紬凛太郎様へ ~薫る花は凛と咲く~
電子コミックで、1冊100円未満で販売されていたので買ったらあまりにも良すぎて全巻購入。
アニメから入ったクチ。
私自身と重ねて読んでいるからなのか、胸がとても苦しくなる。
幼い紬凛太郎くんは、見た目からイジメられて嫌われることからいろんなことを諦めてしまった。
憧れた外国人パティシエの見た目で勇気をもらった。という出だしから窮屈な内容。
アニメから入ったクチですが、私の苦手なヤンキーアニメかなと思いつつも我慢して見てたら暴力シーンが無くて。これなら見れるかもと今も楽しみにして見ている。
私の境遇とよく似ていて、もう取り返しがつかないほど歳を取ってしまったので、漫画とはいえ紬凛太郎くんが救われたことが嬉しくて。もちろん、作者次第なところはあると思うけれど。それでも、こういう救われ方もあるんだよ。というメッセージになってくれればと勝手ながら思っています。
救われたことが嬉しくて。大好きな薫子さんにもトリオな友人にも救われて。救われる凛太郎くんが描かれるところで毎回嬉しくて。金髪から黒髪に戻すのもまた嬉しいポイント。知らずに親孝行しているというのもまた。
わかってます。二次元だってことは。だけど、同じように見ていて現役の学生さんたちが励まされたら。とても美しいだけの話ではなく。葛藤がよく表現された作品。とりあえず、10巻まで読んでほしい。そういう仲間がきっとできるよ。今の時代なら。学生卒業してからでもあるかもしれないし。
生きるのを諦めるのだけは、思っても行動に移さないで。おねがい。
そういうのは、おとなになってからでもできるから。まだ10代でわかった気にならないで。
ここからは、私のはなし。つまらないと思うので無理に読まなくてもいいですよ。
この遺書の最初にある宗教セクハラにもあるように、生まれる前から母が熱心に勉強してきた。私は、母のお腹の中でクリスチャンとなった。望まぬクリスチャンに今でも普通の家に生まれたかったと思いかえすことがある。
凛太郎くんのように、いろいろなことを諦めたと宣言はしてないものの、宣言したところで理解してくれる人は誰もいなかったからグッと堪えて嵐がすぎるのを待ち続けていた。毎日暴風続きで過ぎ去ることがないまま成人してしまう。子供の頃はそんなこと知らず、我慢していたらそのうち助かると思い込んでいて。
クリスチャンたちや家族・親族以外と共に生活するのは、小学校が初めて。幼稚園や保育園には通っておらず、母と過ごす日々。私が小学校に上がるまでは、母は外で働かなくても生活が出来たため家で本を読んだり文字を教わったり。宗教の勉強をして。聖書がまだ1冊にまとまる前の2冊に別れていた時代のを読んでいた。おかげで、曰くや胤・自分の自にフリガナのらを入れると自らになることを小学1年生で読めていた。それらがあって、国語の読み書きは得意でした。
小学1年生で見ず知らずの同級生と過ごすのがとても不安で怖くてよく泣いていたと同級生たちは言います。他の同級生たちのほとんどは、学区内の保育園や幼稚園で友達付き合いがすでにあり、そのまま入学しているため、家で育ったわたしには当然だれも近寄ろうとさえしません。近寄っても泣かれて悪者扱いだと思ったのでしょう。すぐにイジメは発生します。
とても残念なことに、母の信じる宗教の『エホバの証人』というのは、今ほどの知名度はなくキリスト教系であることさえ知られていません。ただ、幸いなのはカルトという言葉がまだ世に溢れていなかったため「そんな宗教あるんだ」くらいにしか思われていなかった。それが救いでもありました。
学校でイジメられてる私は、同級生の家にも当然行くことになります。恥ずかしかった。母に無理やり朗読させられて。苦痛で。気づいたら、小学生になった頃からストレスで耳鳴りになります。この耳鳴りは今も続いていて、ストレスを測るものとして開き直ってる状態。
イジメは多岐にわたります。文房具や教科書が無くなったり破かれるのはいつものこと。消しゴムが無くなっていて、鉛筆削りがどこかへ行ってしまったり。ノートに落書きなど。いわゆる典型的なイジメがありました。何も言い返さず泣くだけなのでイジメやすかったのでしょうね。
その他に、体操着や給食着がバケツの中で水浸しとかもありました。上履きを焼却炉で燃やされていたり。トイレの個室に入ると覗かれて上から水をかけられたり。あとあと知りましたが、トイレの個室を覗いたり大をしていることを言いふらすのは、日本全国でよくある事例なんですってね。なので、職員用のトイレですると教師に叱られて。理由を説明しても叱られます。
ベランダに立ってと言われて校庭を見ているとふとももあたりになんだかお湯がかかったみたいであったかいなって思ったら、男の子におしっこをかけられていたんです。ただ、この時イジメだと思わず間違えてしちゃったんだなと思っていると、それからしばらくしてその男の子は転校します。なにがあったのかはわかりませんが。ただ、ベランダに向かっておしっこするのも異常ですよね。今となっては。
やたらとお尻を触ってくる男の子がいましたね。どういうつもりかはわかりませんが。嫌がらせや反応を楽しんでいたのだと思います。
そんなイジメられては泣いていた小学生の低学年。私は、凛太郎くんのように決意はしませんが、気づいたら自分から何かをしたいという言葉を発さなくなっていました。それは、学校だけでなく家にいても同じ。
目立たないように生きていくようにと自然と変化していきます。
親兄弟が言うには、7つ年上の兄と一緒にジョギングしていたそうで、3km4kmはついていけたと言います。まだ小学生になる前ですね。短い歩幅なので兄はジョギングでも短距離走みたいになってたと思いますが、小学生にあがりしばらくすると首を振って遅かったと同級生に言われます。たぶん、速く走ると目立つから手を抜くと言ったら偉そうですが、遅い走り方を覚えてそのまま運動音痴になったと思われます。思い込みでなんとでもなるんですね。
母が結婚するまで絵を描いていたと言います。学生の頃から絵を学び個展を開いたことがあると聞いてます。母校に飾られたのが自慢だと。私立のお嬢様高校だったそうで、購入され寄贈という名目で飾られたそうです。そんな母に絵を教わってました。学校の写生大会で太陽が右か左の端っこに描かれているのを見て母は「なぜこういうのを書いたのか」と問われ説明のしようがなく泣いたのは今でもトラウマになっているようです。同級生の人気者が書いたのを真似したら下手くそになってしまった。見えもしない曇り空だったのに太陽がサンサンと輝き青い空。どれも嘘の絵。それでも同級生たちはみな誰もが同じように描いていた。そこで、真似をせずに書いたとしたら目立ちイジメが激化したことでしょう。
イジメはイジメられる側にも問題があるので、一概に加害者だけが悪いわけではありません。
家庭の事情など知りませんからね他人は。
とにかく目立たないように埋もれるように生きていった結果、親になにかをねだるということはせず。
学校が聞きたがる「将来の仕事は?」も隣の子が書いたのを覗き見て真似していました。そんなことしてるから隣に座る子が嫌うわけですね。「真似された」と。半年前までは、お花屋さんだったのがプロ野球選手になったりお嫁さんになったりと安定してません。幼いので仕方ありませんが、何かしら夢を持つ年頃に何考えてるんだと思うようなことを書いていた。それが当時の私には当たり前だったのです。
スーパーに買物に行って「なにか欲しいのある?」と聞かれても俯いていて、仕方なく欲しくもないおもちゃ付きのガムやラムネを手渡して。ただそれは餌付けのようなもので、集会と呼ばれる教会で寝ずにうるさがらず大人しく受けたことへのご褒美。として聞かれていただけ。その意味がわからず嫌々買ってもらう。
とにかく、母の機嫌を取ることでしか生きていけないと思い込んでいた。洗脳だと思うかもしれないけれど、正直行きたくない場所ですしずっと嫌っていた場所。普通の少年時代を送れず。
ドラマやアニメなどで描かれがちな「休みの日にお出かけしたい」という要望は、私から一度も言わず。言ったところでと諦めていたのでしょう。すべて親の言いなりで出かけていた。それ以外にも家の中で問題が発生してしまったり。色々あったからというのもあるけれど、私から親にお願いをしたことはない。あったとしても、言わされてるだけ。心のなかからこうしたい!なんて言ったことはない。
自転車を与えられた時も世代だからと与えられた。
ぬいぐるみもその日居なかった兄の土産という形をとって購入してもらう。
動物園に行っても遊園地に行っても何を見たいなにに乗りたいという要望は言えず。親から言われた選択肢から選択させられて。どれも違っていても自分からキリンさんが見たい!とは言わず。コーヒーカップは嫌。とも言えず。
家族旅行に行っても言われるがまま。
そんな私に父は「ウドの大木だ」と何度も言われて。頼みの綱だった父からそんなことを言われては。とうとう、誰にも頼れなくなりふさぎ込むのにそう時間はかからず。
小学5年生のときに友人ができますが、それは教師などに組まされたものでした。ひとりぼっちでもさほど苦痛ではなかったので、無理に組まされたことで苦痛が増します。世話焼きな同級生にどうにか。それでも心から許せているわけでもなく。それは年ごとに徐々に改善され親友になりました。それでも、その親友に自ら意見をすることはなく。
中学に進む頃には、いくらか改善されていきますが。
高校に進んでも7割が小学生の頃からの同級生。まったく心が晴れません。
目立たないように生きていたら気づくと赤点マシーンに。得意科目は、国語と社会だけ。ほかは常に赤点。それらは私自身が悪いことなので。隠れて勉強もせずこの世を諦めていたからなのでしょうね。
高校でバイトをしてましたが、当時の時給は500円くらい。タクシーの初乗りと同じ。
本来このバイトはしたくありません。ですが、同級生らがバイトをしてない人に「なんでしないの?」がうるさくてひとまず黙らせるためのバイト。同級生らは月10万くらい稼ぐのに対し私は月3万程度。それを言うと「なんのためのバイト?」とこれまたしつこく。本音は、お前らを黙らせるためのバイトだよ。って言いたいけれど幼い頃からのトラウマで言えず。グッと堪えるだけ。
就職した先は、まったく望まない仕事。工場で金型を作るという未だによくわからない機械を操作するという。覚えられず覚える気もなく2ヶ月で辞めます。ここに入れば、父が喜ぶと思って。それだけの理由。
大人になりようやく自分から動くようになります。私には学生時代に誰からも救われず助けられず。ただギリギリをすり抜けて生きていました。
そうです。社会人デビューです。ここで、もう同級生にとやかく言われないから今のうちに。
今は大学進学が当たり前ですが、進学して同級生の居ない大学に逃げるのもありですよ。何を学びたいのかはとても大事ですが、大学卒業してからまた入り直したり院に行くことも可能です。ひとまず、大学まで行けば。きっと、生きる意味が見つかると思うんです。
だから、お願い。
生きて
生きてさえいればきっとなにか良いことがあるよ。
わたしは、小学中学の義務教育で多数のイジメを受けました。
20歳~30代までがわたしにとって最高に楽しい時代でした。
今はもうなにもかもが枯れ果ててしまい。文字を打つこと以外なにもありません。
諦めることが出来ず這いつくばってます。
それでも、どこか自分にとって最高の時代があった。
それがどんなに短くても良い経験だったなと。思い続けて残りの寿命を生きれたらと思います。
沢渡亜由美さんのように、誰かを下に見てどうにか生きていくのも十分ありです。それが悪いことだとはわたしは思いません。世の中の多くがそういう目線ですから。珍しいことではありません。障害者や犯罪者を見て見下す人見たことあるでしょ。だから、見下してでも生きれるのなら。
生きて
死ぬのはいつでもできる。大人の経験をしてからでも良いじゃない。選択肢を狭めないで。
川や海で亡くなる10代の子のニュースを見るたびに、なぜそんな無理をした。もっと浅瀬でバチャバチャしてたら良いのに。もったいない。
その思いもあって、そして、紬凛太郎くんの救われ方が異次元じゃなくてありそうだなと思ったからこそ。わたしのようにならずに。どうか、10代で命を捨てなくても。まだなにも経験してないじゃないか。だから。
生きて
お願いだよ。