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8:紅い弾丸の行方

 第四区画中央惑星の夜が明ける。人工の太陽が首都郊外の暗闇を切り裂いて、朝の訪れを告げる。

 第四区画はこの中央惑星であっても開発の済んでいない場所がある。岩肌がむき出しになった崖の下、木々に囲まれた誰も来ない場所に、その扉はあった。

 魔術的な隠蔽があったり、クレレの探査がなかったりしたらこの場所は絶対にわからなかっただろう。崖下の壁に固く閉ざされた鉄の扉がある。転移陣の解析で、ヘルテイトがこの場所まで転移してきたことがわかっている。

 この中に、ヘルテイトがいるのだろう。そしてミーティアもここにいるかもしれない。

 とりあえず扉を押したり引いたりしてみるが、物理的に錠が施されているようで、重たい鉄の扉は動く気配がなかった。だが、幸いにもこれは内開きのようだ。

 エルナは背負った大剣を引き抜いて、増幅回路をセットした。青い光の線が刃の周りに円を描き、魔法陣を形成する。武具と身体能力を強化する術式が組み上がり、エルナは大きく踏み込んだ。

 大剣の本分はその破壊力。剣ではあるが、斬ることよりも潰したり砕くことに特化しているため、多少分厚いだけの壁なら問題なくぶち抜くことができる。

 轟音が響いて、衝撃の強さを物語る。固い扉を叩いているのだから反動も強いが、身体強化の術式によってエルナはそれを感じずにいられる。鉄の扉が悲鳴を上げながら一瞬でひしゃげて、中央に穴が開いた。

 ノクスの言った通り、魔術的な施錠はなかった。ヘルテイトは天との戦いで左腕の肘から先を失っている。魔術を操る者にとって手を失うことは致命的だ。たとえそれが利き手でなくとも、術式の緻密な構成が困難になる。今のヘルテイトに、魔術による施錠を行うだけの力は残されていないのだろう。

 朝日の差し込まない暗い廊下に入って、エルナとノクスは警戒しながら歩き始めた。道の幅は二人が並べるほどではあるが広くはなく、心臓が食い破られるかと思うほどの圧迫感で二人を攻め立てる。

 夜明けの薄暗い場所から来たので暗闇に目が慣れるのは早い。だが、それは決して良いことではないと、二人はすぐに悟ることになった。たどり着いたドーム状の空間には橙色の眩しい光が満ちていて、目をくらませた。

 大剣で光を遮ったのは、暗い廊下を歩いてきた警戒心のおかげか。剣に重い衝撃が加わる。その場に踏みとどまることができずに、エルナは後ろに押し戻される。剣ごと横に投げ飛ばされ、壁に激突して全身の骨が嫌な音を立てた。

 追撃を予測して咄嗟に前へ転がる。エルナがいた場所に四本腕の黒い爪が突き刺さった。こちらは任せろという旨のノクスの声を聞いて、エルナは青眼に構えて突然襲いかかってきた黒い影を睨んだ。

 エルナの背後、ドーム状の空間から漏れる橙色の光に照らされて、全身が黒い絵の具で塗りつぶされたような魔人の姿が明らかになる。身の丈はエルナの三倍近く、腕を四本持つ以外は人間とさほど変わらない体をしているが、それでも発達した筋肉の威圧感はすさまじい。黒い魔人が四本の腕を壁から引き抜いて、エルナを見据える。口と思われる場所から、低いうなりが聞こえてきた。

 壁には四本の腕によって砕かれた痕がしっかりと残っていた。まともにあれの攻撃を受けようと思ってはいけないようだ。魔法生物の中でも上位の、ゴーレムの一種だろう。種にもよるが人並みに魔術さえ使いこなす厄介な相手だ。

 左に小さく剣先を振る。相手の意識がそこに集中した瞬間を見計らって、思い切り逆方向へ剣を引いて、体勢を低く踏み込む。右から左へ。薙いだ剣は確かに黒い影の胴をとらえた。巨体が壁に叩きつけられ、エルナは隙を最小限に抑えるためにそのまま前へ進んで方向転換する。大剣は重量があるので、剣の向きを変えるよりは持ち主の体の向きを変えたほうが隙が小さくなることも多いのだ。

 ちょうど、入口に背を向ける形になる。黒い影の後ろを盗み見ると、すでにノクスとヘルテイトの戦いが始まっていた。ドーム状の広場の中央に、十字架が置いてある。それに張り付けられている少女の姿を確認して、エルナは剣を構えなおした。増幅回路をセットする。再び青い魔法陣が剣とエルナの身体能力を強化する。

 短時間のうちに増幅回路を二回も使うのは負荷が大きいが、能力的にエルナは相手より劣っている。次の一撃で決めなければ、勝ちはない。

 大剣を担ぐように構えて、体勢を低くして駆ける。迎え撃とうとする四本の腕をかわして高く飛び上がり、渾身の力をこめて振り下ろす。魔人の左肩から深く斬り込み、そのまま反対側まで押しつぶすように刃を進める。もう少し。気合の声をあげて柄を握る手に力を込めた。

 直後、エルナの体は宙を舞った。何が起きたのかさっぱりわからなかった。わからないうちにエルナは空中に投げだされて、背中を地面に向けた状態で最高点に達する。時間が止まったような気がした。

 暗い廊下の天井は意外にも高い。どのくらい高く跳ね上げられたのかはわからないし、どうしてこうなったのかもわからない。ただ一つ、エルナの目の前にはただ一つの事実がある。四本腕の黒い魔人がすでに天井の前に待ち受けていて、炎の魔術を行使しようとしているという恐ろしい事実が。

 四本のうち、右上の腕がゆっくりと振り下ろされる。握られていたのは赤々と燃える炎の塊。剣を模した爆炎の集合体。まるで炎ではなく実体のある物質であるかのように、投げおろされた炎の剣はまっすぐにエルナの体を貫く。

「が……ッ!」

 声を上げることすら許されなかった。熱い、と感じたのも一瞬だけ。実際には質量を持たない灼熱の炎が突き刺さった瞬間、時間の流れは一気に加速した。

 激しい炸裂音が響いて、エルナは背中から床に激突した。うずくまってしまいたくなるような鋭い痛みが背中全体に広がって、頭を打って脳震盪を起こしながら胸の辺りが焼ける痛みに顔を歪める。手元から離れた剣が床に突き刺さって鈍い金属音を発した。

 制服にはある程度防御の術式が施されているが、それは傷を防ぐものであって痛みを防ぐものではない。熱いという感覚は一瞬で焼き切れて、エルナの全神経を痛みだけが支配した。

 こうなってしまっては視覚や聴覚はアテにならない。顔に吹き付ける強い風を感じて、エルナは咄嗟に音が聞こえたほうへ転がった。うつ伏せになって両手で地面を弾き、立ち上がりながら後ろへ下がる。ちょうど剣が刺さっていた場所を通ったので、床から引きずるようにして引き抜いた。

 重量のある剣を持ち上げて構えるのがひどく辛い。立っているのもやっとで、視界がかすむ。全身を蝕む激痛の感覚に、意識を手放しそうになる。だが、ここで倒れてはいけない。

 ここで倒れたら、ここまで来た意味がない。ミーティアを助けることもできないし、ノクスにだって迷惑がかかる。こいつだけは、倒す。

 残された力を振り絞って大剣を担ぎ上げ、先ほどまでエルナが倒れていた場所に腕を突き刺す魔人に向けて駆ける。モノの数歩でたどり着いてしまうような距離がひどく長く感じられた。刃が振り下ろされて、戦いは決着を迎える。


―――◆―――


 橙色の明かりに照らされる広いドーム状の空間の片隅で、床が激しくえぐり取られた。背の高いノクスの身長と同じくらいの長さを持つ柄と、その先端に取り付けられた樽型の重量感のある頭部。この大槌が直撃すればそれだけで戦いは終わっていただろう。

 その武器を軽々と持ち上げて、ノクスは柄を軽く撫でた。メタモルのモードチェンジャーが起動し、槌が徐々にその形を変えていく。長い柄はそのままに、樽型の頭部が鋭くとがった刃に変化する。空気を巻き込むように柄を軸にして回転させ、その先端をヘルテイトの心臓に向けた。

 刺突。直線的だがその速さは重量のある槍とは思えないほどのものであり、ヘルテイトはそれをかわすだけで反撃に移ることができない。今度は槍の刃の部分が長くなり、逆に柄が短くなって騎士剣の形状へ。

 無骨でありながらもその刃は冷酷なまでの美しい輝きを放ち、斬ること、突くこと、叩き折ることのいずれにも対応した力の象徴としてヘルテイトに迫る。狙うは首のみ。撫でるだけでも頸動脈を切り裂いて死に至らしめるであろう残酷な剣の軌道は、しかし首の骨ごと叩き斬ろうと深いところまで迫っていた。

 すんでのところで剣で弾こうとするが、その勢いを殺しきることはできず、ヘルテイトは衝撃で床を転がることになった。

「僕は天ほど優しくないからね。生き長らえようと思うなら必死で逃げたほうがいいよ」

 そう言いながらも、ノクスは死の刃を繰り出し続ける。コーヒーを飲む時と同じような穏やかな表情で、武器を振るう。一撃ごとのインターバルは天のものに比べて長いが、重さはノクスのもののほうがある。

 対するヘルテイトは、手にした剣でなんとか襲い来る連撃を受け流して後退することしかできない。やはり、片腕の肘から先を失ったのは大きな打撃だった。

 両手で扱う騎士剣の攻撃を、片手しか扱えないヘルテイトの剣でまともに受けようとするほうが無理だ。無理をすれば剣が叩き折られてしまうし、片腕が半分失われた今、ヘルテイトは体のバランスを保つことさえ難しい。体勢を崩されないように、しかし剣が折られないように戦おうとすれば必然的に攻めを意識することはできなくなる。

 嬲られるように後退させられていく現状に対し、ヘルテイトの表情に苛立ちが浮き出てくる。しびれを切らせたヘルテイトは大きく後ろに跳んで、剣を横薙ぎに振るった。炸裂する炎の魔術。あまり破壊力の強いものではないが、爆発によって相手を撹乱し、仕切りなおすことができる。

「バーレイグを、ナメるなァッ!」

 メタモルを元のブレスレットの形に戻し、煙に包まれたノクスに向かって、ヘルテイトは更に強力な爆炎の魔術を放つ。一発、二発、合計三発。鼓膜を突き破らん程の乱暴な爆発音がドーム状の空間を支配した。

「あ、がッ……!」

 淡い緑色の鋭い残像が奔って、直後、ヘルテイトは右肩を何か鋭いモノに撃ち抜かれていた。煙が晴れて、そこに悠然と立つノクスの姿が見えた時、ヘルテイトの表情は怒りに塗りつぶされた。

「そうカッカしないでよ。この僕が」

 もう一撃、破壊系術式によって形成された淡い緑色の魔力の矢をつがえて、手元にあるメタモルが変化した姿、弓を引き絞る。

「君と死神の間でキューピッドやってあげようって言ってるんだ」

 放たれた矢は閃光のごとく、肉眼で観測することが不可能な速さでヘルテイトの左肩に命中する。破壊系術式は魔力素をそのまま破壊のエネルギーとして用いる単純にして最も威力のある攻撃魔法の系統であり、その直撃は固い金属の武器と同等もしくはそれ以上の破壊力を誇る。

 ヘルテイトの両肩は魔力の矢に撃ち抜かれて、しかし傷跡が確認できなかった。あまりに細く鋭いモノに、あまりに素早く貫かれたために筋肉が収縮し、傷口を塞いでしまったのだ。

 本来、ボウタイプのLPは実戦に向かない。より素早く攻撃可能で様々な状況に対応できるガンタイプのLPが存在する以上、引き絞る隙など無駄の多い弓型のLPはもはや競技用以外での需要がない。

 だがノクスは、メタモルの一形態としてではあるが、それを使っている。なぜか。

「さあ、次はどこを撃ち抜こうか。一思いに心臓が良い? それとも、両足も封じて豚の丸焼きにしてみようか?」

 ノクスの表情はコーヒーを飲むときとまったく変わらない。穏やかで落ち着いていて、一欠片の乱れもない。コーヒーと同じように、この狩猟を楽しんですらいる。弓を使うのもそのためだ。弦を引いて狙いを定め、貫かれた傷を押さえて悶え苦しむ獲物を見て楽しむために、弓という使いづらい武器を選んだのだ。鋭い刃よりも刃こぼれしたモノのほうが傷口をより残酷にえぐるように、獲物をいたぶるのは性能のよくない武器であればあるほど良い。猟奇的な嗜好が込められた矢が、放たれる。

 再び放たれた矢はヘルテイトには直撃せずに、その脇の壁に鋭い穴を開けるにとどまった。二人のいる場所はいつのまにかドーム状の空間から離れていた。ヘルテイトが後退を続けたことによって、エルナとノクスがここに来た時のものとは違う廊下に来ていた。

 道幅は広く、しかし明かりは少ない。ドーム状の空間からわずかに橙色の明かりが差し込んでくるだけの薄暗い場所だった。淡い緑色の魔力光が筋を描いて、ヘルテイトの足元にもう一つ鋭い穴を開けた。

「僕達恐れなき者(ドレッドノート)を敵に回して、勝者になれるとは思わないほうがいい」

 もう一度放たれた矢と炎の魔術がぶつかって、対峙する二人の真ん中で激しい爆発が起こった。ノクスは爆炎の中に更に矢を放つが、当たった感触がない。

 溢れていた殺意と殺気がこの場から消えている。

「さて、いつまで逃げられるかな?」

 逃げる獲物をすぐに追いかけるようなこともせずに、ノクスは小さく笑った。


―――◆―――


「あ、か……ッ!」

 再び床に突き刺さった大剣。背中に触れる床が冷たいと思うことすらできないほどに、痛みと苦しみが全神経を支配する。四本のうちの一本につかまれた首は、喉にある食道や気道が前後でぴったりとくっついて、死を意識させられた。

 首の骨をへし折られて終わるのか、このまま息ができずに窒息で死ぬのか、自由な三本の腕で殴り殺されるのか、未来はわからないが、とにかくこのままでは確実に人生に幕を下ろされてしまうことはわかった。

 魔人の二本の腕におさえこまれて身動きは取れず、呼吸のできない状況が酸素の供給を止めて思考を蝕んでいく。視界が霞み、目の前の世界が暗闇に包まれていく。

 やがて苦しいと感じることもできなくなり、全身から力が抜けて、瞳は完全に閉じた。走馬灯も諦念も、何もない。これが死ぬことなのだとおぼろげに感じて、

「う、けほっ……」

 エルナは次の瞬間、喉を押さえていた。反射的にそうしていた。前後に押しつぶされてくっついてしまっていた喉が解放されて、呼吸が戻ってきた。足りない酸素を補うように大きく息を吸い込んでは吐き出し、なんとか正常な状態に戻ろうとする。

 魔人の姿はすでにエルナの視界にはなく、ドームの天井にある橙色の光が徐々に失われていくのが見えた。ノクスがヘルテイトを倒したのだろうか。そうであるなら、召喚主を失った魔獣が姿を保てなくなったことの説明はつく。

 上体だけ半分起こして見ると、魔人は地面に倒れ伏し、ゆっくりと灰になって消えていくところだった。安堵したと同時に力が抜けて、エルナはまた背中から床に倒れた。

「いたっ……」

 頭をぶつけた。ゴロンと、頭の向きを変えてドームの中心にいるミーティアを見る。十字架に張り付けられているが、どうも今まで眠っていたらしい。彼女を解放しないことには、今回の目的は果たされない。這うようにして大剣の刺さった場所までたどり着き、それを杖にして立ち上がった。

 足に力が入らなくて、がくがく震えた。自分の膝につられて、エルナは力なく笑った。顔の筋肉の制御もできないくらいに疲労しきってしまっていた。だから、今まで見えなかったのだろう。自分より早くミーティアに歩み寄る、白装束の影と、魔人の残骸に突き刺さっていた鋭いレイピアが。

「あ、ありがとう、ございます」

 魔人に刃を突き刺して助けてくれたのだろう。全身が震えてしまって、声になっているかどうかも怪しいが、確かにその言葉は届いたらしかった。白装束の背の高い女性はレイピアを床から引き抜いて、エルナに振り向いた。

 冴える銀の刃と雷のような気迫を秘めた瞳がエルナをとらえた。その女性が放った言葉は、エルナの安堵を奪い去るのには十分すぎるほどの重苦しさを持っていた。

「礼を言うな。私はミーティア・エンシスハイムを殺しに来たのだ」


―――◆―――


 あり得ない。ヘルテイト・バーレイグが考えられるのはその短い五文字だけだった。

 それ以上のことを考えようとしても、頭の中ではそれを拒んでしまった。

 こんなことは、あり得ない。『こんなこと』が具体的に何を意味しているかすら、考えたくない。考えてしまったら、自分が自分でいられなくなる。

 予め用意しておいたもう一つの脱出口。ここなら、厄介な追手も来られないだろう。どうせ、『スティグマ』のところに魔人を置いてきたのだから、先ほどまで弓を構えていたヤツもそちらに向かっているに違いない。

 思い出すだけで腸が煮えくりかえるようだった。左腕のひじから先を奪われ、次は両肩の自由を制限された。無理に動かそうとすれば、先ほど鋭い矢で射抜かれた痛みが全ての感覚を塗りつぶす。

 傷を負ったばかりか、『スティグマ』さえも奪い返されてしまったことになる。ひっついてきた小さい剣士はともかく、あの弓使いは魔人程度で太刀打ちできる相手ではない。もう少しで継承の儀式を行って、正式に『スティグマ』を自らの支配下に置くことができたというのに……。

 郊外の森に朝の風が吹いた。過熱した思考を冷やして、全身の筋肉を覚ましてくれる。傷には少ししみるが、このくらいでなければ意識を手放してしまいそうだ。

 落ち着いてこれから先のことを考えなければならない。ヘルテイトは目を閉じた。まず、意識を蝕む傷を癒さなければいけない。治癒促進術式を用いれば二週間、いや、一週間で完治するだろう。それから、あの連中を出し抜いてスティグマとその所持者を奪い返す。

 そこまで考えてから目を開けて、ヘルテイトの思考は凍りついた。差し込んでいたはずの朝日が、何かに遮られて自分のいる場所が陰になっている。それが何であるか理解する前に、額に冷たい鋼が突き付けられた。

「ハロー。バーレイグの落ちこぼれさん」

「な、なぜだ……! 貴様がここに来られるはずが……!」

 あり得ない。ドレッドノートにいた者達の中でここに向かったのは二人だったはずだ。それなのに、なぜこの女がここにいるのか。落ち着きを取り戻しかけていたヘルテイトの頭の中は完全にそれを失って混乱し、思考は先に進まずに同じ五文字を堂々巡りするだけになった。

 紺色の制服、左胸に金の碇マークの刺繍、船長の証たる特徴的な帽子。そして、ヘルテイトにハンドガンを突き付ける本川 玲菜の瞳は、流れる血のような深紅。爆ぜる炎と同じ、紅の色。

「一族の恥をさらしてくれたのはどうでも良いんだけどね。冥土の土産に教えといてあげるわ。あなたが何を間違っちゃったのか」

 カチリ。冷たい鋼の、嫌な音が響いた。拳銃の安全装置を親指でゆっくり解除する音だ。

「喧嘩をふっかける相手の選び方よ」

 紅い目で猟奇的に嗤いながら、レイナ・バーレイグは引き金を引いた。


―――◆―――


 どうして、こんなことになってしまったんだろう。頭がずきずきと痛む。けれど、その痛みも長く続きすぎて麻痺してきた。医務室のベッドの前で丸椅子に座り、クレレは眠る千香の顔を見ていた。足の傷が痛むのか、寝顔にも苦痛の色が滲んでいる。

 膝の上で握りしめた手に、力が入った。そうしていないと、涙が出てきてしまいそうだった。とても幸せな居場所、楽しかった毎日が、バラバラに引き裂かれた。

 姉のように振る舞ってくれた千香は、怪我をして眠っている。ミーティアはどこかへ連れ去られてしまった。ぶっきらぼうだけど誰よりも優しい天は、ひょっとしたら助からないかもしれないほどの深い傷を負った。

 自分にこの居場所を与えてくれた玲菜は行き先もわからないまま、一緒にミーティアを助けようと決意したエルナはその玲菜を疑い、ノクスもそれに同意した。皆の心が離れて、ドレッドノートという一つの家族が壊れてしまった気がして、辛い。

「ん……クレレ?」

「千香さん……」

 千香が目を覚ました。自分以外の誰かがこの場にいるということを実感できるから、千香が目を覚ましてくれたことはとても安心できる。だけど、安堵の陰から不安が顔をのぞかせていることもわかった。

「私、また寝ちゃってたんですね。他の皆は、どうしてますか?」

 こう聞かれることが目に見えていたから。他の皆と言うけれど、千香が一番気にしている人を、クレレは知っているから。千香がその人を見る時の目が、他の人に向けているものと違って特別なことを知っているから。

 玲菜以外に家族と呼べる存在がいなかったクレレにとって、兄弟とは未知の存在だった。玲菜は自分を引き取ってくれただけで、姉にはなり得なかったから、千香が姉のように接してくれるのはとても嬉しいことだった。姉とはこういうものなのだろうとわかった。だけど、その千香が特別な視線を向ける相手は、兄という存在はわからなかった。千香がその人に向ける視線もその人が千香を見る目も、他に向けられるものとは少し違っていたけれど、どうして違うのかはわからなかった。そういった未知の部分に、兄弟という関係そのものに、憧れていたのだろう。

 けれど、その人は……。クレレはそれを言葉にしなくてはいけない状況を恐れていた。

「みんなは……」

 声が震えている。自分でもそれがわかるくらいに震えている。続きを紡ごうとしても、口の中が乾いてしまってうまく言葉が出てこない。

 一度深く呼吸してから、絞り出すように、続ける。

「みんなは、ミーティアさんを連れ戻すために外に出ました」

 ウソにはなっていない。けれど、質問の答えにもなっていない。千香とクレレ以外のメンバーは皆、確かにミーティアを助け出すために外に出た。だが、今どうしているかという問いの答えにはならない。勿論、ノクスやエルナはそういう目的もあってヘルテイトのいる場所まで行ったのだろうが、玲菜はどこで何をしているかわからないし、天は病院にいるはずだ。

 なんて、ずるい。千香が傷つく姿は見たくない。だけど、ウソは言っていないという安心感も欲しい。自分勝手で、だけどそれが千香にとっても最善じゃないかと自分に言い訳する自分が嫌だった。

 うつむいていると、手を掴まれた。何ごとかと思って顔を上げる前に、クレレは引っ張られてバランスを崩し、千香のベッドの上に倒れ込んだ。髪を優しく撫でられ、背中を優しく心地よいリズムで叩かれた。

「クレレは、優しいですね」

「う、あ……」

 せきとめていたものが両目から溢れてきた。千香の胸に顔をうずめて、泣いた。声もあげずに、熱を帯びた吐息と涙だけを吐き出した。

 どれだけそうしていたか、背中を叩く心地よいリズムが気の高ぶりを鎮めて、震えていた呼吸も落ち着いてきた。なんとなく気恥ずかしくて、制服の袖で涙をぬぐって千香から離れようと、手で胸を押した。

 顔を離した直後、額にこつんと何かがぶつかって、目の前に千香の顔があった。

「やっぱり、少し熱がありますね。横になったほうが良いかもしれません」

「……はい」

 ずるい、と思った。今度は自分に対してではなく、千香に対して。

「何か言いたそうですね?」

「千香さんも、たまには甘えてくれればいいのに、と思っただけなのです」

 ずるいと思ったから、少し口をとがらせて拗ねてみせた。

 いつも、甘えるのはクレレ。というよりも、千香にそう仕向けられているような感じがしている。姉のように、クレレの甘えまいとする心の壁を簡単に崩してくるのだ。千香はいつも生真面目で、甘えたりなんかしないのに。

「甘えてますよ。クレレに甘えてもらうことで。私は頼られたいし、おせっかいを焼きたいんです。だから、クレレに甘えてもらうことは、私が甘えてることと同じです」

 優しく柔らかく笑って、千香はクレレを撫でた。いまひとつ納得がいかなかったけれど、でも笑いかけてくれる千香を見ていたらどうでもよくなった。クレレもつられて、小さく笑った。

「あ、艦長」

 スライド式のドアが開く音がして、一人の足音が入ってきた。入口に背を向けていたクレレにはその人物が誰であるかわからなかったが、千香の声を聞いて肩が跳ねた。

「玲菜さ……」

 振り返ってその名前を呼ぼうとしたが、クレレは固まってしまった。状況に理解がついていかない。頭が痛い。ずきずき痛い。

 紺色の制服、左胸に金の碇マークの刺繍、船長の証たる特徴的な帽子。ここまではいつもの本川 玲菜だ。だけれど、今クレレの目の前にいる玲菜は、爆ぜる炎のような深紅の目をしている。流れる血と同じ、紅の色。それから、何よりもクレレにとって信じられないのは、その手に握ったモノを、冷たく輝くソレの鋼の口を、クレレのほうに向けているということ。

「ごめんね」

 クレレがそれ以上何かを考える前に、ドレッドノートの医務室に乾いた破裂音が響いた。



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