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第3話 予言。そして湯起請

 天正2年(1574年) 7歳になった正月。とうとう宿願の果たされる日が来た。


 4年前、前世の話を両親に初めてしたとき、まだ起こっていないことを、当たり前のことように話してしまったのは大失敗であった。怒り狂う両親(主に母上)をなだめるため、前世の話を『夢の中での出来事』と話さざるを得なかったからだ。

 そのせいで、何度話をしても、父上も母上も、「また怖い夢を見たのじゃな。大丈夫じゃ大丈夫じゃ」と言うばかりで取り合ってもらえなんだ。


 これでは以前の二の舞。如何すべきかと途方に暮れていたとき、上方より大事件が起こったことが伝わってきた。


 織田信長による叡山焼き討ちじゃ。


 実は、私にとってみれば「ああ、そんなこともあったなぁ」程度の出来事であったが、世間ではそうではなかった。辺りを見回せば落ち着いているのは私だけで、遠国の出来事であるにも関わらず、暫くはその話題でもちきりであった。


 私は気が付いた。私は未来のことを知っている。その未来の知識をもとにして、これから起こることを予言していけば、今までしてきた私の話も荒唐無稽な夢の話ではなく、将来起こることだと信じてもらうことができるであろう。そして、悪逆の義継(義頼)めを討ち果たすことができるであろうと。



 幼い時のことであったため、元亀年間のことを思い出すのはなかなか骨が折れたが、元亀3年(1572年)の12月に三方ヶ原合戦が起こってくれたことで、あやふやながらもその後の流れを思い出すことができた。




 武田はいつ上洛を成し遂げるであろうか。上洛後、坂東の情勢はどうなるであろうか。このまま同盟を継続すべきか。などといったことを検討し合う大人たちに向かって、




「武田は、岡崎どころか浜松も落とせませぬ。奥三河で進軍を止め、本国に引き返ことになりましょう。なぜなら、信玄公が病に倒れ、早々に身罷るからでございます」




 と話したところ、稚児ちご戯言ざれごとと一笑に付された。




 が、破竹の勢いだった武田の足が止まると風向きが変わった。


 ここで一気に畳みかける必要があると思い、今年(1573年)中に起こる足利義昭(公方さま)の追放や、朝倉家・浅井家の滅亡、天正への改元を予言してやった。


 皆、半信半疑の様子ではあったが、夏を過ぎると次々に的中していくものだから、どんどん皆の雰囲気が変わってきた。そして、幾人もの者から、なぜわかるのかと聞かれたが「生き返った」などと話しても信じてもらえるまいと思い「御仏が枕元に立ち、教えてくれた」と話しておいた。それを聞いた両親は『神仏の加護を受けた子』と大喜び。義継(義頼)が謀反を起こし、我々が殺される話も信じて貰えた。


 両親の動きは速かった。あっという間に義継(義頼)追い落としの動きが始まった。


 今まで遅々として進まなかった策がたちまちの内に形になるのを見た私は、喜びよりも驚きの方が大きかった。


 しかし、考えてみれば当然か。養子で実力も実績もある弟とはいえ、実子の可愛さには劣る。さらに、神童と言われるほど利発な上、予言という神通力をもつ優秀な息子が、将来の謀反を予言しているのだ。仮に出任せであったとしても、血のつながった息子のために動きたくなるのが人の常。これを機会に追い落としてしまえと考えるのも当然であろう。


 これで残る障害は岱叟院(おじい)様(※里見義堯)のみ。岱叟院様にとってみれば義弘(父上)義継(義頼)めも、かわいい我が子。(梅王丸)は直系の孫。天文の内訌ないこうを戦った岱叟院様は、同族で戦うことの影響をよく御存知だ。双方の周旋に努めていらっしゃったが、こうなってはもはや止めることは難しい。


 一族の血で血を洗う戦いを何とか避けようと岱叟院様が提案されたのが湯起請ゆぎしょうであった。「他の者には聞こえぬ神仏のお言葉を伺うことができるということは、梅王丸にはその加護があるはず。ならば湯起請をしても問題はないであろう」ということだ。



 七歳の幼子に『湯起請』などと言えば、恐れて引き下がると思われたのかもしれぬ。しかし、そうはいかぬ。御仏は私に生まれ変わりという大きな慈悲をくだされた。これは、私に神仏の加護があるという証。加護を受けた者が、神仏に真理を尋ねる湯起請で、負けるなどということがあろうか。


 明日は皆に真実の存するところを知らしめ、きっと義継(義頼)めに引導を渡してくれようぞ!











里見義堯(岱叟院)

主人公 義重(梅王丸)の祖父。従兄弟の義豊と争った天文の内訌ないこうと呼ばれるお家騒動を経て、家督を継承する。その後は、外交努力と軍事力で、4万石ぐらいしかない安房1国から、最大で上総の大半と下総の一部を勢力圏とする中堅大名にまで、勢力を拡大させた、里見家中興の祖。なお、家督相続の際に、北条氏綱の支援を受けるが、その後に断交。以後北条家と里見家は仇敵のような関係となる。何があったのかは不明だが、北条氏康が和睦を求める手紙を送ったときの義堯の返書によると、何かの違約があった模様。生きている間は本城を含む重要拠点を何か所奪われても、北条と和睦することはなかった。



湯起請

 釜に沸かした熱湯の中に物(※今回は石)を入れ、何事もなく掴み取れれば、神仏の加護があるので正しい。掴み取れなければ、誤り。という神前裁判の一種。

※作者は、若い頃の織田信長もやった事があるという逸話を見た事があります。

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