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15/24

15:出発前夜

 玲菜が旧友を応接室に通したのは、ドレッドノートの面々が一名を除いて朝食を終え、しばらくして落ち着いた頃だった。

 おそらく昨晩の連邦騎士団の男が来るのだろうと予想していた玲菜にとっては、想定外の――しかし、必ずしも悪い方向ではない――事態だった。

 二本の刀を携えた背の高い若い男で、暗い茶色の長い髪を頭の後ろで結っている。服装は千香が普段来ているのと似た和装だが、下はネズミ色のズボンタイプをはいて、上はえんじ色の長い外套を羽織っている。鷹のように鋭い目は今は玲菜に向かって優しく微笑んでいた。

「久しぶりね、ガリュー。あなたもうちの優秀な人材の噂を聞き付けてやってきたのかしら」

「はは、相変わらずレイナは難しい質問が得意だな。少なくとも野次馬や引き抜きのために一四隔壁を抜けられるほど、うちのギルドに余裕はないよ」

 ガリューと呼ばれた男は、第一区画で活躍する少数精鋭ギルド『マジェスティック』の艦長だ。ギルドの規模そのものは大きくなく、運営方針はドレッドノートのそれに似ている。

 実力も折り紙付きであり、そのことが今回彼らマジェスティックがわざわざ鉄壁の一四隔壁を抜けてまでここへやってきた理由にも深く関係する。

「まさか、(ふね)ごと一区に連行されることになるとはね」

「ここまで規模が大きくなれば反抗もしにくいからな。荒事に特化した連中だとばかり思っていたんだが、そうでもないらしい」

 第一区画で活動していたはずのマジェスティックが一四隔壁を通り抜けてまでここに来た理由は、連邦騎士団の来訪に関係している。彼らは、連邦騎士団に――結果として、連邦に――雇われたのだ。

 昨日の連邦騎士団の要求にあった技師を用意しておくというのは、マジェスティックが持ってきた区画間移動用のユニットセット一式で明快に理解された。宇宙航行艦ドレッドノートは区画間の移動に必要な装備を持っていなかったために第四区画から出ることができなかったのだが、これを取り付けることによって他の区画への移動が可能となる。

 連邦騎士団の要求はミーティア――それと場合によっては天――だと思っていたのだが、どうやら艦ごと第一区画へと連行するつもりらしい。第四区画の常駐ギルドが全くいなくなるのを避けるために、第一区画でも実力を持ち、信頼のおけるマジェスティックが連れてこられたのだろう。

 ギルド単位で拠点を移動させるという規模の大きなことを行うのだから、反抗もそれに匹敵する規模でなければ意味を為さない。彼らがミーティア一人を連行する場合よりも、反抗の可能性はずっと低い。加えて、連れてこられたギルドの艦長が玲菜の旧友である。ギルド同士の抗争は好ましくないし、それが元々友好関係にあった者同士なら尚更だ。

 連邦騎士団は何重にも策を巡らせている。それだけ彼らが本気であり、事態が深刻だということでもある。

「要するに、三日以内にギルドごと区画外に出られるようにしろ、ということね」

「ああ。それと彼らだが、目的地にたどり着くまではこの艦に居座ることになるだろう」

 連邦騎士団の三人は、マジェスティックの艦に乗って第四区画まで来たらしい。確かに連邦騎士団の艦が動けば――それも、このタイミングで一四隔壁を抜ければ――目立ちすぎる。

「それはさぞ楽しい航海になるでしょうね」

 玲菜は憂鬱にため息を吐きながら言う。ドアをノックする音が聞こえた。玲菜が入るように促すと、「失礼します」と短く言ってから千香が入ってきた。

 千香には今朝、一人だけ起きてこなかった天を叩き起こしてもらっていた。マジェスティックの研修生から区画間移動に必要な装備を受け取り、説明を受けなければならないからだ。三日以内に第四区画外へ出られる体制を整えなければならないため、取り付けも三日以内で済ませろというお達しが来ている。天ならば可能だろうが、あの青年はいささか気分屋すぎる。

 案の定、必要な装備を受け取って、すぐさま寝てしまったらしい。明日の朝には取り付け作業を終わらせているということだったので心配はないだろうが、千香は深いため息をついていた。

 マジェスティックの研修生が彼らの船に戻ったことを伝えて、千香は机の上に何もないことに気がついたようだった。

「お茶、入れてきましょうか」

「お気づかいなく。私もこれから面倒な手続きが目白押しなんだ」

 今朝からクレレの具合が悪いため、こういった細かい気配りのできる人物がいなかったのだ。天は寝ているし、ノクスは絶対にコーヒーを入れてくるに決まっている。千香も千香で、稽古を始めてしまえばしばらくは他の事が見えなくなる。

 それでも他の男二人よりはよく気が付く千香の申し出を、ガリューはさらりと断った。玲菜がクレレの面倒を見るように言うと、千香は静かに応接室を出ていった。

「嘘、うまいのね。手続きなんて全部連邦側でやってくれてるでしょうに」

「役所務めのレディの顔と名前をしっかり覚えないといけないのでね」

「呆れた」

 事務的な話が終わったことを表すように、二人は向かい合ったソファに深く座り込んだ。あまり二人でゆっくりと話す機会がなかったが、これと言って話題が多いわけでもなかった。ギルドを経営していると、任務上知り得た事を明かさないために自然と秘密主義になってしまう。結果、残された話題は任務に関係のない他愛のないものとなる。しかしながら、任務をこなして生計を立てている身としてはその他の話題などスズメの涙ほどしかない。

 ガリューは後ろの扉へ振り向いて、こうつぶやいた。

「一度手合わせしてみたいものだな」

「千香ちゃんは強いわよ」

 剣士の性というやつだろうか。このガリューという男も、例にもれず強いと感じた相手に対しては好戦的になる。

「だろうな。だが、剣士にあるまじき迷いと甘さを抱えている」

「へえ、剣士にはわかるもんなの?」

 そう問いながら、玲菜は自分の周りにいる男はどうして鋭いのか疑問に思っていた。天もノクスも勘は冴えているし、ガリューも千香を見ただけで迷いがあると見抜いている。この三人に共通するのは、剣が扱えるということ。

 剣を扱う男には何か特別な能力が備わるのだろうか。玲菜も剣の扱いには多少なりとも心得があるのだが、初対面の相手に対して迷いの有無を見抜けるほどの慧眼には正直なところ恐怖すら感じる。

「かわいらしいレディの迷いなら手に取るようにわかるさ」

 ガリューらしい答えが返ってきた。彼の場合は本気でこう言っている可能性も否めないのが困りどころである。

「私の迷いは?」

「ギルドを導く立場にある君が迷うはずなどないだろう? もっとも、その気になれば私が君を惑わす自信はあるがね」

「んもう」

 ガリューは昔からこうだった。常に余裕を絶やさないポーカーフェイスで、しかしそれでいて気障なセリフを呼吸するように使いこなす。それが不快にならないだけのルックスもあるし、言い方やタイミングなども完璧に心得ているのだ。

「さて、研修生をタゲンと二人きりにするのは忍びないから、私もそろそろおいとまするよ」

「あの一匹オオカミさんも相変わらず愛想ないのね」

 見送りのために立ち上がって、応接室のドアを開ける。

 変わらない旧友の姿に安心しつつ、玲菜はこれからも変わらぬ自分でいられるかどうか――たとえば、この迷いを悟られないだけの余裕を保っていられるか――考えていた。


―――◆―――


 エルナが寮の端末で召集命令を確認したのは、起きてからすぐだった。昨晩は色々と考えることが多すぎてよく眠れなかったが、不思議と朝起きる時間はいつもと変わらない。

 食堂で朝食を取ってから、急いで制服に着替えた。本日中に集合、ということなのでそこまで急ぐ必要はないのだが、エルナはじっとしていられなかった。

 広い宇宙に出られる機会は、この研修が終わると一年は先になる。ドレッドノートの活動範囲は思ったほど広くなかったけれど、これまでエルナが過ごしてきた狭い世界とは比べ物にならないほど広かった。それまでの生活では会えないような人にも会えたし、立ち入ることのできなかった場所にも入れた。

 研修が早期終了してしまったのは残念だったが、こうして期間内に再度召集がかけられたのだ。また、この大剣を授けてくれた人を捜すチャンスが巡ってきたということでもある。

 剣を背負って、寮を出る。出寮手続きはすでにドレッドノートが済ませてくれていた。それだけ重要な用件なのだろう。きっとミーティアにも連絡が行っているに違いない。

 ギルドポートまでの転移陣を通れば、すぐ目の前にドレッドノートが停泊している。入口に何やら新しい装置が取り付けられていたが、今は動作していないらしかった。そのまま艦の中へ歩みを進めていくと、エルナは見知った顔に出会った。

 エルナが通っている学園の、ベージュ色の三角襟のついた制服は、上は男女でほぼ同じデザインのもので、下は男子がズボン、女子はズボンとスカートのどちらを着用しても構わない事になっている。その制服を着た銀髪眼鏡の男子が、ちょうどドレッドノートから降りようとしていた。

「ああ、エルレナードか。おはよう」

「おはよう」

 とりあえず反射的に挨拶だけを返すが、エルナは突然のことで事態が把握できていなかった。

「どうして僕が第四区画にいるんだ、って思ってるだろ?」

「う、うん。その通りだよ。リック、第一区画に行ってたはずじゃないの?」

「そうなんだけどな。ギルドの任務で戻ってきたんだ」

 それより、とリックは悪戯っぽい笑みを浮かべながら眼鏡を上げ直した。彼が何かに強く興味を持った時、あるいはそれについて言及する時のクセだ。エルナには嫌な予感しかしなかった。

「リックが何を言おうとしてるのかわかった気がする……」

「それなら話は速いな。あの子は誰なんだ? 研修で知り合ったのか? それにしてはずいぶん仲良くなっていたようだが、どこまで行った?」

 真面目に見えて、リックはこの手のゴシップにとてもよく食い付く。エルナはすぐにでも逃げ出したい衝動に駆られたが、肩に腕をまわされてがっちりと捕まえられてしまい、それは叶わなかった。

「ははは、あの子って何のことかな」

「ほおう、『エルナ』君はとぼける気でいらっしゃるようで」

 目を反らしても、顎を掴まれて無理やり視線を合わせられる。しかも、『エルナ』という呼び名を持ち出されてしまった。女の子みたいで嫌だったから、学園では自分でも忘れるようにしていたのに。

 それもこれもミーティアのせいだ。あんな恥ずかしい……いや、紛らわしい事をするから。

「あの子なんて言ってたっけ? 確か、『エルナの音が』」

「わー! わかった! 洗いざらい白状します! だからやめて! 掘り返さないで!」

 思い出すだけで転げ回ってしまいそうなほど恥ずかしいセリフを復唱されそうになって、エルナは慌ててそれを遮った。

 リックが満足そうにうなずいて、エルナは深くため息をついた。おそらく、リックの誤解を解くことはできないだろう。彼は頭の回る人間であるため、色々と邪推もしてしまうのだ。

「えーっと、どこから話せばいいの?」

「まずは名前からだな。次に馴れ初め。それからどこまで行ったか、だ」

「どこまでって……」

 リックは完全に勘違いしている。これはありのままを説明したところで到底信じてはもらえないだろう。しかしながら、エルナには正直に話す以外の選択肢がない。詰みだ。

 仕方なく当たり障りのないところから話し始めようとした時、それを落ち着いた声が遮った。

「こらこら、可愛いレディの色事を無理やり聞き出すものじゃないぞ」

 二本の刀を携えた背の高い男が、二人の後ろに立っていた。エルナにとっては見覚えのない人物だったが、リックが艦長と呼んでいることから、彼が研修に出ているギルドの艦長であろうことはわかった。

 悠然とした佇まいと鷹のような目は、見るからにその男が歴戦の勇士であることを感じさせる。リックと話していて気が緩んでいたとは言え、声をかけられるまで全く気配を感じなかったことも、それを裏付ける。

 ギルドの仕事で忙しいのだろうか、彼は挨拶もそこそこに、リックを連れてドレッドノートから去っていった。

 リックから解放されたは良いが、エルナは釈然としなかった。

(そんなに女の子に見えるのかなあ……)

 確かに、制服で男女の見分けはつかない。女子でも好みや実戦面での事情によってズボンタイプの制服を選ぶ事はある。けれど、それにしたって間違えられすぎだ。

 自分の中性的な顔立ちとか伸びない身長にため息をつきながらブリッヂの前に来ると、ちょうど玲菜が出てくるところだった。

「エルナちゃーん! 久しぶり! 今回の呼び出しについてはちょっと長くなるから、ノっ君にでも聞いておいてね」

 どうもこれから出かける用事があるらしく、彼女は慌ただしく走り去ってしまった。

 ブリッヂではいつものように、袖に金の線が入った紺のダブルジャケットを着こなす長身の青年、ノクスがコーヒーの香りを楽しんでいた。その表情は渋い。

「やあ、久しぶり。慌ただしくてすまないね」

「いえ……。もうお怪我は大丈夫なんですか?」

 いつもなら幸せそうにコーヒーの味と香りを嗜んでいるのだが、今日のノクスは冴えない表情のままだ。時折ため息なんかも吐いている。

 ドラゴンとの戦いでの傷が治り切っていないのだろうか。

「ああ、特に後遺症らしいものもないよ。お財布とコーヒーの質には致命的な傷が残っているけれど」

「あ、はは……そうなんですか」

 一週間前、ノクスの財布は致命的な打撃を受けた。バーレイグによるミーティア誘拐事件の調査のためにスペースタイムズの龍見 マヤを雇った際の費用と、ドラゴンの襲撃で負った傷の治療費が重なったのだ。

 ギルドの経費で落ちる部分ではあるのだが、元々のコーヒー代が経費で落ちていたため、今回の費用もそこから差し引かれてしまったらしい。

 結果として、いつもの上質なコーヒーを仕入れる事ができなくなってしまったというのである。

「ところで、今回の召集のことなんですけど」

 ノクスがあまりにも落ち込んでいるようだったので、エルナは話題を切り替える事にした。

 ノクスもエルナの気遣いを察してくれたようで、カップを置いて今回の任務について説明してくれた。


―――◆―――


 親の心子知らず。古くから言い伝えられているその言葉の意味を、玲菜は初めて意識した。

「本当は令状なんか見せたくなかったんだけどね」

「あれくらいしないとあの頑固おやじは納得しませんよ」

 彼女の隣を歩きながらむくれているのは、魔法学校の制服を着た少女。茶色がかった髪が朝日を受けて輝いているが、表情はいつもの明るいそれではなかった。

 荷物は大事そうに抱えている専用の柔らかいケースに入れた杖一本のみ。その他はすでにドレッドノートへの転送を済ませている。

 ギルドからの召集命令に対して、彼女、ミーティア・エンシスハイムが応じない――正確には応じる事ができない――でいた理由は、玲菜にも容易に想像がついた。

 タダでさえ危ない目にあったというのに、その上またギルドに娘を預けろなどと、素直に聞き入れるほうがどうかしているのだ。

 エンシスハイム卿は妻と息子に若くして先立たれ、残された家族は養子のミーティアだけだった。誰よりもミーティアを心配するのは当然の事であり、玲菜としても氏の心の支えとも言うべき一人娘を強引に連れ出す形になった事には心を痛めていた。

 当のミーティアはと言うと、本人としては召集命令に応じる気でいたようで、父親の態度を過保護としか見ていないらしかった。

 玲菜はもしも自分がミーティアと同じ立場であったなら彼女と同じ気持ちになっていただろうが、それでも父親側の気持ちも理解できた。いつの間にかできるようになってしまっていた。

 玲菜にとって、ドレッドノートは家族も同然である。もしも、自分に抗えないほど強い力で、メンバーの誰かが強制的にどこかへ連行されてしまうような事があったら。そう考えると、とても不快な熱が胸の奥で渦巻くようで、苦しくなった。

 今、エンシスハイム卿はどんな気持ちでいるだろう。スティグマなどというわけのわからないもののために無二の家族と引きはがされる苦痛は、想像するだけでも嫌になる。そして、その苦痛を与える行為を――原因を作ったのが自分ではないとは言え――玲菜自身が行っているという事実も、どうにもならない不愉快さを増長した。

「ところで、今回の詳しい任務内容ってどうなってるんですか?」

 触れたくない話題を避けるように、ミーティアは質問を投げかけてきた。

 玲菜にとってもそれはありがたい事だった。仕事の話と考えれば、事務的に淡々と話す事ができる。

「まず、今回が長旅になる、というのはさっきも話した通り。第四区画の外へ行くのだから、最短でも二週間は帰って来られないでしょうね。今回の場合はその程度で済むとは思えないけれど」

 区画間の移動は本来、隔壁通過申請を出してから、数日から数週間かかる。もっとも、この点は連邦騎士団の力があるため、今回は例外的に時間を食われる事は無いだろう。

「スティグマ事件のほとぼりが冷めるまでかくまってもらえるアテが出来た、というのは希望的観測になるわね。実際には連邦のお偉方から依頼を受ける、という形になるわ」

 スティグマ。死者を蘇らせる、あらゆる傷を癒すなど、数々の伝説が尾ヒレをつけて肥大化した、古代の遺物である。実際に言われているような力があるわけではないが、それは重要な事ではない。

 力があると信じる者がいて、その者がスティグマを狙っている、という事実。それに迫られて、ミーティアは居場所を公に知られるとマズい立場にいる。

 第四区画にスティグマが存在する事は、すでに知られてしまっているか、あるいは知られていなかったとしても時間の問題だろう。少なくとも、ドラゴンと生身で戦える魔法少女がいる事は知れている。

「じゃあ、私をかくまってもらう代わりに、ドレッドノートが依頼を受ける、って事になるんでしょうか」

「厳密にはそれだけではないでしょうけど、今のところは概ねその理解で問題ないでしょうね。出発は早くても明日になるから、今夜はゆっくり休んでちょうだい」

 そこまで言ってから、玲菜はミーティアの表情や声色に不安の気持ちが出ているのを感じ取った。自分の身が狙われているのなら、不安を感じないはずがないだろう。

「大丈夫よ。どうせ連中もガセネタをつかまされたと思ってすぐ諦めるんだから」

「あ、いえ、そうじゃなくて……」

 だが、ミーティアが感じていた不安は玲菜が思っていたものとは違った。

「その、私のせいで、ドレッドノートの皆に迷惑をかけてるんじゃないかって……」

 ミーティアは素直だ。そして、優しい。自分が狙われているというのに、他人を気にかけている。

 クレレやエルナと同様に、この少女も玲菜の保護欲をかきたてる要素を兼ね備えているのだ。

「なーに言ってるの。ミーティアちゃんも私達ドレッドノートの家族なんだから、変な遠慮はしない!」

 おでこを軽く小突いて、不意打ちを受けて目を丸くしているミーティアに向かって微笑む。守るべき人、守りたい人を前にすると、自然と優しい気持ちになれた。

 そして、その微笑みを少しずつ悪戯っぽいものへと変質させながら、両手を怪しく動かして言う。

「ふふふ、これでもまだ遠慮するようなら、ベッドの上で夜通しお説教でも良いのよ?」

「ひっ、え、遠慮しておきます……ってあっ」

「遠慮する、って言ったわね?」

「いやそれはお説教を遠慮するという意味であって……!」

 程よくミーティアの緊張がほぐれてきたところで、二人はドレッドノートのブリッヂの扉を開いた。


―――◆―――


 月の光を浴びて、ドレッドノートの装甲が淡く輝く。

 宇宙航行艦は過酷な宇宙の環境から内部を守るため、分厚い装甲に覆われている。

 内部の装置は最低限の知識で操作が行えるようになっているが、装甲部分だけは違う。

 流線型の屋根の上に登って、二重三重になっているフタを一つずつ取り外す。

 その一つ一つが頑強に締められており、人の力では到底開けられないようになっている。

 給湯ポットのような形をした自立型お手伝いロボット「スタイリッシュジョージ」の活躍により、分厚いフタが数枚取り外され、手頃な場所に積み上げられた。

 作業着タイプの長袖の青いYシャツと長ズボン姿の青年は、普段なら目にする機会のない原始的な――故に強力で丈夫なタイプの――端子部分を観察し、必要な工具と工程を頭に思い浮かべた。

 区画間の移動は連邦政府から許可を受けた場合のみ可能で、必要となるユニットの入手経路は政府が管理しているし、取り付けにはそれなりの知識と技術が必要不可欠になる。

 彼は学生時代に一通りの技術を身につけてしまっていたし準備も怠らなかったから、この装置の取り付けは一晩で終わる予定である。

 工具を使う順番に並び変えてから、一つずつ持って装甲の窪み部分へ降りて作業する。

 工具の一つ一つがそれなりの重さを持っているため、今の彼が一度に持ち運ぶのは難しい。面倒ではあっても、一つ使って次のモノが必要になるたびに工具箱の場所まで戻らなければならない。

 最後のボルトを取りに戻ろうとしたところで、月の光が遮られた。

「精が出るね。はい、これだろ?」

「ああ。これだな」

 一瞬だけ警戒するものの、彼はその影の正体を知るとすぐに肩の力を抜いた。

 慣れた手つきで、重厚なボルトをきっちりと締める。最後にジョージが仕上げをすれば、作業は完了する。

「早いね、もう終わったのか。君の事だから、昨日の晩に準備はしておいたんだろう?」

「連中が来るって事は、スティグマに関する問題だろうからな」

 今回の件でスティグマは――正確には、スティグマを扱う少女が――有名になりすぎた。まだ開発の進んだ地域の狭い第四区画にいては、彼女や彼女を研修生として受け入れている状態のギルドが狙われるであろう事は明白。アーティファクトを目の届く範囲に置いておきたい連邦がこの事態を放置するはずがない。

 木を隠すには森の中。最も効率良く穏便に彼女を第四区画の外に連れ出し、他のギルドから隠すには、ギルドごと外の区画へ連れ出せばいい。となれば、区画間移動用のユニットを装備する準備が必要になる。

 月の光を遮った影、ノクスは、ここまで見越していたドレッドノートの技術部門担当、白柳 天に向かって手を差し出し、窪みから装甲に引き上げた。

 ジョージに必要な指示を出して彼の作業が一段落したのを確認してから、ノクスはわざと聞こえるようにため息をついた。

「一番大きな理由はスティグマだろうけど、これは君の問題でもあるんだぞ?」

「あぁ?」

 興味の対象外の事となるとまるで鈍くなってしまうのは問題だ。ノクスは頭を抱えた。

 天がヘルテイトを撃退した事で、彼自身も有名になってしまったのだ。スペースタイムズによる、人心の乱れを防ぐための報道と、それによってドレッドノートに降りかかる恐れのある厄介事を嫌味を込めて説明してやると、ようやく理解したらしかった。

 理解はしても、この男はそれに興味を示さない。装甲のフタを閉じる作業を終えたジョージを持ち上げて、工具セットの中にあった小さなドライバーで背中の部分から部品を組み変え始めた。また何か、面白い事(・・・・)を思いついたのだろう。

 たまにぶつぶつと漏れてくる独り言からして、動作の高速化と内部部品の配置に対する彼なりの美学が関係する事だろう。ノクスには機械の事はさっぱりわからないが、この男、ネジを回す時は普段の無気力さが嘘のように活き活きとしている。

「しかし君は何かを組み立てたり作ったりしている時は本当に楽しそうだな」

「実際楽しいからな」

 皮肉も通じやしない。天才とバカは紙一重と言うが、目の前にいる機械狂はたまに恐ろしくバカに見える。

 このマイペースさを壊してやりたくて、触れてほしくないであろう話題に言及する。

「これが終わったら次は剣の稽古かい?」

 機械を見つめていた眉が動いた。

「……まあな」

 苦い物を噛むような肯定。剣が嫌いなのか、それとも好きで仕方が無いのか。家柄として幼い頃から剣術を仕込まれていたのは確かだろうが、天の剣に対する態度にはただならぬ何かを感じる。

 天が毎晩、誰もが寝静まった時間に剣の稽古に励んでいる事は、ノクスも知っている。決してそれを人に見せようとしない事も、かなり激しい実戦訓練を行っている事も。

「兄さんの見栄ってのも楽じゃないね」

 理由は定かではない。千香に関する事だろうと勝手に想像してカマをかけてみたが、どうやら図星らしかった。

 苦い顔をして黙って去っていってしまったからだ。

 何かにとりつかれているような印象さえ与える剣の振り方では、いつか痛い目を見る事になってしまいかねない。それは彼自身も理解しているのだろう。

(僕も人の事は言えないか……)

 ドラゴンとの戦いの事を思い出し、ノクスは一人、月の光を浴びる装甲の上でため息をついた。


―――◆―――


 ブリッヂのすぐ真下にある、ほぼ同じ構造のフロアは、オープンなダイニングキッチンになっている。クルーが食事を取るのはだいたい、ここかブリッヂである。

 彼女は瞬間レンジからマグカップを取り出して、テーブルの上に置き、その前に座った。

 もう何度温めなおしただろう。味は完全に飛んでしまっているに違いない。

 紺色の寝巻姿で、肩の辺りで切り揃えてある茶色がかった髪を指先でくるくる弄りながら、ミーティアはもう膜も張らなくなった白い水面をぼーっと眺めた。

 決して気温が低いわけではないのに、嫌な寒気がする。すっかり味の抜けてしまった温かいミルクの中に、小さいスプーンを突っ込んでぐるぐるかき回す。

 もうあと一度だけ。もうあと一度だけ温めたら、これを飲み干そう。飲み干して、眠ろう。

 だけど、これが冷めるまでは。冷めるまではこうして、待っていたい。

 普段は快活な彼女らしからぬ、消極的な思考。一人で眠るのが寂しくて、けれど、自分から甘えに行きたくはないという変な意地と板挟みになっている。

 どれだけそうしていたのか。もう一度立ち上がって、瞬間レンジへと向かう。

「あれ、ミーティア?」

 来た。来てくれた。想像した通りに。期待した通りに。

 ミーティアが着ているものと同じ色のジャージ姿、ミーティアよりも少し低い背丈、ミーティアよりも少し短いサラサラの髪、見ただけでは判断の付かない中性的な顔立ち。

「眠れないの?」

「うん、なんか、緊張しちゃって」

 返ってくる答えもミーティアの想像通り。

「やっぱりねー。剣の人探しに行くって目標の第一歩だもんね」

 平静を装いながら、エルナの分のミルクも一緒に温める。エルナの目標は、小さい頃から何度も聞かされていた。夢をまっすぐ見つめる瞳が、普段の彼には無い少年らしさを持っていた事を思い出した。

 温め終わったミルクを手渡して、隣に座る。「ありがとう」と言って柔らかく微笑んでくれるのを見ると、胸が締め付けられるようだった。

「なんだか、不思議だね」

 動揺を抑えるために飲んだ、味の抜けたホットミルクの想像した通りの不味さに渋い顔をしていると、エルナが静かに口を開いた。

「さっきまで、ドキドキして、不安で仕方なかったのに、こうしてミーティアの隣にいると落ち着くんだ」

 マグカップをつかむ手に力が入った。一口飲んでからマグカップを置くエルナは、今のミーティアの心の中とは対称的に穏やかな表情をしている。

 幼い頃と変わらない純粋なエルナの瞳が眩しかった。ざわつく心を鎮めるために、不味くなったホットミルクを飲み干す。

「あ」

 隣を見ると、エルナも同じようにホットミルクを飲み干していた。合わせてくれたのかもしれない。

 自動洗浄機に二人分のマグカップを入れて、キッチンを後にする。

 ブリッヂへ上がる途中に、エルナが階段につまずいた。

「大丈夫? 緊張が抜けすぎちゃったんじゃない?」

「あ、あはは……そう、かも……」

 足取りのおぼつかないエルナを支えて、部屋まで送っていった。


「こんなに、すぐ効くんだ……」

 ベッドに寝かせたエルナの穏やかな寝顔を見つめて、ミーティアはつぶやいた。体が小さい分、薬が回るのも早いのかもしれない。

 いけないと頭では理解していても、止まらなかった。もぞもぞとベッドに潜り込む。心地良い温度が全身に伝わってきた。

 綺麗に揃ったまつ毛、かすかに開いた瑞々しく小さな唇から見える真っ白な歯、吐息に時折混ざる、鼻にかかった色っぽい声。その全てがジグソーパズルを崩すように、正常な思考を解体していく。

 吸い込まれるように顔が近づいて

(エルナも、したんだし、……良い、よね?)

 わずかに残る思考で自らの行為を正統化して、距離を縮めていく。互いの吐息が絡まって、最後の理性は消え去った。

 重ねた唇から伝わる冷たく甘美な感覚が、胸を締め付ける。ミルクに混ぜた薬のせいか、エルナが起きる気配は全く無い。

 嬉しいという気持ちは無いし、満たされもしなかった。一方的な感情の押し付けは、自分の気持ちを伝えたという実感を与えず、心はかえって空虚さを増した。

「う、わ……」

 眠ったままのエルナの腕が、ミーティアの背中に回される。少し苦しいくらいに抱きしめられて、顔が再び近づいた。

 加速する胸の鼓動で起こしてしまわないか心配だった。けれど、エルナが目覚める事は無かった。彼が起きるのは早くとも、薬が切れる数時間後になるはずだ。

 そう考えると、心の中の孤独感が急に強くなって、瞼から熱い雫となって溢れた。

「ごめん、なさい……」

 後悔に押し潰されそうな気持ちを、優しい鼓動と呼吸が包み込んでいく。

 涙さえも心地良い暖かさに変わって、彼女も深い眠りに落ちていった。


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