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遺書 ~共感は要らない。ただ事実を書くだけ~  作者: モーニングあんこ


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宗教セクハラ

少年ツネタロウなどを書いている底辺執筆家のモーニングあんこです。

言葉や意味はかなりオブラートに包んでいます。ですが、似たような経験のある人にはフラッシュバックしかねませんので自己責任で本文をお読みください。

母の介護をしている私の心の拠り所は、小説に出てくる登場人物たちだけ。

登場する宗教は、名前は伏せていますがところどころ出てくる単語である程度理解できると思います。調べるか調べないかはあなた次第です!!


我が家での出来事で恐縮ですが、昨日母が50年以上信仰してきた宗教に終止符を打ったと話してくれました。それは、私にとって長く望んできた事柄ですが、その終止符を打つのに私自身が関係していたため驚きと喜びと申し訳なさを感じる一日となりました。



母の信仰してきた宗教は、いわゆる新興宗教でキリスト教の分類というものです。

私自身も中学2年生まで、連れて行かれてまして、それによるイジメはあり苦しい青春時代を送りました。


昨晩の報告は夕食にあります。食事の前に神に祈る行為をする前に「辞めたから」と言いいつもの癖で、神に祈ろうとして「あっやらなくていいのに」と言いつつ神に祈ろうとして「やだ。また」とそのあとも繰り返します。長年染みついた行為を急に辞めるのは難しい。


終止符を打つキッカケとなったのが、先日水曜日の集まりでの話になります。

zoomで集まりに参加する母の隣の部屋で寝ている私は、音量を絞っても聞こえます。その時の内容に「おまいう」な内容でそれを話したところから発展した形。

「おまいう」な内容とは、「怒りの感情を捨てなさい。それはなんの役にも立たない」と言うような内容でした。アンガーマネジメントというのがあり、5秒以上反論せずに耐えると怒りの感情を抑えられる効果があると言います。それを信者に向けて語っているその人物こそが、数年前に私がそれってなんでですか?どうなんですか?としつこく聞いたところ「あなたは勉強する気があるんですか!」と質問攻めに怯んだ男性が発した言葉。その後に別の男性に同じ質問を繰り返すと「あなたは私から論破したいだけですよね!」とブチ切れて立ち去った人物もいました。

まさに

「おまいう」

怒りの感情をそのまま私にぶつけ、何の役にも立たない人たちだったと言うのを証明した人物です。それを棚に上げ、信者に説教するという行為。情緒不安定なのか?と母と話した。

彼らはいつでも自分の行為を棚に上げて物事を語ることが目に余る。「怒りの感情を捨てなさい」と書いてあるのは、彼らが何回も通読してると言う「聖書」に書かれており、それを私にぶつけてくるわけですから、何回読んでも読み飛ばしているのか、それとも、記憶に残らないのか。どちらも聖職者としてよろしくないことですね。


彼ら聖職者たちは自分たちの都合が悪くなるとこういいます。

「人は不完全ですから」と。

この言葉ですべてが赦されるらしいのです。

きっと、数年前に私に言われてキレちゃった彼らも今となっては「不完全」を利用して他人に説教をするのでしょう。


彼らの都合や思想はどうでもよくて。

私には、小6から中1までの2年間に耐えがたき苦痛と苦しみを誰にも共有されることなく孤独を覚える出来事がありました。


小学生の頃に他からやって来た当時30代前半の若い男性が当地の管理者となりやってきます。その男性は独身で、当地の管理者家族の家に住み込むようになります。引っ越してきた男性は働いているので、田舎ということもあり安い物件はいくつでもあるというのに、家族のいる家に住み込むという不思議な行為をした男性でした。彼ら聖職者は、風俗や飲み屋に行く行為を禁じられているためか、性処理をどうしているのだろうかと思うほど厳しい規律の下にいます。

私はこの男性から信者の集まる聖域で、辱めを受けていたのです。


当時の私は、今よりもひどく引っ込み思案で他者を恐れるところがあり独りぼっちが身に染みて慣れていた。周りの人からは、「もっと踏み込まないと」と言われその言葉自体が苦しく放っておいて欲しいと思うことも多々ありました。学校でも家でも聖域でも。私はひとりでいることを望んでいたのです。

聖域では同じ年頃の子どもが居ましたが、それらは私とは合わない趣味を共有しあっており苦手な陽キャタイプで自分から近寄らないようにしていたくらい。ひとりですることなく椅子に座っていると、他の信者から呼ばれ近づくと学校のことや趣味のことなどをその男性管理者から質問され、適当にあしらっていたのですが、ボディタッチでコミュニケーションを取るタイプの男性だったため、初めは背中や腰をパン!と叩き小声で「痛い」と言うと「そうかな」というやり取りが毎回ありました。


当時の私の体は、成長期と言うこともありムチムチしており、聖域に集まるのにピチピチの白いシャツを着ていました。春から秋まで同じような格好です。大きめのシャツを買ってもすぐに成長しピチピチになってしまう。それが男性管理者の目に入ったのか、毎回体を触りながらコミュニケーションを取られる。このコミュニケーションは、信者が出入りする入口付近に広く作られたスペースで私は皆に見られながら体をあちこち触られていました。


初めは、背中や腰を叩くだけでしたが、ムチムチが気になったのか、腕や肩を触ると言うより揉む。後ろからお腹をさするように触りたまに揉む。「お餅みたいだね」は傷つきます。その発言をすると周りの信者も笑いながら「ほんとね」と否定しません。お尻にも当然肉付きが良くなるためお尻を何度触られたか。腕をぷにぷに、肩を揉み背中から腰にかけて最後にお尻を叩く。毎回同じパターン。気持ち悪いので私は男性管理者にだけ聞こえるように「気持ち悪いのでやめてください」と言うと毎回説教されます。でも最後に、「いい子にしてたら神様も喜んでくださるよ」と周りの信者に聞こえるように語ります。

すると信者たちは私にこう言います。

「よかったね。大事にしてもらえて。やっぱり歳が近いからかな」

男性管理者は30代前半です。年が近いというには無理がある。彼ら信者は、男性管理者の行為を誰も不思議に思うこともありませんし、注意する人もいません。私は、誰からも見放されていたのです。

私を無理にでも連れて行こうとする母に相談しても「気にしすぎよ。受け入れてもらえてうれしいわ」と好評。私はその聖域が性域なように感じとても気持ち悪くて何度行きたくないと言ったことか。

家族からは家に居てもなにもしないなら行けと送り出されていました。私の安息地はどこにもありません。


ですが、たまに他から来た若い男性から「あんこちゃんこっちおいで」と呼ばれて助けてくれるお兄さん的な人が居ましたが、誰の指示かわかりませんが他の聖域へ異動となり私を救ってくれる人はまた皆無となります。

私をべたべた触る男性管理者はその後さらにエスカレートし胸を揉むことに発展。「そこ胸です!やめて!」と本人にだけに聞こえるように言うと「ああごめんお腹と間違えたよ」と白々しく言います。たとえ、お腹でも後ろから揉むというのは異常なことですよね。


その時代はまだ、セクシャルハラスメントという言葉が日本にはなくその後しばらくすると流行しました。逆算して年齢を出さないでいただけると助かります。


それから冬になり体の露出が減ったことと厚着をしていたため触られることがグンと減ります。しかしそれでも私は、説教が始まるギリギリまで外の駐車場で時間つぶしをしてから入っているようになります。極力男性管理者とは顔を合わせないようにしていました。

それを良く思わない信者というか男性管理者のその後寝取った女性信者にこう注意されます。

「あんこさん。外で何してるの。来たらさっさと中に入りなさい。どういうつもりで聖域ここに来てるの!」

私は証言をするのが面倒なので「はーい」と言ってその場をしのぎます。

私はそもそも聖域そこには行きたくないのですが、無理やり連れて行かれるため仕方なく外で時間をつぶすのであり、立派な自己防衛である。


春が来ると中学1年生になり体に合わないシャツを着る必要がなくなり、学校の制服のシャツで行くためムチムチさがいくらか減ります。男性管理者はそれをネタに「着やせするんだね」と嫌味を言ってきます。中学生になり衣服のレベルアップで外で時間をつぶさずに中に入ればこのザマです。嫌味を言いつつも「どれどれどれだけ成長したか見てあげよう」なんてオヤジ臭い喋りと臭い息を吹きかけます。前からならまだしもそのころでも後ろからなのがとにかく辛い。とても嫌な気持ちになるのに体は違う方向へ向かってしまう。インナーシャツを着ていても乳首が寒かったり鳥肌が立つと一緒にたってしまう。それをコリコリされてもう気色悪くて吐き気がするほどでした。


元々体格が良くムチムチボデーなところへ、思いと反して体が変な風に取られるようなことになっていました。

中学に進学したことで、自分の身を護るというのを指南するようなテレビや本を読むようになり、男性管理者から触られたときに肘内をして撃退したところ。

「あんこさん。今あなたは神の家で暴力を振るったのを自覚していますか」

なんて問われます。男性管理者の取り巻きである男性信者が私に言うのです。さらにこうも。

「あんこさんのその行いは、神への冒涜です。悔い改めなさい」

とも言われてしまい、「私が悪いのだろうか。でも、気持ち悪いことをされてるのに」と思い尋ねます。

「私はあの男性管理者さんに触られるのがとても苦痛です。なぜ誰も助けてくれないのですか」

すると取り巻きの男性信者は

「何を言ってるのですか。あんこさんが一人で寂しくしてるから構ってくれてるのです。なぜそれがわからないのですか」

と謎の説教。

私はその行為が気持ち悪く構わないで欲しいと思っているのですが理解されません。

「私がいつ構ってくれと言いましたか。なぜあの男を良いように考えるのですか!」

といつになく大きな声で言うとお決まりの言葉を発しました。

「あんこさんにはサタンが憑いてます!今すぐ立ち去りなさい!」


サタンとは悪魔のことですね。鳥山明氏が登場人物の名前にサタンを付けたのも元信者だったからと言われています。そうでなくてもサタンは今の時代当たり前に使われるところがあるので、悪魔サタンでさえも日本で市民権を取得しています。


信者らから陰口も叩かれましたし、見えないところで大人の信者からホースで水を掛けられることもありました。水撒きをしていて間違えて掛けてしまったという言い訳をしながら頭から足元までキッチリと水を掛けられるというアクシデント?なことも夏にはありました。


学校ではイジメられ家では親から折檻され宗教ではセクハラされ。

私は、どこでも言っていることですが、イジメの被害者はイジメられる側にも問題があるを支持しています。私は宗教がもとでイジメの対象になり嫌がらせはいつものことで、学生時代はずっと続きました。

本来宗教と言うのは、心の拠り所を中心にすがりつくための行為と場所の提供なのです。それを信者に言うと憤慨してしまいますが。

でも信者になるキッカケはそういうことじゃなかったのでは?


男性管理者はその後、数年後に住み込んでいた家の奥様を寝取ったことで追放されます。その女も一緒にですね。

私は、その結果を母から聞いてこぶしを握り締めます。母は、「なんでNTRそんなことしたんだろう」と私につぶやき私は「スタートからおかしい人だったから仕方ないよ」と言うと「いくら追放されたとはいえそんなこと言ったらだめよ」と注意される。信者は目が曇りやすいから仕方ないのかなと思うところもありましたが、ようやく私は自由の身になったと解放感に包まれます。


母には話していませんが、男性管理者以外の男性信者からセクハラの域を超えた行為をされたのもあります。

キスや股間を触られるのは何人かいました。説教部屋のような場所が当時あり、そこに連れ込まれて同意のないセクハラを受けていました。定番すぎるくらいの言葉を吐きます。

「このことは誰にも言ったらダメだよ。あんこちゃんが不利になるからね」

口止めをされてました。神の家で神に背くあの人たちはどういうつもりなのでしょう。


神の家以外では、信者の家でホームパーティーのようなことがあると私は脱衣所などに呼ばれ。

性行為をされていました。もちろん、同意はありませんが、脅されているのと恥ずかしいのと母に知られたくないという気持ちで納得はしていませんが、同意するよう迫られて行為に及んでいました。


今の年齢になって報道で性被害に遭ったというニュースを見て、私の中にあった男性管理者の存在とその行為がフラッシュバックしてあの頃の自分を俯瞰から見、「あの頃のあんこはこんな苦しい思いをしても誰からも助けてもらえなかった。神の家で酷い仕打ちに遭っていても神は私を助けてはくれなかった」悔しい思いを思い出ししばらく立ち上がれなくなります。


その報道は、昨年だったので既に「少年ツネタロウ」を書いている時期です。現実逃避のために書き殴るかのように執筆する日々となりました。私の救いは、私自身で救うほかないのですね。


つい先ほど母と顔を合わせたので、昨晩の神への祈りの行為について話しました。

・自主的に辞めた行為は嬉しく思う

・聖域へ通う、zoomで参加する行為はしないで欲しい

・母の中にある神は好きに信じてよい

・母がこれまで所有した聖書などの書物は捨てなくても良い

・自主的に勉強するのは構わない

・ただ、彼らから教わる行為は慎んでもらいたい

・無宗教の人でも神にすがるのだから神の存在まで否定しなくても良い


と伝えました。すべてを否定しなくても良いのです。母は高齢者ですので、少しボケていますがまだ認知症と言うレベルではありません。なので、宗教から離れたことによる認知症が出てしまったら恐ろしいなとは思っています。なにせ、50年以上の信仰です。これまで当たり前に通っていた聖域を断つんですから。

サラリーマンが定年を迎えてすることなくなるとボケると言います。それと似たようなことになるのが恐ろしくて。


母に言いましたが、フラッシュバックするほど辛くて苦しくて悲しい出来事は心の奥にしまってたのが一度開くとしまえないんですよね。あの宗教には今も恨みがあります。対象者は今はいませんが、もし彼らからこう言われたら。

「あんこさんはどうなったら納得しますか」

という問いがあったとしたら

「その時に居た信者全員が排斥されたら満足です」

と言いたい。

その言葉でなのか母は、終止符を打ったのです。

現在の管理者にメールで、事のいきさつを書き辞めることを伝えたそうです。


私の中にある黒く澱んだあの記憶は、母の終止符で1つ願いが叶いました。

ですが、あの頃に居た人物全員が排斥されていないのでこの先も恨み続けて生きていくのでしょう。

私のイジメの原点は、宗教にあるのです。あれさえなければ、イジメがあったとしてもそこまで苦しく悲しいと言うほどではなかったでしょう。イジメの件はまた別の機会に書く予定です。

すべて本当の出来事なのですが、私が書くとフィクションっぽくなりますね。

言葉の一言一句は、トラウマなので覚えてしまうんです。

文字にすることで少しスッキリしました。

これでようやく眠れるのかと思うと。

さて

どうなることやら。

イジメの件は本文最後に書きましたが、ありきたりなイジメで特に面白い点はありませんのでご注意を。

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