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登場人物並びに設定資料

 1章時点での設定です。2章以降に登場した人物は、各話の後書きに記載しました。※8/29日変更しました。


※本作はフィクションです。史実とは異なる記述もありますが、故意に行っておりますので、ご理解ください。

里見義重(梅王丸)

 主人公。父は里見義弘。母は古河公方・足利晴氏の娘(松雲院)。

 里見家の嫡男として生まれ、幼くして家督を相続するが、叔父で義兄の里見義頼に攻められ、母・妹とともに、自死を強要される。その後、なぜか生まれる前に戻ってやり直せることになり、叔父義頼への復讐と、母と妹を救うことを目指して奮闘することになる。

※出生年が完全には明らかでないことを幸いとして、本作では1,568年を生年に設定しています。ご都合主義ですがお許しを。



里見義頼 ※義継(刑部大輔)

 主人公の叔父で義兄。里見義堯の末子であったが、子のいなかった兄・里見義弘の養子となり、義継を名乗る。外交面軍事面ともに優れた後継者だった。ところが、40を過ぎて義父・義弘が正妻との間に梅王丸をこさえたことで、疎んじられるようになり、名前も義頼に改名させられる。しかし、後継から外されることには、義頼だけでなく家臣も納得していなかったため、義弘の死後、内乱を起こす。

※義弘の庶長子説もありますが、本作では弟・養子説を採用しました。



里見義弘(左馬頭)

 主人公の父。里見義堯の長子。関東副帥かんとうふくすい(※副将軍)を名乗る。軍事面に優れ、数々の合戦で勝利をつかむ。三船山合戦など、寡兵で大軍を打ち破ることもしばしば。反面、外交・内政面では失敗が多い。晩年にできた実子に家督を相続させようと図り、お家騒動を招いたことなどは、その最たる例。「梅王丸に上総を、義頼に安房を」などという玉虫色の裁定をしておきながら、大酒飲みが祟って突然死したことも、評価を下げる要因。



松(松雲院)

 主人公の母。古河公方・足利晴氏の娘で、里見義弘の継室(※後妻)。現公方・足利義氏は、異母兄弟(という設定)。夫・義弘同様、義子・義継(義頼)を疎んじ、梅王丸を後継にしようと図り、お家騒動の原因を作る。

※本名が伝わっていないため、『松』は高野山に残る戒名から創造しました。誰か正式な名前を知っていらっしゃったら教えてください。



 主人公の同母妹。幼女。父の最晩年に生まれたため、父については全く覚えていない。

※本名どころか戒名もわからなかったため、名前は完全な創造です。誰か何か知っていらっしゃったら教えてください。母とともに死んだというのが定説のようですが、東金方面に嫁いだという説もあるようです。



正木憲時(大膳亮)

 朝倉宗滴にも高く評された槍大膳・正木時茂の末子。兄・信茂が第二次国府台合戦で討死にしたのを受けて、小田喜(大多喜)正木氏を継ぐ。猛将として知られ、三船山合戦では、義弘と並ぶ勝利の立役者。天正の内乱でも義頼方の勝浦正木氏を破り、安房まで攻め込むが敗戦。居城に戻ったところを家臣に裏切られ、討たれた。



正木頼忠(左近太夫)

 勝浦正木氏(正木左近家)の当主。先代時忠の5男で小田原に人質に出されていたが、兄の時通、父の時忠が相次いで死んだため、勝浦に戻り家を継ぐ。天正の内訌では義頼方として戦う。娘は家康の側室として紀州頼宣と水戸頼房を産んだ、お万の方(養珠院)。



加藤信景(伊賀守)

 佐貫城代。主人公の傅役もりやく。佐貫城落城時に主人公に殉死する。



玄蕃・監物・民部・豊前

 隠居の老将。家督を子どもに譲っていたため、佐貫城落城時に主人公に殉死を認めらた。

※ほとんどは架空の武将。ですからWikipediaで調べても出てきません。



日我

 日蓮宗富士門流の僧侶。安房国 保田妙本寺 第14世。里見義堯の深い崇敬を受け、里見氏と深い関係を築く。



岡本元悦(但馬守)

 里見家の武将。主に外交を担当することが多かった。元悦げんえつは出家名。



伊勢(北条)

 小田原の後北条氏は伊勢氏の出。開祖の、いわゆる北条早雲の時代には、北条を名乗っておらず、氏綱の代に改めた。そのため、関東の敵対する大名・国人領主たちは、『よそ者』との蔑みの気持ちを込めて、『伊勢』と呼び続けた。



佐貫城

 千葉県富津市佐貫町にあった城。里見義弘が本城とした。江戸期にも使用されていた。



小田喜おだき城(※大多喜城)

 千葉県夷隅(いすみ)郡大多喜町にあった城。大多喜正木氏の本城だった。現在の城は、家康の関東入府後に本多忠勝が築城したもの。里見時代の小田喜城の位置については諸説ある。現在は跡地に模擬天守が建ち千葉県立博物館となっている(現在休館中)。



勝浦城

 千葉県勝浦市八幡岬にあった城。勝浦正木氏の本城で、水軍とも関係の深い海城だった。家康の関東入府後に廃城。



上総国

 現在の千葉県中南部。ふさの国が上下に分割された。現在は『かずさ』だが、語源的には『かみふさ』なので『かづさ』と振り仮名を付けている。南が「上」なのは、元々の旧東海道が相模の走水から富津へとつながるルートで、こちらの方がみやこに近かったため。



天羽郡

 上総国の南西部にあった郡。現在の富津市のほぼ全域。



夷隅郡

 上総国の南東部にあった郡。現在も残る夷隅郡全域と勝浦市、いすみ市が郡域。

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