第5話 反省。そして計画
……またか。
目が開かないし暗闇で全く周りが見えない。暑くもないし寒くもない。ふわふわと浮いているような感じがする。時折遠くから母上の声が聞こえるし、父上や岱叟院様の声も聞こえる。
この感覚は2度目、いや、記憶にないだけで、おそらく3度目なのであろう。
どうやら私は、また生まれ変わるらしい。此度も『梅王丸』として生まれられるかはわからぬ。しかし、もし『梅王丸』として生まれられるとしたら、今度こそ、今度こそは敵を討たねばならぬ。此度も命はあったようだが、これが無限に続くとは限らぬのだ。
私は合計で20年に満たないとはいえ、2回の人生を送ってきた。どうすれば失敗をせず、本懐を遂げることができるのか、考えるのだ。御仏の御慈悲がまたあったのだ。考えねばならぬ。今ならば考える時間はたくさんある。すぐに眠くなるのは難点だが、今は寝ることと考えること以外にすることもない。うまくいかなかった二生分の経験を糧に策を練り、敵を討つまでの道筋を定めなければならぬ。
1回目の人生の失敗の原因は何か。家中の者どもに、己の力を示せなかったことだ。これは、前回の人生で対策を練り、半ばうまくいった。
では、2回目の人生の失敗は何か。大きく分けて2つある。
1つ目は神仏の加護を過信してしまったことじゃ。
生き返れたのだから加護があるはずと思ってしまったことは責められぬ。怪我もするし、切られれば死ぬ。これがわかったことを幸いと考えよう。しかし、家督を継げなくなったことで、父上の命を縮めてしまったことは痛恨の極み。これは何とかせねばならぬ。
2つ目は、後先を考えずに騒いでしまったことじゃ。
状況を確認せずに義頼憎しで騒いだことで、両親に一生目の無念を『子どもの夢』扱いされ、本当のことを話していると理解してもらうのに長い年月がかかった。その上、理解してもらった時には、話が大きくなっていて、義頼に警戒を与えてしまった。
2回目に殺された時の山賊の太刀の腕前は、かなりのものであった。おそらくあの山賊は義頼の手先であろう。潜在的な敵である私を亡き者にすることで、家督の継承を確実にし、将来のお家騒動の根を絶つことを目的に、山賊に見せかけた討手を、あそこで待ち伏せをさせていたのであろう。
「潜在的な敵」という点から考えると、確か母上も懐妊中だったはず。身籠もっていたのは1回目の人生と同じなら妹だ。しかし、生まれるまでは男女の区別はつかぬ。父上が身罷られたとすれば、母上も義頼の手にかけられてしまったに違いない。
私は、敵を討つために、うまく立ち回ろうとした結果、敵を取るどころか、母の命を縮め、桃はこの世に生まれ落ちることすらできなくしてしまった。
悪い結果を良くしようとあがいて、本来よりも悪い結果となっていては世話はない。
御仏はまた私に御慈悲を下されたようだが、こんなことはそう何度も起こることとも思えぬ。こたびはしくじるわけにはいかぬ。二生目でうまくいったように、まずは私を神童として認めさせる。そのうえで普段は義頼めを慕っているようなそぶりを見せて、やつを油断させ、毒でも盛るか、闇討ちするかでもして密かに亡き者にしてしまおう。
よし、することは決まった。こたびは決してしくじるまいぞ!
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永禄11年(1568年)2月 上総国望陀郡 久留里城
「この子はほとんど泣かないのう。」
「でも、何かしてほしいことがあれば、手を叩いたり、指さしたりできるのです。」
「誠か!? 何と聡い子じゃ!!」
……また同じ話じゃ。まあ、私にとってみれば同じことの繰り返しであっても、両親にしたら初めての出来事。覚えている話を聞くのは退屈ではあるが、致し方ない。
「流石は八幡太郎義家公に連なる里見の子じゃ!」
「ええ、八幡太郎義家公に連なる足利の子でございますれば!」
「「ははははははは」」
「いや、この子は天下に名をとどろかす名将になるぞ!」
「ええ、誠に。
健やかに育つのですよ。梅王丸」
退屈ではあるが、時間はたっぷりある。義頼め、どのように殺してくれようか、くっくっくっ……
「……奥よ。わしには梅王丸がとても悪い顔をして笑っているように見えるのだが。気のせいか?」
「……殿。私の目が変になったのでございましょうか?私も梅王丸がとても悪い顔をしているように見えます。目を洗ってまいりましょうか」
ま、まずい。顔に出てしまった。こんなことで計画を破綻させるわけにはいかん。わ、笑わなくては!
「……きゃはははは!」
「……気のせいだったようだ」
「……そのようでございますね」
「奥よ。わしは、ちと疲れているのかもしれん」
「殿。私も疲れているようでございます」
「今日は早く休むとしよう」
「私もそういたします」
あ、危なかったぁ!
何とか誤魔化せたようじゃ。それにしても、表情にも気をつけねばならぬとは……。時間があるとはいえ前途多難じゃな。
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天正4年(1576年)6月 上総国天羽郡 佐貫城
ふっ、ふっ、ふっ。苦節9年。いや全て足せば苦節23年か? 何はともあれとうとう事が成りそうじゃ。
何があったか?
まず、今生も、神童ぶりを発揮し「里見家に梅王丸あり!」と周囲に認めさせることができた。
そして、ここからが前回とは違う。今生は、義頼めを悪し様に言うことはせなんだ。逆に、何かの機会で会うたびに「義兄上、義兄上」と纏わり付き、話を聞いては「すごい、すごい」ともちあげてやった。口惜しいことではあるが、大事を成す前に小事に囚われることはできぬ。臥薪嘗胆の思いで、義頼めに懐いたように振る舞ってやった。養子と実子の複雑な絡みがあるとはいえ、幼子に慕われて面白くないはずがない。義頼めはすっかりとほだされてくれた。
これは予想以上に上手くいった。企てを考えた当初は、義弘と義頼めが険悪な関係であれば、そもそも会うことすらできないのではと危惧していたのだが、それは杞憂であった。
1生目では、両者の関係は険悪な印象しかなかったので気付かなかったが、どうやら私が生まれた後に二人の仲が悪化していったらしい。まだ、この時点では先代の義堯様が御健在でいらっしゃったことも幸いした。
こんなふうに私が慕うものだから、父だけでなく母の態度も柔らいでいる。敵を欺くにはまず味方からと言うが、こんなに簡単にだまされる両親は、この戦乱の世を行く抜く武家の当主と正妻として果たしてどうなのか。心配になってしまう。
それにしても、一生目、二生目では、悪口しか聞かなかったものだが、今生では母の口から義頼めの褒め言葉すら出るのだから、人の心は面白いものだ。
母の態度が軟化したこともあって、義頼はすっかりだまされてくれたようだ。
自分で言うのは気恥ずかしいが、いかに神童と称されているとは言え、このような幼子に父上との関係に悩んでいることを相談してくるのだから本物だろう。
機は熟した。毒の手はずを整えねばならぬ。
と計画を始めた矢先、私は倒れた。
飯を食った後に体がしびれ、吐いたところまでは覚えているので、おそらくは毒を盛られたのだろう。そして、そのまま三生目は終わった。




