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二話 恋におちて

 サブリナが初めてアドニスと出会ったのは、二年前の舞踏会の晩だった。

 当時二十一歳だったサブリナにはまだ婚約者もおらず、売れ残り女性という不名誉な地位を社交界から与えられていた。ゆえに同伴者の兄もいまさら妹を売り込む気もなくて、勝手に舞踏会を楽しんでいる有り様だ。


 サブリナは自分が平凡でつまらない容姿をしている自覚があった。それに加え気のきいた会話も出来ず、愛想も良くない。

 そして何より当の本人がそれを気にしたり直そうという意思がないのだから、兄が諦めていたとて責められまい。


 それでももしサブリナが社交界で馬鹿にされたり嘲笑されたりという、そういう嫌な目にあう事が頻繁にあったのなら、彼女自身も少しは改善を試みようとしたのかもしれない。

 しかし幸か不幸かサブリナにはそんな事は起こらなかったのである。


 つまりは誰も気にしないほど彼女の影が薄いのだ。その影の薄さは婚約話にも影響し、伯爵家という家柄にも関わらずまるで忘れ去られたかのように一切なかった。


 そんな理由(わけ)でその日の舞踏会でも壁の花であったサブリナは、ぽつんと一人会場に居る。だがいつの間にか彼女の姿が見えなくなっていた事に気が付いた者はいなかった。

 ではサブリナはどこに行ったかというと、人気(ひとけ)のない夜の庭を散歩していたのである。


 そういう自分をサブリナは憐れに思っていたであろうか? いやまったく思ってはいない。むしろ月の明かりが夜露に光り、庭が幻想的な美しさに演出されている事に喜びさえ感じていた。


「なんて綺麗なんでしょう。すべての生命が輝いてみえるわ……」


 サブリナ自身は自分の影の薄さなど気にしてはおらず、かえって苦手な社交界と距離が持て良かったとさえ思っている。

 婚約者がいない事だって、一人で居る事が好きなサブリナにとっては何の問題でもなかった。


 影が薄いおかげで誰にもバレてはいないが、彼女が貴族令嬢としては変わり者と言える存在であった事は間違いないだろう。

 たまに地味令嬢と陰口を言われる事など、サブリナにとっては何でもない事であったようだ。


 サブリナはウキウキした気持ちで蔓バラのアーチを抜けると、野の花の中に石のベンチを見つけた。

 まるで月光で浮かび上がったようなその場所に、彼女は吸い込まれるようにして近付いてゆく。


「ハァ、素敵ねえ……。あら? あの光っているものは何かしら」


 石のベンチの横に丸くて鈍い光を放つものをみたサブリナは、そっと近くに寄ってみた。そして始めてそれが人の頭部であることに気が付き驚いたのである。


「ど、どなたかおりますの?」


 だが驚いたのはサブリナだけではなかった。彼女の声に振り向いた青年もまた明らかに驚いている。彼は膝を抱え(うずくま)ったままの姿勢で口を開け、その目をカッと見開いた。

 

「み、見ましたね……」


「ひいっ!」


 もうお分かりであろうがその青年こそがアドニスであり、光っていたのは彼の禿げ頭である。


「わ、笑えばいいさ……。ちくしょう、どうして今日に限ってカツラの糊が剥がれちゃったんだよお……」


「えっと……。何を笑えばいいのか分かりませんが、お困りのようですわね。私で何かお役に立てる事はありますでしょうか?」


「やめてくれっ! 本当は笑いたいくせにっ。社交界きっての遊び人として有名なこの僕が、実は禿げをカツラで隠していたと言うんだぞ。笑わない奴なんているもんかッ!」


 そう言うとアドニスはシクシクと泣き始めてしまった。


「あのぉ。私、貴方の事を存じませんし、禿げてカツラを着けている事の何を笑えばいいのか本当に分かりませんわ」


 サブリナはアドニスが泣いている姿があまりにも哀れなものだから、思わずその背中をさすってあげてしまう。

 すぐにそれがはしたない事だとは思ったのだが、止める気にはならなかった。


「そのカツラの糊を探してきて差し上げましょうか?」


「そ、そんな事言って、本当はみんなに言い触らしに行くんだろ!……」


「まあ!」


 いつまでも拗ねている青年にサブリナは、ほんの少しだけ腹を立てたようだ。


「いい加減になさいませ! 何ですか貴方は男のくせして禿げ頭くらいでウジウジとっ」


「だっ、だって仕方ないだろっ! 僕だって本当はカツラでこの頭を隠す様な真似をしていたくはないよッ!」


「あら? では何故?」


「何故って……。ネスラン侯爵家の男子は社交界の花形でいなくちゃならないんだよ。代々そう努めてきたからこそ、我が家は権勢を維持出来てきたんだから……」


「まあ、じゃあ家名の為に?」


「うん。僕はね、本当は遊び人とか嫌なんだ。花形でいて目立つのも苦しいよ。一人で本を読んで農業の勉強をしたり、環境整備を考えたりさ、そういう地味な事をコツコツするのが好きなんだけどね」


 急にしおらしくなって話し始めた青年に、サブリナは何とも不思議な好意を抱いた。


 それはアドニスも同じであったようだ。

 なぜ自分が急にこんな打ち明け話を彼女にしているのだろうと戸惑いながらも、この不思議な安心感を手放したくはないと強く思っている。


「でも、家の為だもの仕方ないよね。僕は遊び人として派手に演じながら生きていくしかないんだよ。だから禿げ頭も隠さなくちゃ駄目なんだ」


「辛いわね、貴方は頑張ってきたのね……」


 サブリナの心のこもったその一言を聞いた途端、アドニスは何かが決壊したかのようになって激しく泣き始めてしまう。

 声を殺してはいたがその嗚咽はサブリナの心まで震わせて、いつしか二人は肩を寄せあって泣いていた。


「ちえっ……。僕は何で人前でこんなに泣いているんだ。くそっ、男のくせしてみっともない」


「そんな事はありません。さっきの拗ねている貴方より、ずっと男らしいですわ」


「そうなの?」


「ええ、そうです」


「でも、何で君まで泣いているんだい?」


「……さあ? 私にも分かりません」


 二人は顔を見合わすと、不思議とお互い笑顔になれた。

 今日始めて合ったばかりのまだ名も知らぬ二人は、お互いのその笑顔を美しいなと思っていた。


「貴女のお名前を聞いてもいいかな? 僕はアドニス・ネスランと申します」


「私はサブリナ・レイモンドです」


「レイモンド伯爵家のご令嬢の?」


「その通りですわ。よくご存知ですのね」


「貴族のご令嬢の名前を暗記させられてきたからね。遊び人というかプレイボーイの嗜みだとかで……。嫌な作業だったけど、今日始めて暗記していて良かったって思えたな」


「ふふ、私は影が薄いですから。またすぐに忘れてしまうかもしれませんわ」


「いいえ決して! 僕は……。忘れません」


 これがサブリナとアドニスが、初めて出会った日の事であった。


 やがて二人は恋におちる。それは本当に慎ましやかな恋愛であったが二人はそれをとっても気に入っていた。

 人気のない教会の敷地で読書をしたり、何もない農道を散歩したり、街角でほんの短いおしゃべりをするだけのデートもあった。


 呆れるほど地味な、それでいて深く心が満たされていく、そんな幸福な時間を二人で紡いでいったのである。  

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