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14:白き騎士たちの来訪

 宇宙艦ドレッドノートのブリッヂには、艦長、本川 玲奈がいた。いつもの紺の地に金の碇の刺繍があしらわれた船員の制服と、艦長の帽子をかぶった姿だが、表情は思わしくない。

「大変なことになりそうですねぇ」

「他人事みたいに言わないでよ」

 スペースタイムズの龍見 マヤとそう会話したのがだいたい一週間ほど前。バーレイグによるミーティア誘拐とドラゴンの件が解決して一息つけたかと思えばそうではなく、ドレッドノートにとって不都合な問題がまったくなくなったわけではなかった。

 まず、バーレイグが第四区画に現れ、枢密院議員を殺害したこと。この件は犯人であるヘルテイト・バーレイグを捕らえたため解決したかに見えたが、実はそう簡単な問題ではない。第四区画議員の議員が第一区画への報告書をまとめて提出しなければならず、結果として第四区画の政治そのものが慌しくなった。

 さらに、その事実――バーレイグによる殺人事件が第四区画で起きてしまったという事実――はスペースタイムズによってその日のうちに広まっていた。辺境の第四区画は今まで平和そのものだったが、この事件で民衆の心に不安が芽生えることとなったのは間違いない。治安の悪化は連鎖する。不安が新たな事件を呼ぶ可能性が生じたのだ。

 それに関してはマヤが手を打った。事件は起きたがすんなり解決した、という内容の報道をすることによって、不安の芽をできるだけ小さくしたのだ。殺害されたディグラルディの金にがめつい、大衆から嫌われそうな面もさり気なく記事に加えておくという工夫もなされていた。

 だが、その対応策はドレッドノートにとって必ずしも良い結果をもたらすものではない。確かに、バーレイグをたいした外傷もなく撃退してしまうほどの人物が第四区画を守る立場であるギルドに所属しているとなれば民衆に対して安心感は与えられるが、外部のギルドからはその人物に目をつけられる結果となる。

 天がヘッドハンティングに応じることはないだろうが、連中の中には強引な手を使う輩も少なからずいる。今はまだほかのギルドが第四区画に入ってきたという話はないが、時間の問題だろう。

 これが、今のドレッドノートが抱える最も簡単な問題である。さらに厄介な問題は、無力化したスティグマと、その所有者であり、破壊系の魔術に優れた資質を持つミーティアだ。

 スティグマに限らず、人工遺物を狙う輩も多い。さらに、その持ち主がドラゴンと生身で張り合えるほどの使い手ならば、そちらにも目をつけられる恐れがある。

 高秘匿性通信により連邦政府直属の武装集団、連邦騎士団から団員が派遣されてくるということが伝えられたのは、ドラゴンが倒れてほっと胸をなでおろしている時だった。おそらく、マヤの情報が真っ先に連邦政府の中枢に回されたのだろう。

 荒事が予想される事態に対しては、連邦騎士団が派遣される。銀雷のフォルラムルがミーティアの命を狙っていたという話も聞いていただけに、玲奈としては気が気ではない。ほとんど御伽噺の中の存在であると言っても過言ではないほど、連邦騎士団と直接関わる機会というものは存在しない。逆らえばただでは済まない相手だろう。

 研修生としてドレッドノートに来ていたエルナとミーティアを、研修の終了を早めるという形でこの船から降ろしたのもそのためだ。彼らは用件を伝えず、ドレッドノートを訪問する、としか言わなかった。命を狙われていたミーティアを彼らに対面させるのは得策ではない。万一のときに身動きが取れるよう、あの二人にはこの船を降りてもらったのだ。

 この時点でできることはすべて終えたはず。それなのに玲奈はため息をついた。天とノクスの退院が今日で、それからまだしなければならないことがあるのだ。連邦騎士団を迎えるのに準備してしすぎることはない。

 とにかく、今できることはすぐに動けるように疲れを取っておくことだ。艦長席の椅子に深くもたれて、玲奈は目を閉じた。


―――◆―――


 ドレッドノートには医務室がある。だが、医務室で扱える怪我や病気、その治療の範囲には機材や人材の面で限界がある。千香の足の傷のように、単純な外傷ならば医務室だけで完治することもできるが、肋骨が折れてしまったり筋肉が著しく損傷してしまったりするとそれだけではどうにもならない。

 どうにもならない場合のために、病院という施設が存在する。治癒促進の術式をよく理解し行使する術者とそれを補助する機材の数々が配置された、怪我や病気の治療のための専門施設だ。

 その一室で、ドレッドノートの副艦長、ノクス・アージェンタイムは窓の外の雲を眺めていた。朝の清涼な青い世界を緩やかに流れる白い塊は、第四区画の平穏が維持されていることを実感させる。

 ドラゴンとの戦いで何本かやられてしまったアバラも、一週間かければすっかり元通りだった。治癒促進術式の進歩には恐れ入るばかりである。爽やかな目覚めを堪能したついでに隣のベッドにいる同僚に目をやると、気だるそうに窓の外を見ていた。

 彼の表情にやる気が感じられないのはいつものことだが、この爽やかな朝を楽しめないのは悲しいことだとノクスは思った。

「朝か」

「君、寝てないのか?」

「これから寝るんだ」

 布団をかぶって寝息を立て始めた青年は、白柳 天。ドレッドノートのクルーの一人で、ヘルテイトの一件で負傷した……ように見せかけるために入院したのだが、どうして彼が一週間もここにいるのか、ノクスにはわからなかった。

 魔力炎症を起こしてドラゴンの事件の際に動けなかったのはまだわかるのだが、一週間も入院していなければならないほど重たい症状だったのだろうか。無理をしてもそれを隠し通そうとする意地っ張りな性格なので、やはりそれなりに重い症状だったのだろう。

 退院の準備は昨日のうちに終えてある。あとはこの患者衣からいつもの制服に着替えるだけだ。袖に金の線の刺繍があしらわれた紺色のダブルのジャケット。土で汚れてしまっていたはずだが、もうすっかり綺麗になっている。クレレ辺りが頑張ってくれたのだろう。

 天は制服をめったに着ないが、彼の着替えには珍しく長袖のYシャツが用意されていた。普段はTシャツばかりで、服装というものに全くと言って良いほど気を使わない彼だが、機械の廃熱にさらされる関係上だろうか、半袖を好む傾向があるのだ。

 彼が入院し続けていた理由と関係があるのかもしれない。どうせ彼が目を覚ますまでは時間がかかるだろうし、それはまではゆっくりしているのも悪くないだろうと思いかけたところで、病室のドアがノックされた。

 入ってきたのは車椅子に座ったロングスカートの女性だった。ドレッドノートの乗組員ではないが、ノクスの知り合いではある。彼女がただここに来ただけならば、玲菜が連絡したのだろうと言う事で納得できるのだが、彼女の車椅子を押している人物に見覚えがないのが問題だった。

「やあ姉さん。ガールフレンドでも作ったのかい?」

「あっはっは! 実はそうなんだよ。それはもう劇的に告られてね。ついOKしちゃったのさ」

 車椅子に座った女性はノクスと同じく長身で、髪は栗色のショートボブ。目は細く常に笑っているように見える。地味なベージュのカーディガンを羽織っており、服装だけならしとやかな女性に見えただろうが、彼女の後ろで車椅子を押してきた人物は非常に困った表情をしている。

「呼吸するように嘘つかないでよ。僕まで嘘つきだと思われるじゃないか」

「いやごめんごめん。ついかわいい子だったもんだから」

 あまり申し訳なくなさそうな様子で笑いながら謝ると、自分の後ろで車椅子を押してくれていた人物を見上げた。

 後ろを結い上げた長い金髪と澄んだ空のような水色の瞳が印象的な、少女の面影を残した女性。背丈がやや高く見えるのは、見た目が似ているクレレと無意識のうちに対比してしまっているからだろう。着ている服も白いため、視覚が与えるイメージはクレレとよく似ている。

 彼女が着ている服は本当に白一色のワンピースで、そこには純粋を超えた純白とも言うべき、寒気のするような崇高さが備わっていた。パーツだけを見れば人形のようにも見えるその女性は、しかし瞳の中には鋭い強かさを持ち合わせている。

「連邦騎士団では軽装備と寄り道が流行ってるみたいだね」

「軽装なのは否定しないが、寄り道とは心外だな。私がここへ来たのは任務を円滑に進めるためなのだが」

 白い服とその女性の持つ雰囲気もそうだが、ノクスは予め玲菜から連邦騎士団がドレッドノートを訪問するらしいということを聞いていたため、目の前の相手をその一員だと断定できた。帰ってきた反応からも、それが正しいことがわかる。

 白い女性の言葉の意図を理解して、ノクスは忌々しげにため息をついた。

「そんなことより、弟君は私に言うべきことがあるんじゃないかなぁ?」

「あぁ、今日も綺麗だね。姉さん」

 期待される言葉と違うものをわざと返す。元々が少しねじ曲がった性格だというのは自覚していたが、どうにも気が立っているらしい。言ってしまってから、ノクスは少し後悔した。

「うちにあるコーヒーは廃棄処分かな」

「そこにいる連邦の犬みたいに汚いマネしないでよ」

 低い声の脅しに、ノクスはまたため息をついた。マヤに財布の中身を搾り取られたせいで、ギルドにいる間は当分コーヒーが飲めなくなってしまったのに、家に帰ってもコーヒーがないのは拷問だ。もっとも、帰る機会はさほど多くないのだが、それでも帰ればしっかりコーヒーと姉が待っていてくれるというのは安心の材料になる。

 コーヒーを人質に取られると姉に反抗できないように、今この状況は連邦騎士団に姉を人質に取られている状況に等しい。

「こらっ、そんなこと言ったら私が殺されるでしょ。ごめんね。口の悪い弟で」

「何、気にするな。我々は誇り高き連邦騎士団。その程度の言葉で頭に血を登らせるほど野蛮な者は我々の中にはいな……いや、いっぱいいるな」

 人質と言っても、ノクスの姉におびえた様子は全く見られなかった。平常心が服を着て歩いているような人間なので、よほど切羽詰まった状況にでもならない限りは精神面の安定について全く心配する必要はない。

「ほら見なさい。危うく弟君のせいで殺されて毎晩弟君の枕元に立って朝までエロいことささやいて悶々と眠れない夜を過ごさせちゃうところだったじゃない」

 こんなジョークを言うだけの余裕もあるようだ。人質に取っている側の白い女性も、その軽い会話に付き合うだけの落ち着きを保っている。ノクスにはそれが気に食わなかった。

「後半は大歓迎だけど、そいつがわざわざここまで姉さんを連れてきたってことは、殺したりはしないよ。そうだろう? 早いところ本題に入ったらどうなんだい?」

「ああ、すまない。すぐにでも話そうと思っていたのだが、姉弟喧嘩は犬も食わないからな」

 こちらの張りつめた気分を解すための冗談なのか、あるいは連邦の犬呼ばわりされたことを多少なりとも怒っているのか判断がつかなかった。ノクスの神経が擦り減らされ、相手は少しも動じていない状況に変化はなかった。

 本題に関しては、簡潔に説明がなされた。人質という言い方は乱暴だが間違ってはおらず、ドレッドノート外部の人間でありながら内部の者とつながりのある人物、すなわちノクスの姉をノクスの前に連れてくることで、人質がいることを認識させるという目的があったというのだ。

 万が一、ギルドが連邦騎士団の要求を跳ねのけて反抗する可能性もあるため、彼らがこういった手段を取ることは珍しくもなんともないということだった。

「余計な警戒はしなくても良い。我々に従っていればこちらとしても手荒なまねはしない。

 彼女をここに連れてきたのはむしろ最大の誠意だと思ってほしい。いざという時の手を明かしておくのだからな」

 大人びた澄んだ声に言い切られ、ノクスは黙り込んだ。不満はあるものの、それを表に出したところでどうなる状況でもない。ただ沈黙によって渋々ではあるが了解したということを伝えたところで、再び誰かがドアをノックした。タイミングの悪い来客だ。

 新たな来客の姿は、ノクスを更に苛立たせた。白い長袖のYシャツに白いタイトな長ズボン。更に、白い包帯をぐるぐる巻きにして両目を隠した男だった。連邦騎士団はとにかく白ければ何でも良いらしい。あれでは前が見えないのではないかと思うのだが、どうやらそういった心配はないらしい。アイマスクにしては斬新なデザインだ。精悍な顔立ちの若い男で、声も低く落ち着いたものだった。

「失礼する。シャンテ、(りん)はどうした」

 入ってきた男はノクスのほうには目もくれずに、白い女性に話しかけた。落ち着いた声ではあるが、その言葉の端からは焦りがうかがえる。どうやら切羽詰まっているらしい。

「おろ? 一緒ではなかったのか」

 対して、シャンテと呼ばれた女性がさほど焦った様子はなかった。

「あ、あぁ……」

 男は片手で頭を抱えて肩を落とし、短く「失礼した」と言って部屋を出て行った。燐なる人物を探していたようだが、何かまずいことでもあったのだろうか。シャンテの様子を見る限り彼女は平然としているようなので、連邦騎士団にとって致命的な事態というわけではないらしい。少し残念だった。

 そのシャンテも念を押すように

「我々に協力する限りは彼女の身の安全は保障する」

 とだけ言って姉を連れて帰ってしまった。そうして部屋にいるのがノクスと天だけになっても、ノクスの表情は晴れなかった。今日退院してからもあの汚い連中と関わらなければならないのだと思うと憂鬱だった。

「何が誇り高き、だ」

 誰に言うまでもなく一人ごちて、ノクスは白服の騎士が去った後のドアを睨みつけた。何の為にドラゴン相手にあんな無茶をしたと思っている。守りたい世界があったからではないか。いつだって自分を待ってくれている優しい姉と、それを取り巻く第四区画の世界を守りたかったからではないか。

 拳に力が入った。爪が食い込んで痛む。奥歯は強く噛みしめすぎて砕けそうだ。

 誰かの言いなりにならなければ守れない己の無力さを噛みしめて、気分を落ち着けるために深く息を吐く。

「最大の誠意も、誰に対する誠意だかわかったもんじゃないな。犬が飼い主以外に誠意を見せるもんなのか?」

 起き上がらず、目も開けずに天が言った。どうやら全部聞いていたらしい。

「君、寝たんじゃなかったのか?」

「これから寝るんだ」

 ノクスは、自分より少し年下のこの青年は良い夢を見られないタイプだなと思った。


―――◆―――


 鈍い風の音が朝の清涼な空気を裂いて響く。額からこぼれた汗が顎を伝って足元の芝生に落ちる。薄手のシャツは肌に張り付いてしまって気持ち悪いし、腕や足は幾度も訪れる負荷に悲鳴を上げている。

 ちょうど三百回目の振り下ろしを数えて、重量化の増幅回路をセットした大剣型のLPを地面に突き刺し、足の力を抜いて後ろへ倒れ込む。

「あたっ」

 芝生だからと甘く見ていたが、それでも頭を打った衝撃で意識が飛びそうになった。腕も足も、全身が熱を帯びてしまっていて焼けるようだった。あのゴーレムの炎の剣よりは幾分かマシかもしれないが。

 第四区画中央魔法学園の高等部の校舎はガラリとしていた。それもそのはずだ。まだ長期休暇は半分以上残っており、その間、研修生としてほとんど全ての生徒がギルドに配属され、寮を離れているのだから。

 そんな校舎と寮の間の中庭は、ちょうど日陰になるスペースがあって朝の鍛錬の場には相応しい。魔導回路を用いて年中緑の芝生を維持できるようになっており、芝が痛んでしまっても数分放置すれば元通りになるという、手間のかからない施設だった。

 授業期間中のこの時間は寮から登校するための生徒でにぎわう中庭だが、今は誰もいない。彼が思う存分に剣を振るえたのもそのためだ。

 柔らかい芝に背中を預け、雲ひとつない青空を見上げる。穏やかな風が吹き抜けて、疲労を優しくぬぐい去っていくような感覚が心地よかった。その感覚に身を任せて目を閉じ、そして直後にエルナは悲鳴を上げて飛び起きた。

「ひゃあああああ!」

「おおう、相変わらずエルナはカワイイ声で鳴くね」

 悲鳴の原因を手でひっつかんで振り向くと、予想通りの顔がそこにいた。こんな子供じみた悪戯を仕掛けてくる人物は、エルナが知る限り一人しかいない。

「心臓止まっちゃうかと思ったよ……」

「うぇーい。それは困るなぁ」

 いきなり顔にキンキンに冷えた濡れタオルをかけられるのは、心臓に良くない。運動後で体が火照っていれば尚更だ。全身が熱を帯びているこの状況で濡れタオルの差し入れは嬉しいのだが。

 珠の汗が噴き出た額をぬぐって、熱くてたまらない腕を冷やす。熱と共に疲労が吸い取られていくようで、心地良い。冷たくて心地良かったのだが、次の瞬間、今度はエルナの首から上が一気に熱くなった。

「あ、あの、ミーティア?」

「うん。やっぱりまだ心拍数下がらない?」

 エルナの目の前には――正確には、顔のほぼ真下には――茶色がかった髪の誰かの頭があった。それが誰かは考えるまでもない。けれども、何故いきなりこんなに近くに来たのかはわからない。何か理由を考えようとするたびに、髪から漂う香りが鼻腔をくすぐって思考を吹き飛ばして行く。

 ミーティアは、エルナの胸に耳を当てていた。エルナにはわけがわからなかった。脈を測りたければ手首――いくらミーティアがおかしな子だからと言っても、せいぜい首――に手を当てるのが手軽だし、そのほうがやりやすいだろう。心臓の位置に耳を当てるにはエルナの腕が邪魔になるのだが、その腕に触れる柔らかい感覚がエルナの神経を伝って頭の中で暴れまわった。

「お、エルレナードじゃないか。ギルドはどうし……」

 よりによって最悪のタイミングで、後ろから聞きなれた声が聞こえてきた。眼鏡をかけた同い年くらいの少年だ。学園の制服姿なのは研修に行く際の服装だから当然だが、そもそも彼は研修で第一区画に行っていたはずだった。どうしてその彼がここにいるのか、エルナはそれすらも考える事ができなかった。やはり最悪のタイミングで、ミーティアが

「聞こえるよ。エルナの音」

 などと口走ったからである。エルナの後ろから歩いて来ていた彼の言葉が止まったのは、そんな砂を吐き出してしまうほど恥ずかしいセリフが聞こえてしまったからだろう。ひょっとしたら、エルナとミーティアがいやに接近しているこの状況も見える位置まで来てしまっていたかもしれない。

「あ、ああ。悪かった。邪魔だったな。僕はここで失礼するよ」

「待ってよリック! これは……あぁ、あぁもう! ミーティアも誤解を招くようなこと言わないでよ!」

 恥ずかしさを紛らわすように大声で行って、ミーティアを押しのける。そうしたところで、筋肉痛がエルナの動きを制限した。研修期間の早期終了という形でドレッドノートから追い出されてからというもの、エルナは毎日のようにここで剣を振るっていたのだ。だからミーティアもエルナがここにいることを知っていてタオルを持ってきてくれたし、エルナの筋肉痛も激しいものになってきていた。

 リックを追いかけようにも痛みのせいでその場から動けず、結局、リックへの誤解は全く解けなかったし、ミーティアもさして反省している様子はなかった。

「こうなるだろうと思って、湿布も持ってきたよ」

「あ、ありがとう」

 湿布を貼ってもらう間、エルナの心拍数が下がる気配はなかった。

 ミーティアも終始笑顔だったように見えたのは、エルナの気のせいだったかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。


 エルナは寮の部屋に戻ってからも、物事に手がつかなかった。訓練で疲れた体を休めるためにベッドの上に寝転がっても、眠気はさっぱり訪れない。

(本当に、このままじゃボクが誤解しちゃうよ……)

 湿布を貼った手足の熱はちっとも冷めなかった。


―――◆―――


 病室の白柳 天が目覚めたのは、すっかり日が落ちてからだった。患者衣から用意しておいたYシャツとジーンズに着替え、軽い退院手続きを済ませて外へ出る。第四区画の中央惑星の、そのまた中心とも言うべき町は家庭から漏れる温かな光に照らされて淡く輝いていた。

 外は静かなモノだった。娯楽用の施設は町はずれに集中しているため、落ち着いて星を眺めるには最高の夜だった。人家の明かりよりも黒い空に散りばめられた幾千の点に目が行くのは、その光を宿す世界の広大さに酔っているからだろうか。

 名前は自分と同じなのに、ドレッドノートに乗ってそこを飛び回ることはできるのに、見上げた先にある世界が遠く感じた。その理由が脳裏をかすめて、天はそれを振り払うために一つ深く息をついた。

「くだらねぇ」

 つぶやいたのは、もう何年も昔に発見した便利な言葉。自分の身動きを封じ込めようとする無意味な思考を打ち切って歩き出すための、彼が持つ最も強力な呪文だった。風のない夜を歩いて、町はずれのドレッドノートに戻ってくる。たった一週間離れていただけなのに、ずいぶんと懐かしい感じがした。

 船を支える足の部分に取り付けられた端末を操作して、魔力認証用のパネルを呼び出す。ブウン、と鈍い電子音を発して青い空中ディスプレイが目の前に現れた。それに手をかざして暗号配列を組み込んだ魔力を照射することで、船のハッチが開く。セキュリティのためとは言え、面倒なものをとりつけたものだ。玲菜辺りが急ごしらえで設置したものだろう。

 確かに、留守中にあんな襲撃があっては困るが、この旧式のロックシステムはもう少し改善する必要がある。改善案を頭の中で描きながら開いたハッチに足を踏み入れ、少し進んだところで天は異和感に気付いた。空気が張り詰めている。

 独特のFBT鳴きにも似た高音が走って、天は咄嗟に真横に転がった。それまで彼が立っていたところを炎の柱が駆け抜けた。

 古臭いロックシステムはこれだから困る。鍵を持つ者に対して扉を開けるシステムより、鍵を持たない者に対して扉を閉ざすシステムのほうが強力だと言われ初めてからはたして何百年経ったと思っているのだろう。本職が技術屋でない玲菜に対して無茶な要求をしても仕方がないというのはわかっていても、急造のシステムの脆弱性をまんまと突かれてしまったこの状況ではため息の一つや二つは出てしまって当然だった。

「迷子か? 子供は帰って飯食って寝てろよ」

 こんな冗談の通じる相手ではない。それは放たれた炎の魔術の威力を見れば一目瞭然だった。仮にも対魔法結界のギミックが仕込んである内壁に対して焦げ目をつけ、煙を上げさせてしまっている。あまり考えたくない事態だが、この相手はミーティアクラスか、それ以上の魔力バカだ。

 何より恐ろしいのは、目の前にいる少女の服装だった。白いマントとつばのない帽子はところどころが破けよれてしまい、その下のブラウスは右の袖が乱暴にちぎられたように無くなっていて、白い肌が露出されている。その先の手首には白い丸石が数珠繋ぎになったブレスレットを身に着けていた。

 ボロボロでありながら汚れ一つも許さぬ純白。白い髪の間から幼い瞳が狂気に満ちて天を睨みつけた。スクレラと虹彩の境目がわからないほどに、不気味なまでに白い瞳だった。

「なつかしいにおいがするぅ……」

 天から視線を外し、半ば恍惚とした表情で船の奥のある一点を見つめる少女の声は、聞いているだけで冷たいナイフに頬をなぞられるような寒気を催した。背は低くクレレと同じくらいの年頃だろうが、気配が常人のそれとはまったく違う。

 病室を訪れたシャンテの話によれば、連邦騎士団には野蛮な輩がいっぱいいるらしいので、ここに現れた少女もその類だろう。この殺気は野蛮というより狂気染みてすらいるのだが。

 どれだけ冷静に分析しても、厄介な状況は変わらない。白く狂った少女が天から視線を外したのは、そこに天以外の誰かを見つけたからだ。よりによってこの状況でクレレが現れてしまったのは不運以外の何者でもない。

「あ……あ……」

 クレレは白い少女を見てひどく怯えてしまっている。先ほどの白い少女の言葉からも、過去に二人の間に何かあったらしいことが伺えるが、今はそれどころではない。艦長かノクスでも呼んで来れるならそれが一番良いが、クレレは今にもその場に崩れてしまいそうなほどに足が震えてしまっている。

(さて、LP無しでどこまでできるんだ?)

 魔法の術式の構成を補助したり、実行効率を上げたりする目的で使われるLPだが、特にロッドタイプは非常に高性能で、LPを使って行使できる術式とLP無しで使える術式の差が著しくなっている。

 特に天が得意とする錬金系は、LPがあってもすばやく正確な術式を構成するのが難しい。目の前の白い少女はおそらくあのブレスレット型のLPを使って高速詠唱を行ってくるだろう。彼女の意識がクレレのほうに向いているのはある意味ではチャンスだったし、一瞬の猶予もない切迫した状況でもあった。

 人差し指の先に神経を集中し、天は静かにしゃがむ。構成のためにルーン文字を自前で刻むなど、もう何ヶ月もしていないことだ。頭の中で術式は思い描いた。可能な限り扱いの容易い、しかしそれでいて目の前の相手の動きを封じるに十分な術式が必要だ。

 天が指を船の床に滑らせ、術式の構成を開始したのと白い少女が動き始めたのはほぼ同時。白い少女がブレスレットをした右手を高く掲げ、その先に火花が散って、青白い放電が起こる。

 風の術式の圧縮を突き詰めていくと、雷の術式と呼ばれるものに変化する。強烈な破壊系の術式のひとつで、並みの魔術師はおろか、マスタークラスでもその出力までたどり着くには相当な消耗がある。

 それを、事も無げに構築しながら、白い少女は左右に裂けた狂気の笑みを浮かべた。

(ヤバい客が来たもんだ)

 指先から出る魔力光を、雷の術式に飲み込まれないように固定化し、素早く構成していく。一瞬の猶予もない。あの右手が振り下ろされる前に決めなければならない。

 天は右手の平を船の床に叩き付けた。完成した術式が発動する。金属が軋む甲高い音と船全体に大きな揺れが生じて、白い少女が後ろに倒れた。雷の術式構成が解け、火花を散らしていた光の弾は霧散する。

 一か八か。痛む腕など気にしてはいられない。電光石火の踏み込みで接近し、白い少女の首と右手を抑え込む。あまりそうしたくはないが、自衛のためならば仕方がない。首を抑える右手に力を込める。抵抗する余裕を早い段階で奪ってしまわなければ、危険だ。

 先ほどの揺れは、さほど綿密な構成を要求されない低級の錬金系術式だ。相手の体勢を崩すことが目的だったが、細かい揺れの範囲を指定できなかったため、その効果はその場にいたクレレにも及んでいる。ここでこの白い少女を野放しにしてしまえば、クレレに逃げ出す術はないのだ。

 そう。ここで手を離してはいけないはずだった。けれども、天は後ろに飛び退いてしまった。そうせざるを得なかった。ゆらりと起き上がる白い少女の顔には悪魔のような狂気の笑み。その左手には光を反射する透明な剣が握られていた。剣の先端から丸い透明な雫が落ちる。剣の一部が欠けている、というよりは、剣全体が流動性を持って蠢いていた。水をある領域に閉じ込めて作られた、液体の剣だ。LPを抑え込まれて尚、逆の手からそれを錬成したというのか。

 水の生成は制御が非常に難しく、常人に行えるものでは決してない。どうやら、常識というものがこの白い少女には通用しないらしかった。

「アハハ。お兄さん、私と遊んでくれるの?」

 白い瞳を狂気に染め上げ、指先を天に向ける。天が咄嗟に左へ跳ぶことができたのは魔術師としての勘のおかげだった。先ほどまで天がいた場所に紅い光の線が走り、直後に爆ぜる。

 横に跳んで直撃は避けたものの、その余波までは防ぎ切れない。船の床に叩き付けられ、天は何度かそこを転がった。

 腕がつぶれるかと思うほどの激痛。動かせる程度に回復したとは言え、まだ無理をさせていいわけではない。痛みが意識を食いちぎって、天は動きを止めてしまった。

 ゆっくりと間合いを詰める靴音。無造作に振り上げた水の剣。隙だらけの構え。全て見えているのに、この先どんな軌道で刃が襲い来るのかも、それに対する最適な反撃さえもわかっているのに。それなのに、体は動かない。

 白い少女の腕が完全に振り下ろされて、戦いは終結した。


「全く。勝手に歩き回るなと言っただろう」

「ぐう……」


 腕は確かに振り下ろされていた。しかし、そこに水の剣は握られていなかった。それどころか、本来振り下ろされた後にあるべき場所よりも少し高い位置にある。

「……あぁ?」

 天は状況がよく把握できなかった。白い少女は何故だかわからないが宙に浮いていて、おもちゃを取り上げられた子供のように眉をハの字に曲げて天の方を見ている。

 天が特に何かしたわけではないが、白い少女のほうは何かされたようだ。よく見ると彼女の後ろに誰か立っている。

 少女が左の方へスライドした。首根っこを掴まれて宙吊りになっているらしい。これでは猫か何かだ。少女に隠れていた人物が姿を現した。背の高い男で、白い長袖のYシャツにタイトな白い長ズボンの男だ。今朝、病室に現れた包帯目隠し男である。近くで見ると、包帯がより奇妙に際立って見えた。

「すまない。うちの燐が迷惑をかけたようだ」

「危うく殺されるところだ」

 直接的な害意は見受けられないにしても、やはり外部の者に対して警戒を解くべきではない。気の抜けない状況は変わらなかった。

「ところでこの船の責任者はどこにいるだろうか」

「お呼びかしら」

 目隠し男は燐と呼ばれた少女の首根っこをつかんだまま振り向いた。艦長帽子の女性がクレレと目隠し男の間に、腕を組んで立っていた。連邦騎士団の二人を前にしても、欠片も動じている様子がない。

 それがはったりかどうかはわからないが、警戒心をむき出しにしなければならない天とは踏んできた場数が違うということだろう。

「いらっしゃい。狭い船だからあまりゆっくりしていかないでいただきたいものだけれど」

 言葉による牽制にもどこか余裕が感じ取れる。天から見ても、この艦長は底の知れない人物だ。対する目隠し男も、連邦騎士団の肩書に相応しい余裕の笑みを浮かべていた。

「そうだな。手短に済ませよう」

 意外にも、目隠し男の用件はすぐに終わった。翌日中に研修生を含めた乗組員全員をこの船に集めること、それから、技術スタッフを用意しておくことを要求してきたが、後者はすでに天がいるし、前者も万が一のために滞りなく事が進むように準備は済んでいる。

 詳しい説明は明日行うということで、燐をつかんだまま早々に引き揚げてしまった。

「さて、天ちゃん。せめてお昼くらいには起きられるようにしておいてね」

「努力する」

 そう言って天が部屋に戻る時にはもう連邦騎士団の二人はいなくなっていたが、クレレはいまだに脅えているようだった。


―――◆―――


「うあーッ!」

 ベッドに正面から倒れ込んで、ゴロンと寝返りを打つ。やるせない思いを吐き出さんばかりに叫んでみても、一人には広すぎる部屋に霧散して消えるだけだった。

 自室の柔らかいベッドに埋もれながら、ミーティア・エンシスハイムは鬱屈とした感情を募らせていた。机の上に積み上げた未開封の湿布を見て、何度目かもわからないため息を吐き出す。

(誤解、かぁ……あれで勇気出したんだけどなぁ)

 夜の静寂が膨らませる嫌な気分を振りはらうべく、もう一度――今度はわざとらしく声を出して――ため息をつく。情けない声が出た。あの時のエルナもこんな気持ちだったのだろうか。

 悩みは相談すれば良い。一人で抱えなくても良い。誰かと一緒に悩めば良い。今回の事も、そうするべきだっただろうか。けれど、これは

(これは、私の問題……)

 スティグマの時のように、周りを巻き込む問題ではない。エルナを、こんなくだらないことに巻き込みたくはない。

 巻き込みたくはないけれど、心のどこかでこの牢獄から助け出して欲しいと思ってもいた。だから、あんな――エルナが言うには、誤解を招くような――真似をしたのかもしれない。

 元々、ミーティアがドレッドノートに研修生として配属されたのは、スティグマがこの家にあるという事実を嗅ぎつけた男――おそらくはヘルテイトのことだ――がいたからだと言う。ドレッドノートは単純に、一時的な避難先にされたのだ。

 そのヘルテイトという脅威がなくなった今、ミーティアがドレッドノートにいる理由は「研修」という名目以外では無くなってしまった。

(どうして、こんなに早く終わっちゃったんだろう)

 ギルドは、役所の人間である父が圧力をかけられるような機関ではない。依頼としてミーティアを研修生として受け入れさせることはできても、研修そのものを終わらせる権限はないはずだ。

 けれど、この研修の早期終了にスティグマが関係している可能性は否定できない。人工遺物としての力は失ったものの、スティグマというものの存在が第四区画外の人間に知れ渡ってしまったのは確かだ。

 それに力があるかどうかは関係ない。あると信じる者がいれば、それが狙われるには十分な理由となる。エルネストが聞かせてくれたスティグマの伝説はそういったものだった。

 急に寒くなった気がして、ミーティアは自分の体を抱きしめるように小さくなった。

(寂しいよ……)

 それまではエルネストが傍にいてくれたような気がしたが、スティグマの無力化によってそれが無くなってしまったことを知らされた今、ミーティアにとって心を許せる近しい存在はエルナだけだった。そのエルナとの接点も、研修の終了、外出の禁止という形で絶たれてしまった。

 締め付けられるように苦しくて、目を強く閉じる。これが夢ならば今すぐにでも覚めてほしい。次に目を開ける時には、この長い夜が明けていてほしい。

 ベッドの脇のテーブルに置かれたリモコンで明かりを消して、深く布団をかぶる。

(誰か、傍にいてよ)

 じわりと、不快な熱を帯びた雫が顔を伝って流れる。



 ミーティアが泣き疲れて眠ってしまった頃、机の上の湿布の奥に置かれた携帯端末に、連絡があったことを示す小さな緑のランプがともった。


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