6:奪還作戦――始動
ドレッドノートの船内には巡回する自動掃除機がいる。円盤型のそれは地面を滑るように動いて、汚れを残さずにドレッドノートの廊下を綺麗にしていく。天が作ったらしく、ハイパージョン君とか言うわけのわからない名前が付いている。
エルナ達が帰ってきたときにも、それは忙しく働いていた。汚れがだいぶしつこいらしく、同じ場所にとどまる時間が長引いてしまって過熱状態になりかけていたが。
その原因に気付いた時、天は叫んでいた。壁に背中を預けて気を失っている千香の、左足からの出血が原因だったからだ。
「何があった! いや、それよりも早く治療を……!」
その時の慌て方は尋常ではなかった。普段が落ち着いているというか気力のない天だから、こうやって取り乱し、声を荒げるのは珍しい。
千香はすぐに医務室に運びこまれ、艦長によって治療が施された。出血量が多かったようだが、命に別状はないらしい。
ブリッヂにメンバーが集められた。医務室から出て、最後にブリッヂにやってきたのは天だった。瞳の奥に怒りの感情が燃えていて、普段とは別人のようだった。
ブリッヂに集まったのはエルナ、クレレ、天、ノクス、玲菜の五人。重苦しい雰囲気だった。クレレは沈んでいるのがすぐにわかるような表情をしているし、天は渦巻く怒りを隠せていない。ノクスもいつもの柔和な笑顔ではないし、艦長も苦い顔をしている。
まずは艦長が口火を切った。
「状況を整理しましょう。まず、私達が知っているのは千香ちゃんが何者かに襲われて怪我をしたこと。それから、ミーティアちゃんが船の中からいなくなっていることの二つ。その時、船に残っていたのはクレレちゃんだけ」
「はい。眠ってしまっていたので、何が起きたのかはわかりませんけれど、残っていた魔力素の痕跡から使用された術式は特定しました。神経干渉系と四元系の風と炎です。風は千香さんのものですが、それ以外は第三者が使用したものです」
魔術は使用すれば世界に変化をもたらす。その変化の痕跡は魔力素の小さな変質として現れる。探査・解析系術式ならばそれを分析することは可能だ。
使用された術式の大まかな系統はそれでわかる。個人が使用する術式にはたいてい限りがあるので、その場にいたかどうかを判断する材料の一つとして用いられることがある。
今回の場合、千香の使った風以外に、神経干渉系と四元系の炎の術式の形跡が見られた。クレレは探査・解析系に特化した術者だし、ミーティアも使うのはもっぱら単純な破壊系の術式のみだ。
そうなれば、今回の事件には第三者が関わっていることになる。おそらくはその人物が千香を傷つけ、ミーティアを連れ去ったのだ。
次に口を開いたのは天。目覚めた千香の話を聞いていたらしく、一番重要な情報を持っているのは彼だ。彼の口調や表情から、抑えられない怒りの断片を垣間見ることができた。
「襲来者は黒いコートの男。紅眼の男で、催眠と幻覚の術式、それから炎の術式を使ったらしい。クーの話とも一致してる」
「紅眼の炎使いかな?」
「そうね。千香ちゃんほどの使い手を相手にしてまともに戦えるのだから、可能性はある」
バーレイグという一族は、人工遺物を管理する古代から続く血筋だった。だった、というのは、その血筋の者が人工遺物を使って起こしたある事件のせいで、彼らが連邦政府から追放されているからだ。
紅い目が特徴の、四元系の中で最も攻撃的な炎の術式を巧みに操る一族で、連邦騎士団とも互角に渡り合うほどの力を持っているらしい。
千香の実力は、エルナはよく知らないのだが、訓練室を使う頻度や艦長達の信頼の仕方から見て、相当の使い手であるらしいことはわかった。
千香から聞いたという天の話は、さまざまな情報をもたらした。その黒いコートの炎使いが千香を負傷させ、ミーティアを連れ去ったということ、ミーティアがインテリジェンス・ウェポン『スティグマ』の所持者であったこと、その『スティグマ』も船内から姿を消していること。
それらから総合して考えると、何らかの魔術的理由があって『スティグマ』とその所持者を必要としていた可能性がある。相手が人工遺物について曰くのあるバーレイグの者なのだとしたら尚更だ。
「今回得られる情報はそのくらいね。となると、まだ行動は起こせないか。
ノっ君、最近の依頼に関して調査をお願い。おもに依頼元を徹底的に調べ上げて。
天ちゃん、情報が集まり次第、すぐにでも打って出るから、それまで頭冷やしときなさい。
エルナちゃんとクレレちゃんは少しここに残って。それじゃ、解散!」
艦長の指示は素早い。ノクスはすぐにブリッヂを出て行ったが、天の足取りは重そうだった。その後姿を見送って、艦長はため息をついた。
静かにエルナ達に向きなおった艦長の表情は、やはり苦いままだった。議事堂城下町の防衛戦のメンバーを選抜したのは彼女だからだろう。ドレッドノートに残ったメンバーの中で、実質的に戦闘に参加できる者は千香だけだった。
千香の実力を過信していたわけではない。相手が悪かった、というと負け惜しみに聞こえるが、今回は本当に相手が悪かったのだ。そもそも、第四区画に連邦騎士団と渡り合えるような化け物がいるということがまず想定外。
「ノっ君が情報を集めている間、私も行くところがあるの。天ちゃんなら時期に落ち着くと思うけど、それまでの間、留守をお願いするわね」
「わかりました」
「ミーティアちゃんは必ず取り返す。いつでも出られるように準備しておいてね」
「はい!」
エルナは力強く返事した。
―――◆―――
艦長が船を下りた後、エルナとクレレはブリッヂに残っていた。エルナは目を閉じた。状況をもう一度整理しないと、頭が混乱してしまいそうだったからだ。
まず、議事堂城下町の防衛戦に出た後からエルナ達が戻ってくるまでの間に、黒いコートを着た何者かがこのドレッドノートに忍び込んだ。
その男が紅い目をしていたこと、炎の術式に千香が敗れたこと、人工遺物である『スティグマ』とその所持者であるミーティアを連れ去ったことから、その男はかつて人工遺物を管理していたバーレイグの一族である可能性が高い。
ミーティアが本当に『スティグマ』を持っていたという事実には驚いたが、ここで考えるべきは、なぜその男が『スティグマ』だけを持ち去らず、所持者であるミーティアまで連れ去ったか、ということだ。
杖を一本持ち歩くのと、人一人を抱えて歩くのとでは勝手が全く違う。単純に人工遺物として高値の付く『スティグマ』を欲していたなら、まずミーティアには目もくれないはずだ。
何らかの理由で、ミーティアも連れて行かなければならなかったのだろう。インテリジェンス・ウェポンとその所持者が魔術的なつながりを持つことはいくつかの文献に書かれているようだが、それが理由だろうか。
エルナは目を開けた。今ここで考えても、答えは出なさそうだ。理由がどうあろうと、ミーティアは救い出すまで。
クレレのほうを見ると、やはり沈んだ表情のままだった。千香が戦っている時に自分は眠っていて、千香は大きな怪我をしてしまったし、ミーティアは連れ去られてしまった。その事実が辛いのだろう。
「エルナさん」
震える声で、クレレが口を開く。
「怖く、ないんですか」
うつむく青い瞳が小さく揺れた。クレレの中にあるのは恐怖。それも、ただ一つの恐怖ではなさそうだった。
千香が傷ついてしまったこと。足の傷は深く、出血量も多い。もう少し措置が遅かったら危なかったかもしれない。痛みへの恐怖。血への恐怖。死への恐怖。
ミーティアが連れ去られてしまったこと。相手は連邦騎士団とまともに張り合おうという力の持ち主であること。その相手にとらわれて、ミーティアがどうなってしまうのか、その先を想像する恐怖。痛みを、死を知ることへの恐怖。すなわち、知への恐怖。
そしてこれから、ミーティアを助けるためにドレッドノートが総力を挙げること。始まろうとする戦いへの恐怖。船員として依頼をこなしてきた時間はエルナよりも長いが、平和な第四区画ではここまでの緊張を強いる戦いがなかったのだろう。
エルナは深く息を吸った。吸い込んでから、ゆっくりと声にして吐き出していく。
「怖くないよ」
クレレは顔を上げた。まっすぐに見つめる瞳はその奥に決意の色を秘めて、戦いに赴く勇者のごとく輝く。クレレがそれを認識した直後に、エルナは力なく笑った。
「って、自信たっぷりに言えれば良かったんだけど……」
「へ?」
そのあまりにも急激な変化に、クレレは思わず間抜けな声を出してしまった。
エルナは風船がしぼむように息を深く吐いて、弱々しく笑っていた。
「ボクも、すごく怖いんだ。わからないことが多すぎて。犯人はなんでメンバーが出払ってる時を狙って侵入できたのか、なんでミーティアが連れて行かれたのか、なんで千香さんが傷つかなきゃいけなかったのか、なんで、なんで、なんで……。
ボク達の足元には不確かなものばっかり転がってる。尖ったものを踏みつけたら痛いし、大事なものを踏みつけたら壊してしまうかもしれない。動くことは、とても怖い」
だけど、いや、だから。そう続けて、エルナはまっすぐにクレレを見つめる。
「動くべき時を見極めて、その時にしっかり動けるようにしておくんだ。今は副艦長の情報を信じて待つ時。すぐに動けないのはすごく不安だけど、こんな時こそ心を落ち着けるほうが良い」
自分に言い聞かせるようにして、エルナは深く呼吸した。
「エルナさんは、すごいです。こんな時にも冷静でいられる人は、そう多くありません」
「あはは……もう少しこの手足の震えがなんとかなってくれれば言うことないんだけどね」
苦笑するエルナの前に、グーで握った拳が突き出された。白い袖から出た小さな手は、揺るがない決意を握りしめている。
「がんばりましょう。ミーティアさんは必ず、私達で助けましょう」
「うん!」
こつん、とエルナは自分の拳をクレレの決意にぶつけた。小さな手はとても心強かった。
―――◆―――
純白の廊下。蛍光灯の明りに満たされた冷たい空間。この場所にも夜が訪れ、窓の外には黒い深淵が広がっている。
人工光で照らされた廊下には、ほとんど人がいない。病院という神聖なる場所で、しかも夜であるということが原因の一つだ。
そして、ここが一日の大半を眠って過ごす者達の病室を集めた、眠りの病棟だからでもある。定時の巡回かナースコールがなければ、ここに訪れる者はほぼいないと言っても良い。
本川 玲菜はそんな廊下で、ある人物と対峙していた。白装束を身にまとった背の高い女性。腰に下げていたはずのレイピアは、病院ということを考慮してか外している。
それでも、彼女が戦いの中に生きる戦士であることを隠すことはできなかった。戦いの世界に必要とされる筋肉のみが鍛えられ、装束から覗く腕はそれだけで凄みを感じさせる。刃のような威圧感さえ持つその女性は、自分の前に立ちはだかった玲菜を見て顔をしかめた。
「何か、御用か」
「ええ。まさかあなたが連邦騎士団、銀雷のフォルラムルだったとはね。探す手間が省けたわ。ベズヴィルドからの伝言よ」
ベズヴィルドの名前を出した途端に、白装束――フォルラムル――の眉が動いた。
「セーレイズの面倒を頼む」
先の任務でベズヴィルドに言われたままに、玲菜はその言葉を伝えた。
「そうか。わかった。ベズは動けないのだな」
「ええ。あなたには頼りたくなかったのでしょうけど、そうせざるを得ないことには薄々気付いてたみたいね」
「伝えてくれたことに感謝する」
そう言ってフォルラムルは玲菜の脇を通り抜けて去ろうとする。玲菜は詳しいことを聞かされていないが、セーレイズというのがベズヴィルドの妹であり、このフォルラムルという女性は少なからずその二人と関係しているということ、それから、フォルラムルがセーレイズに対して並々ならぬ愛情を注いでいることを見抜いていた。
先ほど、フォルラムルが出てきた扉には、セーレイズの名が書かれたネームプレートがつけられている。誰も来ようと思わないこの眠りの病棟に、フォルラムルは一人やってきたのだ。
それも、連邦騎士団の構成員という立場にある豪傑が、である。連邦騎士団と言えば、全員が何かしらマスタークラスか、あるいはそれよりも更に上のレジェンドクラスの実力の持ち主ばかりが集う、宇宙連邦最強の精鋭武装集団だ。
彼女の後ろ盾は連邦政府。それならば単独で宇宙を航行できるのも納得がいく。その連邦騎士団にあって、銀雷のフォルラムルはその名を宇宙全域に轟かすほどの剣の使い手だ。
「ひとつだけ聞きたいことがあるんだけど」
それほどの使い手を相手にして、玲菜は少しも動じなかった。勿論、戦いになれば一対一では勝ち目は薄いだろう。しかしそうでなくても、連邦騎士団の威圧感は並のそれではない。
純白の装束と、戦場に立ち続けた者だけが得られる独特の貫録。その前では半端な実力の持ち主は二本の足で立つことすら叶わない。
呼び止められて、フォルラムルは立ち止った。長い銀髪は人工光の中にあって尚、人の立ち入れぬ領域の神秘を見せつけるように輝いていた。
「第四区画にバーレイグの生き残りが隠れている、という話を聞いたことはあるかしら」
「勘違いをするな。我々はバーレイグを根絶やしにしたわけではない」
バーレイグは人工遺物を用いて一度、宇宙連邦政府に刃向おうとした歴史を持っている。だが、バーレイグという一族そのものは元々一枚岩ではなかったらしい。事件が有名になれば、連邦政府は対応をとらないわけにはいかない。
連邦騎士団を用いた武力鎮圧、という形で、事件は終息した。その際にバーレイグの多くが死に、生き残った者も散り散りになった。
「ヘルテイト・バーレイグの話なら、私に言えるのはこれだけだ。ヤツには関わるな」
それだけ言い捨てて、フォルラムルは姿を消した。玲菜は小さく笑った。予想以上の収穫があったからだ。
ヘルテイト・バーレイグ。名前がわかっただけでも良い。連邦騎士団が関わるなと忠告するほどの使い手。千香が負けたのも納得がいく。
だが、玲菜はフォルラムルの忠言に従うつもりはなかった。取られたものは取り返す。かわいい部下が痛めつけられたなら、同じだけの痛みを返してやるまで。
病院の廊下を歩く者の足取りは、おぞましいほどに軽かった。
―――◆―――
「少し、できすぎているような気もするね」
ブリッヂでいつものブラックコーヒーを飲みながら、ノクスはつぶやいた。
情報を集め終わった彼が戻ってきた後、すぐに作戦会議が行われ、それを実行に移すために三人が出動した。エルナ、クレレ、天の三人だ。
天は柄にもなく自ら作戦メンバーに加わることを申し出た。千香を傷つけられて腸が煮えてしまっているのだろう。
最悪の場合は戦闘が予想されるこの作戦のメンバーにクレレを加えたのは、ドレッドノートを襲ったバーレイグの気配を探るためだ。彼女の探査術式でこの船に残っていた魔力素から犯人の魔術的特徴がわかっている。彼らが向かった先にそいつがいるかどうかは、クレレの探査によってわかるだろう。
本来、犯人を直接見た千香が赴くのが一番良いのだが、傷が癒えるまではまだ時間がかかる。艦長が治癒促進術式を施したとは言え、やはりそれは治癒を促進する効果しか持たない。
そして、天とクレレの二人だけでは戦闘面での不安が残る。天の実力は言うことなしだが、クレレを守りながらの戦いとなると彼一人では厳しい。もう一人、戦闘員をメンバーに加える必要があった。
とはいえ、ドレッドノートの守りもおろそかにしてはいけない。あのバーレイグがドレッドノートに対して個人的な恨みを持っていたとなれば、再びここにやってくる可能性だって捨てきれないのだ。
そうなった時、連邦騎士団と互角に渡り合う相手を止めるには、エルナは経験が乏しすぎる。いざとなれば逃走が可能な今回の作戦に対し、船の防衛は敗北が決して許されないものだ。艦長と副艦長の二人で万全の防衛体制を敷かなければならない。
「罠だった場合のことも考えての配置か。玲菜ちゃんの判断はいつも最善だね」
「そう言ってもらえると少し気分が晴れるわね」
玲菜はあまり晴れやかな表情ではない。作戦の判断、指揮に関しては艦長らしく最も迅速で適切な彼女だが、それは想定を大きく外れた事象に弱いということでもある。
今回の件はまさに想定外。名門、白柳の剣を奥義まで極めた千香が敗れる相手など、この第四区画にいるはずがないと思い込んでいた。
ヘルテイト・バーレイグ。この船を襲った男の名はおそらくこれで間違いない。第四区画に来ていた連邦騎士団の構成員、フォルラムルが言及したとなれば、ヘルテイトという男もこの第四区画にいる可能性が高い。
そして、ベズヴィルドの取り調べで明らかになった議事堂城下町襲撃事件の共犯者の容姿が、長身の黒いロングコートに紅い目。船を襲撃したバーレイグと一致している。
それから、ノクスが得た筋の情報によれば、中央魔法学園の幼少組襲撃事件の少し前、第四区画に別荘を買った政治家がいる。連邦政府の枢密院議員ディグラルディだ。金にがめつい男らしいという噂が絶えない。エンシスハイム卿に何度か接触したという情報もあるし、ディグラルディの別荘に黒いコートの人物が出入りしているという目撃情報もある。彼が『スティグマ』を狙っている可能性は十分に考えられる。
特殊調査部という名前の部署は第四区画には存在せず、従って第四区画のギルドに依頼を出すとは到底考えられない。遺跡事件の際の依頼者に対する違和感はまさにノクスが想像していた通りのものだった。天が回収した召喚核は、自然のものに見せかけられていたが、人工のものである可能性も充分に考えられるという。遺跡入口に仕掛けられていた転移陣もそれを裏付ける。
最後に、フォルラムルの話だ。幼少組校舎襲撃事件の際に彼女が追っていた相手がヘルテイトであるとするなら、カリダの遺跡に彼女がいたことにもつじつまが合う。
つまり、ディグラルディが特殊調査部という部署をでっちあげてドレッドノートに依頼を受けさせ、遺跡にドレッドノートのメンバーを呼び出す。ミーティアが任務に参加していれば遺跡内部で転移陣によって分断したところを捕まえればいいし、そうでなくても転移陣で時間を稼いでその隙に船を襲えばいい。ヘルテイトが遺跡に召喚核を仕掛け、フォルラムルが彼を追っていたのだろう。
しかし、できすぎている。ノクスはそう感じていた。特別なツテがあるとは言え、これだけの情報が整然とすぐに集められたのには違和感がある。
たとえば、ヘルテイトはわざわざベズヴィルドにその姿を見せたりしただろうか。ベズヴィルドを使い捨ての駒にするなら、彼女の口を封じる手段も用意するのが自然だ。
そして、ベズヴィルドに議事堂城下町を襲撃させ、その隙にドレッドノートの船内に侵入するつもりだったなら、ここにも奇妙な不自然さが残る。そもそも彼は、ハーヴィ中将がドレッドノートに援軍を要請することを予め知っていたのだろうか。
ディグラルディの別荘付近で目撃されているのも不可解だ。神経干渉系の、それも幻覚術式の使い手なら、目撃されないように細工することなど造作もないはずのに。
ヘルテイトに誘われているような気がする。それも踏まえて、玲菜は防衛のメンバーを重視した。作戦メンバーはあくまで偵察が目的。最悪の場合には戦闘が予想されるが、そうでなければより確かな情報を持ち帰るのが仕事だ。
「後は、天ちゃんが突っ走らないことを祈るだけね」
「そうだね。それだけが心配だ」
香りと苦みを楽しみながら、ノクスはカップの中の黒い液体をすすった。
―――◆―――
第四区画中枢惑星の郊外。食糧の調達に事欠かない場所であり、なおかつ人通りの多くない場所。そこに最近新しくできた別荘がある。
立地としては最高の条件だが、こう無駄に大きな建物となると人々の目を引かずにはおれない。だから、人通りは多くなくとも、黒いロングコートを着た長身の男が出入りする様子を見ている者は多い。
中に入ると、床には赤い絨毯が敷かれている。ロイヤルレッド。古の時代からの権威の象徴である。あるいは、男を興奮させる色としても、この毒々しい赤は役に立つことが多い。はるか昔の闘牛という競技で用いられたマントが赤いのもそのためだ。
赤は権威のみならず、戦いを象徴する。全てを焼きつくす炎、強者が浴びる勝利の美酒、すなわち敗者の血液。
「下らん」
その赤の中にあって尚映える紅蓮の瞳の持ち主は、この別荘の主の間へと向かった。赤い絨毯の奥、目の痛くなるような煌びやかな部屋の中央の椅子に、一人の男が座っていた。
「戻ったか、ヘルテイト」
自分だけの玉座を作り、自分だけの世界で王を気取るその男は、その態度と同じく体も大きい。着るものはもちろん特注。椅子も特注でなければ座れないほどだし、あごと首の境目がわからないくらいに贅肉が垂れ下がっている。
「して、スティグマは手に入ったのか?」
そのくせ、考えているのは金のことばかり。『スティグマ』を手に入れることでさえ、高く売り飛ばすため以外の目的は持っていない。
「口の利き方に気をつけろ」
拳を前に突き出す。それだけで、黒いコートがなびいて、隠されていた殺気が全て外に出てきた。拳にはモードチェンジャーによってその形を剣の形状にしたLPが握られている。
メタモル。ウィンドミル社が開発したモードチェンジャー内蔵型のLPの究極系。普段はブレスレットをはじめとするアクセサリの姿をしており、武器だとわからないが、モードチェンジャーによって即座に武器に変形する。
剣、杖、弓、槌、斧、槍……。カスタマイズに従ってあらゆる形態の武器に変形できる半面、扱いは全てのLPの中で最も難しいと言われている。その刃を突き付けられて、太った男はわめきたてた。
「貴様こそ気をつけるんだな! 忌まわしいバーレイグを雇う者などこの私、ディグラルディ・ギンナル以外にはおるまい! あれだけの報酬を出してやるのだから、お前は私に従属する義務がある」
ディグラルディ・ギンナル。宇宙連邦政府の大統領の諮問機関、枢密院の議員である。行政において非常に強い力を持った集団だがそれ故の束縛も多く、枢密院の議員は互いが互いの動きを表面上、監視しているような状況にある。
表面上、というのは、つまるところ、監視は行政的な公の場で行われているだけであって、裏では何をやっているか不透明だということを言う。中には連邦の政治を民衆のために良くしていこうという意志を持つ者もいるのだが、ディグラルディは裏で汚いことを平気でやってのけるタイプだった。
枢密院議員は大統領の諮問機関であり、行政において非常に強い力を持つ。それ故に、マスメディアの注目も集めてしまうため、表立った動きはあまりできない。政治資金を集めるための活動も、裏でこそこそとしなければ横領だの何だのとうるさく騒がれてしまう。
宇宙という広い世界に出ておきながら、枢密院にその広大な自由を享受する資格は与えられていなかった。ディグラルディは強欲な男で、身分の保障される枢密院議員に必死で成り上がったのだが、この現状に満足してはいない。
民衆が思うほど、枢密院議員は金を受けとってはいない。否、受け取ってはいるが、そのほとんどが政治活動や公共事業のために消えていく。議員個人の自由にできる金は決して多くはない。
その枢密院議員が金を得る方法と言えば、裏の世界での取引くらいしかない。特に人工遺物は高値で取引されるため、『スティグマ』の存在を嗅ぎつけたディグラルディは何としてでもそれを手に入れようとした。
エンシスハイム卿を脅迫させたりもしたが、すんでのところであの娘を――『スティグマ』の所持者を――逃がしてしまった。ドレッドノートとかいう部隊に研修生として配属されたことは、役所の連中に金を積んだらすぐにわかった。
世の中は金で動いている。人の心を最も効率よくつかむ道具が、金だ。目の前で自分に刃を突き付けている男も、ディグラルディが金で雇っている。荒事を片付ける用心棒として、だ。
ディグラルディは刃さえ恐れなかった。いかに強い男とは言え、このヘルテイトという男はバーレイグ。今や宇宙で敵を持たない政府にとって、最も疎ましい存在。そんな男を雇おうという者はいない。食うに困らぬ金と住居を与えてやれば、雇い主たるディグラルディに逆らえるはずはないのだ。
「よもや、手に入れられなかったのではあるまいな?」
「見くびるな。俺は『スティグマ』を必ず手に入れると言った」
「ならばすぐに渡せ。秘書に金を用意させよう」
ヘルテイトの口元がつりあがった。残忍で冷酷な声が紡がれた。
「何を勘違いしている。俺はスティグマを手に入れるとは言ったが、貴様にくれてやると言った覚えはない」
「貴様! 裏切るのか!」
「裏切るだと? どうやら脳みそまで肉団子のようだな」
鈍い輝きを放つ刃がだらしなく垂れ下がるアゴの肉を撫でる。ディグラルディはこの世のものとは思えない怒りの形相でヘルテイトを睨みつけた。
犬歯をむき出しにしたヘルテイトは意識を後方に移した。この太っちょを殺すことなど容易い。キツネを狩るのに比べれば、豚を処刑するだけのこの状態は実に退屈だ。
どうせなら公開処刑にしよう。悲鳴の独奏曲には聴衆が、血と肉片の飛び散る殺戮遊戯には観衆が必要だ。誘いに応じてちょうどいい相手がやってくる。それを迎えてやるのも悪くなかろう。
ヘルテイトは、懐に隠し持っていた人工召喚核を操作した。
―――◆―――
道中、天は無言だった。夜も更けて、ただでさえ人通りの少ない郊外は本当に誰もいなくなっていた。エルナ達三人にとってそれは好都合だ。
今回の任務は偵察。ディグラルディの別荘に出入りしている者が船を襲った黒コートと同一人物かどうか、ミーティアがここにとらわれているかどうかを探るのが目的だ。
クレレの探査術式を用いれば、船に残されていた魔力素の形跡とこの屋敷の付近にある魔力素の形跡を照合して、ここにヘルテイト、ミーティアがいるかどうかはわかる。
別荘の門は手動式だった。高さはそれなりにあるが、魔術的な施錠が施されている様子はない。金をできるだけかけないような作りになっているのだろう。それにしては無駄に大きい建物のような気もするのだが。
宵闇を切り裂いて、魔獣の咆哮が響いた。三人はすぐにそれぞれのLPを握って、格子門の外から内側を覗き見た。左右対称で、王冠のような形をしている建物。その中からゾロゾロと、黒い狂犬達が這い出てくる。
次々と湧いて出てくる雑魚の一番奥、まるで番犬のように、一際大きな狂犬がいた。他のヘルハウンド達よりも一回り以上大きな体で、遠目にも胸元に渇いた血が付いていることがわかる。ヘルハウンドが体高約二フィート七インチほどであるのに対し、その親玉は背の高い天と同じくらいの高さを持っている。ガルムと呼ばれるヘルハウンドの上位種だ。
「クー、ここから探査できるか」
「はい!」
クレレは羽根ペンを建物の外壁に滑らせる。白い魔力光が魔導文字を紡ぎ、ルーン言語の文法に従って詳細な探査を行っていく。
与えられた機構と入力に従って探査の術式は結果を出力する。クレレ以外にその文字を読み取ることはできない。
「間違いありません。船内にあった形跡と同じ、神経干渉及び炎の術式が確認されました。
建物自体は単純な構造をしていて、中央をまっすぐ行くだけで広い部屋に出ます。そこに、強い魔力反応があります。それから……」
「充分だ」
エルナは天を見てぎょっとした。十個で一セットにした増幅回路をくくるピンを噛んで引き抜いて、その全てをロッドタイプLPの駆動部にセットしたからだ。
普通、ウィンドミル社のLPの駆動部に一度にセットできる増幅回路は四つが限界である。魔術的要素をあまり必要としないエルナの大剣LPはハーフウィンドミルという二式駆動タイプで、増幅回路は一度に二つまでしかセットできない。
LPの販売において圧倒的なシェアを誇るウィンドミル社だが、天が使っているのはウィンドミル社製のものではなかった。クイックキャスト社製のサークル・ラダー・モデルだ。その中でもサークル・ラダー・Xは一度に十個の増幅回路を並列処理できる高機能なものである。
しかしながら、増幅回路の使用は術者に対して身体的、魔術的負荷を強いる。一度に十個扱えるからと言って、それは利点ばかりではなく、むしろそれを扱うことのできる人間は一握りだ。
「遅れるなよ」
天はそう言って地面を強く蹴った。高い格子門の上にその一ステップだけで飛び乗る。脚部強化の術式だ。それから門の内側に飛び降りる際に別の術式を発動する。
門の前まで迫ってきていたヘルハウンド達はその術式によって駆逐された。地面から生える無数の銀色の剣が、黒い狂犬達を逃さず串刺しにして息の根を止めた。広範囲に渡る錬金系。増幅回路を使ったとしてもここまでの威力と範囲を持つ錬金系の術式を操れる人間はそういない。
やがて、白銀の剣は地面に吸い込まれるようにして消えていく。ただ一本を残して。
残された一本はそれだけ地面に突き刺さるように柄が上に向いている。疾駆して左手でそれを引き抜き、勢いを殺さずに天は狂犬達の親玉の下まで駆ける。脚部強化が効いているのか、かなり速い。
エルナ達がやっとこさ高い門を飛び越えた時には、天はすでにショートレンジ圏内にガルムをとらえていた。振り下ろされる黒い剛腕。その断面は人の顔ほどの大きさもある。
なぜ、エルナは断面の大きさを知ることができたのか。それは、振り下ろされたはずの腕が綺麗に切断されて宙を舞っていたからだ。見えない神速の剣閃が反対の腕も斬り落とし、天はそのまま踏み込んでクロスレンジへ。
「邪魔だッ!」
突き立てられた刃はガルムの胸元に深く刺さった。渇いた血の痕を己のそれで汚しながら、狂犬の親玉は激痛に悶え、高く吼え猛った。
その咆哮の中で、天は消えた。突然姿を消した仇を探すように、血管の浮き出た首と血走った目を動かしてガルムは辺りを見回す。エルナ達のいる方を向いてその視線が固定された。とにかく人間であれば何でも良いのだろう。失った両腕、胸に突き刺さる銀の剣、体の支えをなくして尚、その狂犬は立ち上がった。後ろ脚のみを器用に使って、その頭を月の輝く夜空に向けて持ち上げた。
来るかと思って大剣を握るエルナだったが、その心配はなかった。その場に縫い付けられたように、ガルムの動きが止まった。叫びをあげることすら許されず、その原因が明らかになる。
ガルムの胸元、剣の刺さった場所のすぐ近くから、別の剣の先端が飛び出した。一か所、二か所。まるでその獣の体内から剣が生えているかのように、鮮血をまきちらしながら銀の剣花が咲く。
ガルムの奥に、ロッドタイプLPを掲げる天がいた。錬金系術式。固体を操るその魔術によって、剣の形状を変化させたのだ。完全に息の根を止められ、核をつぶされた魔獣の黒い肢体が月夜に溶けていく。
ガルムの体内で大暴れしていた針の玉のようになった銀の剣が地面に落ちて、これも溶けるように消えていった。建物の内部にもヘルハウンドがひしめいているが、天は迷わずにその中に突っ込んでいった。銀の剣を錬成し、迫りくる狂犬を斬り捨てて突き進む。時には右手に握った杖で地面を激しく隆起させて雑魚を吹き飛ばし、左手の剣で行く手を塞ぐ者の首を飛ばす。
「すごい……」
鬼神。作られた命に死を撒き散らしながら猛進するその姿は、鬼神と呼ぶに相応しいほどの圧倒的な威圧感をまとっていた。
「千香さんのことが、ショックだったんですね」
天の頭に血が上っているのは傍から見ても明らかだった。最初に見た印象とは少し違う。仲間の為に怒り、行動できるだけの心の暖かさを、彼は持っているのだ。
「天さんは、優しいお兄さんですから」
今の姿は優しいとは程遠い位置にあるように見えるが、そうではない。クレレの言葉には、そう感じられるだけの説得力があった。
「ちょっとだけ、うらやましいとか思っちゃうこともありますけど」
クレレは穏やかに笑って、目を閉じた。次に目を開いたときには、その瞳には強い色が宿っていた。
「行きましょう。今、冷静でいられるのは私たちだけです」
「うん」
エルナとクレレは、天を追いかけてディグラルディの別荘に入った。明らかに今回の任務の範囲を超えているが、天を一人で行かせるわけにはいかない。それに、別荘を覆うほどの魔獣が外に出ないように駆逐するという大義名分もある。
赤い絨毯の上の狂犬達は一掃されて、エルナとクレレの行く手を阻む者はいなかった。