第6話 研鑽。そして痺薬
……まただ。
生まれ変わるのは3回目、違和感は甚だしいのだが、四生目ということになるだろうか。
前世は、義頼めとの関係は、間違いなく良好であるように見えた。
にもかかわらず、暗殺計画を練り始めた矢先に、私は毒を盛られた。
これは、義頼めの手が、相当深いところまで伸びている考えた方が良い。
ヤツの手の者によって、日頃からこちらの行動が監視されていたのか、それとも、表裏の者が近くに侍っていたのか。
どちらだとしても、やはり事を成し遂げるのは『人』の力だということを 私は思い知った。人を集めなければならぬ。
こたびは、今までの三生分の記憶を頼りに、最後まで付き従ってくれた本当に信頼のおける大人をなるべく早く周囲に集めよう。それと共に、年の近い少年たちを将来の側近候補として集め、早くから友誼を結ぶことで、簡単には裏切らない忠実な己が家臣団を形成するのだ。その上で、何事も家臣頼みにするのではなく、最悪自分自身でも手を下せるよう武芸を磨く。ここまですれば、そうそう後れをとることはあるまい。母上、桃、待っておれ。今生こそは敵を取ってくれようぞ!
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天正4年(1576年)2月 安房国平群郡 岡本城
私も9歳。今年は前世で命を落とした年齢となった。
今回は今までとはひと味違うぞ。周囲には信用に足る人物を集めてある。
まずは、一生目で死出の旅の供をしてくれた老臣たちだ。ある程度会話ができるようになった段階で、父上にねだって傅役にしてもらった。黄泉路まで付いてきてくれる忠臣たちだ、よほどこちらが悪どいことでもしないかぎり、内通するようなことはあるまい。
さらに、城下に出て、悪ガキどもを集めた。これは伝え聞いた織田信長殿の真似だな。
こちらの身分を隠していたので喧嘩になったが、今まで3生分の稽古はしっかり身についていた。3~4歳年上の連中までは、こともなく捻ってやった。
こっちの強さを見せ付けてから身分を明かしてやったら、忠実な手下どものできあがりだ。
今は一緒に武術の稽古をしたり、学問を手ほどきしてやったりしている。
「同じ釜の飯を食った」っていうのは相当でかい。こいつらも相当なことがない限り大丈夫だろう。
そして、ちょっと触れたが、武芸の腕は相当に向上した。
もともと3回分の下地があったおかげで、幼いうちからそれなりに正しい体の動きができたこと。精神が幼児ではないので強い目的意識をもって稽古ができたこと。幼いうちは物覚えがよいことなども幸いしたのだろう。
8つになったころには、同年代の子は当然相手にならず、体格や膂力に勝る元服間際ぐらいの年上の子とも互角の以上の立合ができるようになっていた。
そこに、また、父上にねだって剣客の伊東一刀斎殿を師匠として招聘していただいた。
腕前か? ふ、ふ、ふ。聞いて驚くが良い。既に初伝はいただいているのだ。これで戦になったときにも簡単には後れを取ることはあるまい。
そして、義頼との関係は前世同様、いや、それ以上に良好だ。なにせ、何に困っていて、何をすれば喜ぶのか、既にわかっているのだからな!
今日は、義頼めの居城である安房岡本城に招かれている。このようにして、両方の城を行き来する関係を作っておけば、いざ事に及ぶときも、疑われる危険は少ないであろう。
「義兄上。本日はお招きいただきありがとうございます」
「梅王丸殿。よくぞいらっしゃった」
「義兄上。日頃より、『梅王丸殿』などという、他人行儀な言い方は、おやめくだされと申しておるではありませんか」
「いや、殿やお方様の耳に入ると色々とな……」
「ここに連れてきた者は、みな私の近習にございます。いくら口を滑らせようと父母の耳に入ることはございませんので、ご安心ください」
「ははは、梅王丸も言うようになったの」
「はい、義兄上」
「「はははははは」」
~四半刻後~
膳を囲みながら、義頼めとの対話を交わす。この会食も、もう何度目になろうか。お互い慣れっこになっているので、かなり深い話も平気で出る。こちらは警戒しているから、出さないことも多いが、向こうは信用しきっているようにしか見えない。
それにしても、つきあえばつきあうほど、義頼めは敵とするには惜しい男だとしか思えぬようになってくる。なにしろ、父上より、先が見えておるし、冷静で知的だ。
漢の陸賈は、高祖に「馬上で天下を取っても、馬上で天下を治められようか」と説いたという。
間違いなく父上は天下の勇将ではあるのだが、祖父である故義堯様と違って、内政や外交といったところはかなり弱い。戦に勝ち、領地を広げることはできようが、それを治めたり維持したりするためには、義頼のような者が欠かせないのだ。
この2人、生まれる順番が逆であったら、もっと里見の家は栄えていただろうに……。
そんなことを考えながら歓談していたとき、私は箸を取り落とした。
拾おうとして、手を伸ばしたものの、思うように手が動かぬ。
(毒か! 謀られたか!)
そう思い、義頼を「きっ」と睨むと、ちょうど義頼も、顔に驚愕の色を浮かべながら、倒れていくところであった。
思うように動かぬ体にむち打って、辺りを見回せば、毒味役も転がっている。どうやら全員の食事にしびれ薬か何かが仕込まれていたようだ。その時、襖が開け放たれると、10人ほどの賊が侵入してきた。侵入してきた賊は、同じく倒れた義頼を尻目に、私に斬りかかってきた。四生目の記憶はここで途切れている。
伊東(伊藤)一刀斎
一刀流の開祖。生没年、出身地不詳。「瓶割刀」の逸話がある。弟子に古藤田俊直(唯心一刀流の祖)、小野忠明(小野派一刀流の祖)らがいる。
安房国
現在の千葉県南端部。上総国から分割された。太閤検地で4万石(後9万石)。関東どころか全国でも屈指の小国。房総里見氏発祥の地で里見=安房のイメージが強い。だが、見ての通りの生産力と言うこともあり、里見氏が戦国大名化してから本拠が置かれた時期は意外に短い(※事実、曲亭馬琴の名作も『南【総】里見八犬伝』)。安房郡(中央)、平群郡(北西)、長狭郡(北東)、朝夷郡(南東)の4郡があった。
平群郡
安房国の北西部にあった郡。江戸期以降は平郡と呼ばれた。現在の千葉県安房郡鋸南町の全域と館山市、南房総市の一部が郡域
岡本城
千葉県南房総市富浦町にあった城。里見義頼、里見義康時代に里見氏の本城だった。湊に隣接しており海城としての性格ももつ。里見氏が安房1国に減封された後は、領地の北に偏り、城域も広すぎて不便になったことから、館山城が築かれ、廃城となった。