第8話 初陣。そして転戦
天正6年(1578年)7月 安房国平群郡 岡本城下
あれから2か月。ここまでくるのに、予想以上に時間がかかってしまった。
分国内の国人衆には「悪逆非道の刑部大輔一党を討滅するため、岡本城下に参集すべし」という檄文を出し、佐貫衆と久留里勢だけで押し出したはいいものの、馳せ参じる者が、殊の外少なかった。
忠臣と信じる小田喜の正木大膳亮も未だ参集しておらぬ。
最初はいらだったものの、よくよく考えれば、前世の顛末を知らぬ者どもにとってみれば、ただの騙し討ちにしか見えぬ。
「大義無し」と思われても致し方ない。
援軍はあてにせず、力押しに押し、ついに昨日、本丸を残すだけの状態まで追い詰めることができた。
あと数日もあれば落城は確実。義頼の妻子に恨みは無いが、あちらは恨み骨髄であろう。そのままにしておいて、お家騒動の元となっては面倒だ。気の毒だが禍根は断たねばならぬ。
ただ、そばに控える将兵は、里見の譜代。失っては国力を損なう。将兵の助命を条件に降伏を勧告する頃合いかもしれぬ。
そんなことを考えていたときだった。一騎の早馬が駆け込んできた。
「伝令! 伝令! 殿はいずこにござるか!」
「何やつじゃ。騒々しい! 疾く用件を述べよ!」
「三直城主忍足治部少輔が家臣、林佐渡と申す。伊勢方の軍勢、小櫃川を越えました。笹子城、大坪城は既に落城した由にございます!」
「殿!」
「……佐渡とやら、三直の治部に申し伝えよ。3日以内に救援に向かう。本日より3日の後は開城しても恨みには思わぬとな。
皆の者、聞いたか! もはやこうなっては、進むより他に途はない。力攻めにて岡本城を落とし、返す刀で伊勢を討つ! 総攻撃じゃ。ついてまいれ!」
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天正6年(1578年)8月 上総国夷隅郡 小田喜城
あの日の総攻撃? 大成功だったぞ。
引いても挟撃されて死ぬしかないのだ。どうせ死ぬなら、死中に活路を見いだすしかない。私は軍勢の先頭に立って突撃した。
それを見て奮い立った味方の勢いに、半刻ほどで城は落ちた。危険だからと、突撃は止められていたが、こんなに簡単に落ちるならもっと早く動けば良かった。落城後、千寿丸は斬り、義頼の正妻である鶴姫は捕らえて、小田喜の正木大膳の下に送った。
軍に帯同させるわけにはいかんし、使えるかどうかは微妙だが、手札の1つになる可能性もあったからな。
城の守りと人質の護送に、負傷者を中心とした少数の兵を割き、一気に軍を北上させた。
途中、佐貫城で休息をとった折、城主の加藤伊賀守から、池和田の真里谷、土気・東金の両酒井らが中入りし、久留里城に迫っているとの報を受けた。
全く浅ましい連中だ。ただ、あのような連中は、こちらの勢いを見せ付けてやれば、すぐにしっぽを巻いて逃げ出すに相違ない。まずは北条だ。伊勢の軍勢さえ押し返せば、上総の国人衆などものの数ではない。
加藤景信に後詰めを任せた私は、精鋭1,000を率い、夜を徹して進み、明朝払暁、三直の城を囲む伊勢の大軍に突入した。
城兵の夜襲は警戒していたようだが、安房で城攻めをしているはずの私がくることは予想していなかったのだろう。敵兵は恐慌を来して潰走した。追撃で兜首をあげた者も多かったようだ。
私も敵将とおぼしき者を屠ったが、誰かははっきりしない。
こういうときは速度と勢いが大切だ。城にはねぎらいのため使者を派遣して、私自身は逃げる敵兵を追った。時には敵兵を追い越しながら、攻めに攻めた結果、その日の夕刻には、小櫃川を望む笹子城を奪還。『相房和睦』により定められた国境まで、伊勢の軍を押し返した。
翌日。追いついた伊賀守に2,000の兵を与えて笹子の城を任せ、私は小櫃川に沿って南下する。久留里に迫る国人どもを追い散らそうと考えたのだ。
久留里まで一里に迫ったとき、城に火の手が上がるのが見えた。急いで駆けつけ、周囲にたむろした国人どもを撫で斬りにし、溜飲を下げることはできたが、失われた人や財産は戻ってこない。
さらに、悪いことに、笹子城から、城には抑えの兵を残し、伊勢の主力が南下を始めたとの報が入った。焼け落ちた城では籠って戦うはできない。それに、連日鬼神のごとく働いた、一騎当千の軍兵にも、流石に疲れの色が見える。
ここに至って、私はひとまず小田喜に引くことを決断した。
正木大膳の軍を併せ、山中での戦に引きずり込めば、時間は稼げる。いかに伊勢とは言え、利根川・太日川・隅田川の増水する梅雨時になれば、房総に大軍を留め置くことはできまい。
こたびは私の武勇についても十分に示すことができた。口惜しいが、時には引くことも必要だ。私は落城前に落ち延びたとされる母と妹を追って、小田喜に向かったのだ。
「大膳。世話をかける」
「なんの、生前から義弘様より、若のこと、頼まれておりました。こたびは万喜城の土岐弾正少弼が手勢と睨み合っており、若の大事に参陣することが叶わず、面目次第もござらん」
「なんの。何も気にしてはおらん。事前に何も計らなかった私が悪いのだ。それにしても伊勢の忌々しさよ!」
「全くでございます。まあ、佐竹殿も動いておいでですし、伊勢めも二月もすれば兵を引きましょう」
「大膳。その時は頼むぞ」
「心得ましてござる。ただ、戦続きで若もお疲れでござろう。先のことは明日軍議でも開くとして、今日はゆるりとお休みくだされ」
「そうだな、世話になる」
「これ、誰かある! 若を……、いや、殿を屋敷にお連れいたせ!」
「はッ! 上様。ご案内つかまつる」
久しぶりの温かい食事に、柔らかな寝床。張り詰めていた糸が切れたのだろう。私はすっかりと寝入ってしまった。
その夜
(……ん? 何か騒がしいぞ。曲者か!?)
枕元の大小を掴もうと手を伸ばすが、手は空を切るばかり。その上大膳にあてがわれた女もおらぬ。しまったッ! 謀られたか!
血まみれの治郎右衛門が走り込んでくる。
「殿! 正木大膳謀反でご……」
皆まで言い終わらぬうちに、次郎右衛門は切り倒された。
「梅王丸! その首もらいにまいった」
「大膳! 裏切ったな!」
「はっ! 小童が! 誰がお主のような、父の喪も開けぬうちに叔父を暗殺するような鬼子に従うものか!
前々から北条氏政様は、北条家に出仕すれば、長狭郡、朝夷郡をくださるとおっしゃっておった。
良い機会じゃ! 正木家の栄達の踏み台になってもらおうか」
そう言うと、大膳は槍を突き出した。
私が反論する間もなく、槍は心の臓を貫いていた。
千寿丸
後の里見義康。1573年生。官位は侍従。史実では、義頼死後家督を相続する。小田原征伐時に土岐家や原家など近隣の領主を攻めたり、鎌倉を占領したりと勝手なことをしたため、惣領無事令違反に問われ、豊臣方として戦ったにもかかわらず、所領の過半を占めていた上総国を没収された。その後は家康に接近してそれなりに上手く立ち回り、12万石の大名となるが、30歳で死亡。
鶴姫
北条氏政の娘。1,566年生。史実では1,577年の『房双一和(相房御和睦)』の際に里見義頼に嫁ぎ、1,579年に亡くなっている。享年14歳。法名竜龍寿院。※本作では結構重要な役回りになる予定
忍足治部少輔
上総周西郡郡三直城主。本名は不詳。忍足一族は里見家中でもそれなりに高い地位にあったらしい。
林佐渡
忍足家家臣。架空武将。織田家の家老だった林貞秀とは全くの無関係。