99話 衝動
颯馬は孤児院に強制的に預けられた。
*
「おかえりなさい、颯馬」
エプロン姿の女性は開口一番にそう告げた。
どうやらあの家族は、一度俺をここから連れて行った後で再びここに返したのだろう。
よくある使用貸借上の『モノ』のような扱いだ。
俺が何の意見もしない、何の抵抗もしないと仮定して取引している。
それが無性に腹が立つ。
*
孤児院での暮らしは、前までの暮らしと比べると随分と窮屈だった。だが、前よりかは自由だった。
目に見えない縛りは特になく、むやみやたらと命令されるわけでもない。
結果から言えば住み心地は悪くなかった。
ただ一つだけ不満なのは、敷地から出てはいけないということだった。
外に出れるとするなら、やることは一つ──
「じゃあここを──颯馬くん! 解いてください!」
抜けていた意識を急いで戻す。そういえば今の時間は授業中であることを忘れていた。
授業を何一つ聞いていなかった。
だから俺は黒板をただ凝視する。何を聞かれていて、何を答えれば良いかを理解するために。
「……72です。それと一つ前の問題、途中式の二行目の加法に括弧を付けるべきかと」
「括弧……あっ! ごめんなさい、付けるのを忘れてました! はい、72正解です! でも、ちゃんと集中してくださいね!」
俺は「すいません」と一言。別に謝ろうなんて思っていない。
こんな平凡で退屈な授業がほぼ毎日続いている。意識を逸らさない方が無理だろう、と内心は思っていた。
*
何か特別な事件があったわけでもなく、ゆるやかに20歳を迎えた。
20歳になれば、こことおさらばできる。
本当は引き取り手が来ればもう少し早く出れたのだが……。
まあ、家族ごっこはもうごめんと思っていた自分にとっては、むしろそちらの方が地獄だったろう。
「颯馬さん、じゃあこっちに」
促されて着いたのは外──ではなく、敷地内の木で隠された施設だった。
「ここはなんだ?」
「あなたの戸籍等を作成する場所ですよ」
後ろからついてくる男はそう言った。振り返ると、なにやら裏のある笑顔を浮かべていた。
階段を降りた所で、俺は後ろの男の顔を殴る。男は反応もできずに、そのまま倒れ込んだ。
「万が一戸籍を作る場所だとしても、俺はそんなもん要らねえよ。俺がしたいことはただ一つ──あいつらを殺すことだ」
階段をひたすら駆け上がる。出口が見えてきた。
「とりあえずここから出て、適当なニュースを見ればあいつらの現在地なんてすぐ──」
「逃葬は菌止、です、ます、ガ?」
耳を塞ぎたくなるような不快感と共に、背後から黒い触手の群れが襲いかかる。
なすすべもないまま、首を絞められて落とされた。
*
「おいお前、目を開けろ! 成功だぞ!」
「……あぁ? ──ここは、どこだ?」
自分が気を失う直前、何をして何をされたのか覚えていなかった。
周りには、横たわる俺を取り囲むほどの人の群れがいた。
白い服装で所々に赤がある。
「そうだ。俺は外に出て、施設に連れてこられて、あの男を気絶させて……その後は──」
「とりあえず、ルドラ先生が言うには、この薬を飲めば能力が発動できるみたいだ」
「能力? なんのことかさっぱりだ、もう少し分かりやすく説明しろ」
俺は底知れぬ倦怠感から、今は無理して体を動かす気にはなれなかった。
なので、こいつらの話をとりあえず大人しく聞いてみる。
「まず、ここはお前の言っていた孤児院の施設の中だ。そしてお前は、ルドラ先生の手術によって『罪人』になった。この手術で罪人となって生き残るのはお前が初めてなんだ!」
「はははっ、なるほどな。つまり、この薬を飲むと能力が発動できるわけだ。お前らは俺の許可なく、勝手に手術したのか!」
寝起きは不機嫌になる俺ではないのに、何故こうもフツフツと怒りが込み上げてくるのだろう。
そこから、俺の理性は飛んだ。
*
「おいおい、なんだよこれ! ははっ、ははははっ! なあ、おい! 最高だな!」
男の体に跨って、右拳と左拳で交互に頬を殴っていく。これが人生で初めて味わう、殴る快楽だった。
罪人になれば能力を使わずとも身体能力が底上げされることは、過去の暮らしから知っていた。ただ、これほどまでとは思わなかったのだ。
「はあ……何してるの?」
「っ!?」
突然の声に戸惑い、振り返る。そこには中性的な顔立ちの子どもがいた。
「確か、副作用で嗜虐心やら闘争心やらが止まらなくなるんだっけ? うん、だからか」
「誰だろうと関係ねぇ! はははっ!」
俺は性別年齢関係なしに、そいつを殴ろうとした。
「くそ、が!」
一発の銃声。その弾丸は他でもない、俺に向けられたものだった。
「ぐっ……!」
「やっぱり、生きてる可能性はゼロじゃなかったか。ま、そんなことよりボクと話そうよ。ボクはアレクサンドラ。気軽にサーシャでもいいよ」
生まれてから初めて味わった激痛。腕からは血がダクダクと溢れだしている。
そして撃った男は、引き金を引くのに全ての力を出し切ったようだ。
「君の能力って特殊でさ、どうやら薬を使わないと能力を使えないみたい。……というよりこんな研究をして、ノアは何考えてるんだか」
「ク、ソ……黙れよ」
「まあ、とにかく次の方針が決まるまで適当に生活してて。あとその傷、ルドラ辺りに治してもらったら?」
彼女が言い終わったと同時に、数本の触手が生えた。
*
ある日、俺は一人の少年……というより、ガキとあった。名を『青泉』と言う。
こいつをボスにして、プロ・ノービスとかいう組織を作り上げろと、サーシャから言われた。
「おい、お前みたいなガキがボスだと? 俺は納得できねぇんだけどなぁ」
「どうして?」
「どうしても何も、年齢だよ、年齢」
俺は詰め寄った。
「お前みてぇな子どもが、踏み入れていい場所じゃねえんだよ。誰かを殺すための組織だろ?」
「その『殺すため』の組織を提案したのは僕だよ。孤児院の施設の運営する権利も、軍事金もRDBから貰ってるからしばらくは安泰だし」
話せば話すほど、青泉が異様な存在だということは分かった。
諦めて俺は、一番納得できない理由を話した。
「そもそもだ、俺は誰かに命令されるくらいなら死んだ方がマシと思ってるからな」
「……分かった。じゃあ命令じゃなくて、ただいいことを教えてあげる」
「おいそういうことじゃねぇよ、俺はな──」
「君の元両親、今は取引先のデパートにいるらしいよ。君が今まであの二人を殺せなかったのは、その情報がなかったからでしょ?」
*
デパートの中は阿鼻叫喚だ。俺が薬を一錠飲む度に、人が最低でも50人は死んでいった。
俺が感じたのはただ一つ。
快楽だ。
「……待て、颯馬。話をしよう、な?」
殴り殺した。
「待って、嘘よ、颯馬……!」
叩き殺した。
そして、騒ぎを起こす前まで幸せそうだった家族は、今狭い出口から出ようと必死になっている。
ムカつくから殺そう。
「逃げるなよ、おい!」
「くっ……《発動》!」
途端に、俺は大きく弾き飛ばされた。
「はっ、そうか! お前も罪人か!」
「……美夜、天舞音、先に行きなさい。お父さんが止める」
「あなた……絶対に死なないで!」
俺は、ためらいもなくその母親を殺した。父やその娘の前で。
初めは突然のことで理解できてなかった父も、次第に怒りで満ち溢れた顔をしていた。
「よくも……美夜を! 《発動》!」
とんでもない力に押し負け、俺ははるか遠くの壁に押し付けられる。
「がっ……!」
「こんなものではないぞ!」
次に父が跳び、俺の顔に強烈な力を浴びせた。
「っ……! いいぞ! だが! お前は守るものがまだある……そうだよな?」
「何? ……まさか!」
俺は脚に力を込め、壁を蹴る。そして人混みを避けて逃げようとする娘を──。
「…………がはっ」
「何?」
俺が娘に手を伸ばした直前、父が俺よりも早くその場にたどり着き、身を呈して庇ったのだ。
しかし、代わりに俺の腕は父の腹を貫通させていた。
血を吐く父は言う。
「娘が死ぬのなら、俺が死ぬ。そして娘はいつか、家族を奪ったお前を殺す」
それを最後に、力なく項垂れた。
「はっ……はははっ! そうか、ああそうか。楽しみにしてよう」
俺はサイレンの音を合図に、その場を立ち去った。
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