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団欒の記憶

作者: 深海聡

 食卓の上に立ち昇る湯気と、楽し気な笑い声。

 お酒と、お茶と、甘くてすっぱくてしょっぱい、それを包み込むお出汁の匂い。

 晴れの日の食卓の記憶は、笑い声を含むざわめきとテーブル一杯に並べられたごちそうの記憶だ。

 団欒の食卓というと、お正月の記憶を思い出す。

 涙が出そうなほどの幸福と、忘れ去りたいほどの痛みを伴う記憶。

 家族の団欒の時間の記憶は、いつでも私の心をあちらとこちらに引き裂いてしまう。


「品数、だいぶ減ったね」


「物足りない?」


「ううん、これぐらいでちょうどいいと思うよ」


「そう、良かった」


 思わず零れ落ちてしまった私の言葉に不安そうに聞く母に、笑みを向ける。

 安堵したように微笑む母に、僅かな罪悪感がかすめる。

 祖父母がいた頃よりも今のこの穏やかな年越しを好ましいと思う私は、外から見れば薄情者なのだろう。

 母から教わった煮しめを煮込み、ごまめを煎りながらテレビに目をやる。

 おせち料理作りは佳境、最後の2品の味が決まればやっと私の仕事納めだ。

 テレビで紅組、白組と司会者が競い合う体で歌い手の紹介をしているのを尻目に、ごまめを丁寧に煎る。

 焦がさないように、でも香ばしく。

 この味を知ってしまったら市販のものでは満足できない、これも母から受け継いだ伝統だ。

 祖父母が亡くなってから、むしろ本来のお正月らしいお重に詰めたおせち料理を最低限の煮炊きで食べる、静かな団欒を迎えられるようになった。

 お正月の朝の静けさは、新しい年の境目を越える節目で、それと同時に祖父母と私たちの間の隔絶を感じさせる。

 20年近く同居して、毎年一緒に年越しを祝いながら、私は祖母の手料理の味を覚えていない。

 私の祖母は、筆舌に尽くしがたい料理下手だった。

 正直に言って、素材の臭みやえぐみ、表現しがたい食感の記憶は残っているが料理というものとして統合された記憶として思い出せない、というのが正確なのかもしれない。

 どうにも、強烈な不味かった感覚だけが刻み付けられていて、それ以外の情報が曖昧なのだ。

 我ながら薄情なことだと思う。

 僅かな罪悪感に目を伏せ、煮しめの具の味をみる。


「味、みてくれる?」


「あ、私はいいや。大丈夫なんでしょう?」


「うん、一応薄目につけてあるよ」


 母が体を壊してから、日持ちしづらくなるのを織り込んで、煮物の塩分を控えるようになった。

 それをいつも不満そうに食べていた祖父母のことを、思う。

 食卓に並ぶものの見た目が変わらなくても、量が減り、塩分が控えめになり、変化していく。

 絶える伝統と、受け継がれていく技、変化しつつも守り続けられる伝統。

 我が家の食卓も、変化しながら続いていく。

 それも、いつまで続くのだろうか。

 ふと、物思いに沈む。


「味見するよ?」


 その物思いを、楽しげな父の声が遮る。

 期待を込めて注がれる視線が、彷徨って黒豆煮に行き着く。


「そっちは明日、ね」


「うん。……薄味だけど、出汁効いてて美味しい」


「じゃあ、良いかな?」


「うん、良いと思う」


 ピッと音を立ててコンロのスイッチを消す。

 テレビでは大トリの歌手が歌い、出演者の大合唱が始まる。

 煎ったごまめとアーモンドスライスに鷹の爪を入れたタレを絡めて、手早く酒を振る。


「お、それも味見しようか?」


「駄目。今味見したらなくなっちゃうじゃん」


「明日のお楽しみに取っておきましょう、ね?」


 慌てて止めた私に若干不満そうな父を、母がやんわりとなだめる。


「明日だったら全部食べても良いから、ね?」


「え、全部良いの?」


「もちろん、みんなで、だけどね」


 とりあえず念を押してみた私に、嬉しそうに笑う父と母。

 日々の食事も、晴れの日の食事も。

 日々積み重ねられる他愛のない時間。

 ゆっくりと燃え尽きる蝋燭のような日々が、この儚くて愛しい日々も確かに、わが家の歴史だと思う。

 私がいつかひとりで食べる食卓にも、この味は繋がっているのだろう。

 だとしたらきっと、そこにさえもわずかな温もりの記憶は息づいているのだろう。

 そんなことを考えながら口に入れた黒豆は、甘くて少しだけしょっぱかった。

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