16:深蒼の大洞窟
銀髪に眼鏡をかけた魔法学園の制服姿の少年は、ギルドの長に連れられて第四区画中央惑星の未開発地区へと足を踏み入れていた。
彼の前を歩くのは、二本の刀を携えた背の高い男、ガリュー。ギルド『マジェスティック』の艦長であり、数あるギルドの中でも飛び抜けた実力の持ち主であり、その鷹のように鋭い目はあらゆる真実を見抜く。
睨まれただけですくみあがって動けなくなるほどの眼光の持ち主は、しかし恐るべき方法でこの事件現場に立ち入る許可をもぎ取った。
(まさか、本当にお役所の女性を口説き落とすなんて……)
まだ、第四区画に到着してから二日目だ。役所の女性が惚れっぽかったのか、あるいはガリューの口説き方が相当にうまかったのか。あの鋭い目はひょっとしたら口説きやすい女性を見抜くためのものなのではないかと、少年、リックは疑い始めてしまった。
ともあれ、現在は真面目な現場である。ガリュー自身は常に真面目だと言い張るのだが、それについてリックは考えるのをやめていた。
ヘルテイト・バーレイグが根城にしていたという、岩肌を掘って作られた人工洞窟。狭い道を抜けた先にあるドーム状の空間は、すでに防衛師団が入ったのか、綺麗さっぱり片づけられていて塵一つ落ちていなかった。
「なるほど、この辺りは流石にぬかりないということか」
何もない空間を見回して、ガリューは納得した様子で振り向いた。
「では、再調査と行こうか。リック、君の研究が生きる日が来たぞ」
リックは学園で、魔法の痕跡に関して特に力を入れて学んでいた。戦闘自体は得意ではない。
どのような魔術が行使されたのか、という痕跡はその空間に存在する魔力その変質を分析する事で可能となる。リックは学園の上級クラスで学んだ事実を活かして独自にその分野での研究を重ね、魔術を行使した人物のおおまかな特定まで行えるように理論を発展させた。
この場所で誰が魔術を行使したのか、という事を調査するために連れて来られたのだが、リックにはその目的がわからない。わからないが、彼は自分の専門分野が役立つという事に喜びを抑えられなかったため、ガリューの思惑はどうでも良かった。
彼が空間状態の保存を行うための円盤状のビットを取り出そうとしたところで、鋭い声に遮られた。
「その必要はない」
狭い通路から現れたのは、白い装束に身を包んだ女性。佇まいや鋭い眼光からして、タダモノではない。腰には白銀の輝きを放つ刺突剣が提げられていて、白く華奢な右手はいつでもその剣を抜けるよう、柄にかけられている。
「広大な宇宙の末端で起きた事件に、わざわざ中央政府直属の戦闘部隊が駆り出されるものかな」
突然のイレギュラーの登場にも関わらず、ガリューは不敵に笑った。
「安穏を願うならば余計な詮索はしないことだ」
敵意をむき出しにする女性を前にして、ガリューはリックを巻き込まぬよう、遠ざけた。遠ざけて、白い女性と対峙したは良いが、剣に手をかける様子は無い。ガリューにはまるで戦う意思がない。
「ふふ、その貞淑さに惚れてしまいそうだ」
この緊迫した状況で何を言い出すんだと、リックは気が気ではなかった。確かに、ガリューは強い。今までの任務でそれは十分にわかっているつもりだ。だが、相手はおそらくあの連邦騎士団の一員。全宇宙で最強の武装集団の一人が、今にも剣を引き抜かんとしているのを前に、ガリューの姿勢はあまりにも無防備すぎる。
軽く顎をさすって、目を閉じて笑うガリュー。下手をすればその隙に一突きされてしまいかねないが、そう言った心配は無用のものだった。目を開いたガリューの空気が、先ほどまでと打って変わって、鋭利な刃のように冷たく張り詰めたものになったからだ。
「人工遺物を操るだけの力を持つ少女。ここで葬れるならそれで良し。そうでなければ……」
刹那。ドームに金属の激突する甲高い音が響いた。
鋭いレイピアの一撃がガリューの首を狙って放たれたのだが、ガリューは先ほどの位置から全く動いていない。
ガリューと白き騎士の間に立ちふさがっていたのは、ガリューと同じくらい背の高い三白眼の男。深く刻み込まれた皺と、露出された逞しい筋肉にいくつも見当たる刀傷が、彼が歴戦の勇士である事を示していた。
タゲン。『マジェスティック』のクルーの一人であり、単独での任務を主にこなす一匹狼。逆手に握った短刀の先端で、リックが全く視認できなかった刺突の一撃を受け止めている。
「言ったはずだ。余計な詮索はするなと」
白き騎士はその乱入者を相手に、動じなかった。この程度は想定の範囲内だということだろうか。
威圧するような低い声で、女性はすごんだ。
「私は退屈な安穏よりも、焦がれる愛を求めていてね。美しくも強いレディとあれば、その心をかき乱したくなってしまうものさ」
ガリューは全く懲りていなかった。あろうことか、自分に対して刃を向けた相手に、ウインクまでし始めた。
「……何を企んでいる」
「まず第一に、君の美しさが私の心をとらえた。連邦騎士団の謀はその次かな?」
歯の浮くようなセリフを、恥ずかしげも無くすらすらと並べ立てる。
全く以ってつかめない相手に、白い女性は忌々しそうに息をついて、剣をおさめた。
「……。気分が悪い。出直す」
「また君と会えるのを楽しみにしているよ」
お願いだからこんな寿命が縮むような相手との再会を楽しみにしないでほしいと、リックは切に願った。
「いつもすまないね。タゲン」
「……気にするな。荒事は俺の役目だ」
短刀をおさめたタゲンは、低い声でそう言うと狭い通路の壁に背中を預けて目を閉じた。
(た、タゲンさんが喋った!)
リックにとって最も驚くべきことはそれだった。
―――◆―――
「朝からひどい目にあったよ……」
「あはは、ごめんごめん」
ブリッヂに続く通路を歩きながら、エルナはようやく落ち着いた事態に安堵のため息をついた。
とにかく、今朝は大変だった。目が覚めると目の前に見慣れた顔が寝ていて、何が起こったのか把握する前に、部屋に血相を変えたクレレが飛び込んできた。
クレレもエルナも、その場で硬直した。どうしてミーティアが隣で寝ていたのか、エルナには全くわからなかったが、次第に、実に良くない状況である事を理解していった。
緊急事態に部屋のドアを開けてみれば、ベッドの上には一組の男女。しかも、エルナがミーティアの背中に手を回してしっかりと抱き寄せている格好になって寝ているというもの。クレレからすれば――勿論、エルナにとってもそうだが――、この状況は色々とタダ事ではない。
「あああ、あのあのあの」
とにかくひどい混乱状態にあって言葉が紡げそうにないクレレを落ち着かせようとエルナが声をかけようとした時、もっと良くない状況がやってきた。
先ほどのクレレと同じく、緊迫した状態の千香がやってきてしまったのである。更に、ミーティアの寝言が誤解を決定的なものにしてしまった。
「ごめん、なさい」
エルナにとっては全く覚えのない謝罪。寝言ながらも涙でかすれた声で、ミーティアにとって何か深刻な事件があったらしい事が、その場にいる全員に知れ渡った。
何だかとても良くない状況である事はわかったのだが、それがわかったところでどう反応したらいいのかわからないまま、エルナがおろおろしていると、すさまじい殺気が飛んできた。
恐る恐るその主の方に目をやると、今にも鯉口を切らんと刀の柄に手をかけていた。
「ミーティアに何をしたんですか」
何もしていない、などと答えられるほど、穏やかな声ではない。ドラゴンの硬い皮膚を切り裂いた風の刃を思い出して、エルナは血の気が引いていくのを感じた。
事の顛末はこうだ。クレレが朝、ミーティアを起こしに行ったら部屋にいなかった。ミーティアはこの間誘拐されたばかりなのでクレレはその場で大慌て。千香に事情を話して、エルナにも伝えようと部屋まで来たところ、エルナがミーティアを抱き締めるようにして寝ていたのだ。
クレレが必死で千香をなだめている間にミーティアが目覚めてくれなかったら、エルナの首と胴体は劇的な別れを遂げていただろう。ミーティアが特に込み入った事情が無い事を説明してくれたおかげで、命の危機からは脱する事ができた。
それにしても、ミーティアは本当にややこしい事ばかりする。確かに昨夜はホットミルクを飲んだ後の記憶が曖昧で、ミーティアに肩を貸してもらったような気もするのだが、だからと言って何故ミーティアがエルナのベッドにもぐりこんで寝ていたのかははっきりしなかった。
泣いて謝っていたのは、昔怒られた時の夢を思い出していただけだと言う。昨日の夜はミーティアの隣にいると落ち着くとか言ったのに、今朝はミーティアの隣にいたせいで落ち着かない事態になった。
突飛な行動も彼女らしいと言えば聞こえはいいが、寿命を縮めるほど過激な冗談はやめてほしい。ミーティアも今回ばかりは流石に反省しているようだったのでエルナもあまりしつこく追及はしなかった。
ブリッヂではすでに天以外のドレッドノートのメンバーと、三人の白い騎士が会議用の長テーブルについていた。
そこは到底、気の休まる空間ではなかった。居心地の悪さは先ほどの危機的状況とは違うものの、クルーの溜まり場は抑圧された不安と不満が充満する息苦しい場所となっていた。
常に真面目な千香は普段とあまり変わりがないが、ノクスはコーヒーを淹れようともせずに鋭い目で半ば騎士たちを睨みつけているし、クレレは蒼白になりながら、誰とも目を合わせないように下を向いている。この中では最も落ち着いている玲菜の表情にも普段の穏やかさは微塵も感じられず、人としての感情を捨てたような冷たい目をしていた。
「す、すみません。お待たせしました」
玲菜に促されて二人が席に着く事を確認して、白い騎士のうちの一人、両目を包帯でぐるぐる巻きにした若い男が立ちあがった。
三人の中では最も背が高く、唯一の男性である。彼らの内部にどのような序列があるのかはわからないが、どうやら目隠しの男は背の低い少女を常に監視しているらしかった。金髪で水色の澄んだ瞳をした女性はごく普通に腕を組んで視線を目隠し男のほうへやるのだが、その隣の少女は目を閉じたまま、まるで眠っているかのような表情で頭をゆっくり左右に揺らしている。
「概ね揃ったようだな」
目隠し男は低く落ち着いた声で作戦の説明を始めた。真っ先に行われた簡単な――本当に簡単な、名乗るだけの――自己紹介で、目隠し男がアエル、金髪の女性がシャンテ、頭をゆらゆらと揺らしている少女が燐という名である事がわかった。
宇宙航行艦ドレッドノートは現在、第四区画から第三区画へ向かう、三四隔壁を通過するところだという。連邦騎士団からの召集命令という事で、彼らの本部がある第一区画へ直接向かうのかとエルナは思っていたのだが、それはどうやら思い違いだったらしい。
意外にもアエルの説明は丁寧で、質疑応答の時間まで設けてくれた。エルナがどうして直接に第一区画へ向かわないのかと尋ねたところ、その理由も詳しく説明してくれた。
「一四隔壁には他のギルドが集中すると予想される。マジェスティックが真っ先に一四隔壁を通過した事で、他の連中は慌てて通過許可申請を出してきているからな。それに、第二区画は現在、宗教抗争の沈静化という名目で一二、二三隔壁を共に遮断している」
つまり、ミーティアを、あるいはスティグマを狙ったギルドが第四区画へ大挙して移動している、という事らしかった。更に、普段は通過許可審査の厳しい一四隔壁だが、その審査をわざと一時的に緩めているのだという。
一足早く第四区画入りしたマジェスティックに先を越されまいと、腕に覚えのあるギルドは次々に通過許可の取得申請を始めた。この状態で一四隔壁へ向かえば、通過の際に一隻だけ逆走するドレッドノートが目立ってしまう。
だが、これを利用して、一四隔壁に意識を集中させる事で、その隙に第三区画へと抜け出すという狙いがあるのだという。第三区画ならばそこまで力のあるギルドも多くは無いし、第一区画の猛者達を相手にするよりはずっと安全だ。
加えて、第三区画には連邦騎士団が間接的に影響力を持てる状態にあるらしい。ミーティアが狙われる事に関してはほぼ心配しなくても良いということだった。
「第三区画では我々と共にある任務についてもらう事になっている。任務後、様子を見てその後の動きを決定する」
封鎖された状態の第二区画や、大量のギルドが流れ込む第四区画の動向を見ながら、その後どう動くかを決定するということらしい。ノクスから説明された通り、今回の遠征任務はかなり長丁場になりそうな雰囲気だった。
肝心の第三区画における任務は、シャンテから説明があるということで、アエルは燐を連れてとっとと部屋へ引っ込んでしまった。燐はふらふらしていたし、体調でも崩しているのだろうか。
「すまないな。あの男、仕事はできるが愛想が無いんだ」
アエル達がブリッヂから出た事を確認して、金の長い髪を後ろで結わえた女性、シャンテが深く息をついた。この任務に連邦騎士団から派遣された三人は団長からの指名らしいが、団員のシャンテでさえ、アエルと燐が選ばれた理由はわかっていないらしかった。
とにかく、人当たりに難のあったアエルと違い、シャンテの説明は非常に砕けたもので、先ほどまでブリッヂに充満していた緊張が少しずつほぐれていく事を感じさせた。
「という事で、今回の任務は大海洞最深部に向かう王女の護衛、それから三区を騒がせているある事件の調査だ。彼らとの関係はちょっぴりデリケートだから、建前上でもそう強くない人物が望ましい」
「あら、適任がいるじゃない。寝てるけど」
「ああ、いますね。寝てますけど」
玲菜と千香の空気も、先ほどまでの張り詰めたものではなくなっていた。
彼女達が言う適任はおそらく、いつものように一人マイペースに寝ている天の事だろう。
建前上は非戦闘員だが、実質的に戦闘員にカウントされている。あれ以上の適任はいない。
「でも、一応病みあがりなのよね」
「それなら、そこの研修生も一緒に来てくれればいいだろう」
シャンテのその言葉に、玲菜の眉が動いた。元々がミーティアをかくまうという名目で来た彼らのことだ。建前上であっても戦闘能力の高くない人物を要求する任務に対して彼女を寄越せ、という命令となれば、警戒せずにはいられない。
「ううむ、あまり脅すようなことは言いたくないが、アエルや燐はこの艦に置いていく。彼らを見張るためには相応の実力の持ち主でなければ務まらないぞ。特に燐のほうは、な」
玲菜は渋々ながら了承したが、エルナが口をはさんだ。
「あ、あの、その任務にボクがついていくのって、アリですか?」
「うん? キミがか? 戦えるのか?」
そこの研修生、という言い方はミーティア一人を指したものだったらしい。エルナは今の今まで、シャンテの眼中になかったということか。
しかし、エルナはそれなりに戦う事ができ、研修生という肩書もあって名目上、強力すぎる戦力とは言えない。
「そうだな。そういうことであれば、艦長殿の許可さえあれば私は構わんよ」
ミーティアを守るためにできる最善の方法は、強大すぎる力を拒む彼らの任務に対して可能な限り戦力を注ぎ込むことだった。玲菜はすぐに決断を下した。
大海洞への王女護衛任務には、エルナとミーティア、そして天が同行する事になった。
―――◆―――
第三区画は四つの連邦領区画の中では比較的新しいほうだが、それでも気の遠くなるような歴史を持っている。
この地に移住した人々が優れた指導者を求めたために、古い時代から王制を敷くこととなった。
今回、大海洞へ王女を護衛する任務が任されたのは、王家の人間と彼らの古の盟約により、この地に立ち入るためには王家の血筋が必要だからである。
大海洞はその名の通り、海底に存在する大洞窟であり、大渦に守られたその洞窟へ立ち入るためには特殊な転移陣を使う必要がある。その転移陣を起動するためのキーが、王家の血筋なのだ。
肝心の、王女が大海洞の最深部へ向かう目的については、あまり広く知られたい事情ではないらしいのだが、第三区画にここ十年の間に出没するようになったある怪物の話が関係しているという。
ディガンマ。生きた人工遺物とも呼ばれるそれは夜な夜な現れて、見つけた者を片っ端から切り裂いて殺すという、物騒な化け物だ。それを退治してしまえば話は終わるのだが、事はそう簡単ではない。
噂が流れているだけで、その確固たる正体はまだつかめていないのだ。幾度となく王宮の調査隊が出向いても、何の手がかりもつかめずに終わるか、あるいは全滅させられてしまうだけだった。
三年前の調査隊の派遣で、それは起きた。大海洞内部で、調査隊がほぼ全滅。立ち入りのために同行していた第二王女が重傷を負ったのだ。
王宮はこの事態に混乱した。議会では、ディガンマの正体は古よりこの地に住む彼らではないかという声が上がり、太古の盟約に違反したとして、彼らへの制裁を求める過激派まで現れた。
あわや即時開戦という一触即発の状況にまで発展したが、王宮内での支持も篤い第二王女の懸命の説得により、なんとか過激派も矛を収める形となった。
だが、それも一時的な物である。早々にディガンマの正体を明らかにしなければ、王宮と彼らの間で戦争が起こってしまう事は避けられない。
王宮内では開戦を叫ぶ声こそ鎮まったが、彼らに対する不信は消えておらず、そこで今回、第三者であるドレッドノートに調査のための護衛を依頼してきた、ということである。
「よくわかんないけど、カレラさんが怪しいから王宮で調査隊が派遣できなくなったの?」
「カレラさんって……。まあ、そう言うことだと思うよ。そう何度も全滅されてちゃあ損害もひどいだろうし」
エルナ、ミーティア、天の三人は、大海洞の入り口である転移陣の前まで来ていた。海辺の洞窟の中であり、夕刻となって入り口のほうにわずかな西日が射しこんでいる以外は、転移陣から漏れる青白い明りしか存在しないため薄暗い。
シャンテは人を迎えに行くと言っていた。おそらく、王女様とやらを連れてくるのだろう。エルナが退屈そうなミーティアをなだめていると、洞窟に一組の男女が入ってきた。
少年のほうは赤い髪のぼさぼさ頭で、白いマントを羽織り、腰には両手で扱う騎士剣が提げられている。もう一人は赤い髪のショートヘアで、金属の肩パッドと胸当て、そして動きを制限しないスカートと、腰には細い紫色の帯を巻いている。背中に背負っているのは、彼女の華奢な腕で扱えるのかと思うほどの大槌で、見るからに少年よりも重装備だった。
おそらく、二人ともエルナ達と同年代である。どちらも傾向こそ異なれど、おとぎ話に出てくるような騎士の格好をしていた。王宮というものの存在からして、第三区画外ではあまり身近に感じられないものであるため、第三区画にはそれを中心とした独特の古風な文化が栄えているらしい。
「あなたが王女様?」
「えっ?」
ミーティアが突拍子もない事を言い始めた。重装備をして身を守る可能性はあるが、王女があんなゴツいハンマーを背負ってきたりはしないだろう。
ミーティアの言葉が全くの的外れであることを裏付けるように、言われた少女は面喰らってどう反応していいかわからない様子だし、少年のほうは必死に笑いをこらえていた。
やがて気を取り直して、ハンマー少女が自己紹介も兼ねて、事情を説明してくれた。彼女達は王宮から派遣された騎士見習いで、今回の王女護衛任務に同行するよう命じられてきたのだそうだ。
ハンマーを背負った少女はソア。マントの少年はグライヴという名らしい。騎士と言うからにはお堅い性格なのかと思ったら、どうやらそんな事はないらしく、二人とも気さくに話しかけてきてくれた。
エルナがいつものように女の子に間違われて凹んでいると、今回の任務の依頼者がやってきた。
「すまん、待たせたな」
シャンテともう一人、縁のないメガネをかけた女性がいた。白く透き通るような首から黒く細長いベルトでつながれた大きなカメラと、半そでの白いブラウスに、膝まで隠れる黒いスカート。
「おや、お久しぶりですね。生ドラゴンと戦った生勇者様じゃないですか!」
龍見 マヤ。新聞雑誌スペースタイムズの記者で、エルナにとってはあまり良い思い出のある人物ではなかった。
しかし、シャンテの口ぶりではこれで全員揃ったかのような言い方である。まさか、この新聞記者が王女とでも言うのだろうか。
どうやら、そういうわけではないらしかった。マントの少年とハンマー少女が敬礼した先には、照れくさそうに頬をかいている白いワンピース姿の金髪碧眼の女性の姿があった。
「シャルフランテ姫、無事のご帰還、お待ち申しあげておりました」
ハンマー少女の格式張った発言に、シャンテは慌てた様子で背筋を伸ばし、姿勢を正した。
それから「楽にしてくれ」と敬礼する二人に言ってからエルナ達のほうを振り向くと、ばつが悪そうに自らの正体を明かした。
「いや、その、自分から王族を名乗るのはどうにも気恥しくて、な」
シャンテは転移陣の前に立って、岩の地面に描かれたそれに手をかざす。
「早速出発するとしようか。ここからはそれなりに長い距離を歩くことになる。我々と彼らの関係についても、その道中で説明しよう」
起動した転移陣の上へ、先導のグライヴから順番に乗って大海洞内部へ転移する。
天やミーティアに続いてエルナも光る魔法陣の上に乗り、転移魔法の眩しい光に目を閉じた。
―――◆―――
大海洞はこの地に人間が移住してくる前から存在した、天然の大洞窟だ。長い年月をかけて海水で削られた岩肌は魔力素を多分に含み、それを養分とする特殊なコケが岩壁に茂って澄んだ青の魔力光を放っている。
海の底に存在する洞窟でありながらそこは先ほどの海辺の洞窟よりもずっと明るく、転移してしばらくは眩しくて目を開けていられないほどだった。
幻想的な光景。思わずため息すら出るような、透き通る水晶にも似た輝き。青空に星が瞬くとしたら、きっとこんな光景になるだろう。エルナも、ミーティアも、三区の見習い騎士達も、シャンテに声をかけられるまでその美しさに見とれていた。
エルナ、ミーティア、天、ソア、グライヴ、マヤ、シャンテの七人が揃っている事を確認して、唯一大海洞の道のりを知るシャンテが先頭を歩き始めた。
一つ歩みを進めるたびに、足場の表面に張った薄い水の膜がはじけて音を立てる。幼い頃にはしゃいだ雨の日を思い出しながら、エルナはシャンテの説明に耳を傾けた。
「彼らとは、魔族のことだ。一般的に言われる魔獣と違い、優れた知性を持っている」
魔族は、人と異なる生物であり、その姿かたちは様々だが、総じて強い魔力を持つ。
この第三区画には人よりも以前に彼ら魔族が住んでおり、第三区画に人間が移住してきた際には様々な問題が起こったという。
移民と先住民との諍いの歴史は人がまだ広大な宇宙へ飛び出す以前からも存在していたため、第三区画の指導者たる王が魔族の長と交渉。これにより、互いが同じ星で生きるために守られるべき、古の盟約が誕生した。
互いの領域には特別な場合を除いて立ち入ることが許されず、また、干渉もしてはならないという内容の盟約である。争うくらいならば完全に住み分けてしまおうと考えたのだ。
積極的な交流を拒む一方で、同じ星に住む以上、関わりを全く断ってしまうわけにはいかない。盟約の確認は数年に一度という短いスパンで行われるし、互いにとって脅威となる存在の出現も、古の盟約の時代から想定はされていた。
そういった目的もあり、王家の人間が魔族の長達と会談するためにこの地を訪れる事は、頻繁ではないにせよ稀でもなかった。当然、この地を正当な理由で、正式な手段で訪れた人間を害してはならないという事は、古の盟約に含まれていた。
三年前の調査隊惨殺事件がもしも魔族の仕業であったとしたら、それは古の盟約に反するものである。王宮内で魔族に対する反発が強くなっている事もあって、シャンテは「彼らとの関係はデリケート」だと言ったのだ。
一方で、魔族側にもディガンマの被害が出ているという話もあり、彼らの側から王宮側への不信も募っている。結果、大海洞へ赴く際に王家の人間を護衛しなくてはならないにも関わらず、あまり強大な戦力を持ち込んでしまうと魔族側を刺激してしまいかねないという、板挟みの状態になった。
今回、シャンテを含む七人はそれぞれ、戦闘を本職とする人間ではないか、そうであったとしても見習いの段階にいる者だけで構成されている。
「本来なら王宮からの護衛は無しにしたかったのだが、どうにも頭の固い人間が多くてな」
言いながら、シャンテは深くため息をついて、話を本題へと戻した。
「とにかく、彼らと我々は調査隊事件以来、ほとんど交流断絶状態にある。今回、彼らの長に会う目的は盟約の確認と、ディガンマ事件解決のための知恵を借りる事だ」
「うん? 三年前、だったよね。その間、王様がここに来たりとか、しなかったの?」
ミーティアの疑問はもっともな事だ。だが、エルナは慌てた。相手は仮にも王女。口の利き方には十分に注意しなければならないというのに、まさかのタメ口である。
王宮に仕える騎士の見習いであるソアは表情を歪めていた。グライヴのほうも、まさか王女に向かってタメ口を利くとは思っていなかったのか、信じられないと言った様子でミーティアのほうを見ていた。
(ま、マズいって!)
エルナはこの状況をなんとかできないかと助けを求めるように天のほうを見るが、彼はどうやらこのやり取りそのものに興味を持っていないらしかった。ただ黙々と、青いコケの光を見ながら歩いている。
肝心のシャンテはと言うと、ミーティアの無礼な言葉遣いには全く触れずに、彼女の質問に答えてくれた。
「調査隊事件でこの場所の安全性が揺らいだからな。指導者を失う事を恐れた議会は王をここへ寄越したがらない」
その説明を聞いても、ミーティアはいまいち釈然としない様子だった。
「シャンテさんが王女様ってことは、王様はシャンテさんのお父さんって事になる、んだよね?」
「まあ、そうだな」
ミーティアはシャンテが王女だと言う事を理解しておきながら、言葉遣いを改めようとしない。シャンテは複雑そうな表情をしているが、ミーティアを咎めるような事はなかった。
「て、天さん、あれ止めなくていいんですか」
偉い人に対してタメ口を貫き通すのは非常にマズい。ミーティアが王族の怒りを買った場合、同じドレッドノートのクルー達もとばっちりを食らってしまう可能性がある。
その不安に耐えきれず、エルナは天に対して小声で助けを求めた。天は相変わらず落ち着いた様子で、しかしエルナの苦悩を瞬時に見抜いてくれた。
「お前はもう少し落ち着いてろ。あの女は俺達にとって王族じゃない。依頼者の一人だ」
言われて、エルナもようやく理屈は理解した。理解はしたが、それでも相手は王族である。あの女呼ばわりもあまりよろしくない物言いだ。天は本音と建前の使い分けが大事なのだと言うが、エルナはどうにもすっきりしなかった。
(ボクが気にしすぎなのかなあ……)
「私は長らく連邦騎士団に身を置き、王宮との関わりを避けてきたからな。頭の固い議会を納得させるには、三区の政治にとって必要不可欠な父上よりも、連中から距離を置いた私が出向く方が都合が良かった」
エルナが悩んでいる間にシャンテとミーティアの質疑応答は進んでいた。シャンテの答えを聞いてミーティアは先ほどのエルナのように納得し切れていない様子で、しかしなんとかその事情を飲み込もうとしているらしかった。
誰かがここへ来なければならなかったなら、娘に任せたりしないで王が自らここへ来るべきだったのではないか、という問いだったようだ。
「そっか、いろんな事情があるんだ……。何も知らずに変なこと言ってごめんなさい」
「いや、構わんよ。至ってまともな反応だ」
大海洞の青いトンネルは入り組んでおり、途中にいくつも分かれ道が存在していた。迷宮のようなその道のりを、シャンテは正しく記憶しているようで、特に迷うことなく進むべき道を選んでいた。
ミーティアとシャンテの会話が終わると、誰も言葉を発しようとしなくなった。
七人分の足音が空洞に響いて、なんとなく口を開きづらい沈黙に重石を載せる。
エルナは気持ちを落ち着けるために、そっとそれぞれの表情をこっそり覗き見る事にした。
ミーティアはさっきの会話の内容を飲み込もうとしているのか、いつになく真剣な表情である。
天は時折あくびを噛みしめながら、眠そうな目をしていた。昨晩のうちに区画間移動のための装備を取り付ける作業をしていたらしいので、それが長引いたのだろう。
ソアはうつむきがちで、表情を曇らせていた。先ほどのミーティアの言葉遣いが気に障ってしまったのかもしれない。
グライヴはやや過剰に周囲を警戒しているように見えた。視線があちこちに行って、分かれ道では進まない道の奥をしきりに気にしていた。何かを警戒しているというより、何かを探しているようでもあった。
シャンテの足が止まった。エルナがグライヴの落ち着かない様子を不思議に思っているうちに、どうやら目的地に到達したらしい。
そこはだだっ広い、平らな空間だった。先ほどまでは天井の存在を意識できたトンネル道が開けて、何か特別な用途のために作られたようにさえ感じる、何もない場所だった。
上を見上げると天井は見えず、暗闇が広がっている。それでもこの場所が暗くないのは、この大広間の奥半分が先ほどまでのトンネル道と同じく、青い光を放つ泉になっているからだった。
「相も変わらず、不用心なことだ」
「それはお前も同じことだろう」
シャンテの声に呼応するように、低い声が大広間全体に響き渡った。直後、泉から激しい水しぶきが上がって、雨のようにエルナ達に降りかかった。
しぶきが収まってから目を保護していた腕をどかして、エルナはあまりに突拍子もない光景に驚いて尻餅をついてしまった。
深い蒼のウロコを持つ大蛇が、泉から顔を出していた。真紅の双眸には一睨みされただけでその偉大さを思い知らされ、人一人どころかここの七人全員が丸ごと飲み込まれてしまいそうな大きな口には、一本一本が名匠の業物の如く鋭い牙がズラリと並んでいる。
王女の護衛である以上、ここは武器を構えなければならないはずだが、生身で戦おうなどと思える範囲をはるかに凌駕していた。何隻もの宇宙艦で魔導砲をぶつけでもしない限り、この大いなる存在には太刀打ちできないだろう。
護衛達がその圧倒的迫力に息もできないほど気圧されているにも関わらず、シャンテとマヤだけは平然としていた。
「話には聞いてましたが、デカいですねー」
マヤはいつもの平然とした調子だが、珍しくカメラを構えようとしなかった。
「竜族の娘か。人間に従うとは、堕ちたものだな」
「私は人間だの魔族だのって話には興味がないんです。ただ、真実が知りたい。白黒はっきりさせたいんですよ」
その怪物は、どうやって喋っているのかは全くわからなかったが、しっかりと人語で会話できるらしい。
強大な存在と、マヤは対等に会話していた。シャンテも同じで、相手に敬意を払ってはいても、恐れを抱いているという事はなさそうだった。
「まあ、なんだ。彼らも十分に驚いた事だし、そろそろいつもの姿に戻ってはくれないか」
「フン、つまらん」
言葉ではつまらないと言っていても、口調はやや楽しんでいるように聞こえた。泉の大蛇はその体を青く光る水滴にして弾けさせ、エルナ達の前から姿を消した。
あっけに取られているエルナ達の前に、深い蒼のローブを身にまとった、長い髪の女性が降り立った。大蛇の身が弾けた直後に宙に現れ、そのままゆっくりと降下して、泉の水上に足をつけて立ったのだ。
そのまま水上を滑らかな足取りで歩き、長身な女性はシャンテの前に立った。
「大きくなったものだ。見違えたぞ、シャンテ」
「久しいな、レヴィ。会えて嬉しいよ」
レヴィと呼ばれた女性とシャンテは互いに穏やかな笑顔と硬い握手を交わして、シャンテがエルナ達のほうへ振り向いた。
「彼女が魔族の長、リヴァイアサンだ」
あまりにも突拍子が無い事だったので、エルナ達全員が事態を把握するまで、三十秒程度の時間を要した。