94話 残酷で無惨で
白虎が芽衣を救出したところで、子どもの声と拍手が聞こえた。
白虎は反射的に、声の主へ回し蹴りをする。白虎からは見えていない、それでも的確に声の主の頭を捉えていた。
「野蛮な英雄。まあ、それもいいと思うけれどね」
白虎の脚が彼に届くことはなかった。彼が蹴ったものは、柔らかい感触の黒い触手だった。
「クソが、邪魔すんな!」
「まあまあ、一度目を見て話すとしよう。話し合いをしてから、敵意を向けるのはどうかな?」
白虎は彼が言い切る前に、声の正体を見た。
「子ども?」
「いや、あいつは……。おい、なんでお前がここにいるんだ? 『伝達係』」
黄緑色の無造作の髪に、見ていると染まってしまいそうな紫色の目。
白虎のイメージである大きな丸メガネは無いものの、その見ているだけで人を殺してしまいそうな雰囲気ですぐに分かった。
「その名前、まだ覚えてくれていたんだね。正直、意外だったよ」
「それよりも俺の質問に答えろ、なぁ、お前はなぜここに?」
「なぜも何も……ボクがRDBのボス、『ノア』だからだよ。部下の働きを見守るのは、上司として当然だろう? まあ、君がプロ・ノービスの幹部だった頃はそんなことはなかったと思うけどね。ああいや、ボクが見てないだけであって──」
「黙れ。そんなことよりも、お前がRDBのボスだと? 笑わせるな」
白虎の言葉にノアは、無邪気な顔で心底嬉しそうに笑う。
「ボクはやっぱり笑いのセンスがあるんだね」
「お前はこのクソ触手と違って、話が通じるはずだろ。はぐらかすな」
「うーん。じゃあ、ボクがボスだという証拠を見せようか」
すると彼は、白虎や美羽を無視して、触手の方へ足を運んだ。
「『ルドラ』、今日はもう終了だ。そもそも、なぜここに来たのか分からないけどね」
「荒ソいを富めるため、です、ます、ガ? 荒ソいは菌止だとすればそれは、世界の狂痛人識で──」
「あははっ、ボクも元とはいえ、伝達係失格だね、分からなかったのかいルドラ。退け」
子どもの姿からは想像もできないほど、流動的で粘着質な怒りの声。
二文字という短い言葉なのにも関わらず、そんな怒りの声が血液に混ざって流れて、心臓に張り付いて、心臓が振り払おうと暴れ出すほどの……威圧的な声。
自分に向けられている言葉ではないと分かっていても、白虎と美羽は固唾を飲む。
ルドラと呼ばれる触手は動きを止め、叱られている人間のように萎縮した。その後、壁や床に逃げ込むように消えた。
「少し段取りは悪かったけど、これで認めてもらえたかな?」
「あ、ああ……お前はRDBのボスなんだろうな、それは分かった。だが、それを今話すべきじゃなかったな」
「つまり、あなたを捉えれば諸悪の根源を断てるってことだよね。だったら見逃せないよ、そんなの」
白虎はそっと芽衣を床に置く。臨戦体勢を整える彼は言う。
「ピンク髪、お前はこいつを見てろ。また利用されちゃあ面倒だからな」
「それは分かるけど……取締班として、ここで黙って見てる訳にはいかないよ!」
そう言うと、美羽も臨戦体勢を整え始めた。緊張が絶えないこの空間でも、もう怯まないために彼女は汗を強く握る。
白虎は少し邪魔くさそうに眉をひそめた。今まで団体での行動はしたことないため、複数人での戦い方を心得ていないからだ。
だからといって、それを直接美羽に伝えるのは格好がつかないと思っていた。
「ねえ、白虎。君に一つ質問してもいいかい? 君は、正義かい? それとも悪?」
「はっ、そんなの俺も分かるはずがねぇだろ?」
白虎は構えをより深くする。隙がなく、いつでもノアに攻め込めるような構えを。
顔は邪悪で純粋な闘争心を表したような、そんな笑顔を見せる。
「いいか、俺の善悪はな、最初から決まっちゃいねえ。俺の好きなように行動して、その結果が善悪を決めるんだよ!」
「不安定な個体だね。それじゃあ──」
白虎は彼が言い切る前に仕掛けた。常人離れした行動力と筋力。能力がないとは思えないほどだった。
「──君は、この世界に必要ない」
美羽は、自分の目の前で何が起こったのか理解できなかった。
理解、できるはずもなかった。
「君は間違えたんだよ。人生において、色々とね。そして、これが君の人生の最後の間違いだ」
「……ゴフッ」
美羽の目の前で、白虎は口から床に目掛けて、多量の血を吐いた。白虎の服のあちこちから、血が吹き出す。
美羽は彼のその血を、目を見開いて顔をこわばらせながら浴びる。美羽がどうすることもできなかった中、彼はそのまま地面に倒れ伏した。
「人生最後の間違い、それは……君が歯向かった相手だよ」
彼女が目の前で人が死ぬのを見たのは、人生で二度目の事だった。
まだ息を確かめてはいないが、美羽はもう助からないだろうと悟った。
ノアは美羽に言う。
「君のそのまきびし、少し利用させてもらったよ」
「え……?」
美羽は白虎の周りをもう一度観察した。近くには血まみれになった茨星があちらこちらに落ちていた。美羽がここでは使ったことのない量だった。
慌てて茨星の袋を確認すると、それは破けており、茨星のストックがほぼない状態だった。
どれもこれも、何が起きたのか全く理解できなかった。
いや、今は考える余裕がなかった。
「ふふっ、そんなに怖がらなくても大丈夫さ。君にはまだ役割がある。君や倒れているその子まで殺すつもりはないよ」
ノアは優しい笑顔で語りかけた。
彼はふと、倒れ伏している白虎を見る。その目はただの石ころを見る目だった。
「彼は生きてるのかな? まあ急所は外したとはいえ、このままだと本当に死ぬね。助けるかどうかは君が決めるといい」
ノアはそういうと、歩いてその場を後にした。
「なんで、こんな……残酷なことできるの?」
美羽はノアが居なくなった後で、ぽつりと呟く。
彼女自身も白虎を攻撃したとはいえ、芽衣が危機に瀕していたからと勘違いしたからである。
しかし、人を攻撃することに抵抗はあった。どの攻撃も中途半端だと白虎が内心で思うほど。
一方ノアは、まるでうるさいからという理由だけで潰す虫のように、白虎を無惨に殺した。そこには慈悲もなにもなかった。
美羽はスマホを取り出すと、罪人取締所へ電話をかけた。
ご愛読ありがとうございました。
次回も宜しくお願いします。