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19:王女エルナ

「どういう、ことなの……」

 エルナは鏡に映った自分の姿を見て、愕然とした。

 蒼穹の如き澄んだ青のドレスに身を包み、両手には無垢な白の長手袋をはめ、頭の上には純金にこれまた青い宝石のあしらわれた、コーム付きのティアラを付けている。

 腰の大きなリボンも、肘まで覆う長い手袋も、所々に金の刺繍が入った煌びやかなドレスも、全てがシルクの光沢を放っており、さわり心地もきめ細かく柔らか。

 背筋を伸ばして両手を行儀よく腿の上に置き、少し緊張した硬い表情で鏡の中から見つめて来る。これはいったい、誰なのだろう。

 軽く化粧の乗った頬は羞恥心と諸々のむずがゆい感覚のせいか、上気して程良く赤くなっている。それが余計に鏡の中の誰かを色っぽく見せていて、嬉しいんだか悲しいんだかわからない。虚像の世界からこちらを見ている人物はあまりに可憐で、彼は一つため息をもらした。

「か、かわいい……」

 いつもお気楽でふざけた調子の幼馴染も、こちらを見つめてうっとりしていた。目が本気だし、よだれでも垂らしそうである。褒められているのだろうが、素直に喜んでしまってはいけないような気がした。

 とにかく、これは色々とシャレになっていない。おそらくこの場にいる人物の中で最も良心的だと思われる第二王女に助けを求めるように、顔をそちらへ向ける。

「とてもお似合いですわ。流石はお姉様の見込んだお方」

 思わずお礼を言ってしまいそうになるほど素直な感想が飛んできた。助け舟は期待できそうにない。

 諸悪の根源である第一王女、シャンテもエルナの見事なドレスアップに、満足げに頷いていた。

 事の発端は先日、ディガンマ事件が解決した後の帰り道だった。

『妹の影武者になってくれ』

 シャンテが何を言っているのかわからなかった。その場で王女の影武者が務まるのは千香だけだと思っていたのだが、シャンテはしっかりエルナの目を見ていた。

 事情の説明はドレッドノートに戻ってから行われ、何故かミーティアがノリノリで承諾。第二区画、第四区画の様子見も続行という事で、特にギルドや連邦騎士団の立場からの異論も無く、トントン拍子でここまで連れて来られてしまった。

 それにしても、ドレス姿が様になりすぎていて嫌になる。今すぐここから逃げ出したい気持ちに駆られるが、かかとの高い、足の痛くなるような窮屈な靴のせいでそれも叶わない。

 確かに、第二王女と自分はそれなりに似ていると思う。背は低いし髪の長さだって近い。声も高いから、誰も何も言わなければバレずにパーティをやり過ごすこともできるだろう。

 けれど、何かが違う。何か納得してしまってはいけない部分があるような気がして、エルナはもう一つ嘆息をもらした。


―――◆―――


 端から端まで見渡せないほど広大な大広間には、色とりどりのドレスやスーツで着飾った民衆が集まっていた。ディガンマ事件解決の正式な告知と、第二王女の回復祝いをかねた大規模なパーティだ。

 会場は三区王宮の大広間。高い天井からつるされた巨大シャンデリアによって散乱する橙の光が、広い空間を不均一に照らす。

 正面入り口に近い後方にはいくつもの丸テーブルの上に豪華な料理とワインが並べられ、それを囲んで談笑する人々で賑わっている。前方、広間の奥へ行けば行くほどテーブルの数は少なくなっていった。見通しを良くするためだろう。

 最奥には王族のための席が用意されているが、王は冒頭のあいさつを終えると早々に引っ込んでしまった。ディガンマ事件の実行犯であったとは言え、有能な大臣を失ったショックが大きいのだろう。

 グライヴ・イルアンはいつもとは違う黒いスーツ姿で、その会場のやや奥、右端の出入り口に立っていた。と言っても彼はパーティの参加者ではない。彼がここにいるのは、このパーティの主催者から与えられた特別な任務の最中だからだ。

 隣には同じ任務についている幼馴染がいる。彼女もいつもの胸当てなどはしておらず、グライヴと同じ黒いスーツを着ている。ただ、グライヴの剣と違って彼女が背負っている大槌はこの会場では目立つのだが。

 彼らとちょうど反対側には、ディガンマ事件の任務で同行した青年と、もう一人別の少女の姿が見える。青年は確か杖を使用していたはずだが、今はただの長い棒になっていた。何か事情があるのだろうが、任務以降謹慎していたグライヴにとっては知る由も無い。

 視線を幼馴染に戻すと、彼女はホールの最奥のほうを見て恍惚としていた。王女殿下がようやくお出ましになったのだ。

 第一王女もこういった公的な場では、連邦騎士団として活動する際の白いワンピースではなく、深い蒼と白のコルセットドレスを着こなしている。肘まで覆うロングタイプのドレスグローブは無垢な白さの中に青い刺繍が施されている。

 青系の配色が目立つのは大海洞と王宮の友好の証として魔族側から送られたドレスが始まりだと言われているが、実際のところはよくわかっていない。学者によっては、白と青が混ざらないのは人と魔族の完全な住み分けを象徴しているのだという説を唱える者もいる。

 そんな昔の話はどうでもよくなるくらいに、会場が湧いた。調査隊事件で重傷を負って以来、過激派への説得を除いて沈黙を守り続けてきた第二王女が、久々に公の場に姿を現したのである。

 有力者達の間では勿論の事、民衆にも絶大な人気を誇る第二王女だが、その保護欲をかきたてられるかわいらしさは健在だった。表情は少しぎこちないが、久しぶりのパーティで緊張しているのだろう。

 グライヴの隣ではソアが頬に手を当ててうっとりしていた。小動物を思わせる小柄で可憐な少女が気恥しげにはにかむ様は、男でなくとも魅了されるものらしい。

 ほどなくして、裏方で緩やかなクラシックが鳴り始め、軽やかなピアノとそれを柔らかく包むストリングス、ウィンドブラスの音に合わせてダンスが始まった。有力者達はこぞって第二王女と踊ろうとした。

 熱に浮かされたように手を取り合って、曲の緩急に合わせたステップを踏む参列者の様を傍から眺めて、グライヴはため息をついた。

「いい気なもんだぜ。こっちは何時間も棒立ちだってのによ」

「文句言わないの。任務中でしょ」

 ソアはそう言いながらも、ちらちらとダンスパーティの様子を気にしている。

 グライヴとソア、そして反対側の出入り口にいる男女はパーティの会場警備を任されていた。警備とは言っても、特に何も起こらなければ棒立ちしているだけである。有事の際に素早く動けるようにしておけとは言われているが、楽しそうに踊る参列者達を見ているだけでは退屈な任務だ。

「どーせなら、俺も踊りたかったぜ」

「そんな相手いないでしょ」

 気のない返事をしつつも、ハンマーを背負った少女はダンスから目が離せないでいるようだった。視線の先を追いかけると、ぎこちないながらも徐々に感覚を思い出してきたのか、滑らかな動きで踊る第二王女の姿があった。その手を取るのは、長身のすらっとした優しげな青年。優雅な佇まいから、さぞ良い家柄なのだろうと思ったら、どうも違うらしかった。

 どうやって広まったのか、他の区画からやってきたギルドの人間らしいという噂が耳に入ってくる。確かに、見覚えのない制服を着ている。

 噂話の主が言うには、「旅の方とは今しか踊れませんが、他の皆さまとはこれからいつでも踊る機会が訪れますわ」という王女の気遣いにますます惚れたのだそうだ。踊りながら噂話とは、器用なまねをするものだと、グライヴは感心した。

 視線と視線が絡み合い、はにかむ王女に対して微笑む青年。曲のリズムが速くなって、二人のステップも加速する。足をもつれさせて転びそうになった王女を抱き止めて、青年はもう一度曲に合わせて踊り出すために優しくリードする。

 ソアがため息をつく。美男美女の踊りを見ているだけでそんなに面白いのか。グライヴはなんだか面白く無くて、彼女とは別の意味でため息をついた。

「目の前にいるじゃねーか」

「えっ? 何が?」

「踊る相手だよ」

 ポカンとしているソアを見ているとなんだか妙に胸がざわついて、ついぶっきらぼうな言い方になってしまった。

 しばらくソアはそうしてグライヴの言葉の真意が理解できない様子だったが、やがて

「え、わたし? だめだめだめ! ドレスなんか似合いっこないんだから」

 と顔を赤くして首を振った。その様子が可愛くてもっとからかってやりたくなって、グライヴは真顔でソアをまっすぐ見つめた。

「ソア……」

「グライヴ……?」

 不安と期待の入り混じった表情で見つめ返してくるソア。

 時の流れが止まったように息苦しくて、けれどこれ以上進むのも怖いような板挟みの苦悩。

 やがて、グライヴはゆっくりと口を開いて……。


「馬子にも衣装って言葉、知ってるか?」

 直後、強烈なアッパーカットが彼のアゴをとらえた。


―――◆―――


「付け焼刃のレッスンでこんなにうまくなるんだ……」

 ホールの奥にあるカーテンの裏側から、ミーティアはダンスパーティの様子を覗き見ていた。

 今、第二王女として踊っているのは影武者のエルナである。特に何の騒ぎも起きていないところを見ると、本当に誰にも気付かれていないらしかった。

 念のため、ダンスの相手として事情を知っているノクスが選ばれたのだが、実際にドレスアップしたエルナを間近で見た感覚では、それも必要ないような気がした。それほどエルナの変装が似ているというのもあるし、踊りも上達している。

 ペア・ダンスなんてしたこともないようなエルナが、ノクスにエスコートされる形とは言え華麗なステップを踏めるようになっているのを見ると、なんだか複雑な気持ちになった。

「ダンスなんて、踊ってるうちにうまくなるものですわ」

 数えきれないほど踊ってきた王女が言うのだから間違いはないのだろう。だが、ミーティアは別に踊れるようになりたいわけではない。

 エルナがなんだか楽しげにエスコートされている姿を見るとなんとも言えない気分になるのだ。

「ぐぬぬ、なんだかエルナが取られちゃったような気分……」

 しかし、ノクスは男だ。別に何かを心配しなくてはならない相手というわけではない。心配ないはずなのだが、それでも胸の奥がもやもやする。

 エルナが本当に女の子になってしまうような気がして不安なのだろうか。そういうわけではない。エルナが女の子になったところで、エルナに対する気持ちが変わったりはしない。これは断言できる。

 そんな事を考えていると、独り言に対して、よくわからない返答が飛んできた。

「はい? (わたくし)はここにいますけれど」

「えっ」

「えっ」

 どうもかみ合っていない。

 そういえばこの第二王女、ときどき奇妙な反応を見せる。エルナに関する話題の時に集中しているが、それは何故だろう。

 思い当たる理由は一つだけある。それを確かめるために、半信半疑でミーティアは尋ねてみた。

「あなたのお名前は?」

「はい。私、エルナ・(クロイツ)・ヴァイセローゼと申します」

 王女とエルナは、名前まで同じだった。


―――◆―――


「ちっ、窮屈な服だ」

「我慢してください。依頼人(クライアント)の要望なんですから」

 グライヴ達とは反対側の出入り口に、白柳兄妹は立っていた。服装は会場内で目立たないような黒いスーツ。家柄上、こういった公的な場に出る正装としては羽織袴や振袖などを着る事が多いのだが、今回は依頼者であるシャンテの要望により、この服装となった。

 千香も反対側にいるソアも、万が一の時に動きを制限しないためか、タイトスカートではなくズボンタイプのものをはいている。王女の権限を使ってオーダーメイドで作らせたもので、サイズはぴったりだった。

「とは言っても、窮屈なのは確かですね……」

 天も千香もこういった服装やパーティ会場には慣れていない。確かに大理石のホール、煌びやかなシャンデリアの下に二人だけ和装の人間が紛れていたら不自然極まりないが、そんな事は千香が刀を提げている時点で言いっこなしだろう。

 もっとも、警護がいる事それ自体は全く違和感なく受け入れられているようで、第三区画に住む人間のおおらかな気質がこんなところにも表れていた。王女があれなら、民衆も似たようなものらしい。

「第二王女と踊ってるの、副艦長じゃないですか?」

「ああ、本当だ。あいつも護衛か」

 シャンテはどうも妹に対して過保護というか、心配性らしい。天も人の事は全く言えないが。

 言いながら天は、会場を見回した。なんだか奇妙な違和感がある。あるべきものが欠けている。

「妙だな」

「妙ですね」

 千香も気付いているらしかった。

 この会場、誰もカメラやマイクを持っていない。

 大海洞任務の際にマヤが同行した事を考えると、彼女はいの一番に第二王女にインタビューしに行くはずなのだが、そもそもマヤの姿も見当たらない。

 第二王女が公の場に姿を現すのは実に三年ぶりと言うから、彼女でなくてもマスメディアがこのパーティの取材に来ていないというのは実に奇妙な事だ。

 大方、これもシャンテが手を回したのだろうが、このパーティには何か作為を感じる。

 しばらく警戒していても何も起きる気配は無い。あまり神経質になっていても消耗するだけなので、警戒のレベルを下げて様子を見る事にした。

 二人の間に沈黙が流れる。軽やかなピアノの旋律が何か言わなくてはいけないような気にさせて、それでも話すべき適当な話題が見つからない。いつか話さなければならないあの事ばかりが頭の中で首をもたげる。

 喉元まで出かかって、しかしそれは聞こえないため息になって消えるという事を何度か繰り返した。自分でもこんなに話しにくいとは思わなかった。心の中に留めておいたほうが良いという気持ちと、あそこまでやったのだから話さなければならないという気持ちとがせめぎ合う。

 結局、沈黙に負けて後者の気持ちが勝った。

「千香」

「兄さん」

 二人が口を開いたのは同時。出鼻を挫かれたようでがっかりする気持ちが半分。話す事を先送りにできてほっとしている気持ちが半分だった。

 まっすぐな視線がぶつかって、天は鼓動が高く跳ねるのを感じた。覚悟を決めたような緊張の入り混じった表情に見つめられて、たじろいでしまう。

「兄さんからお先にどうぞ」

「い、いや、悪い。今ので話す内容忘れちまった」

 ウソだ。罰が悪くなって目を反らして、頭の後ろをかく。頭にはてなマークを浮かべて首をかしげる純粋な疑問の眼差しが痛い。

 やがて、千香は小さく息をついて話し始めた。

「その……あの時の、キスは……本気、ですか?」

 上目遣いの瞳の中に光が揺れる。上気した頬はそのまま手で優しく触れてかすかな熱を味わいたくなるほど魅惑的で、きゅっと結ばれた唇に心臓まで締めつけられるようだった。

 もう、目を反らす事はできなかった。一つ深く息をついて、心の中にある答えを、言葉を選びながら伝える。

「悪い。もっと早くにはっきりさせておくべきだったな。俺は……」

 伝えようとしたところで、会場内に悲鳴が響き渡った。千香は刀の柄に手をかけて臨戦態勢に入る。天も、新しく作った、床から腰くらいまでの長さを持つ棒状のLPを肩に担いだ。

 パーティの参加者達が逃げまどう波をかきわけて、開けた場所に出る。左右の入り口からは遠い、正面入り口の方に黒い魔獣が三体。いずれも低級のヘルハウンドだ。

 鯉口を切る音の後、光の線が奔って三匹の狂犬はその全てが肉体を両断され、その場に落ちて溶ける。しかし、突然の襲撃はこの程度では終わらなかった。

「第二陣来るぞ!」

 天が叫んだ直後に響く金属音。彼は長い棒で振り下ろされた剣を受け止めていた。

 剣の主は、鎧のように硬いうろこを持ち、背の高い大人ほどの体長を持つ二足歩行のトカゲ戦士――リザードマン。左手に鉈のような刃の広い剣を持ち、右手には盾まで持っている。

 盾を蹴飛ばしてその反動で後退、天はリザードマンとの距離を取った。眼前の敵への警戒を維持しつつ、周囲の状況を把握しようと視線を動かす。

 人工の召喚核を操り、この場に魔獣を呼び出した犯人が正面入り口のど真ん前に立っていた。黒いローブに身を包み、フードで顔を隠した臆病者だ。そいつを止めなければ、魔獣は倒しても倒しても湧いてくる。だが、

「あァ、クソ! 空気読めってんだよ!」

 もう一度金属が激突して、天は足止めを食らった。大事な話に割り込んできた相手にガンを飛ばしながらも、とりあえずは目の前のトカゲ戦士を潰す事を優先。刃を横へ受け流し、素早い足捌きで背後へ回る。

 長い棒の先端から少し離れた場所を掴んで引き抜く。仕込み杖の要領で隠された刃が現れ、振り向いたリザードマンの首を一刀の下に斬り捨てる。

 鞘の部分で次のリザードマンの一撃を弾いて、更に首を狙って右手の刃で一閃。ここまでやってもまだわらわらと湧いてくる。千香も次々と襲いかかって来るリザードマンを斬り伏せるだけで精一杯だ。

 多勢に無勢になるかと思ったところで、床が大きく揺れて、立っていられずに天と千香は膝をついた。勿論、強烈な揺れのせいで立っていられないのはリザードマン達も同じ。

 揺れが収まる前に、リザードマン達の頭上から紫色の光の弾が現れる。次の強烈な揺れと同時に、その光からジグザグに進む雷がリザードマン達を貫き、焼いた。

「さあ、観念しなさい」

 打ち下ろした大槌を担ぎ直して、その雷の魔法の主が犯人を威圧する。ソアはどうやらディガンマ事件が解決した事で魔術を取り戻したらしい。

 その威圧に耐えきれず、犯人は正面入り口のほうへと逃げ出そうとする。

 だが、彼は空の下に出る前に全身から地面へとダイブする事になった。

「足元には気を付けたほうがいいよ」

 ブレスレット型のLPを剣に変形させ、犯人の顔の真横に突き立てて言ったノクスの言葉で、犯人は完全に降伏。外から駆け付けた王宮騎士団によって連行された。

 しかし、事件が終わったわけではなかった。参列者が全て逃げ出してがらんとしたホールを歩きながら、シャンテが一つ息をついた。

「ふむ、やられてしまったな」

 落ち着いたシャンテの態度が奇妙だったが、次の彼女の一言でその場にいた全員が凍りついた。

「第二王女がさらわれた」


―――◆―――


「クソ、意外と重かったな……」

 そう言われて、ようやくエルナは地面に足を付ける事ができた。なんだかよくわからないうちに目隠しをされて後ろ手に縛られ、王宮からどこか別の場所へ連れて来られたらしい。

 目隠しが解かれ、目の前には見覚えのある転移陣。海辺の洞窟の最深部、大海洞の入り口だ。

「へへ、お姫様よ。命が惜しくなかったらそこの転移陣を起動してもらおうか」

 どうも、反魔族の過激派グループにさらわれてきたらしい。シャンテが任務前に言っていた事が正しいとすれば、彼らが大臣にディガンマ・コピーを作るための技術を提供した集団という事だろう。

 ディガンマ事件は一応解決という形で表側に公表してはいるが、大臣の遺品からはディガンマ・コピーを作り出すだけの機材が見つからなかった。大臣の日誌にそれとなく記されていた過激派グループの連中が、パーティで気の緩んだ王宮に対して襲撃をかけてくる事まで見越しての影武者である。

 エルナに短刀を突き付けて大海洞への転移陣の前に立たせる男は、茶色のスーツを着た大男だった。スキンヘッドでいかつい顔をしていて、腕も足もがっしりと太い。

 もっとも、戦いに関しては素人同然のようだが。

「いッ! てめえ、何しやがっ……」

 短刀を持つ手首を軽くひねってやると、簡単に解放してくれた。男が落とした短刀を蹴飛ばして、その手首を掴んだまま、今度はエルナ自らが懐に潜り込んで逆の手で襟首をつかむ。足捌きと体重を移動して腰に乗せるように持ち上げ、そのまま背中から地面へと叩き付けた。

 護身程度の体術だが、硬い岩の地面に背中を打ち付けた男はその場で海老反りになりながら悶え苦しんでいる。見た目に反してこの男、拍子抜けするほど、弱い。

「情けねえ! 小娘一人に何手こずってやがる!」

 二人目が来た。白いスーツに葉巻をくわえた、これまた大男。彼がグループの元締めらしく、その後ろからはわらわらと子分達が集まってきている。全員が何かしらの武器を持っていて、流石に素手で、しかも動きにくいドレス姿でこの集団と渡り合うには危険さを感じさせる。

 背筋を冷や汗が伝う。個々の力は強くないだろうが、取り囲まれてしまえば勝ち目はない。親分とその取り巻きが、動けずにいるエルナに対して金歯を見せながら下卑た笑いを浮かべてくる。エルナは一歩後ずさろうとして、先ほど倒した男につまずいて尻餅をついてしまった。

 抵抗を封じるためか、連中の親玉が銃を構える。一歩ずつ、動けないエルナに対して距離を詰めてくる。親玉が大きな口でしゃがれた声を出す前に、子分達の後方から妙な音が聞こえた。

「あ?」

 だんだんと、近づいてくる。短い呻きと、何かが倒れる鈍い音。断続的に続くそれがすぐ近くにまで迫って、

「お、親分、おたすけヒッ」

 最後の子分が血を吹き出しながら白目を剥いて倒れ、駆け付けたスーツ姿の少年は剣を青眼に構えて叫んだ。

「殿下、ご無事ですか!」

 シャンテが言っていた、すぐに応援を寄越すというのはこの事だったのだろう。大海洞の任務でも同行した赤髪の少年は、今のエルナにとって頼もしい事この上なかった。

 元締め風の男が忌々しそうに舌打ちして、しかし、すぐに鼻で笑った。

「小僧一人が粋がるな」

「あぐっ」

 助けが来た事で、エルナは油断してしまった。先ほど倒したはずの男が起き上がり、エルナの首を絞めてくる。身動きが取れない。

「剣を捨てろ。ほら、早くしないと王女に傷がついてしまうぞ?」

 グライヴは剣を捨てなかった。男の持っていた銃を素早く剣で叩き落とし、首元に切っ先を突き付ける。

「グ、貴様……! おい、何してやが……!」

 言い終わる前に、首から上だけで後ろを向いた元締めの顔が引きつった。加えていた葉巻が足元に落ちた。エルナが解放され、その後ろに茶色スーツの大男がノビていたからだ。

 エルナは絞められて痛い首をさすりながらせき込んだ。

「何、心配するな。肩をはずしてやっただけだ」

 後ろから降ってきた声は落ち着き払った低いものだった。

「ククッ、なるほど、シャンテもなかなか面白い事を考えるじゃないか」

 見上げると、深い蒼のローブを身にまとった長い髪の女性がエルナを見て笑いをこらえていた。

 過激派グループは後から来た応援に引き渡され、連行された。それを確認して、グライヴがエルナに駆け寄り、跪く。

「殿下、お怪我はありませんか」

 尻餅をついた形のエルナは、覗き込んでくるグライヴに対して、苦笑いするしかなかった。

「あ、あはは……やあ」

「……あれ? あれ? お前、あれ?」

 第二王女だと思っていた相手の正体が意外すぎたのか、グライヴは混乱しているようだった。

 とうとうこらえきれなくなって、傍にいたリヴァイアサンが大声で笑い始めた。

 第三区画で起きた一連の事件は、今度こそ解決を迎えた。


―――◆―――


 エルナの女装は事件の関係者全員に知れ渡ってしまった。

 それに対する反応は様々だった。千香は要らぬ心配をさせられたとため息をついたし、天は腹を抱えて笑ってくれた。

 ソアは王女を見分けられなかった事に対してショックを受け、その場にいなかった玲菜やクレレは女装姿が見てみたいと言ってきた。

 予め彼の女装を知っていたのはミーティア、ノクス、シャンテ、そして第二王女エルナの四人だけである。

 良く似合っていたからとドレスをプレゼントされてしまった。エルナは丁重にお断りしようとしたのだが、ギルドの代表として玲菜が受け取ってしまったのだ。

「あんなの、絶対に仕事以外じゃ着ませんからね!」

「あら、お気に召されませんでしたか?」

 エルナのセリフを聞いた第二王女は本気で残念そうにしていた。三年も公の場に出なかったからか、第二王女はどうも浮世離れしたところがある。

「い、いえ。素敵なドレスだと、思います……」

「はっはっは! 泣いて喜んでくれるとは、贈り甲斐があるというものだ」

 エルナの複雑すぎる気持ちを知ってか知らずか、シャンテは豪快に笑っていた。

 ともあれ、シャンテが企画した、これを機に第三区画の膿を出してしまうという作戦はおおむね計画通りに進み、後の処理は王宮騎士団と議会でなんとかするという事になったらしい。

 ドレッドノートは連邦騎士団からの次の依頼が決まったため、第三区画の王宮を後にした。シャンテは父である王と妹の強い要請により――元々彼女がそうするつもりでもあったようだが――、三区の王宮に残る事になった。

 次の依頼の説明を受けるため、ブリッヂに向かうエルナとミーティア。ミーティアは何だかご機嫌斜めらしく、話しかけても上の空で時折ため息をついていた。

「どうしたの? ミーティア。変な物拾って食べた?」

「エルナがモテモテだった……」

 全くわけのわからない答えが返ってきた。彼女の言動が常識的理解の斜め上を全速力で突っ走っているのはいつもの事だが。

「ドレス着てカッコイイ人と踊って、さらわれて騎士様に助けられてた……。これじゃあ完全にお姫様じゃない!」

「い、いや、そんなこと言われても……」

 確かにそういう風に見れば、おとぎ話のお姫様そのものだった。おとり捜査とは言え、めったに経験できる事ではない。

 経験したからと言って嬉しい事も無いのだが。

「ずるい! 私にもお姫様抱っこさせて!」

「はいはい。あとでね」

 いい加減にわけのわからない話は聞き流す事にしたのだが、この安請け合いが後で大変な結果を生む事になってしまうのだった。


 エルナは早速、仕事以外では絶対に着ないという誓いを破らされてしまった。


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