最善の離別
確かに、レイ・ストラシュは強かった。
徒手空拳での肉弾戦という、やろうと思えば誰でも出来てしまうような戦闘スタイルだが、その速度と打撃の重さが桁違いだった。
誇張抜きで目にも止まらぬ速度で敵に肉薄し、岩をも穿つ打撃を叩き込む。その動きは洗練されており、先の試合で彼女が勝ち抜いてきたのは同情票などではなく、単純に実力で捩じ伏せてのものである証明となった。ドラゴン討伐の相棒に選ばれたのも、あながち適当な選出でもない。
「実力は認めよう。あぁ、彼女は強い。が、だとしてもだ。何故平民女と僕が組まねばならんのだ……!」
ミルコフが父親にドラゴンを倒すまで帰ってくるなと言われ、家を追い出されてからもう二時間は経過しているが、彼の気持ちはまだ固まってはいなかった。
「あぁ! 百歩譲ってこれがまだ貴族の令嬢なら溜飲は下がったさ! いや千歩譲って大商人の娘というのならまぁなんとか許せた。なんなら万歩で平民女だとしても、僕にぞっこんで素直で気立ての良い女なら良い旅になっただろう。だが、この女は……」
「何してるの、明るいうちに洞窟に着かなきゃいけないのよ、ちんたら歩かないでくれるかしら!」
身分差も考えず僕に楯突いてくる、生意気な態度にミルコフの眉が釣り上がる。
「うるさい! 僕に指図するな!」
街までの穏やかな道を先行するレイに喝を飛ばす。
「言われるのが嫌ならさっさと歩きなさいよ。この辺りの魔物ももう倒し切ったんだから、邪魔する相手ももういないでしょ。まさかまだドラゴン討伐が嫌だとか嘆いているのかしら?」
「ドラゴン討伐が嫌なわけじゃない、お前と旅をするのが嫌なのさ、僕はね!」
びしりと指を突きつけてやると、女はふいとそっぽを向いた。
「はっ、そんなこと言ったらあたしだって貴族様と旅なんて、吐き気がするわよ」
「なに!? この僕と旅をするのが嫌だというのか、一緒に旅したい冒険者ランキング三年連続一位なんだぞ、僕は!」
「……いや知らないけど」
「何ィ⁉︎」
今日何度目かの衝撃がミルコフを襲う。この国で最も知名度のある王家に次ぐ三代貴族の一人を知らないのは、ミルコフの常識からすると信じられないことだった。
「……なるほど、どうやら君はド田舎もド田舎、いや田舎というのも烏滸がましい未開の地から来た人語を介する原始人らしいな。それならば僕のことを知らないのも無理はない、改めて名乗ろう、この僕こそ」
「三大貴族ロードバル家の末っ子、ミルコフ・ロードバル様でしょ」
「なんだ、分かってるじゃないか」
「十回も聞けば嫌でも覚えるわよ。ていうかなんなの、何回も同じこと言って、頭がおかしいのかしら」
「十回も言ってるのに態度を変えないなんて、君こそ頭がおかしいんじゃないのか」
大貴族であることを話しても一切態度を変えないのは、話を理解していないからだとばかり思っていたが、どうやら分かった上で変えていなかったらしい。腹だたしい。
「というか僕との旅が嫌ならそもそもこんな話受けなければ良かったじゃないか。君が父上に対し首を横に振っていれば、そもこんな話は成り立っていないんだぞ」
「報酬が破格だったのよ。闘技大会での優勝賞金が三百万ルナ、それでもあたしからすれば凄い大金なのに、今回の仕事は契約金だけでも五千万ルナ。達成出来れば更に五千万ルナ貰えて、トータル一億ルナの報酬よ。受けない理由がないわ」
「い、一億ぅ!?」
大貴族たるミルコフからしても目が飛び出る金額だ。
一億くらいなら家としては頻繁に飛び交う額だが、それを一人の平民女に与えるとなると話が違う。
「お、お前……何か父上の弱みでも握っているのか?」
「いえ? 今日初めて会ったわよ。まぁあたしの父親とは知り合いらしいけれど」
「ストラシュ家が諸悪の根源か!」
三大貴族に取り入ろうとは強かな平民もいたものだ。こうなると騎士爵も正当な手段で取ったか怪しい。
「そうと決まればやはりお前とは協力する訳にはいかんな! 僕は一人で洞窟に向かわせてもらう!」
「何が決まったのよ!?」
「来い! 我が下僕!」
僕がそう声をあげると、体の内に秘めたる魔力が炎となって手の内に出現した。そして駆け出すと同時にその炎を後方に射出、凄まじい炎の推進力でもって、超加速をかける。
「さらばだ! アッーハッハッハッハ!」
もう最後の方の言葉はレイには聞こえていないだろう。短距離馬の全力疾走を軽く凌駕する速度で引き離していく。
そもそもこのドラゴン討伐は、ミルコフの評判、というよりはロードバル家の評判を上げるためのものだ。あのロードバル家の怨敵たるストラシュ家の女が同行する必要は無い。そうだ、一人でやればいいのだ、何を迷う必要があったのだろうか。
「最初っからこうしておくべきだったな! アハハハ!」
気分が良すぎて高笑いが止まらない。だがその気分の良さは一瞬のものだった。進行方向に、人影があったのだ。
「まずい!」
もう今更ブレーキをかけても間に合うものでは無い。人を轢いて殺したともなれば、更なる評判の低下は避けられない。ドラゴン討伐が始まる前に詰んでしまう。
まずいまずいまずい。
「どいてくれぇぇぇえーー!!」
届くは分からないが、必死の叫びを上げる。が、上げたところでその誰かが、
「……えっ?」
置いてきたはずのレイだということに気づいて頭が真っ白になる。
「たぁぁぁあ!」
「——ぅぉぉお!?」
激突のするはずの瞬間、僕の体が浮いた。ぐるんと視界が回り、
「うげぇぇえ!?」
凄まじい衝撃で地面に叩きつけられた。あまりの衝撃に少しばかり放心してしまう。
「勝手に行かないでくれるかしら」
こちらを見下ろしながら、レイは言う。
辺りを見渡すと地面にクレーターが出来上がっていた。ミルコフを地面に叩きつけた時に出来たものらしい。
「貴様! 何をするんだ、僕ほどの魔力が無ければ今の衝撃で死んでいたぞ!」
起き上がって即文句をつける。
あの速度で地面に叩きつけられるなんて、人によればミンチになっていてもおかしくない。それが無傷で済んだのは、防護魔法のおかげである。
その命が国の命と言っても過言ではない王家、大貴族は、常に防護魔法を展開している。がこれは莫大な魔力量があってこそのものであり、並の貴族ならば不可能な芸当である。
「それはこっちのセリフ。前にいたのがあたしじゃなかったら、あなた人殺しだったのよ」
「うぐっ……」
不可能な芸当と言えばレイの動きも相当だ。あの速度で駆けていたミルコフの胸ぐらを掴んで投げ飛ばしてみせた。いやそれ以前に、
「というか何故君がここにいる! さっきまで後ろにいたはずだが!?」
「ふん、そんなの簡単よ。あたしの方が速いのよ、回り込むなんて朝飯前だわ」
「なっ……」
ふふん、と胸を張る女。信じ難いが、実際回り込みミルコフの前に立っていたのは事実だ、嘘でもデタラメでも無い。
「だからあなたは、あたしから逃げることなんて出来ないのよ。残りの五千万ルナのために最後まで一緒に旅してもらうから」
「ぐ……誰が貴様のような下賤の民の指示など受けるか!」
「ほんっと強情ね? あたしの方が強いんだから、あたしと一緒の方がドラゴンだってすぐ倒せて楽でしょうに」
「人間性と能力は別の話だ」
「分かったわよ……」
レイはため息をついて、くいと少し先の洞窟を示した。高速移動のおかげで結構近くにまで到達していたらしく、ぽっかりと口を開けた暗闇が見て取れた。
「ラドリス様から受けた依頼は、最終的にドラゴンを一緒に倒せって話だし、一緒に行かなくても……いいかもしれないわ。屁理屈じみているとは思うけど。あそこの洞窟の魔物討伐が終わったら、そこで別れましょう」
「なんだ、君にしては名案ではないか。だが、そう言うのなら今別れてもいいだろう? 何故あそこに共に行く必要がある」
「分からないの?」
「何がだ」
ミルコフが聞き返すと、またもため息を吐く。
「この依頼はラドリス様に直接頼まれたものよ? きっと顛末も確認すると思うわ。その時に二人でこなしていないって知ったら、どう思うかしらね。最悪、ドラゴン討伐の依頼も取り下げるかもしれないわ。けど反対に、最初の依頼を二人できちんとこなせていれば、少しは信用してくれるはず。だからここは二人で行く必要があるの」
ドラゴンの討伐とは無関係だが、どうせ通りかかるのだから解決しろと父上から託された依頼書を見ながらレイは言う。分かった? と幼児でもあやすかのような口ぶりで。
「ふん、そんなこと言われなくとも分かっていたさ。さっさといってさっさと倒して出るぞ」
「なんだ、結構早く歩けるんじゃない」
そんなレイの嫌味たらしい言葉に、律儀にミルコフが反論しつつ、二人は洞窟に入っていった。