95話 使命か抵抗
美羽は菫に事件のことを、病院に怪我人のことをそれぞれ伝えた。
*
美羽は、「この二人をお願いします」と、駆けつけた救急隊員に告げた。目線を逸らし、表情を悟らせないように。
階段に座りながら、運ばれていく二人の様子を見た。
白虎の息は弱々しく、今にも途絶えてしまいそうだった。
一方、芽衣も触手の影響で肌の色に生気がない。
双方ともに、命の危機を迎えていた。
しかし、今の美羽には彼らの無事を祈れる程の心の余裕がなかった。
「このままじゃ、ダメなんだ。でもそんなこと分かってるよ……」
思わず独り言を零す。ブルーシートを引くなどして、警察官が捜査の準備をしているのを横目で見ていた。
「気にかける、大丈夫?」
その口調と幼さの抜けない声で、振り返らずとも美羽はすぐに彼が翔だと理解した。
心配させてしまったことを自省しながら、美羽は彼の方に笑顔で振り返る。
「──大丈夫だよ! というより、むしろ芽衣ちゃんが大丈夫かどうか心配だよ……」
感情の起伏が少ない、まるで取り繕ったような言葉だった。
それに気がついた翔は何か言いたげな表情を浮かべる。
「どうしたの?」
「っ……白虎の傷痕は美羽の茨星でできたものだよね?」
口癖を言わなかった彼は、まるで言葉を選んでいるような、そんなたどたどしい話し方だった。
「私にもよく分からないよ。突然、ノアっていうRDBのボスが出てきて、その人が白虎を……」
「──そうか。質問する、じゃあ美羽がしたわけではないんだね?」
「それは……いや、私も少しだけ刺したよ」
翔は美羽の隣にそっと腰掛ける。まるで、美羽の話をもっと長く聞くように。
その行動に感化された美羽は、そこから翔に事の顛末を伝えた。
*
「納得した。美羽は、白虎が芽衣を攻撃したと勘違いして攻撃したんだね。それで手の甲、脇腹、そして太ももに刺したのか」
美羽は当時のことを思い出して、また少し顔を暗くした。
「っ……でも美羽、最近の君は焦りすぎてるよ。何が君をそこまでにさせてるの?」
「私が──焦ってる?」
「君が取締班に来たときとは大違いだよ。僕の知っていた美羽は、人を傷つけないような人だった。でも今の美羽は、人が傷ついてると知ると事情を問わずに攻撃する。それなのに、手加減をしてしまうようだね」
『手加減』という言葉に、美羽は反芻するように「手加減?」と聞き直す。
「っ……さっき、白虎を見てきたと言ったでしょ? その時、右手の甲と左脇腹、左太ももの刺傷がやけに浅く見えたんだ。他の傷と相対的に比べてね」
「……ノアっていう人の刺傷が全部深かっただけじゃないの?」
「っ……それもあるだろうけど、それ以上に美羽はもっと深く刺せたはずだよ。つまるところ、投げる速度や持ち方をわざと悪くなるように調整したのかな?」
美羽は口を真一文字に結んだ。まるでそこにいたかのような発言に、図星と虚をつかれた。
「正直に言う、中途半端だ。美羽の気持ちがどっちなのか分からない。人を傷つけて人を守るのか、人を傷つけずに人を守るのか」
「そんなこと、分かってるよっ! 分かってるけどっ……!」
美羽は声を震わせる。翔を、一層輝いた目で凝視する。
心配そうな表情の彼を見て、一度出た感情を抑えることができず、そのまま口から流れ始める。
「優貴くんが居なくなったのは、私が不甲斐なかったからなのかなって考えちゃうんだよ。初めて白虎と接敵したときもすぐに怪我を負ったり、プロ・ノービスとの戦いだって最後まで戦えなかったし」
「美羽……」
翔は思わず声を零した。美羽が今までそんな気持ちを抱いていると思わなかったからだ。
「だから、少しでも頼れるような人になりたかったんだ。人を守れるようになれるように、変わらないといけなかったんだよ」
「っ……だから、人を傷つけることを考えたのか。だけど心がまだ変わりきってないから、白虎を傷つけることにまだ抵抗があったの?」
美羽は固くなった表情で、ひとつ頷く。そのまま俯いて、彼に答える。
「ノアが白虎を刺した時、思わず『ひどい』って思っちゃったんだ。だけど自分や仲間を守りたいなら、いつかこういう残虐なこともしないといけないって、分からなくなって……」
美羽は残酷になれずにいた自分を恥じながら、胸の内を明かした。
『傷つけないといけない』という使命感と、『傷つけたらいけない』という抵抗感が、彼女の心でしっちゃかめっちゃかに揉み合っていた。
そんな彼女の苦しみをある程度察した翔は、一拍おいて話す。
「っ……優貴が取締班を出たのは、美羽のせいじゃない。きっと、彼には彼なりの……使命があるんだ。──ごめん、上手く話せないや」
「ううん、いいんだよ。慰めてくれてありがとう」
「っ……慰めじゃない。僕が言いたいのは、美羽は、あの頃の優しくて元気な美羽のままでいいんだよ。だって、君が優貴と会ったとき、変わった君を見たら彼はどう思うの? きっと……少し寂しく思うよ」
その言葉に、美羽は顔を上げて翔を見る。
「っ……むしろ変わらない美羽を見たら、優貴は安心すると思うな。だから、無理に変わらなくても大丈夫だよ」
美羽は少し深呼吸したあと、勢いよく立ち上がった。
「私……二人のこと追いかける! やっぱり心配だから!」
そう言って、美羽はその場を後にした。その後ろ姿を見て、翔は表情を緩める。
「安心する、それでいい」
翔も階段から立ち上がると、警察の捜査に協力し始めた。
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次回も宜しくお願いします。
そして、ここ最近遅くなってしまい、申し訳ございません。