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第21話 降伏。そして別離



 天正18年(1592年)9月 相模国 西郡(足柄下郡) 小田原城


 私の活躍は凄まじかったようだ。


 聞くところによると、伊豆近海で行われた数回の海戦で失われた豊臣方の将兵は、合計1万を超えたらしい。


 それだけではない。なんと、直接手にかけた加藤左馬助を含め、万石以上の大名が、3名も討ち死にしていたそうだ。



 しかも、駿河湾から遠州灘を中心に、港や街道を狙った海賊働きもしていたから、水路も東海道もまともに使えず、兵糧の運搬に大変難渋したらしい。



 豊臣方は、「根拠地を潰せばどうにかなるのでは?」と、考えたのであろう。


 しばらくすると陸路で下田に攻め寄せたてきたが、下田城は2か月の籠城に耐えた。



 下田城は城域が狭く、元来大軍が籠もれる城ではないから、2か月も経つと、流石に苦しくなって落城したが、最後も夜陰に紛れて、全員で伊豆大島に脱出してやった。


 しかも、火薬と火種を組み合わせて、時間差で火が付くような仕掛けをしてきたため、城内に乗り込んだ敵将が火に巻かれて死んだそうだ。



 このように私は獅子奮迅の働きだったのだが、他は上手くいかなかったようだ。


 7月の段階で、残る北条方の支城は、韮山、岩殿、忍の3城のみ。そして、これらの城も7月中には全て開城した。



 ここに至って、小田原の氏政()殿、氏直(義兄)殿も、降伏を決意された。そして、己の切腹を条件に交渉を始めたところ、豊臣方から突きつけられた切腹すべき者の一覧に、私の名前があった。そういうわけだ。




 戦で一度たりとも負けておらぬ自分が腹を切らねばならぬのは、何とも口惜しいことではあるが、致し方ない。


 いまだに私には、万余の兵が残されているとは言え、兵たちのふるさと房総は、既に豊臣方に占領されてしもうた。


 ここで意地を張っても、脱落する者が増えるだけだ。


 これだけ頑張っても勝てなかったのは、私が付く側を間違えた。そういうことだろう。



 まあいい。これだけの活躍をしたのだ。里見家の面目は立った。これだけの武勇を見せつければ、残った将兵たちは仕官の口には困らないだろう。


 ただ、後々のことを考えて、残していく将兵や家族のことは誰かに頼んでおきたい。




 そう考えた私は、直接小田原に出向くのではなく、小田原の東、国府津こうづに軍を上陸させた。そして、寄せ手の大将に降伏の使者を送った。


 その相手とは、旧知の徳川殿であった。





 徳川殿に連れられて、単身石橋山に乗り込み、秀吉に詫びを入れ、己の切腹と引き替えに、将兵と家族の助命についての保証を得た。


 そして、切腹に備えて、使者とともに、小田原城に単身舞い戻ったのだ。





 その後の数日間は、短くも長い数日間となった。


 小田原に入れていた()、4人の子どもたち、母上、桃とは、睦まじく過ごすことができた。


 思えば、私は寸暇を惜しんでは、仕事なり稽古なり、何かしらしておった。このように家族水入らずで過ごすのは初めてかも知れぬ。


 永遠に続いてほしい心おだやかな時であったが、それも終わりはくる。



 小田原城下の徳川殿の陣中に移された私は、氏政()殿、氏照(義叔父)殿とともに切腹することになった。









義重(婿)殿」


「どうなさいましたか? 義父上ちちうえ


「おお! かように迷惑をかけてしまったのに、まだ『ちち』と呼んでくださるか!」


「兄上、良い婿をもたれたものじゃ!」


「まことじゃのぉ。氏照!」


「なんの! あれだけいがみ合っていた里見の男を、婿として迎えてくださった上、その後も皆様に大変良くしていただきました。それに、こたびの戦働きとて、北条に付くと決めたのは私でござる。お気になさいますな!」


「……しかしのう、今だから言えるのじゃが、最初はお主が末恐ろしく感じてな、密かにあの世へ送ってしまおうかと思ったこともあったのじゃ。己の不明を恥じるばかりじゃ」


「ああ、そのことでございますか。お気になさいますな。全部存じ上げておりました」


「「…………は、わははははははっはっは」」


「いや~、一本取られたわい」


「まことに。ここまで底知れない婿殿でござったとは!」


「ますますここで死なせるには惜しい男じゃ!」


「お! 義父上ちちうえ義叔父上おじうえ、検死役が参ったようですぞ」


「おお、さようか! ……でも、良かった。最期に面白い話が聞けたわい」


「まことに。では、まず、ワシから参るとしよう。義重殿。最後まで迷惑をかけるが、お願い申す」


「は、義叔父上おじうえ。しっかりと務めまする」




 氏照殿は十文字に、氏政殿は三の字に、どちらも作法に則った立派な切腹をなされた。


 介錯を務めたのは、両者とも私だ。



 さて、最後は私の番だ。年長者が古式に則って行ったのだ、私も負けてはいられぬ。


 三宝の上の短刀を取り、肌脱ぎになった私は、真一文字に短刀を動かす。


 そして、短刀を三宝に戻した。


 辺りがざわめき、介錯を求める声が聞こえた。


 それを聞いた私は叫んだ。




「介錯不要!」




 私は脇に置いた刀を取ると、己の首に押し当て、勢いよく引き下げた。



 周囲の景色が回転する。




 最後まで一刀流が役だってくれたことに感謝をしながら、私の意識は失われていった。





















韮山、岩殿、忍

 韮山城:静岡県伊豆の国市にあった城。小田原に拠点を移すまで、北条(伊勢)氏の本城だった。小田原征伐時は北条氏規が城代を務め、小田原開城直前まで戦った。


 岩殿城:この世界線では甲斐は北条領なので、頑張っているという設定。武田勝頼が立てこもろうと考えたことで知られるが、徳川家も江戸が攻められた場合の最後の砦と考えていた節がある。

 巨大な岩山なのに、なぜか山頂に水場があるとんでもない城。近代兵器無しでは、どうやって攻めたらいいか。私にはわかりません。


 忍城:埼玉県行田市にあった城。『のぼうの城』で有名になったが、小田原開場時に唯一落城していなかった北条方の城。秀吉-三成が水攻めにこだわりすぎたことが原因とはいえ、貴重なのは間違いない。



国府津こうづ

 現在の神奈川県小田原市国府津。相模国府の港があったことから名付けられた。地域的には小田原市の東部だが、酒匂川より更に東側に位置し、小田原城の包囲網の外であった。



 次話も明日朝7時過ぎに投稿します。

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