。
30歳の時に、薬屋の娘のキヌと結ばれます。小説のキヌは架空ですが、最初の妻の名は後に知ります。
体が弱く娘を生んでしばらくして亡くなります。たまたま名前が被っただけなんですほんと。
その娘は、英子から一枝になります。この方は儂はほとんどお会いしたことがありませんが、亡くなる数ヶ月前に兄大輔の代理でお会いしました。大輔はその時にはガンで死んでます。ざまぁ。一枝さんは儂のことをずっと大輔さん大輔さんと呼ばれ否定するのは説明を聞くのが酷だろうと。手を取りさすって「お久しぶりです。大輔です」と言って別れます。ツネタロウさんの後妻に、福江さんと結ばれます。
選んだ理由は、丈夫そう。
顔や性格ではなく、丈夫そうだからという理由です。
最初のキヌさんが虚弱体質だったから次こそは長生きしてくれる丈夫な女性を選んだそうで。
福江さんから長男と次男・次女~四女まで生みます。えらいですね。本当に丈夫ですね。
晩年、80を過ぎ認知症が進みます。家では大喧嘩ばかりだったと。
久美さんが主に見ていたと聞きます。
儂が家出をして大阪まで車で行った時認知症の福江おばあちゃんから正論で叱られます。
あの時その場に居た人が、認知症になる前の福江さんだと目を疑います。
良い家系に儂は生まれているのです。今思い出してもあの日の福江おばあちゃんが鮮明に思い出されます。ありがとう。
現在、次男だけが存命のようです。
とうとう、下居常太郎の血筋は、次男とそのふたりの娘、長女の娘家族、末の娘の家系だけになりそうです。うちはまもなく滅亡します。
末の娘の血筋は、息子の子に男がいるので、名字はどうにか残りそうです。数少ない下居の血が残してほしいなとあまり会わない茨城のおじさんは思ってますよ。
儂の父方は、名字だけは名家なのですが、名字持ちで武士から農民になった家系だと思われます。
儂の本名は、小笠原。
日本各地に存在する小笠原ですが、当家は、石見小笠原の流れだと思われます。分家の分家の分家の分家がいくつもあるのでわかりませんが、婿養子をとって名を残してます。
どの小笠原かわかりませんが、石見小笠原は戦国時代に猛将と呼ばれた毛利元春を2・3回追い返しています。現在の川本町の温湯城で。それだけです。以上。
なので、関取の若元春をやっつけてくれる関取には感謝してますよ。
ツネタロウさんも小笠原の名字も全部人から聞いただけの証拠のない話。
ツネタロウさんは他にも電気の補修工事くらいならできました。結構な何でも屋だったそうです。
話としては断然こちらが面白いので、アイディアをじゃんじゃん打ち出していくストーリーに力を入れすぎた結果!話がなかなか進まないということになりました。
最後まで書きたかった。
モーニングあんことして、活動して楽しかった。
母にも見てもらって、楽しんでくれていた。何度も繰り返し読んでくれた。
いつもPCでカチャカチャ音を立てていたら気になったようで。
母がいたから書けたのです。
母は、結婚初夜が生々しく描かれてると思ったのか手前までしか読みませんでした。当時、全年齢版でBL処女作を書いたこともありそれも見てたかもしれません。
一般的には、家族のことを書いても人気が出ないとありますが、人気より下居常太郎さんの功績を知ってほしくて書き始めた少年ツネタロウ。
残り50年の命でたくさんの子どもを生んだ。昔の人ってすごいですね。
儂の性癖がこうじゃなかったら。
儂は子どもが好きで、子どもが欲しかった。
だから、バスの仕事である程度まとまった金を手にできたこともあり、婚活しようかと思ったこともしばしば。できれば、子どものいる女性と。儂からは無理だから人の子を育てたい。
儂の性癖というか性別は、その他であり詳細はパンセクシャル。
バイではなくパンです。
最近は、男性の方に傾いてた。上野のゲイバーは心の拠り所。
楽しかった。男同士で飲むほうが楽しい。女がいると疲れる。
それは、昔から変わらず。
そういう店にもよく行った。
女性のいる店は、疲れるので無理。
何を書きたいのか。わからん。
無事削除たら良いな。
臆病だから。何度も失敗の歴史がある。
胃洗浄は何度か。
カッティングも快感なだけ。
母が居ないのはどこか寂しい。
依存してるなと思ってたんだ。
食事をするのも一緒。寝るのも心配だからという理由で襖挟んだ隣の部屋。
2階から下の部屋で寝るようになる。
めんどくさいから外食にしようと出かける時も一緒。
もともとは、少しでも健康にしたくて1日1000歩を目標に歩いたのが始まり。
最近は、鍼治療のおかげで、1日2000歩も可能に。
一日一日を喜び「よく歩いたね。偉い」と言って励ましてたつもりです。
早く削除たい。
だけど、警察から連絡がまたあとで来るという。
自殺したいのは確実なんだけどね。
そう
先日の沖縄料理店での沖縄の歌唱LIVE。楽しかった。
行く数日前から楽しみで、母は口ずさむくらい。
楽しかったLIVEの帰りも次の日もその次の日も。
一昨日の朝まで、撮影した歌を聞き直すくらい喜んでくれた。
儂が誘い。母の金ではあるが一緒に見て笑い楽しかった。
もうさ。楽しかった思い出がたくさんあって。
親孝行は出来なかったけれど、楽しい日々でした。
なぜ、わたしは削除しまったのか。
なぜ、削除ほどのことでもないことで削除しまったのか。
なるべく早くそちらへ行きます。
まとまらない長文をありがとうございました。
思いの丈を少しでも書きたくて。
わたしの投稿ネームは、モーニングあんこ。
女性だと思われてますが、2つの性別では男。
数年前からセクシャルがなにかわからなくなり、ゲイではないしバイというほどヤリまくってるわけじゃないしヤル行為がそもそもそれほど好きじゃない。
本文にもありますが、名字は小笠原です。
茨城に住んでると元アントラーズの選手と同じ苗字で覚えてもらうことが多かった。
あの方は、秋田ですが、当家は石見小笠原の血筋。傍流だそうですが。
死んだ後に出るものですから好きに書けますね。
本文にもあるように、下居常太郎が先祖に戻ったらどうなるのか。というのをなろう系の本店で書こうと思った次第。その頃はまだ、小説家になろうは知っていても角川書店系列のカクヨムを知らず。当然、アルファポリスも存じ上げておらず。
実在した人物がどう立ち回るのかを想像してるだけで楽しく。
侍大将になるなんて思いも寄りませんでした。藩のNo.3や将軍と謁見なんてどれも架空でファンタジーだから出来ること。
それから、ここに書いてよいかわかりませんが、取材協力させていただいた本多正純さんの子孫のキムラ様には感謝しております。メールで十数回質問し持論を展開させたことにひとつひとつ答えていただきました。黒幕説を書けなかったのは残念ですが、キムラ様からは時代劇でよく名前の上がるあの関西の男が黒幕ではないかと聞いています。新選組にもそんな苗字の人がいたな。
女性じゃなくてすみません。
女性になりたかったわけではありませんし、男に生まれて楽に生活できてよかったとさえ思います。
ですが、女性の立場になって考えてしまい具合を悪くすることはよくあります。エンパスらしいので。
生前よく訴えていたのは、女性用トイレの個室をもっと増やそう。男は少なくてもなんとかなる。
男3:7女
これくらいが理想。なぜ平等にするのか。
というのをずっと訴えて生きてきました。
心は女性の見た目男性の方の女性用更衣室を使用などが話題になりがちですが、これについては以前より
更衣室が個室じゃないのはなぜ。
更衣室が個室なら覗かれないでしょ。
完全個室にすればよいのでは?
公衆浴場でも同じ。少年ツネタロウでも描いていますが、明治の頃まで男女混浴が当たり前で、わいせつ行為が目立つから江戸幕府は何度か男女で分けるようにしてますが、何度も繰り返したということは混浴でも経営ができたという現れです。時の将軍によって変わるみたいですね。
男女を分けたのは、キリスト教文化が明治時代に入ったためだと聞いてます。日曜休みもキリスト教文化ですね。安息日というのをファンタジーなどで見聞きしたことがあるかも知れませんが、安息日を7日に1日設けた。休むことも必要だよね。7日に1日は教会に行こうね。という意味でしょう。
あとがきを書いているのは、26年1月末。総選挙が始まってます。
それを踏まえて、移民問題をことさら大騒ぎしている参政党と日本保守党がありますが、外国人を排除しようとしています。外国人が増えた。増えても良いことはない。とか言いますが、日本の歴史を遡ってみて下さい。日本の歴史は、外国人が移り住むことで発展したんです。
修学旅行の定番の奈良や京都が発展したのは、外国人の移住です。歴史的建造物のほとんどが大陸から来た中国や朝鮮半島の人達によって建設されています。木造建築でなぜ未だに現存しているのか。空襲が無かったからという意味ではなく、地震にも耐え1000年以上残っている。
建築技法が日本にもたらされた。これが大きいですね。
戦国時代に本格的に防衛で活躍する石垣も同じ。こちら、よく京都?の穴太衆が話題にされてますが、あの元になる人たちは大陸から来た外国人です。これまでと同様に、大陸の建築技能が日本に入っています。これにより熊本城が完全に陥落されることなく地震にも耐えれた。というのがあります。
日本人が作ったとよく言いますが、技法を大陸に盗みに行くのではなく渡来した外国人に教わり習得したものです。また、九州地方の炭鉱が世界遺産ですが、そちらで働いていたのは外国人たちです。彼らが命懸けで日本の経済を支えてくれてました。炭鉱技術が日本人だけでというのは無理がありますよね。恐らく、石炭を早くから利用していた大陸から教わったのだとさえ思えます。たまたま拾った石が燃えた。というのは後付な気がします。
外国人によって日本は大陸並みの経済発展が出来ました。自国では活躍の場が限られているから船で大海原を渡り何割かの外国人は海の藻屑となったでしょう。生き延びた外国人によって発展した過去があるのに、今の時代には不要だ!と叫ぶのは歴史を知らなさ過ぎる。感謝することはあれど、あまりにも不敬ではないか。移住した外国人は全体の3%程度だと言います。不法入国や不法滞在は厳しく罰せねばなりませんが、移住が可能になったのであれば追い出す理由はありませんね。
バスの減便やトラックの人手不足に外国人雇用というのがあります。正直日本のルールわかってるか心配ではありますが、運ぶだけなら助かります。
というのをどうしても伝えたかった。
いつこれが更新されるかわかりませんが、知ろうとしてくれると嬉しいです。




