機内食エッセイ(そのまんまな件)
テーマ「機内食」「エッセイ春祭り」参加作品です。
こんばんは~ひだまりのねこですにゃあ。
さて今回は他でもない、テーマ「機内食」「エッセイ春祭り」参加作品なのです。
だが「機内食」だと……!? 数えるほどしか食べたことがない私に書けるのか?
私は30秒ほど悩んだ末に結論を下したのです。書けると!!
私に書けぬものなどにゃいわ。にゃふふ。
というわけで、今日は「機内食」のお話。
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……とはいうものの、機内食は専門外。
経験豊富で機内食の写真集まで持っているとなると、主催者さまは、現行の機内食についてはおそらくほぼほぼ知っているだろうし。
こういうときは歴史から攻める。それが常道。
調べてみると、国内で初めて提供された機内食は、昭和26年(1951年)日本航空の(東京〜大阪〜福岡)国内線。
東京ステーションホテルで調理されたボックスサンドイッチ、そして魔法瓶に入れられた紅茶とコーヒーが自転車で銀座の日本航空の営業所まで届けられ、それを乗務員さんたちがバスで空港まで運んでいったらしい。
なんだかほのぼのとした感じがしてたまらない。ホテルのサンドイッチ美味しいんですよね。
でも、ここで引っかかる。
なんで東京ステーションホテルなんだろう?
さらに調べると、東京ステーションホテルの野間口英喜という人物が取り仕切ったということ。
ん……? 野間口英喜? あれ……この名前知っている。
調べたらやっぱり同じ人だった。
満鉄こと南満洲鉄道株式会社の理事で満州国内の観光促進に尽力した人。
この方、世界中の鉄道や航空事情を調べに留学していて、アメリカ横断中に機内食に出会って感銘を受けたり、ドイツでヒトラーの演説を聴いたりもしているすごい人でもある。
そうか……だったら日本航空の機内食に関わってもおかしくない、というか最適の人材ということになる。
いいね。この繋がる感じがたまらない。まさか満鉄の野間口さんが機内食に関わっていたとは。
その後、野間口さんは、日本航空やエールフランスから出資を受けて機内食専門の会社を設立することになる。
それが現在の株式会社ティエフケー。国内外60以上の航空会社に機内食を提供、日本を代表する企業となっている。
ついでに私の知っている豆知識。
① 旧日本軍の航空機パイロットの食事は機内食ならぬ機上食。
操縦かんを握り手袋をした状態でも食べやすいように工夫された「ラボール巻キ」という海苔巻きや、バナナ、羊羹といった手軽に採れて栄養価が高いものが好まれた。
水分補給は死活問題になるので、種類は番茶、サイダー、リボンシトロン、甘酒、牛乳など充実していた。
② 航空機内は砂漠以上に乾燥しているため、味覚が鈍くなる。よって、機内食がいまいちに感じられるのも自然なこと。様々な工夫がなされてはいるものの、やはり限界があるのだ。つまり美味しい機内食は、地上で食べたらめっちゃ美味しい。
③ 機長と副操縦士は、必ず時間をずらし、違う機内食メニューを食べるように義務付けられている。衛生管理には万全が期されてはいるものの、万一の食中毒などに備えてのこと。
ちなみに明文化されていないものの、機長が先にメニューを選べる優先権があるといわれている。
機内食だけでなく、出発前の食事も同じように徹底されているおかげで、私たちは安心して空の旅を楽しむことが出来るのだ。
最後に私の理想の機内食の話をしよう。
「おい、何だよこれ!? こんなカッチカチのパン食えるかよ!! しかもこのスープ、具が入ってねえじゃねえか」
「まあ文句を言うな。食い物にありつけるだけマシってこった。次いつ食えるかわからねえんだ、腹に入れとかねえと戦えないぞ」
「……わかってるよ、でもよお、正体不明の真っ黒な肉みたいなやつ、絶対魔物の肉だぜ?」
なーんて会話が聞こえて来そうなワイルドな機内食が出てきたらワクワクしませんか?
え……? 私だけ?
なんか「とりあえずこれでも食っとけ」みたいな適当な感じに憧れます。
本エッセイの執筆はひだまり航空のねこ、私は実況を担当した飛田鞠でございます。
それでは皆さま、機内食とともに快適な空の旅をお楽しみくださいませ~。