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1:ドレッドノートへようこそ

この物語はフィクションであり、実在の人物、場所、建造物及び団体とは一切関係ありません。

この作品の執筆においてはいかなる動物も傷つけていません。


The story,all names,characters and incidents portrayed in this production are fictitious.No identification with actual people,places,buildings and products is intended or should be inferred.

No animal was harmed during the writing of this novel.

 階上にひしめく黒い皮膚の狂犬(ヘルハウンド)。魔獣と呼ばれる存在は円環状の宇宙の中心にある昏き深淵から来たとされているが、正確な事は誰にもわかっていない。確かなのは、その魔法生物が体内に核と呼ばれる機関を持ち、それを破壊された魔獣の体が溶けて跡形も無く消え去るという事だけ。

 ギルドと呼ばれる組織の発足は、その魔獣の掃討が一つの目的として挙げられる。魔法学校で訓練・教育を受けた生徒は長期休暇を利用して、研修生としてギルドへ赴く。

 ぱっちりした目で階下から人ならざる者達を見上げるエルナも、その研修生の一人だった。十六歳にしては小柄な体躯で、白く華奢な腕も背負った身の丈ほどもある大剣とは不釣り合い。髪は肩より上までの長さでまっすぐサラサラ、保護欲をかきたてる丸めの顔と、およそ美少女と言って差し支えない容姿だ。

 魔法学校の古めかしいコンクリートの階段を駆け上がりながら、背中の大剣の柄を掴んで引き抜き、そのまま先頭にいる相手めがけて抜刀した勢いに任せて振り下ろす。

「はあッ!」

 斬り伏せられた黒い皮膚の狂犬が、断末魔を上げる間もなくその場に溶けて消える。

「ちょっと数が多いなぁ……」

 古い造りの校舎の二階の廊下を埋め尽くさんとひしめく黒い獣の群れを前にして、エルナは気持ちを落ち着けるように深く息をつく。

 すぐ後から階段を上がってきた、ベージュ色の大きな三角襟のついたセーラー服姿の少女が、長い棒の先端に球体の駆動部がくっついた機械仕掛けの魔法使いの杖――LPルーニック・プロセッサ――を構えて不敵に笑った。

「吹き飛ばすよ」

「詠唱の時間が稼げれば良いよね」

「二十秒もあれば十分!」

 短いやり取りのすぐ後、上段に振り上げた剣を集団の先頭にいた狂犬の頭に向かって振り下ろす。強烈な衝撃で床が抉れる。重量のある大剣の振り下ろしをもろに食らった狂犬は溶けて消え、それに逆上した他の連中が集まって来る。

 そのタイミングも予測済みだ。刃が黒い肉を切り裂く。エルナが大きく横薙ぎに振るった剣は狂犬四匹分のアゴを上下に分断した。

「はああああああああッ!」

 大剣の切っ先をまっすぐ前に向けて、まだ生き残っている狂犬の集団に突っ込む。黒い肉塊を串刺しにしながら、気合の声を上げて突き進む。

 集団で狩りをする狂犬達も、その高い声に過敏に反応してしまう。こうして注意をひきつけているうちに、杖を構えた少女の詠唱が完了した。

「終わったよ!」

 その声を合図に横へ跳び、素早く教室のドアを開けてその中に入る。追いかけてきた黒い狂犬を蹴飛ばして廊下へ追いやり、来るべき衝撃に備えて後退。

 機械仕掛けの魔導杖の駆動部が高速回転して、金属がこすれるような耳鳴りが音程を上げていく。掲げた杖の先端を取り巻くように、円形の淡い緑の光がルーン文字を刻み、魔法陣を組み上げる。

 その駆動音が臨界を超えたと同時に、杖を持った少女が発動する魔法の名を叫んだ。

「ルーニック・バーストォ!」

 轟音。魔法学校の廊下を、淡い緑の光の粒子が蹂躙する。

 エルナは持っていた大剣を取り落して、尻餅をついた。予想していた以上に派手な魔法だった。

 光の粒子は圧倒的な量と質で黒い狂犬達を吹き飛ばしていく。それと、ついでに教室のドアやら窓ガラスも片っ端から粉々に砕いていってしまう。

「や、やりすぎだよぉ……」

 エルナが机の下にもぐって小さくなりながらそうつぶやく涙声さえもかき消すように、光の粒子熱線は収まらない。

 勿論、エルナも校舎を多少傷つけることくらいは覚悟していた。だが、ここまで徹底的にやってしまうとは予想していなかった。

 ジュウ、という穏やかでない音と共に煙を吐きながら、二階の廊下を焼きつくした光線が収まった。恐る恐る、廊下に顔を出してみる。焦げ付いた廊下には、黒い狂犬は一匹どころか、指一本さえも残らずに消え去っていた。

「あはは、ちょっとやりすぎちゃった」

 お気楽に笑う魔法少女。彼女はミーティアという名前で、エルナとは十年ぶりに再開を果たした幼馴染……なのだが、

「うわあ……」

 ちょっとどころではなかった。光の粒子熱線が通った道の先を見ると、その先に存在したであろう壁が綺麗さっぱり消えてなくなっている。

 幼い頃には勿論、魔法なんて使えなかったのだが、この十年の間に彼女にいったい何があったというのだろう。

「よっし、あとは親玉だけだね」

「これ、いいのかなぁ……」

 フロア一つを丸ごと壊滅状態にさせた幼馴染と一緒に、エルナは屋上を目指した。

 屋上に先ほどの黒い狂犬達の親玉がいる。つい先ほど、クレレが探査系の魔法で調べてくれたため、この情報は信頼できるらしい。

 らしい、と曖昧な表現なのは、エルナとミーティアがギルドに配属されたばかりの研修生で、探査系の魔法を見るのが初めてだったからである。

 連邦領第四区画、中央魔法学校の校舎に入り込んだ魔獣の掃討が今回の任務だ。エルナ、ミーティアを含めたギルド『ドレッドノート』のメンバー七人全員が参加しており、しかし屋上へ向かうのはここにいる研修生二人だけだった。

「はあ、不安だなぁ」

「大丈夫大丈夫。私がついてるよ」

「それが不安なの」

 エルナは任務の成否を特に心配してはいなかった。先ほどミーティアが放ったおかしな威力の魔法やそれによって生じた惨状を見せられれば、敵の親玉だって一発で降伏してくれるに違いない。

 それよりも、初等部の頃から通ったこの学校の校舎が無事なまま任務を終えられるかが心配だった。単純に思い出の詰まった建物が無残な姿になっていくのは悲しいし、何より依頼主である学校側から文句をつけられたりしないかどうかも不安だ。

 研修の取り消しや退学なんて話になりでもしたら、ここまでの努力が水泡に帰してしまう。あまり深く考えてしまいたくなくて、エルナは自然と早足になった。


 屋上のドアを開ける。ギイ、と甲高い音で悲鳴を挙げながら両開きの扉が開いて、二人は青空の下に出た。緑のフェンスに囲まれた穏やかな空間に似つかわしくない、黒い獣が獲物に向かってまさに飛びかからんとしていた。

 エルナの目つきが変わった。再び大剣を振り抜いて疾駆、黒いたてがみを持つ巨大な獅子の頭めがけて、振り下ろす。その一撃は獅子の目を潰すにとどまったが、痛みに悶え苦しみながら獅子は後退。エルナは巻き込まれた民間人と思われる白い服の女性の前に立った。

「大丈夫ですか?」

「心配、ない……」

 白い服の脇腹が赤く染まっており、彼女が危険な状態である事を示している。

「ボクがあいつを押さえておくから、その間にミーティアはその人を安全なところに!」

「おっけー」

 黒い獅子の動きが止まったのはほんの一時的なものだった。すぐに立ち上がり、自分の片目を潰した敵を睨みつける。これまでのヘルハウンドとはワケが違う。もっと巨大で、危険な匂いがした。

 巨大な口から覗く鋭い牙と、大樹の幹ほどもある太い腕。口から滴る唾液は校舎の屋上のタイルを少しずつ溶かして、白煙を上げている。この黒い獅子は見た目だけでも、足をすくませるのに十分な威圧感を持っていた。

 だが、ここで怯んでしまうわけにはいかない。ミーティアは強烈な破壊系の魔法を放つ事ができるが、先ほどのようにある程度の詠唱が必要となる。今、この場であの怪物を抑えていられるのはエルナだけだ。

 幸い、先ほどのヘルハウンド達のように集団で襲いかかって来る相手ではない。たったの一匹。それさえ足止めできれば、勝機はある。エルナは大剣を肩に担ぐようにして構えた。

 エルナ自身の身の丈程もあるこの大剣の強みは、振り下ろしの威力と迫力にある。直撃すれば肉を叩きつぶし、骨まで砕く程の破壊力を持つため、相手を威圧する迫力も相当なものだ。

 その威圧は、敵にエルナを危険な存在だと認識させる。つまり、狙いを後衛から反らす事ができるのだ。

「はあッ!」

 黒い獅子と小柄な大剣の使い手、動いたのは同時だった。

 獅子は巨体に似合わぬ俊敏さで体をしならせ、目の前に立ちふさがる敵に跳びかかる。

 エルナが剣を振り下ろしたタイミングは、獅子が飛び上がってすぐだった。刃は空を切って足元にある屋上のタイルに激突し、破片を打ち上げる。目くらましにもならないほどの打ち上げだが、それでも良い。エルナの狙いはこの音だ。

 重たい剣がタイルを砕く轟音は、猛獣を刺激するには十分すぎた。一瞬、獅子の筋肉が硬直したのを、エルナは見逃さない。斜め前方に転がって跳びかかる爪の一撃を回避し、獅子の腕と足の間を潜り抜ける。

 すり抜けざまに一閃。軽く撫でる程度の弱い衝撃だが、それでも獅子がエルナを標的として認識したのは間違いない。敵を眼前にとらえるため、獅子の巨体が振り向こうとする。

 その隙にエルナはポケットの中に入れてあった小さな円形のチップを取り出し、大剣の柄にある窪みにセットする。LP独特の駆動音と同時に、青いルーンの文字が刃を取り巻くように走り、身体と武具の性能を強化するための魔法陣を形成する。

 増幅回路。魔術の力を封じ込めたそのチップをLPの駆動部にセットする事で、魔力を持たない人間でも簡単な魔術を扱う事ができたり、魔術の威力を強化する事ができる。

 詠唱が必要で無く発動までのタイムラグも無いが、持続時間も長くは無い。獅子が完全に振り向く頃には、エルナはすでに相手の巨体に跳びかかるように跳躍し、剣を振り上げていた。

 再び炸裂する強烈な振り下ろし。振り向きざまに腕を一本斬り落とされた獅子が、激痛と怒りに激しく咆哮し、残された腕をエルナに向かって振り下ろす。だが、遅い。

 エルナはもう一度前に跳んで、獅子の背後に回る。エルナが剣を斜めに振り上げて、金属同士が激突するような甲高い音が響いた。

「う、ああ……ッ!」

 肩に走る激痛。怒りと痛みによって全身の感覚が鋭くなってしまっているのか、恐るべき速さで旋回した獅子はその鋭利な牙でエルナの振り上げを受け止めた。

 重力というものに反して行われる振り上げでは、振り下ろしに比べて威力が落ちてしまう。獅子が剣ごとエルナを砕かんと体重をかけ、加えて、先ほど使用した身体強化の魔法の反動がエルナの細い肩を攻め立てた。

 想像以上の重さに、全身が悲鳴を上げる。踏みしめた足が、タイルを砕いてめり込んでいく。

 けれど、ここで負けたくはない。歯を食いしばって、必死で耐える。

 普段は弱気なエルナがここまで諦めないのは、剣に刻まれた名前のおかげだった。

 自分に名前をつけてくれた人であり、剣を託してくれた人でもあるその相手に対する憧憬が、エルナを駆り立てた。

 こんなところで負けてしまったら、その人を探す夢が潰えてしまう。いつか会って話をするという、それだけの願いを胸にここまで頑張ってきたのだ。そして、これからも夢を追い続ける。そうするだけの決意が、剣を握る手に力を与えてくれた。

 渾身の力を込めて、押し返す。肩にかかっていた重圧から解き放たれ、喜んだのもつかの間、

「がっ……!」

 次の瞬間、エルナは宙を舞った。牙による攻撃に気を取られすぎて、獅子に片腕が残されていた事を忘れてしまっていた。

 その腕に薙がれて、エルナは背中からフェンスに激突し、ずるずると落ちて座り込む形になってしまう。

 肩には負荷がかかりすぎて限界が来ている。足だって、もう一回跳ぶのが精一杯。肘から先は痙攣してしまっていて、うまく剣を握れない。

 じりじりと、黒いたてがみの獅子が迫ってきた。先ほど腕を失い、そしてエルナを吹き飛ばした事で体力が限界に達しているのだろう。のろのろと体を引きずりながら、しかし自分の腕を奪った仇に確実にトドメを刺すために歩いてくる。

 やがてエルナが影に覆われ、獅子が大きな口を開いた。

 振り下ろされる頭。噛みつきというよりは頭突きにも近いその一撃が、屋上のタイルを砕いて打ち上げた。

「あ、がっ……」

 最後の力を振り絞って跳躍したエルナは、ボロボロになった屋上を転がった。

 剣を杖にして立ち上がろうとするが、足が震えてしまってうまく立てなかった。

 振り向いた獅子の片目に見据えられ、最悪の結末を覚悟しかけた瞬間だった。

「ルーニック・バーストォ!」

 先ほど、二階の廊下を焼きつくしたものと同じ光の激流が黒いたてがみの獅子の全身を飲み込んだ。相変わらず少しやりすぎな威力で、その光の通り道だけ綺麗に屋上の床が抜けて下の階が見えるようになってしまったのだが。

「た、助かったぁ……」

 駆け付けてくれたミーティアのおかげで任務は終了した。それを理解して、エルナは背中から屋上のタイルに倒れ込んだ。とても鈍い音がした。

「い、痛い」

 倒れる時に勢いあまって頭を打ってしまったのだ。

 ギルド『ドレッドノート』の研修生としての初仕事は、こうして終わりを迎えた。


―――◆―――


 ここはどこだろう。エルナはまずそう思った。気がつくと、見慣れない部屋にいた。

 廊下に出てから、すぐにここが宇宙航行艦ドレッドノートの艦内なのだとわかった。淡い青の床や壁が綺麗に磨かれている。

 全身の痛みはすでになく、いたって快調だった。試しに肩を回してみるも、まったく問題はない。

 校舎の屋上で、ミーティアから仕事が終わった旨の話を聞いた後、エルナは気を失った。結構な無茶をやったのかもしれない。短時間とは言え、あんな大きな化け物を一人で相手にしていたのだ。

 自分が無事であることに感謝して、とりあえずブリッヂを目指すことにした。疲労していたとは言え、勝手に気絶してしまったのは迷惑だったに違いない。

(はぁ、怒られるのかなぁ……)

 憂鬱になりながらブリッヂへ向かう途中、奇妙な少女が立っていた。

(やっぱりこの子、ちょっと何とかしないといけないかも……)

「迷っちゃったねー。どっちだと思う? 右? 左?」

 エルナと同じ学校のセーラー服を着た、ドレッドノートの研修生、ミーティア。彼女が話しかけている先に、人はいない。手に持った杖に向かって話しかけている。

 杖は先端が丸くなっていて、魔術師が使う術式構成用のルーニック・プロセッサ、通称LPであることがすぐにわかった。わかったのだが、LPは普通、話さない。

「うーん、どうしたのかな? お腹すいて喋れない?」

 エルナは心の底から不安になった。ぐらぐらと杖を揺さぶるこの子は本当に大丈夫だろうか。

「よし、決めた。君が倒れたほうに行こう!」

「もしもーし……」

 声をかけても、ちっとも聞こえていないらしい。杖を分かれ道の真ん中に立てて、彼女はゆっくりと手を離した。

 杖は倒れない。絶妙なバランスで立っている。

「倒れろよー!」

 ミーティアは頭を抱えて叫んだ。エルナもできることならそうしたかった。

 十年前も確かに変な子だった気はするのだが、ここまで来ると少々エキセントリックすぎる。

 ミーティアはがっくりと肩を落として、「ねえ答えてよー。右と左どっちー?」とか言いながら杖を揺さぶり始めた。

(どうしよう。出来る限り早いうちに何とかしてあげないとこの子まずいかも)

「ん? 何? 右でも左でもなくて後ろ?」

 髪の毛を肩のあたりで切り揃えた少女が振り向いた。ようやく、後ろに誰かいる事に気がついたらしい。

「あれ? エルナじゃん」

 ミーティアは十年前、六歳の時にエンシスハイム卿に引き取られてから、まったく音沙汰のなかった幼馴染だ。

 当時は二人とも同じくらいの背丈だったのに、今ではミーティアのほうが幾分か背が高い。エルナは十六歳としてはかなり小柄な部類に入る。また、顔もやや幼さが残るため、エルナは年相応に見られないこともある。

「エルナ。右と左、どっちだと思う?」

「わからないよ」

 任務前に十年ぶりの再会を果たした時もこんな感じだった気がする。

 杖に話しかけていたところを見ていたというのは、言わないでおいたほうがよさそうだった。

 とりあえず分かれ道の右と左の通路の奥をよく見てみる。どちらも全く変わらない景色だった。誰がこの船をデザインしたのだろう。

 きっと、迷宮が大好きな人に違いないと、エルナは思った。

 ブリッヂまでたどり着くにはどうしたらいいのかわからない。船も見かけよりずいぶんと内装が広々としている。下手に適当な道へ進むと、もう迷ったまま永遠に抜け出せなくなるかもしれない。

 でも、こんなところでじっとしているわけにはいかない。意を決してどちらか適当な方向に進むことを提案しようとした時、左側の通路の奥のドアが開いた。

「あっ、人だ……!」

 まるで無人島で漂流生活を続けたような気分だった。時間にすれば八分と四十三秒ほどしか経っていないのに、それが何週間にも感じられた。

 とにかく、人がこちらに向かって歩いてくることに安堵した。背の高い痩せた青年で、白いシャツにジーンズと言うラフな格好だ。

「あのっ」

「あー?」

 ずいぶんと気の抜けた、しかし低く威圧するような声に、エルナは怯んでしまった。このドレッドノートという船の評判は、確か年配の先生からはあまり良くなかったということを思い出した。つまり、船の中の治安があまりよろしくないのかもしれない。

「ブリッヂに行きたいんですけど、どっち行ったらいいですか?」

 物怖じしない性格のミーティアがいてくれて助かったと思った。青年は声すら出さずに右手の人差し指だけ立てて前方を指差した。彼がこれから向かう方向と同じ。

「あ、ありがとうございます……」

 エルナがお礼を言うと、青年はそのままゆっくりと歩き始めた。ついてこいという事だろうか。

 研修期間は二ヶ月。休みの期間を目いっぱい使っての研修だが、あの青年とうまくやっていけるものだろうか。

(怖いなぁ。艦長とかもああいう人なのかなぁ)

 エルナは弱気だ。今回に限ってのことではない。とにかく、このエルナという生き物は身体だけでなく度胸も小さい。

 普段の生活だと犬に吼えられるだけでも飛び上がってしまうし、先生に頼まれた雑用なんかは断ることができない。

 仲の良い友人いわく、「パシリにされないのが不思議な性格」らしいのだが、そういった類のイジメを全くと言っていいほど受けなかったのは確かに幸運だと思った。

 その理由が、背中に背負った大剣型のLPを使った豪快な戦闘スタイルが原因であることを、エルナ自身は知らないのだが。


 横にスライドして開くそのドアの奥には、ドレッドノートの乗組員が全員揃っていた。

「お、エルナちゃん起きた? おはよう」

 入口のまっすぐ前、艦長席から艦長の声が飛んでくる。艦長の声で、その全員が入口に立っているエルナに目を向けた。

 ブリッヂの奥から一人目は、先ほどの青年よりも背の高い青年。すらりと伸びた体系は共通しているが、こちらのほうが線が細く、目も切れ長に見える。

 袖に金の線状の刺繍が入った紺色のダブルジャケットを着こなして長い足を組んでいる。コーヒーの香りと味を楽しむ姿はなんだかとても優雅に見えた。

 その少し手前には、特徴的な服装の少女が静かに座っていた。袖が広く、腰より上でキュッと締められた長いスカート。和装とか、和服と呼ばれる服だ。首の後ろで結わえられた長い黒髪と凛とした佇まいが、彼女の清潔感を印象付ける。

 隣では白い制服と白いゆったりした帽子の背の低い少女が、会議用の長テーブルの上にスケッチブックを広げて何か描いていた。彼女が探査系魔術の使い手、クレレだ。エルナは十六歳としては小柄なほうだから、それよりも小さいとなると相当小柄な部類に入る。

 彼女らと対角線上に、エルナ達の前を歩いていたジーンズの青年が座った。

 艦長が立ち上がって、エルナに向かって言った。

「それじゃあ改めて、ドレッドノートへようこそ。女の子が二人も増えるのは嬉しいわ」

 それから自己紹介が始まる流れになるはずだったが、エルナはそれを遮った。遮らなければならないと思った。






「あ、あの……すみません。ボク、こんなでも、男です……!」

 確かに、平均よりも声は高いし、背も低い。体つきは華奢で性格は女々しいし、度胸だってない。男らしさというものがまるで欠けた顔であることも自覚している。

 そして、艦長に勘違いされている決定的理由は、おそらくミーティアが「エルナ」という呼び方を教えてしまったからだろう。昔はあれほど女の子っぽいから嫌だと抗議したのに、しつこいのでミーティアに限ってその呼び名を認めてしまっていたのが仇になったらしかった。

「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」

 最初から順に、艦長、コーヒー青年、和服少女、クレレ、ジーンズ青年、ミーティアの声である。

「……えっ?」

 逆にエルナが聞き返してしまうくらいに、全員の反応が同じだった。

「と、というか、ミーティアまで何で否定してくれないのさ」

「いや、ほら、ノリで」


 自己紹介で、エルレナード・フィンブルツールは一つ大きな誤解を解かなければならなくなった。



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