最悪の相棒
「僕、負けた!?」
有り得ない事態にミルコフは跳ね起きた。空が見えて地面に落ちた。そして完全に気を失った。それがあの女の攻撃で起きたことだとすると、最強たるミルコフが負けたということになる。
「ん、いや?」
だが目が覚めた所は闘技場ではなく、自分の部屋だった。純白のベッドの中で目覚めたのだから、なるほどあれは夢だったに違いない。
「そうさ僕が負けるはずなどない。はは、嫌な夢だった、しかも平民の女に」
「騎士って言ってるでしょ」
「うぁっ!?」
夢の中で聞いた言葉が降ってきて、驚きのあまりベッドからずり落ちてしまう。
「大丈夫?」
「……な、ななな!」
こちらの顔を覗き込んできたのは、やはり悪夢に出てきた平民の女、レイ・ストラシュだった。
「何故ここにいる! 平民如きがこのミルコフ・ロードバルの屋敷になぜ!」
「騎士って言って……」
「ああもう分かった、騎士だろ!」
何度も同じやり取りを繰り返すのが鬱陶しくなって、ミルコフは自分から折れる。
「騎士に訂正するから、なぜここにいるか言え!」
「武闘大会の後、ラドリス様に呼ばれたのよ。頼みたい仕事があるってね」
「ま、待て!」
聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「武闘大会の後と言ったか!? どういうことだ、武闘大会は夢だったんじゃないのか!」
「いつまで寝ぼけているのかしら。あなたは負けて、あたしが優勝したの。第二十三回冒険者武闘大会はそれで終わり。数時間前にね」
「馬鹿な! 僕が負けるはずがあるか! 絶対の勝者たる僕が!」
「馬鹿はあんたでしょ、現実を認めなさい」
「貴様……! 言わせておけば!」
生意気なレイの態度に、怒りが頂点に達した。
「そもそもなんだお前は、夢の中でも今も! ずっとこの僕に向かってタメ口ィ! 立場を弁えているのか!」
「何が立場よ。平民だろうが騎士だろうが貴族だろうが、同じ冒険者でしょ。あなたを敬う理由も、あなたが偉そうにする理屈もないわ」
「いいや、敬う理由も僕が偉い理屈もあるね! なぜならこの僕が、君より強いからだ。僕が上! 君が下だ!」
「何言ってるのよ、武闘大会で負けてるじゃないあなた。……記憶が混濁してるのかしら、強く殴りすぎた……?」
「何をボソボソ言ってるのか知らんが! 僕の方が強いことを今ここで証明してやる! 構えろ!」
「……そんなのするために来たわけじゃないんだけど。そっちがやるつもりなら手加減はしないわよ」
レイの目が途端に鋭くなる。武器も構えていない、構えだって取ってはいない。三大貴族でもないレイが、防護魔法を張り巡らせている訳もないのだ、無防備なはずだ、はずなのに。どうしたことだ。付け入る隙が、どこにも無い。
「ぐっ……この……」
少しばかりの逡巡の後。気まずい沈黙。が、下手に攻撃したら手痛い反撃が待っていると分かって、体がどうにも動かなった。
「こんな所で戦おうとしないで下さい。坊っちゃま」
そんな沈黙を破ったのは我が家に仕えるメイド、マリー・ストラシュだ。上品な足取りで、僕の隣に歩み寄る。
「あぁ、マリーか。何、勝手に部屋に上がり込んだ不埒な輩がいたから成敗してやろうと思っていたのだ」
残念残念と呟きながら、臨戦態勢を解く。レイもそれを見てか、雰囲気がいくらか和らいだ。
「まぁだが、君が来たのなら後は君に任せてもいいな。さ、彼女をさっさと追い返してくれ」
「それは出来ません、ミルコフ様」
マリーは表情一つ崩さず、首を横に振った。
「なに? 僕の命令が聞けないというのか」
「彼女はラドリス様が招いた客人ですので。むしろ、さっさとした方がいいのはミルコフ様ですよ。そもそもここに彼女が来たのは、なかなか目覚めないミルコフ様を起こしてもらうためですし」
「ほ、本当に父上が呼んだというのか、この女を……?」
「ま、彼はあたしが起こすより先に飛び起きてたけどね。随分悪い夢を見ていたみたいじゃない?」
マリーが自分の言葉の裏付けをしたのに勢い付いたのか、レイは下卑た笑みをこちらに向けてきた。
この女……つくづく人を不快にさせる天才だな……!
「僕を起こすために来たというのなら、目的は達したはずだ、僕は支度をする。君は部屋の外に出ていたまえ!」
何かを言われる前に女を外に追い出す。
「やはり騎士とはいえ、下賎な平民に違いはないな。気が合いそうもない」
ようやく静かになった部屋でふぅと息を吐き出して、洗面台に向かった。
「来たか、ミルコフ」
支度を終え、ミルコフは、ロードバル家の当主、ラドリス・ロードバルの執務室に赴いた。
隣にはレイが並んで立っている。
「先の闘技大会、随分な醜態を晒したようではないか」
「いや、それは……」
「なんだ、言い訳か?」
「……いえ、なんでもありません」
夢の話では? などと言える空気ではない。
こうなるとあの敗北が現実のものだと認めるしかなくなってくる。
人生で初めての敗北。しかも相手は、大貴族でもなんでもなく、騎士という屈辱。
「散々観客を煽り、高慢な態度を見せ、たった一撃で倒された。武の貴族たるロードバル家の者が、そんな負け方をしたのは、沽券に関わる問題だ」
「申し訳ございません……」
「……それだけならまだ良かったのだがな」
「え?」
「マリー、例のものを」
マリーが横から一枚の紙を父上に差し出した。
何かやらかしたか……? ゴクリと生唾を飲み込む。
「これはお前が先日購入した船一隻の明細書だ」
「あ、あぁなんだ、そんなこと……。それがどうかしましたか?」
「代金を払う日は何時になっていたか、覚えているか?」
「勿論です、今日ですよね。大丈夫です、闘技大会の優勝賞金で払えるの、で……」
だが、今回の大会で優勝したのはミルコフではなく。当然賞金も手には入らない。
「あー、えっと……」
「支払いは私がしておいた」
「な、なんと、申し訳ありません。お手を煩わせ……」
「お前の持ち物を色々売ってな」
「ゑ!?」
変な声が出た。言われてみれば確かに部屋に違和感があった。急いでいたから気にとめている時間はなかったが、物が減っていたのか、あれは。
「そ、それでどのようなものをお売りに……?」
売られてしまったのはもう仕方ないとして、どれが、というのが問題だ。
ミルコフが数年かけて方方を探して集めてきた、シリーズものや、セットものがセーフなら、まだかろうじて致命傷で済む。
「なんたらコレクションとか、なんたらシリーズ、揃ってるといい値段がする奴らを纏めて」
「死ッ……!」
膝から崩れ落ちそうになるのを何とか堪える。
しかも複数なのか……!
ふと視線を感じて横を見ると、レイの口角が微妙に上がっていた。
この女、人の不幸を笑いよって……!
「まぁそれで金は何とか工面出来た。しかし、ロードバル家の風評が地に落ちたのは変わらん。そもそもお前は遊び人として評価が芳しくなかったからな。今までは遊びに呆けてはいるが、闘技大会の連覇に、冒険者として多くの依頼をこなしてきた故に、目をつぶっていた。実力だけは本物だと言えたからな」
「ええ、そうでしょうとも。僕の実力は自他ともに認めるものですから」
「だが今回、お前は見るも無惨に大敗を喫した」
「それは……まぁ……」
「新米冒険者の少女に負けた実力も無いただの遊び人、そんな風評が広がってしまっている。これは由々しき事態だ」
ミルコフは、凄まじい人気があった。けれど、人気が高ければ高いほど、彼を疎む人間も増えることになる。
そもそも彼は「良い人」では無いので、嫌っている人間も多いのだ、それを絶対的な実力で押さえ付けてきただけで、その絶対が揺るぐとなれば、彼を嫌うものがあげつらうには格好の的である。
大会が終わってまだ半日でそれ程の騒ぎになっているのも、彼を面白く思っていない人間の多さの証明と言えるだろう。
「だから、お前には汚名返上、名誉挽回をしてもらいたい。マリー」
「はい。さ、坊っちゃま。これを」
マリーから渡された一枚の紙は冒険者ギルドのものらしかった。いつもは掲示板に張り出されている依頼書と同じものに目を通す。
「……死の谷の魔物が活性化……周辺状況から鑑みて……ドラゴン復活の兆し……は、ドラゴン!?」
「そう、ドラゴンだ。さくっと倒してきてくれ。ドラゴンを倒したともなれば、お前の力を認めない者はいなくなるだろうからな」
「いやそうは言いますが父上、ドラゴンとはそう簡単に事の運ぶ相手ではなく……!」
ミルコフは自分の力に自信はあった。
だが、相手がドラゴンともなれば慎重にならざるを得ない。何せ相手は最強の精霊種で、あらゆる魔物の頂点に君臨する存在なのだ。
「分かっている。だからこその相棒ではないか」
「相棒……? まさか……!」
嫌な予感がして、隣を見ると。レイが満面の笑みを浮かべて、手を差し出してきた。
「騎士、レイ・ストラシュ、ドラゴン討伐までお世話になるわ。よろしくお願いね、ミルコフ様?」