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2:知られたくない傷痕

 宇宙は連邦政府によって、第一区画から第四区画までの四つに分割統治されている。

 第一区画は最も古い場所で、人類が生まれた星「地球」を含んでいる。その中でも開発が進んでいない区域も存在し、人口密度が最も高いこと、また、政治的、経済的に権力を持つ者が集まりやすいことなどから、犯罪が起こる確率も高い。

 逆に、第四区画は最も新しい区画であり、テラ・フォーミングを終えていない未開惑星が多いこと、権力を持つ者はおろか、一般人でさえここに移住したいとは思わないことなどから、犯罪の起こる件数は非常に少ない。

 連邦政府も十分な広さを持つ第一区画から第三区画までの領地の治安を維持するのに手一杯で、第四区画には公認のギルドをあまり駐在させたがらないし、ギルド側も報酬の高い第一区画、第二区画に行ってしまうため、結果として第四区画にはギルドがほとんど残らない。

 この時期になれば魔法学校の優秀な生徒を引き抜くためにわざわざ外部からこの区画までやってくるギルドもあるのだが、それにしたって研修生としてギルドに招き入れてそのまま元の区画にとんぼ返りしてしまう。

 第四区画中央魔法学園(中央と言っても、第四区画に学園は一つしか存在しない)の校舎が、いまだに古い様式で作られていたのはそれが原因でもある。


 そんなわけで、連邦領第四区画は実はとても平和な場所だ。平和な場所に、ギルドの仕事はほとんどない。

 せいぜいが辺境区画の中の更に辺境の惑星への物資の配達くらいのもので、それ以外は暇を持て余すことになる。

 旧式の弱小艦ドレッドノートは、第四区画から出ることができない。したがって、彼らは今、とても暇だ。

 エルレナード・フィンブルツールはブリッヂを見渡した。ドレッドノートの乗組員は、研修生として派遣された彼とミーティアを含めて七名。そのうち、今ブリッヂにいるのは四名だ。

 会議用の長テーブルの端で、金髪碧眼の白い制服の小さい少女、クレレがスケッチブックに何か描いている。隣に座ってそれを覗き込んでいるのは、肩まで髪を伸ばした、エルナと同じ学園の制服を着た少女、研修生のミーティアだ。

 クレレは見たところ、ミーティアよりも年下である。ギルドで正式に働くことができるのは十三歳からで、普通、高等魔法教育を終えるまで――つまり、十八歳になるまで――ギルドに所属することはない。

 それでも、稀に例外というものが存在する。魔術や武術に関して特別な家柄で訓練を受けていた者だったり、その他特別な事情がある場合には十三歳からギルドに所属することができる。

 クレレもその類だった。本人に聞いたところ、まだ彼女は十四歳だという。義務教育を受けている年齢だが、本人の希望で通信教育で済ませ、このギルドの仕事と両立させているらしい。

 エルナ、ミーティア、クレレと、あと一人、この部屋には人がいる。元々操縦用であった席に座って、長い足を組みながらおいしそうにコーヒーを飲む長身の青年だ。

 ドレッドノート副艦長ノクス・アージェンタイム。色白で切れ長の目をしていて、紺を基調とした制服をしっかりと着こなしている。同性のエルナが見とれてしまうくらいの美青年。

「あ、あのっ……」

 ミーティアとクレレはスケッチブックの世界に没頭しているようだし、何より女の子同士の世界に入り込んでしまうのは、誤解を解いた後とは言え、何だか抵抗があった。

 したがって、エルナが話す相手は必然的にノクス副艦長になる。柔らかな物腰で、ノクスは答えた。

「何かな?」

「えっと、この船って、いつもこんな感じなんですか?」

 エルナの言うこんな感じ、とは、仕事がなくて各々が好き勝手に行動している現状を指す。こんな疑問が生まれたのは、ギルドというものがもっと忙しくあちこち飛び回って仕事をするものだと言う先入観があったからだ。

 エルナの気が短いわけではない。最初の仕事からかれこれ一週間は何もない日々が続いているのだ。

「そうだね。この前みたいな仕事が入るのは珍しいよ。月に一つか二つくらいだ。学校じゃ暇のつぶし方は教わらないだろうから、戸惑うのも無理はないと思うけどね」

 答えてから、ノクスはまたおいしそうにコーヒーを飲み始めた。

 ブリッヂのドアが開いて、ノクスと同じ制服を着た女性が入ってきた。独特の形状をした、艦長の帽子をかぶっている。

「お仕事お疲れ様です! 資料運んでおきますね」

 そう言ってすっと立ち上がったのはクレレだ。

「あー、あとで良いよー」

「いいえ! 玲菜(れいな)さんのお部屋は後回しにすると大変なことになっちゃうのです」

 本川(もとかわ) 玲菜。ドレッドノートの艦長であり、司令塔だ。今時、漢字を使う名前は珍しい。

 艦長は資料整理を終えて戻ってきたところで、窮屈な仕事から解放されたことを実感するように大きく伸びをした。整理後の資料は誰が運んでも良いのだが、クレレが進んでその雑用を引き受けてしまっている状況のようだった。

 クレレは長い金髪と白いマントをはためかせながら、パタパタと走っていく。資料を運ぶ、という仕事がどんなものかはわからないが、エルナは立ち上がっていた。そうしないとなんだかまずいことになるような気がしていた。

「ボクも手伝うよ」

 この間運んでいた資料の量を考えると、クレレ一人に任せておいたのではまた同じ惨劇を繰り返しかねないからだ。視界が埋まるまで積み上げた紙束を一人で運ぼうとするのは流石に無茶だと、誰か止めないものなのだろうか。

 今回も、「お部屋が大変なことになっちゃう」レベルの量なのだろうから、一人よりは二人のほうがずっと良いだろう。

「す、すけだちむようなのです!」

「こらこら、男の()の優しさには甘えておきなさい」

 艦長に諭されると、クレレは大人しくそれに従った。

(なんだろう、なんでもない発言のはずなのに、何か引っかかる……)

 艦長の言葉に少しだけ違和感を感じたエルナだったが、すぐにクレレと一緒に艦長室へ向かうことになった。


―――◆―――


 資料は紙媒体である。しかし、再利用可能な特殊素材で作られており、魔術によるコーティングが施されている。

 白紙という状態は、ただの紙に一枚のコーティングが施された状態で、そのコーティング膜を削ることによって字や図を描く。

 書いた上から再び別の種類のコーティングを施すことで、書かれた内容が正しく保存される仕組みになっている。

 勿論、紙というものは無制限に存在するわけではないから、当然再利用しなければならない。役所などに設置されたデリーターと呼ばれる機械を通すことで、コーティング状態が元の白紙状態に戻され、その紙が再利用できるようになる。

 デリーターの使い方は極めて簡単。白紙に戻したい紙の束を四角柱のボックスに入れて、スイッチを一つ押すだけだ。

 このように簡単に再利用可能なため、再利用されずに燃やされるのは機密性の極めて高い文書くらいである。

 クレレとエルナは、二人とも紙の山を抱えて役所に来ていた。下から抱え込むように持ちあげ、上からはアゴで押さえるなりしないと簡単に崩れてしまいそうな量だ。

 二人で分割してもこれなのだから、クレレはいったいどうやって運ぶつもりだったのだろう。重量はある程度魔術で軽減できるとは言え、一人で持っていたら前方が全く見えない。手伝いに来て正解だと思った。

 二人が運んでいる資料は、艦長が目を通した依頼書だ。これだけ依頼があれば暇ということもないような気もするのだが、その疑問にはクレレが答えてくれた。

「平和な第四区画ですから、まっとうなお仕事はほとんどありません。民間からの依頼は「うちのポチ知りませんか」とか、「幻の内部音源YMF700系を探してくれ」とか言う無茶な注文ばかりなのです」

 探し物の依頼というものは非常に多い。依頼の大部分を占めると言っても過言ではない。

 ただし、ポチなどと言うありふれた名前の犬を一意的に見つけるだとか、幻の音源を手に入れるのは、実質的に不可能だ。存在するかもわからないもののために、ギルドは仕事をしない。

 そんな依頼も、書類として艦長が処理することになる。勿論、全てに対して返事をするのはギルドの仕事ではないが、可能であるかどうか判断して分別し、デリーターに突っ込むところまではギルドの仕事になる。

 エルナがデリーターの戸を開けて、クレレと一緒に山のような書類をすべて入れる。一つボタンを押せば、全ての依頼書が処理される。

「ギルドのお仕事って、結構地味なんだね」

「そうですね。派手なお仕事は第四区画ではほとんどありませんから」

 エルナは少し寂しくなったが、それを顔に出してはいけないともわかっていた。この仕事だって、誰かの助けになるものだし、クレレはこの仕事に誇りを持っているはずだ。自分よりも年下の子が頑張っている仕事を、地味だからと言って否定することは許されない。

 帰り際に、クレレは役所に備付のデスクトップ端末を覗き込んだ。新しい依頼がないかどうか確かめるための習慣づけられた行為らしい。

 民間の項目では先ほども言ったように実現可能性の低い依頼ばかりなので、政府関連機関からの依頼をチェックする。

「い、依頼です!」

「本当!?」

 こんな具合に二人が驚いてしまうくらいに、第四区画内で政府関連機関からの依頼が飛び込んでくることは珍しい。

 簡潔で必要最低限のことだけが書かれた依頼書をプリントアウトして、二人は駆け足でドレッドノートに戻ることにした。


―――◆―――


 依頼書 惑星カリダ第三遺跡内部および近辺の安全確保

  依頼者:連邦政府特殊調査部


 概要

  惑星カリダ第三遺跡内部、近辺に生息する魔獣の掃討及び召喚核の除去


 詳細情報

  惑星カリダ(宇宙座標 4-0AFB-66BC-D8AA)

  第三遺跡(カリダ内座標 N59 W10)


―――◆―――


 まるでサウナのように、蒸すような室温。汗で張り付く着物が鬱陶しくもなるが、今はこれで良い。

 戦闘においては、あらゆる状況に対応しなければならない。どんなに劣悪な状況下でも、冷静な思考と俊敏な動作を失ってはいけないのだ。

 人工召喚核と呼ばれる丸い紫色の宝石のついた装置を操作して、訓練室内に魔獣を召喚する。

 呼び出した魔獣と対峙する少女は、袖が広く、腰より上でキュッと締められた長いスカートをはいている。和装と呼ばれる、ある種の古流武術を嗜む者の正装だ。

 腰の鞘に収まったカタナ型のLPの柄についている窪み、駆動装置に、小さく薄いチップをはめ込んだ。

 腕が鋭利な刃になった人型の疑似生命体が向かってくる。少女は目を閉じて、構えを深くした。距離は視界からの情報がなくてもわかる。むしろ、光という処理すべき情報が増えてしまうため、目は閉じていたほうが都合がいい。

 無音。世界のすべてが切り離され、自らの剣と斬り捨てるべき敵以外のあらゆる存在を知覚しなくなる。

 手に取るように、ゆっくりと向かってくる。実際の時間は二秒に満たないが、訓練された感覚ではその時間は十倍以上に感じることができる。

 走りながらそれが刃となった腕を振り上げたことさえも、気配から読み取ることができる。残り三歩、二歩、一歩。

(来たッ!)

 刹那。甲高い金属音とともに振り下ろされた刃は高く弾かれ、振り抜かれたカタナの衝撃で向かってきた疑似生命体はよろめく。

 よろめいたことにそいつが気付く前に、無数の斬撃が飛んだ。一秒に十を超える閃光の如きカタナの軌跡が、文字通り敵を微塵に刻む。

 最後に袈裟掛けに斬り下ろしながら、その脇をすり抜けて背後に回る。振り返らずに、少女は納刀した。

 斬り捨てた人工の魔獣は煙になって消え、少女は深く息をついた。長いこと息を止めていたような気がした。白柳(しろやなぎ) 千香(ちか)は額に浮き出た玉の汗を腕でぬぐった。

 白柳は風戸(かざと)を源流とする剣の名家であり、千香はその技を受け継いでいる。十七歳と言う若さでほとんどすべての技を会得してしまったことは一族の中でも異例だが、彼女はその現状に満足してはいなかった。

 まだ、足りない。追いかけているあの人の背中には、まだ届かない。ただ単に剣を極めるだけではいけないことにも、気付いている。けれど、否、だからこそ、最低限の必要条件として、白柳の剣は奥義の裏までも極めなければならない。

 とはいえ、先ほど放った奥義は体力を大きく消耗する。増幅回路(チップ)も使って、自身が出せる最速の斬撃を放ったのだから、もう全身が熱くてこれ以上訓練を続けることはできない。

 部屋に戻って、すぐにお風呂に入ろう。張り付く汗が鬱陶しくて仕方ない。千香は人工召喚核の電源を落として、訓練室を後にした。

 ドレッドノートには様々な施設が用意されている。各乗組員の部屋は勿論、千香がいるこの訓練室のほかに、魔導植物の栽培室、台所、洗濯・乾燥機室、さらには大浴場まで完備されている。宇宙航行艦でありながら、移動する住宅のようなものでもある。

 千香は部屋から桶やタオル、替えの服などの入浴道具を持って大浴場に向かった。男女で入浴時間を分けてはいるが、昼間から大浴場を利用しようという人間は、ドレッドノートの乗組員には彼女を除いて他にいない。

 訓練の疲れもあって、彼女はすぐに上下の着物を脱いで浴場の戸を開けた。


―――◆―――


「どういうことなの」

「ボクが聞きたいよ……」

 新たな依頼を艦長に伝えるべく、ブリッヂに戻ってきたエルレナード・フィンブルツールは、ずぶぬれになった。

 正確に言えば、クレレが置いて行ったスケッチブックを覗きこんで何かしているミーティアの近くに行った瞬間に、全身がずぶぬれになった。

 近くにいたミーティアも全く同じで、頭から水をかぶって髪が肌に張り付いていた。

「ごめんなさいごめんなさい!」

 必死で頭を下げて謝っているのは、原因の一つであるスケッチブックの持ち主クレレ。

 どうも、スケッチブックに描かれていた内容はただの落書きではなかったらしく、水の属性を持つある種の魔法陣であったらしい。

 錬金・生成系の陣で、ある量の水を生成する術式で、その生成量は術者任せになっている。興味本位でミーティアがその魔法陣を発動させてしまったのだ。

 結果として、ミーティアとエルナは頭から大量の水を被ってしまった。ミーティアは初日の仕事でもそうだったように、魔法の出力の加減を知らないようだった。

「クレレが謝ることないよ」

 そう言って、興味本位で自分をずぶぬれにした少女に抗議の目線を送る。当のミーティアはと言うと、

「あはは、やっちゃった」

 あんまり反省の色が見えていなかった。

 エルナはため息をついて、憂鬱な同僚から意識を反らすべく、話題を変える。

「でも、どうして水の生成陣なんか描いてたの? これって、すごく制御が難しいと思うんだけど」

 錬金・生成系の術式は、総じて扱いが難しい。LPを用いて術式の構成を補助したとしても、物質の編成を組み替えるには他の術式の比にならない精密さが要求される。

 単純な破壊系術式では力を流し込むだけで特に複雑な構成は必要ないのだが、それでさえも出力の加減ができないミーティアがこんな難しい術式を行使したのだから、先ほどの結果はある意味では当然とも言える。

「栽培室の皆さんのお水を交換する時期だったのです」

 ドレッドノートには栽培室がある。そこでは果実が増幅回路の材料となりうる魔導植物の栽培を行っているのだ。

 船を一通り案内してもらった時に、栽培の担当がクレレだという説明を受けたことを思い出した。

 扱いの難しい錬金・生成系の魔法陣をどうやって使うつもりだったのかは、クレレの代わりにその場にいた艦長が説明してくれた。

「クレレちゃんのペンタイプLPなら、術式構成の細かい制御はお手の物だもんね」

 クレレは照れくさそうに下を向いた。

 ペンの形状をしたLPは、直接魔導文字や魔法陣を描くのに適している。したがって、魔法の細かな制御を行うにはうってつけの処理装置だ。

 勿論、その特殊な形状のLPを操るためにはそれなりの技術が必要になる。艦長の先ほどの言葉は、言外にクレレの才能を評価しているものなのだ。

「それはそうと、シャワー浴びてきたら? そのままじゃ風邪引くよ」

「あ、はい。ミーティア先に行ってきなよ」

「じゃあそうするね」

 「覗くなよ」というお約束のジョークを置いて、ミーティアは浴場へ向かった。


―――◆―――


 白柳 千香は驚いていた。こんな時間に大浴場を利用している人間がいたことにもそうだが、それ以上に、その相手が素っ頓狂な声を上げて石鹸を踏み、そのまま後ろにスライドして湯船の中に背中から倒れ込んだことに驚いていた。

 一糸まとわぬ姿を見られたからと言って、どうと言うことはない。相手は同性だ。いずれ一緒に風呂に入る機会はあっただろうし、この一週間なかったことのほうがむしろ不思議だ。

 突然、戸を開けたことに驚かれたのはわかるが、どうして同性のミーティアがここまで驚いたのかわからない。それに、本来なら前を隠してしゃがみ込むくらいの恥じらいを見せるところを、ミーティアは逆に戸が開かれてすぐに振り向いた。

 年の近い研修生の不可解な行動に疑問を抱きつつ、湯船の中でぶくぶくやっているミーティアを抱き起こす。

「大丈夫ですか?」

 そう声をかける前に、ミーティアの背中に妙な凹凸があるのがわかった。自分より一つ年下なのに出るところが自分よりも出ているというところにはとりあえず目をつぶって、意識のないミーティアの背中を覗き込む。

「これを、隠してたんですか」

 ミーティアの不可解な行動を全て説明するだけの材料が、そこにはあった。左の肩から右の肩にかけて、まっすぐに伸びる赤い傷痕。首のすぐ下から、腰の辺りまで、左右の肩をつなぐ傷と垂直に交わるもう一本の傷痕。

 この背中に刻まれた十字傷が、全ての答えだ。よほど深い傷だったのだろう。これだけ大きな痕が残ってしまうのだから。

 この傷は、耐えがたい苦痛をミーティアに与えてきたに違いない。この一週間、一緒に風呂に入る機会がなかったのは偶然ではない。ミーティアが避けていたのだ。

「う……」

 目を覚ましたミーティアは、千香に抱きかかえられている状況を見て焦ったような悲しい顔をした。

「ひょっとして、見られた……?」

 確認するように尋ねるミーティアに、千香はただ一言「はい」と答えた。

 こういう場合、下手に誤魔化すより傷を知ってしまったことを正直に白状するほうが、お互いにとっては良い選択だ。

 知ってしまったという事実と知られてしまったという事実。この二つが素直に受け入れられれば、互いの関係はめったなことがない限り悪化したりしない。

 ミーティアが傷に関して悩みを抱えているのは確かだ。千香の返事を聞いた後の、今にも泣き出してしまいそうな表情を見ればわかった。

 千香は静かに、穏やかな表情で待った。知られてしまったという事実に対して、答えを出すのはミーティア自身でなければならない。

「一つだけ、お願いなんだけど」

 ミーティアは、無理やりに笑顔を作って口を開いた。

「この傷のことは、誰にも言わないで欲しいの」

 触れたら壊れそうな瞳で笑うミーティアに、千香はただ「わかりました」と答えた。


「さ、そろそろ上がらないと。エルナが待ちくたびれて入ってきちゃう」

「……何かあったんですか?」

 こんな時間に浴場を利用するのは、これまで千香だけだった。この一週間もそうだったから、エルナもミーティアも昼間に風呂を使うことはないのだと思っていた。

「色々あって、びしょぬれになっちゃって」

 同性のミーティアならともかく、エルナにまで裸を見られてしまうわけにはいかない。二人は急いで汗を流して、浴場を後にした。


―――◆―――


 エルナが風呂から戻ると、ブリッヂですぐに作戦会議が始まった。

 すでに船は元いた星を離れて、惑星カリダへ進路をとっている。自動航行モードなので、目的地の座標を入力すればそれだけで後は着陸まで何もしなくて良い。

 会議用の長テーブルには乗組員が全員揃っていた。

 議長席には当然、艦長である本川 玲菜が、その両隣では副艦長ノクス・アージェンタイムとクレレ・ヴェリタスが艦長の補佐をする。

 新人研修生二人は、その更に隣だ。そのまた隣には、千香、ジーンズの青年と続いている。

「では、今回の目的地である惑星カリダの第三遺跡について説明するのです」

 クレレが手元の資料を読みながら、説明を始めた。

 惑星カリダは連邦領第四区画移住計画の際にテラ・フォーミングされ、しかし計画の凍結とともに忘れ去られた惑星である。

 第四区画で三つ目の人工太陽の周りを二年周期で公転しており、気候は穏やかで昼夜の寒暖の差は激しくない。

 カリダの第三遺跡は、連邦の特殊調査部によって三つ目に発見されたというだけで、まだ正式な命名ではない。自然の岩を風がくりぬいて作った非人工遺跡で、内部には自然召喚核の元となる魔王石という鉱石が大量に存在するという。

「今回の任務は遺跡内部及び近辺の安全確保。魔獣の原因は遺跡内部の召喚核だから、まずはそこから片付けないとね。

 作戦メンバーは研修生のエルナちゃん、ミーティアちゃん、それから遺跡内部構造の探査のためにクレレちゃん。召喚核の無力化のために(てん)ちゃん。戦闘員として千香ちゃん。

 私とノっ君は何かあった時の為に待機。何か問題は?」

 艦長は手早く作戦の概要を説明した。その決定に異を唱える者は誰もおらず、艦長は満足げにうなずいた。


 エルレナードは、すでにエルナという呼び名を訂正することを諦めてしまっていた。


―――◆―――


 遺跡は草原の真ん中で、コケを生やして大きな口を開けていた。

 エルナと千香が先頭になって、警戒しながらエルナ、ミーティア、クレレ、天、千香の五人はその中に入っていく。

「あっ……」

 クレレが声を上げる前に、後ろの入口が閉ざされた。五人を閉じ込めるように、遺跡の入口は外からの光を完全に遮断してしまった。

「非人工遺跡じゃなかったのか?」

 Tシャツジーンズの青年、天がそう言ったのを最後に、クレレには他の誰の声も聞こえなくなった。真っ暗な遺跡の中で、確かに見えたのは薄く光る魔法陣。地面に描かれた、転移系の陣だ。

 ぺたん。クレレは座り込んだ。ペンを取り出して周囲を照らしてみるのだが、自分以外には誰もいなくなっていた。

 転移陣は、別の座標に物体を転送する力を持つ。自分以外の四人は、全てどこかに飛ばされてしまったのだ。

 今回の依頼内容に魔獣の掃討が含まれていたことを思い出して、クレレは身震いした。

 クレレは探査系術師としては優秀な実力を持っている。これは艦長のお墨付きだ。

 だが、戦闘能力ははっきり言って皆無。LPによる魔術の精密操作は可能だが、戦闘用の陣は迅速な対応力と火力が求められるものであって、精密さは必要ない。

 瞬間的に扱える魔力の容量が少ないペンタイプのLPは、戦闘には不向き。しかも、クレレは高等魔法学校を卒業していないので、戦闘訓練をほとんど受けていない。

 一週間前の仕事でもそうだったように、クレレが戦闘の予想される任務に参加する場合、必ず戦闘員の傍を離れないことになっている。

 しかし、今、クレレの周りには誰もいない。背中には先ほど閉ざされた入口の壁が冷たく存在して、暗闇を照らすのはペンから発せられる頼りない白色魔力光のみ。

 こんな状況で魔獣に遭遇してしまったら、為す術がない。早く誰かが戻って来てくれることを祈って、クレレは小さな明かりを抱きしめた。


 暗闇の中で光る赤い双眸と、低く唸る魔獣の声に気付いた時、戦う術を知らない少女は死と言うものを今まで生きてきた中で最も強く感じた。


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