第1話 落城。そして自害
本作はフィクションです。史実とは異なる記述もありますが、故意に行っておりますので、ご理解ください。
※年齢は数え年で書いています。
※里見義重の生年は1,568年(永禄11年)に設定しました。
※里見義頼は義弘の弟説を採用しています。
※後北条氏は基本的に『伊勢』と記述します。
天正九年(1581年)3月 上総国天羽郡 佐貫城
私は安房上総の国主、里見左衛門佐義重。幼名を梅王丸という。今年で14(※数え年)になった。
父方は清和源氏新田流の名門里見家。母方は同じく清和源氏古河公方足利家。新田・足利双方の血を引くという、これ以上ないくらい素晴らしい血統をもった私だが、今、最期の時を迎えようとしている。
居城である佐貫城は、叔父にして義兄にあたる里見刑部大輔義頼の大軍に十か月もの間、包囲されている。
父の代からの本城である、この佐貫城は、房総三国でも屈指の堅城である。
とは言え、断続的に続く1年近い籠城に耐えられたのは、それだけが理由ではない。城外の味方の存在あってこそだ。
「いつか助けが来る」その思いで、今日まで耐えてきた。
しかし、その希望も先日潰えてしまった。宿老、正木大膳亮憲時の籠もる小田喜(※大多喜)城が家臣の裏切りで落城し、大膳亮も討たれたとの報が入ったのだ。
昨年、寡兵ながらも、敵の重鎮、正木左京太夫頼忠を破り、居城の勝浦城を落として安房に侵入した時には、「流石は天下に名高き槍大膳の子」と城内も大いに湧いたものだが、中上総の一大拠点である久留里城を落とした敵の主力が出てくると、さすがの大膳も衆寡敵せず敗退。雪辱を期すべく、根拠地の上総夷隅郡に戻った矢先の出来事であった。
北条との戦の拠点として父、里見左馬頭義弘の整備したこの城なら、このまま守っていても後数か月は余裕で耐えることだろう。
しかし、いくら長く耐えようがそれまでだ。
房総の内で援軍を出せるような義理や力のある国人衆はもういない。唯一対抗できるのは小田原の伊勢めだが、刑部大輔の正室は伊勢の当主氏政の子。敵にこそなれ味方をする義理は塵ほどもない。
無駄な戦は皆を苦しめる。そう考えた私は、降伏を決意した。
重臣たちとの談合の末、私の命と引き替えに将兵を助命することを条件に開城の交渉が始まった。
結果として、その条件は、1点を除いて認められることとなり、昨日交渉がまとまった。
本日は別れの宴だ。
包囲する敵からの差し入れもあったし、今までの労に報いるため蔵を開いたことから、宴は思わぬ盛況となった。賑やかな宴は死出の旅に赴く私たちの心を和ませてくれた。しかし、終わりが近づくにつれ、そこかしこから嗚咽が漏れるようになり……。
そして、遂に別れの時がきた。共に戦ってきた兵たちが、苦しみに耐えてきた女房たちが、本丸を退去してゆく。中には泣き崩れる者もいるが、気丈な者に促され、あるいは支えられて下がっていく。
一刻ほどもすると、人であふれていた広間も閑散としてきた。
つい先程までは、女の嘆き悲しむ声や、すすり泣きも聞こえていたのだが、宴の終わった今は静かだ。
残っているのは、自分の他は、母と幼い妹、家老の加藤伊賀守信景他数名の老臣、そして、わざわざ駆けつけてくださった妙本寺の日我上人と、刑部大輔から検死役として送られてきた、岡本但馬守元悦のみだ。
死出の供を願うものも多くいたが、許さず城外へ出した。
彼らの心意気は嬉しいことではあるのだが、不利を承知でここまで従ってくれた忠臣たちだ。なにも報いることができない上に、その家族まで路頭に迷わすわけにはいかない。
供が叶わないのであれば先に死ぬと言って切腹しようとする輩も出たが、家族の話をして説得したところ、泣く泣く聞き入れてくれた。
それでも子どもに家督を譲り、隠居の身である者のうち数名は、どうしても納得せず、仕方なく供を許すことになった。
(この期に及んで、私の命はないものと覚悟はしていたが……。まさか、母や妹の助命も許されんとは……。義理とはいえ、刑部大輔にとっても母と妹。それほど恨まれていたとは思わなんだわ。)
宴の後が清められ、死出の準備が整ったことを確認すると、岡本但馬守をキッと睨み付け、母が口を開く。
「但馬! 刑部にしかと申し伝えよ! 亡き前副帥(※里見義弘)様の遺命をないがしろにし、国を欲しいままに弄んだこの恨み、決して忘るまいぞ! わらわ、死後は悪鬼となり、きっと刑部大輔家を潰してくれようぞ!
義重殿。母と桃は先に前副帥様のもとに参ります。母は女ゆえ恨み言の一つも申しましたが、そなたは立派につとめを果たして参るのですよ。
ささ、桃。兄様にお別れを」
「あにさま。さようなら」
「……ああ、桃、つらい思いをさせてしまう。すまない。ふがいない兄をゆるしておくれ。だがな、寂しがることはないのだ。兄もすぐ参る。その時までお題目を唱えて待っていなさい。
母上、しばしの別れでございます……」
「ご立派なお言葉じゃ。伊賀、義重殿のこと、頼みましたよ。いざ!」
母は、小太刀を手に取ると、妹の胸を貫いた。
一瞬強ばり、そして徐々に力が抜けていく妹の体を抱きしめ、床に寝かせると、自らの胸に刃を押し当て、そしてそのまま前に体を倒した。
「お方様! 御免!」
白刃が振るわれ、母の首が落ちる。
「お見事!」
「……おいたわしや」
「南無妙~法~蓮華~経~」
様々なつぶやきが漏れる。
「伊賀、迷惑をかけたな。それから、玄蕃、監物、民部、豊前。いたらぬ私をここまで良く支えてくれた。礼を言う。……その方たちの忠誠に応えることもできず、死出の供をさせるしかない、この愚かな私を許してくれ」
「……なんともったいないお言葉!」
「若様。頭をお上げください!」
「若様、気にすることはございませんぞ!、我々が自ら望んだのです。」
「死に損ないがこんなときに死にはぐっては、向こうで大殿に合わす顔がございません。」
「我らへの褒美は、あちらで大殿からたんまりと頂戴いたしますで、若は心配ご無用ですぞ!」
褒美の話に、皆から、笑いが漏れ、暗くなっていた空気が変わる。
(良い家臣をもった。さあ、今度は私の番だ。母上がおっしゃるように堂々とせねばならん。このまま一気にいこう。)
私は筆を取り、辞世を書き付けた。
『潮風に佐貫の里の梅ぞ散る頼るものなきこの身なりせば』
母は「立派につとめを果たせ」とおっしゃった。私もつい先刻までは、綺麗に逝くつもりであった。しかし、今ははらわたが煮えくりかえっている。この感情を表に出さないようにするので必死だ。歌にもその思いが現れてしまった。
(母上、立派に勤めて参りますので、このくらいはお許しください。あなたに刺された桃の目を見ておりました。私や、百歩譲って母上の命を絶つことは、里見家のために仕方がないかもしれません。しかし、幼気な桃を殺す必要があったでしょうか! あまりにも非道! この気持ちは抑えられません。ああ神仏よ! どうか、あと少し、あと少しだけで結構です! この怒りを誰にも悟らせないでください。誰にも悟らせずに、私を迎え入れてください!)
私は、肌脱ぎになり、三宝に載せられた匕首を取る。そして、腹に突き立てると、真一文字に切り裂いた。
(勢いでここまでは行ったが、痛みでおかしくなりそうだ。十文字は無理か!? いや、為さねばならぬ。私の力よ保ってくれ!)
歯を食いしばり、気力を振り絞って匕首を引き抜き、今度は縦に突き立てる。そして、引き下ろした。
意識が薄れる。
「速う! 速う! 介錯を!!」
「若様! 御免!!」
誰かの叫ぶ声がする。
(覚えておれよ叔父ご! いや、義頼! いつか、いつか、きっと、この恨み晴らしてくれようぞ!)
私の意識は闇の中へ落ちていった。
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母上や父上に呼ばれているような気がして気がついた。
あれ? 腹が痛くない。
どうやら無事に介錯は終わり、あの世とやらに着いたらしい。
ただ、目が開かないし暗闇で全く周りが見えない。私は地獄に落ちたのだろうか?
親より後に死んだので餓鬼道ということはないだろうが……。しかし、ここは暑くもないし寒くもない。ふわふわと浮いているような感じだ。
しばしば母上の声が聞こえる。時折、遠くから、死んだ父上や、祖父、岱叟院義堯入道様の声も聞こえる気がする。もしかして、これが極楽なのか。
しかし、相変わらず真っ暗だし、身動きもとれない。できるのは眠ることぐらいだ。それにしてもやることがないせいか、異様に眠い。まあ、痛かったり苦しかったりするわけではないので、眠くなったら抵抗せず寝ることにする。
この思索と微睡みの時をどれだけ送っただろうか。ある日唐突にそれは終わりを告げた。
さらしで巻かれたうえ、怪力の大男に両側から引き絞られているような締め付けが、私の頭を襲った。その強烈な痛みがしばらく続いた後、突然周囲が明るくなった。
そして、大きな手に持ち上げられた私の発した最初の言葉は
「おぎゃー」
であった。