17:仮初の終息
魔族の長、リヴァイアサンとの話が終わった後、エルナ達は、男女別に客室に通された。岩壁をくり抜いて作られた空間にベッド等の必要な家具と、ノブを回して押し引きするタイプの古典的なドアが設置されただけの簡素なものであったが、生活に必要な物資は揃っており、数週間程度ならば問題無く滞在できそうだった。
こんな洞窟に人が滞在できるような部屋が存在するというのには驚いたが、調査隊や王族が訪れたりしたと言う事を考えれば納得できない事ではなかった。
長命な魔族の長ならば何か有力な情報を掴んでいるかもしれない、と言うことだったが、シャンテが期待したような情報は得られなかったらしい。
この地に住む他の魔族達は人間を恐れて出てこないが、リヴァイアサンはおおらかな気質の持ち主であり、ディガンマ事件の調査への協力を快く引き受けてくれた。
肝心の調査は明朝から行う事になっている。と言っても、日の光が届かない海底洞窟の中では時間の感覚が狂ってしまい、朝だの夜だのと言われてもあまりピンと来ないのだが。
壁に掛けられた時計を見ると、午後六時だった。早めに休んでおかなければ、この広い大洞窟を歩き回るには辛くなってしまうが、区画間移動の時差のせいか昨日ぐっすり眠ったからか、エルナはあまり眠くならなかった。
「ういー、デカかったなー」
溜まった疲労を詰め込んで吐き出すように深く息をつきながら、グライヴがベッドに身を投げた。ぼふん、と柔らかい音がした。
彼はマントと剣をすでに外していて、紺色の厚手のシャツと長ズボンという軽装になっていた。鎧や胸当ては動きを妨げるため、身につけない主義らしい。
「うん、すごい迫力だったね。あんなの初めてだったよ」
エルナも大剣を壁に立てかけて、隣のベッドに腰掛けた。リヴァイアサンの大蛇としての姿は、対峙するだけで心臓が押し潰されてしまうかと思うほどに巨大で、偉大で、迫力があった。
それが、人の姿になってみれば単純に茶目っ気のある女性にしか見えなかったのだから驚きだ。
「なあ、エルナって言ったっけ?」
「あ、うん……」
自己紹介の際にさらりとエルナという呼び名をバラされてしまったため、グライヴやソアにもそう呼ばれるようになってしまった。確かに、本名よりは呼びやすいと思うし、そのおかげで気さくに接して貰えるのは嬉しいのだが、エルナにとってはなんとなく複雑な気持ちだった。
そんなエルナの胸中を知るはずもないグライヴは、容赦なく「お前って女の子っぽいよな」とか言ってくる。歯に衣着せぬ言い方で、ここまでストレートに言われるといっそ清々しい気分にさえなる。
「お前、ギルドのケンシューセーだっけ? どうしてそれになろうと思ったんだ?」
「あ、それはね」
学園ではリックを始め数人の友人がいたが、ドレッドノートに配属されてから周囲に同年代・同性の人物が存在しなかったと言う事もあって、エルナもグライヴを相手にすると話し易かった。
ノクスと話す時は何となくあの優雅な雰囲気に呑まれてしまいそうになるし、天は終始マイペースで、今も既に一人寝息を立てている。
ギルドに研修生として入った目的。元々は、研修期間が終わったら再び学園に戻って勉強して、再び次の研修を待つつもりだった。ドレッドノートは外の区画へ出られないギルドだったから、エルナの目標である、LEONARDという人物を捜すには適していなかったのだ。
広大な宇宙から、名前だけを頼りに一人の人物を捜す。途方も無い目標であり、本当に見つけられるかどうかもわからない。
「自分でも、気の長い話だとは思うけどね」
エルナはそう言って苦笑したが、グライヴは真剣に聞いてくれた。
「レナード、か。剣を託してくれたくらいだから武人なんだろうけど、王宮騎士団にそういう名前の人がいるって話は聞かないし、俺が知ってる範囲にはいないなぁ。でも、いつか見つかると良いな。頑張れよ、応援してるぜ」
「うん、ありがとう」
自分の事は一通り話し終えたので、次はグライヴの話が聞きたい。そう思ったエルナは、まずグライヴが騎士になろうと思った理由から聞いてみる事にした。
これまでエルナが関わってきた騎士は連邦騎士団という、ちょっぴりおっかない連中だけだったので、それ以外の騎士がどんなものか純粋に気になった、というのもある。
「あー……笑わないでくれよ?」
気恥しそうにはにかんで、グライヴは過去を話し始めた。
「俺さ、幼馴染がいるんだ。あいつが父親みたいな強い騎士になるって言って頑張ってて、それで、なんか俺も負けてられないなと思ってさ。始まりはたぶん、その時だったと思う」
エルナにとって、幼馴染と聞いて真っ先に思い浮かぶのはミーティアである。彼女も騎士を志すくらいに真面目だったらいいのに、と思いながら、グライヴの続きに耳を傾ける。
「あいつが騎士見習いになりたての頃に腕試しのつもりでさ、あいつと一対一の模擬戦したんだよ。相手に一撃入れたら勝ちってルールで。そしたらもうコテンパンにやられちまって……。相手は女だぜ? それが悔しくて、じゃあ俺も真面目に騎士目指してやるって、そう思ったんだ」
「なんかそういうの、いいなあ。お互い切磋琢磨してるっていうか、憧れちゃうよ」
「よせよ、俺が意地張ってるだけなんだって」
エルナの率直な感想に対して、グライヴは照れ隠しのように笑った。笑ってから、すぐに表情を曇らせた。
何かマズい事を言ってしまっただろうか。そう不安になっていると、グライヴのほうからその理由を説明してくれた。
「あいつ、三年前の調査隊事件に巻き込まれたんだ」
エルナは言葉を詰まらせた。三年前の調査隊事件は、調査隊がほぼ全滅。王女が重傷を負ったという痛ましい出来事だ。
ディガンマに遭遇したとされていて、グライヴが今回の任務に自ら名乗りを挙げたのはそういった理由もあると言う事だった。
「じゃあ、その子は、もう……」
「いや、生きてるよ。王女様と、あいつだけが生き残ったんだ」
彼は己の無力さを呪うように、拳を強く握りしめていた。
「一緒だった親父さんも死んで、そのショックからか、あいつは記憶を失った。今でこそ元気にしてるけど、それでも、俺は」
最後の方は小声で聞き取れなかった。グライヴはベッドから立ち上がった。
ベッドの脇にたてかけた剣を取り、壁にかけたマントを羽織る。
「つまんない話しちまったな。ちょっと散歩してくる。すぐに戻るよ」
エルナはその背中に向かって、声をかける事ができなかった。
―――◆―――
「それでエルナったらね、ひゃあって言いながら飛び上がっちゃって」
「あはは、グライヴにもそのくらいの可愛げがあれば良かったのに」
女部屋では、ミーティアとソアが隣同士のベッドに座って会話していた。
シャンテとマヤはリヴァイアサンと話すために外に出ている。広い部屋に二人だけという開放感もあってか、二人の会話は弾んだ。
一通り口をついて出てくる話題を話し終えて、ソアが躊躇いがちに口を開いた。
「その、ミーティアのお父さんって、どんな人?」
「えっと……なんで?」
触れてほしくない話題だったので、ミーティアは表情を曇らせた。
「さっき、シャルフランテ様と話してる時、『父親はいつも勝手だ』みたいに言ってたから」
ソアが慌てて「嫌な事だったらごめん。今の質問は忘れて」と言うものだから、ミーティアは小さくため息をついて、ベッドに寝転んだ。
「うちのお父さんは、ちょっと過保護すぎるんだよ」
一つ話し始めると、あとは雪崩のようだった。ギルドからの召集命令があったにも関わらず、令状を突き付けられるまで娘を軟禁状態にしていた事から遡って、それより前の――特に、エルネストが死んでからの――話を思いつく端から話した。
話すにつれて、話し始めに感じていた怒りが徐々に冷めていくのがわかって、語気も弱くなっていった。
「なんか、言ってる事ヘンだね、私」
ソアは優しく微笑んで首を横に振った。
「ミーティアは、お父さんの優しさをちゃんとわかってたってことだよ」
触れてほしくない領域に踏み込んでくるというのは見方によっては無遠慮とも取れるが、そのおかげで初めて客観的に、冷静に人の気持ちを考える事ができた。
思えば、これはシャンテの父――つまり、第三区画の王――の話を聞いた事から始まった。それまでは父親というものの話を聞く事が無かったし、自分からあえてその話題を振る事も無かったのだ。
ミーティアに根付いていた、父親は常に娘を心配する物だという認識が、王自ら大海洞へ赴くのではなく娘であるシャンテを向かわせるという身勝手な――実際には相応の事情がある――態度を通して表層化した。
父が令状を突き付けられるまで家から出してくれなかったのは、自分を思っての事だとわかってはいたのだ。ただ、それに反発する気持ちが強くて、相手の心がよく見えていなかっただけであって、本当は、心の底では気付いていた。
「ソアのお父さんは、どういう人なの?」
ミーティアがこれまで見てきた世界は狭かった。自分の視点で見てきた世界が全てだと思って物事を考えると、全く理解できない事柄ばかりだった。王が大海洞へ来られない事情もそうだったし、父の優しさも別の視点から見てくれるソアがいた事で、初めて気付いた。
自分の視点が絶対に正しいとは限らない。スティグマの暴走の時に、未来を諦めていた自分を励ましてくれたエルナも、知られたくない秘密を黙って受け入れ、共有してくれた千香も、それぞれが違う視点を持っていた。
いろんな事情があって、いろんな視点があって、いろんな正義がある。ソアはどういう視点を持っているんだろう。自分と同じように、父親に関して何かしらの事情があるのだろうか。
ソアは少し寂しそうにうつむきながら、口を開いた。
「私、お父さんのこと、覚えてないんだ」
「そうなんだ」
ミーティアはたいして不憫だとは思わなかった。ミーティアも元々は孤児で、十年前に今の父親に引き取られたからだ。
不憫だと思うよりも、興味が湧いた。実の父を覚えていないという点ではミーティアも同じだし、だとすると、どこで父親に対する認識の違いが生まれたのか、気になった。
「すごく強い人で、私もお父さんにあこがれて騎士を目指してた……らしいんだけど」
ミーティアの頭に疑問符が浮かんだ。物心つく前に離別した父の事を覚えていないならわかるが、自分があこがれて騎士を目指していた、という事すらあいまいだと言うのだ。
「お父さんが死んじゃったのがよっぽどショックだったのか、それ以前の記憶が全部消し飛んじゃってるんだよね。あこがれてたのに忘れちゃうなんて、薄情な娘」
ソアは苦笑しながら、自重気味に言った。
ミーティアにはよくわからなかった。記憶を失った経験なんて無いし、実際に死別した事を覚えているのとどちらが悲しいかもわからないからだ。
「ミーティアって不思議だね。正直って言うか、考えてる事がわかりやすいっていうか……。素直に反応してくれるから、何でも話せちゃいそう」
「うーん、不思議って言われたのはこれで二回目だけど、そんなにわかりやすい?」
心を開いてくれるのは嬉しいけれど、自分の単純さに自覚は無かった。
なんだか照れくさくなって、視線を時計のほうへ移す。既に二時間以上話し込んでいたらしい。
すぐにドアをノックする音が鳴った。わざわざノックしてくると言う事は、男性陣の誰かだろうか。
ミーティアがドアを開けると、そこにいたのはエルナだった。
―――◆―――
青い草原。膝丈まである背の高い青い草が大海洞を循環する湿った風に揺られてこすれる。
刃の先端がかすっただけの左腕に、赤い筋が走る。歯を食いしばり、痛みをこらえて彼は剣を握った。
白いマントは切り裂かれ、額から冷たい嫌な汗が頬を伝って流れ落ちた。
動悸がした。心臓が耳元で鼓動しているかのような、極限にも近い緊張が神経を蝕んでいく。
だが、立ち止っているわけにはいかない。目の前にいるのは、幼馴染の父親を殺し、記憶を奪い去った悪魔。二足で立ち、左右の手に刃の細い曲刀を一本ずつ握り、首から上には何もない、人に似て人でない怪物。
それに向けて疾駆し、力を込めて斬撃を放つ。袈裟がけに振り下ろす一撃が左の刃に弾かれ、逆の手から心臓を狙った突きが放たれる。とっさに横へ跳躍し、草をクッションにしながら受け身、地面を蹴って距離を取る。
一度斬り結ぶだけで、残していた体力がほとんど持っていかれるようだった。太刀筋が徐々に読まれてきている。このまま消耗戦が続けば、敗北も時間の問題だ。
だが、それでも。それでも、こいつを野放しにしてはおけない。
グライヴはトドメの一撃を放つつもりで、青眼に構えて駆け出す……はずだった。
対峙していた怪物がグライヴとは全く別の方向に向かって剣を振り上げ、身動きの取れない状態の少女に向かって振り下ろさんとしている。
刃が肉を裂き、短い呻きの後に水音がして、青い草原がそこだけ赤く染まった。
誰かの悲鳴が、大海洞に響き渡った。
―――◆―――
ミーティアの悲鳴を聞きつけて、大海洞の青い草原に駆け付けたエルナが見た物は、惨劇だった。
草の上に仰向けに倒れた赤い髪の少年は、まるで眠っているように動かなかった。全身にいくつも刀傷があり、肩から腰にかけて、袈裟がけに斬られた大きな傷があった。
彼の周りだけ青い草原が赤く染まっていて、その傍らに身動き一つ取れずに放心しているソアが座り込んでいた。
「あーあ、持ち場を勝手に離れて怪我してたんじゃ、同情もできませんね」
凍りつくような世界で第一声を発したのは、マヤだった。驚くほど冷徹な声で、目の前にけが人がいるというのに辺りの様子を写真に収めている。
その様子にミーティアが激昂して掴みかかろうとするが、エルナはそれを手で制した。
「とにかく、彼を治療できる場所まで運ぼう」
人命がかかっている。その事実を冷静に認識できたのは、代わりにミーティアが取り乱してくれたからかもしれない。
シャンテの指示に従い、エルナがグライヴを背負ってリヴァイアサンの下へたどり着くと、シャンテはその場にいる全員に離れているように言って、グライヴを寝かせた周りの地面を細い指でなぞった。
「レヴィ、すまない。触媒を使わせてもらう」
「仕方が無いな」
リヴァイアサンから小瓶を受け取り、その中に入っている水を少しずつ、指で描いた魔法陣の上へと垂らしていく。
治癒魔術の効き目は驚くほど早く表れた。本来ならば一晩はかかるはずが、グライヴの傷は見る見るうちにふさがっていった。
「ったく、何事だ?」
今の今まで寝ていたのか、天が起き出してきた。ちょうど良いからとグライヴをベッドに寝かせるのを手伝わされて、その後で天にも事情の説明があった。
グライヴが散歩に行くと偽って行方をくらまし、グライヴの帰りが遅いのを心配したエルナがミーティアやソアに相談して、グライヴを捜索。ソアがグライヴを見つけた時、彼は何者かと交戦していて、突如狙われたソアをかばってグライヴが負傷した、という事である。
話を聞いて、天は忌々しげにため息をついた。
「研修生の監督、なってないんじゃないですかー?」
マヤの嫌味に、天は何も言い返さなかった。シャンテ自身の許可があったとは言え、一人でずっと眠っていたのだ。エルナやミーティアが持ち場を離れた事への監督不行き届きを咎められても仕方が無いと言う事なのかもしれない。
遠回しに自分が非難されているようで、エルナは悔しかった。ミーティアもたぶん、同じ気持ちだっただろう。口をきゅっと結んで怒りに耐えているようだった。
「グライヴ! 気が付いたの?」
目を開けたグライヴを見て、ソアが安堵の表情を浮かべる。
しかし、次のグライヴの言葉を聞いて、彼女は信じられないものを見るような目になった。
「……誰だ?」
―――◆―――
グライヴ・イルアンは記憶を失った。
治癒魔術の副作用としてこのような症状は前例が無く、激痛のショックで失ったものだとすれば治癒魔術の効果の適用と同時に回復するはずだった。
つまり、彼は何らかの魔術的攻撃を受けた可能性がある。
天による説明はそれだけの簡単なものだった。その正体について考え得る可能性はいくつかあるが、結局のところ術者を見つけ出さない事には対処できないものだと言う事がわかった。
「おもい、だした」
ポツリと、つぶやくように言ったソアの言葉に、その場にいた全員が意識を傾けた。
彼女が失っていた記憶が、あの青い草原を目の当たりにする事で蘇ったのだと言う。
「グライヴを傷つけたのも、お父さんを殺した奴と同じ、両手に剣を持ってて、首から上がなかった」
ディガンマの唯一の目撃証言が、この場で得られた事は大きい。
調査隊を壊滅させ、第二王女を傷つけた犯人がようやく判明したのだ。
「ソア、大丈夫?」
「うん。私は大丈夫。早く、そいつを倒しに行こう」
ソアの目は強くまっすぐだった。決意を秘めていて、先ほどのように記憶が戻ったショックで動けなくなるという事は無さそうだ。
ミーティアが頷き、エルナもそれに同意した。だが、リヴァイアサンがそれを止めた。
「待て。魔族の中にそのような者はいない。人間がそれを持ち込んだ可能性が高い。これ以上、この大海洞で妙な真似をされては困る」
先ほどのマヤと同じ、冷徹な言い方だった。
「そんな! だって、さっきすぐ近くに事件の犯人が」
「黙ってろ」
天に短く言い切られて、ミーティアは泣きそうな顔になって後ろを向いてしまった。
「大方、私を人質に置いていけ、とでも言うのだろう?」
「シャンテは物わかりが良くて助かる」
おおらかな性格をしているとは言え、リヴァイアサンもこの大海洞に住む魔族達の長である。建前上、緊急時に人間に対して譲歩しすぎる姿勢は取れないのだろう。
王女であるシャンテが人質としてリヴァイアサンの下に残るという条件で、エルナ達の大海洞内での自由な移動を認めてくれた。
そして、リヴァイアサンからエルナ達に振り向いたシャンテは、王女として、ドレッドノートの依頼人として一つの命令を出した。
「ソア・ステインソール及びギルド『ドレッドノート』の精鋭達よ、どうか、第三区画の民を脅かす悪魔を討伐してほしい」
ソアは敬礼を以って、エルナやミーティアも一つ頷いて答えた。
「戦闘に関する指揮は白柳 天に任せる。討伐が不可能だと判断した場合、ただちに帰還せよ」
「了解した」
エルナ、ミーティア、天、ソアの四人は勇んで大洞窟を歩き始めた。まずは先ほどグライヴが負傷した青い草原を目指す必要がある。
道中で、戦闘指揮を執る天から作戦の指示があった。
曰く、ディガンマと思しき相手はかなり消耗している。マヤが撮った写真の中にも、彼の武器であった剣が存在しなかったのだ。
また、グライヴ以外のものと考えられる血痕が青い草原の奥に向かっていくつも点在しており、そこから相手は消耗した体力を回復すべく退却したものと推測されるということだった。
マヤが写真を撮っていたのは、現場の状況を正しく把握するためだったのである。けが人のいる前で不謹慎だと思っていたが、しっかりとした目的を持った行為だったのだ。
今回、討伐作戦に参加するメンバーは四人。うち、前衛がエルナとソアの二人、後衛がミーティアと天の二人だ。
まず、天はソアが魔術を使えるかどうか確認した。作戦の幅がどれほどかを見極めるためだろう。答えはNOだった。
ソアは記憶を失った時に魔術を使えなくなっている。それも、ディガンマによる何かしらの魔術的攻撃が原因だろうと天は推測した。
その上で、前衛二人に対しては狙われた方は防御に徹し、そうでない方は積極的に手足を狙う事を指示した。移動手段や攻撃手段を封じる事で、戦いは格段に有利になる。
また、ミーティアに対しては奴の視界から反れるように動く事を指示した。近接戦闘が得意でないミーティアにとっては、剣を持った相手の視界にとらえられる事は命に関わる。
青い草原の前でソアが決意を新たにするように一つ深く呼吸して、大槌を構えた。どこに潜伏しているかもわからない相手を警戒しながら、一歩ずつ慎重に進んでいく。
そいつはすぐに訪れた。金属の激突する甲高い悲鳴が鳴り響き、瞬間、刃を受け止めたエルナ以外の三人が音の発生源から距離を取る。
刃の太いエルナの大剣は、攻撃を防ぐ盾としても優秀だった。が、それ以上に、相手の動きが鈍っており、片腕が全く動いていないというのも四人にとって有利に働いた。
二本の足で立ち、二本の腕を持つ人のようで人でない怪物。本来頭部があるべき首から上には何も存在せず、赤黒い肉体は時折脈打って左肩の傷口から同色の液体を零した。
ディガンマの左肩には鋭い剣が突き刺さっている。グライヴが持っていたものだ。
「はあああッ!」
繊維を無理やり引きちぎるような嫌な音がして、ディガンマの右腕がその場に落ちた。背後から飛びかかったソアの大槌がディガンマの右肩を潰したのだ。
勝負はもうついたも同然だった。両腕を扱えない怪物は足だけでなんとかその場から逃げ出そうとし、しかしミーティアが振り抜いた杖に足を取られて転倒、全く身動きの取れない状態になってしまった。
「早くそいつにトドメを刺せ!」
怒号にも近い天の叫び。完全に有利な状況なのに、妙に切迫した声だった。
ソアが打ち下ろした大槌がディガンマの心臓部を再起不能なまでに潰し、そいつの正体に誰もが驚いた。
「機械……?」
落ちていた右腕の肉は、よく見ると生き物のそれではなく、肉に似たゼリー状の何かだった。
潰した心臓部からは灰色の部品がいくつもばらまかれた。大槌に潰されて原型はとどめていないが、おそらく元々はネジだったであろう部分やLP内部に見られる駆動部のような個所もあった。
その正体の意外さにしばらくエルナは動けずにいた。ディガンマは何者かによって作られた機械人形だったのだ。
「グライヴ……」
トドメを刺したソアの口から洩れる小さな言葉が、エルナを我に返らせた。
「そうだ。グライヴの記憶はどうなったんだろう」
何らかの魔術的攻撃を受けたために記憶が無くなってしまっていたグライヴだが、後先考えずにディガンマを粉々に粉砕してしまって大丈夫だったのだろうか。
エルナの心配は杞憂だった事が、天によって知らされた。
「あれが記憶を奪ったわけじゃない。記憶を抑え込んでただけだ」
機械人形の残骸に近づいて、天はそれらの細かい破片を観察し始めた。
あまりにあっけなかったが、ひとまずディガンマは倒された。その残骸を分析する天を置いて、他の三人はシャンテの下へ報告に戻った。
―――◆―――
ディガンマという脅威が一つ取り除かれた事で、シャンテはリヴァイアサンから解放された。グライヴの記憶も無事、元通りになった。
王宮では大臣が大海洞から戻った面々を労い、宴の準備を申し出てくれたが、シャンテはそれを取り下げた。
グライヴとソアが命令から外れた行動を取った事で、彼らに処罰を与えなければならなかったからだ。事件が完全に解決するまでの謹慎。その後、シャンテ直々に特別な任務で汚名返上の機会を与えられるのだと言う。
軍の命令違反に対する処罰としては軽すぎるが、これはシャンテのおおらかな性格によるものだろう。
一方で、エルナとミーティアも依頼者の意向を無視したと言う事で、玲菜からしばらく謹慎を命じられていた。謹慎とは言っても、ドレッドノートの艦の中は自由に行き来できるため、特別に不自由する事は無いのだが。
任務から一夜が明け、エルナとミーティアはドレッドノートのクレレの部屋に戻って来ていた。
クレレはこの任務の前から体調を崩していて、見かねた玲菜が部屋で休ませていたのだという。
「そう、ダイカイドーってすごい綺麗だったんだよ! 一面青い宝石で埋め尽くされてるんじゃないかっていうくらい」
クレレはもうだいぶ回復したらしく、ミーティアの土産話に聞き入っていた。
ミーティアも任務で自分が活躍したからか、その事が話したくて仕方が無い様子だった。
「謹慎中って事、完全に忘れてますね……」
土産話を聞きに来た千香にさえこう言われてしまうほど嬉しそうに話している。
確かに今回の任務は、途中仲間が負傷したりはしたものの、結果として特に損害無く終える事ができた。後味が悪くなる要素が欠片も無かったのだ。
「まあ、機械人形が剣を振りまわしても高が知れてるって事なんだろうね」
四人がかりで倒したのに、ミーティアはとても得意げだ。
「二刀流の首なし機械人形、ですか……」
剣士として単純に興味があるのか、千香は何か考え込んでいる様子だった。
「ダイカイドーは綺麗だったなあ! 事件解決まではドレッドノートにも立ち入りを許可してくれたし、もう一度見に行きたいんだけどなぁ……」
ミーティアは肩を落とした。一応、自分が謹慎処分中であるという自覚はあるらしい。
事件が解決するまでの間、王宮騎士団やドレッドノートのメンバーに対して大海洞の入り口が解放される事になった。それを、ただ見物のために出入りするというのは不謹慎な気もするが、でも確かに、ミーティアが言う通り、大海洞は綺麗な場所だった。
事件は完全には解決していない。エルナ達によってディガンマは破壊されたが、肝心のそれを放った犯人が明かされていない。
もっとも、その捜査自体はドレッドノートが積極的に関わる方針ではなく、エルナ達にとってはしばらく退屈な――言いかえれば、平和な――時間が戻ってくるという事になる。
千香が立ち上がった。外の空気を吸ってくるらしい。
「わたしの分まで吸ってきてぇー」
相変わらず、ミーティアはわけのわからない事を口走っていた。
―――◆―――
道着の身頃を整え直して、腰帯を締める。すこしキツいくらいが、気も引き締まる。
結った髪が乱れていないか、軽く撫でて確認してから、千香は兄の部屋のドアを開けた。
胸騒ぎがする。考えたくない可能性が頭の中を巡った。
部屋は整然としていた。整然としすぎていた。魔導工学の専門書とよくわからない機器、そして工具で埋め尽くされた部屋では無くなっていた。
専門書は綺麗に棚に並べられ、機器は自動掃除機と作業手伝いロボット以外すべてどこかへ消えていた。工具も、いくつかの工具箱に分けてしまってある。
生活の痕跡が見当たらないほどに、白柳 天の部屋は片付きすぎていた。
千香の脳裏をかすめるのはミーティアに聞いた機械人形の話。首が無く、二本の剣を持った、機械仕掛けの怪物。
『まあ、機械人形が剣を振りまわしても高が知れてるって事なんだろうね』
家の方針に反発して剣の稽古をしようとしなかった天を叱った祖父の言葉が、重なる。
機械に剣が扱えるものか。あの時の天の目はまっすぐに祖父を見返して、彼に迷いの欠片すらも無かった事を物語っていた。その目は、本当にまっすぐだった。まっすぐすぎて狂っていた。
魔導工学というものに絶対性すら見出していた天は、あの日、何らかの原因で魔力を失った。
今でこそ錬金系の術式を中心に精巧な魔術を行使できるが、威力のある破壊系や四元系を扱う事はできないでいる。
それは魔術師としては致命的な欠陥であり、故に彼は剣術を捨て去る事ができなかったのだ。
天が誰にも剣を振るっているところを見せようとしなかったのは、自らを束縛し続ける剣に対する底知れぬ感情のせいだ。
そんな彼が、剣を捨てる術を見つけたのだとしたら。剣という呪縛から解き放たれる術を見つけたのだとしたら。剣客機械人形ディガンマの完成を求めているとしたら。
三区王宮は間違いなく、今回の事件の犯人を確保した上で、危険なディガンマの設計情報を抹消するだろう。天がその情報を求めているとするならば、王宮と真っ向から対立する事になる。それだけでは済まないかもしれない。
千香はその場から駆け出した。ドレッドノートを飛び出して、大海洞へと向かった。
道のりは停泊場所からそう遠くなく、海辺の洞窟に大海洞内部へ通じる転移陣がある事もミーティアから聞いている。
薄暗い洞窟に淡く青白く輝く転移陣に、一歩。草履で踏み入れる。瞬時に景色が色を変え、青空に星をちりばめたようなまばゆい世界が広がった。
だが、今の千香に、それに見とれている余裕はない。入り組んだ迷宮のような道を片っ端から走り回って、兄の姿を捜す。
ここに天が来ているかどうかはわからない。が、来ている可能性は十分に考えられる。つぶれてしまったディガンマの残骸を調べるよりも、それを作った犯人を捜すほうが手っ取り早いからだ。
大海洞の奥、膝丈ほどの青い草が生い茂る草原にたどり着いた時、千香は心臓が止まるかと思った。
はらわたを切り裂かれ、無残な死体となった大臣を見下ろす作業着姿の青年がいたからだ。
寒気のするような冷たい目で振り返って、白柳 天はこう言った。
「ディガンマを追うのはやめろ」
草原の草を鳴らす湿った風が、兄妹の間を隔てた。